誤用しがちな表現をまとめてみました。
二十歳の男子のこと。したがって若い年齢を強調するために20歳以外の年齢に使うこと、また女性に使うのは誤り。女性に使用する場合は「わずか8歳の女の子が描いた絵」など、「わずか」が近い意味か。
宗教観や政治的な主張などで、「自分が正しい」という信念に基づいた犯罪のこと。「悪いことと知りながら罪を犯す」のは「故意犯」。
気まずいこと、不義理なこと、面目のないことなどが過去にあり、その家や場所に行きにくいこと。本来は、「格が高すぎたり、高級すぎるために、その家や場所に入りにくいこと」は意味していない。
本人の力量に対し、与えられる役目が軽すぎること。役目が重すぎることは「力不足」。
男が女のようになよなよして、なまめかしいしぐさをすること。薄笑いを浮かべることは「にやりとする」。
嬉しさによって、動作が調子づいているさま。「気づかれないように隠密行動を取る」のは「こそこそ」。
世界を捉える観念のこと。「観」はその人の"見方"のことを指す。価値観は価値を捉える観念で、人生観は人生を捉える観念。 ある学問の世界での理論や知識体系、また文学や音楽、芸術などの領域において客観的に形象される空気感や創作空間の雰囲気をあらわすのは「世界像」。
ほんらいは物理用語で、四次元の座標で表現される質点の運動の軌跡のこと。文学や音楽、芸術などの領域においてその作品が持つ雰囲気、状況設定などを表すのは、俗用。
世間に揉まれて様々な経験をする中で「擦れ」て、ずるがしこくなること。世の中の考えや習慣から外れていることは「世間知らず」。
自分のしたことを恥ずかしく思ったり、悪いと思ったりすること。その感情により、気おくれしたり、おどおどしたりすること。漢字では「悪怯れる」。「ふてぶてしい態度」「悪い態度」のことではない(それは「悪ぶる」)。
死の間際のこと。死の直前に上げる叫び声、悲鳴のことではない。
当然である、なすべきことであるという意味。「すべからく~べし」で、「ぜひとも~しなければならない」と使用する。「すべて」とか「皆」という意味はない。
「いつも」。すぐに、ではない。
議論やアイデアの構築が完成に近づきつつあること。議論やアイデアの構築が難航することは「行き詰まる」。料理で「煮詰まる」と言ったら水分が飛んで完成間近であることだから、鍋が煮詰まった様子を想像すると混同しにくくなるかもしれない。
官能が刺激され、心が乱れること。「どうしたらよいのか悩んでいる」のは誤用。単に「悩む」や「判断が難しい」といった表現となるか。
喧々囂々は、大勢の人がやかましく騒ぎ立てる様子。侃々諤々は、正しいと思うことを主張したり、盛んに議論する様子。「いろいろな人が様々な意見を言い合って、まとまりがつかず、がやがやとやかましい」という意味で「喧々諤々」ということもあるが、これは「喧々囂々」と「侃々諤々」の2つが交じり合った、本来は誤用の表現。
話の要点、核心的な部分のこと。「話の最初の部分」という意味はない。
もっともすぐれているところ。全体の中でもっとも素晴らしいところ。他に打ち勝つこと、他を凌いですぐれているさまは「圧倒」。
物語やできごとなどの一番盛り上がる部分、面白い部分のこと。本来は、「もっとも大変な部分、忙しさのピークとなる状況」という意味はない。
余談から本題に戻るときに使う。「それはさておき」「とにもかくにも」。「あだしごとはさておき」(あだしごとは、関係のないこと、必要ないこと)と読む場合もある。話題を逸らすときに使うのは誤用。
「子どもは、先ず女の子、次に男の子を授かるのがよい」という慣用句。「一般的に女の子はおとなしくて小さいころからしっかりしているので育てやすいが、男の子は育てにくいので、一人目が女の子で子育てに慣れていると、二人目が男の子でも負担が軽い」といった 意味合い。「女子1人、男2人」といった意味ではない。
「もっとも良い時機」のこと。「この企画はもう潮時だ」のように、ものごとが終了したり、締めくくりの時期として使用するのは誤り。
40歳のこと。不惑。それ以外の年齢を指すのは誤り。
若い年頃。特に、女性に使う。より直截的には10代後半から20代前半の一昔前でいうところの「結婚適齢期」の年頃を指す言葉。いわゆる「おばさん」の世代や、アラサー以降に使うのは誤り。
慶事や健康を祝ったり祈ったりするために、盃をあげてそれを飲み干すこと。字義そのまま「杯を乾す」ことで、グラスを重ねて唱和すること「だけ」ではない。
「いかに温和な仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てる」の意。すなわち、3度目はアウトということ。チャンスは「4回」ではなく「3回」であることに留意したい。
「自らの意志で志願すること」。自発性のみを指すため、ほんらいは「有償」「無償」とは無関係の概念。公共奉仕や社会奉仕、チャリティーの含意はなく、自発的でない「無償奉仕」や「費用の自己負担」を強いるものはボランティアとはみなさない。学校や企業、公共セクターが、その強制力によって生徒や社員、市民を「動員」するものはボランティアとは言わず、「社会奉仕活動」または「教育」ないし「業務」となる。「ボランティア」の名で強制的に社会奉仕活動をさせるものは「ボランティア」とは言わない。
一時しのぎ、その場の間に合わせのこと。本来は「ひきょうな」という意味は持たない。いかにも生意気で癪に障るのは「小癪な」である。
もと、他家に嫁いだ新婦が初めて実家に帰ること。現代的な意味では、結婚している女性が出産等で実家へ一時的に帰ること。転じて、国外の美術品などが一時的にもとの国に返ってくること。いずれにしても「一時的」なニュアンスがあって、恒久的に戻る場合は「里帰り」とは言わない。恒久的な場合は「帰郷」「帰国」「帰還」などを使う。
名前が立派過ぎて、実物が見劣りすること。「相手の名前に圧倒される」ことではない。
ゆっくりと。「突然」「急に」の意味では誤用。
首尾よく。「まんまと失敗」は誤用。この場合は、「まんまと計られた(-て失敗した)」などと使う。
急いで。「おっとりと」「ゆっくりしている」「のんびりしている」は誤用。
リストラクチャリングの略で、事業の再構築や構造改革の意味。人員整理・解雇のこと「そのもの」ではない。
誰か(何か)を中傷したり、秘密を曝露したりする内容で、出所が明らかでない、奇怪であやしげな(いかがわしい)文書のこと。意味不明な文章や理性を欠いた文章、という意味ではない。
近距離(だいたい100~300m)に迫った敵に対して、砲弾が発射されるとすぐ炸裂するようにして、ほぼ水平の仰角で行う(角度をつけずに撃つ)射撃。「敵の超至近距離(1cmとか、1mmとか)で撃つこと」ではない。
ある1つのことについて執着すること。強く思い入れること。「細部にまで目をかけ手をかけ気を配り、完成度を高める」といった意味はない。
住み慣れれば、どんな土地でも住み心地が(都のように)よくなる」の意。「住むなら都会」ではない。
そのことと関係があるのに、知らぬふりをすること。困難を抱えて大変な状況でも平気な顔を見せる(動じないことや、ポーカーフェイスなどを指す)ことは本来意味していない。
三連敗のこと。「三連勝」ではない。
自分が死んだ後の世、子孫の時代のこと。「子々孫々」そのものを指すわけではない。
一生の終わりの時期のことで、生きている人には使わない。スポーツ選手などの活躍が終わる時期を「晩年」とあらわすのは誤用。
興味や関心が自分の外側に向いていること。あくまでも興味・関心の向いている方向を指すので、人との付き合いに積極的だったり、人付き合いが上手だったりする「社交的」とはニュアンスが異なる(内向的でも社交的な人がいるのはこれで説明がつく)。
世界的には「最下位(ビリ)」のこと。日本では二位がブービー、最下位がブービーメーカー。
復讐、報復のこと。再挑戦とか、借りを返すとか、雪辱を果たす、屈辱を晴らす、ことではない。
不安で落ち着かなくなること。嬉しかったり、浮かれたりして落ち着かなくなることではない。
寒さや、それに似た感情(寒気や恐怖など)によって、毛穴が収縮すること。「嬉しいこと」や「感動したこと」で鳥肌が立つという表現は、ほんらいは誤用。
必要なことだが、惜しんで省略するという意味。「不必要だから省略する」のではなく、「重要だが、泣く泣くカットする」というニュアンス。ちなみに「抄出」は、必要な部分を抜き書きすること。
面識のない人を、著作などを通じて師と(密かに、個人的に)仰ぐこと。師事をうけている場合に使用するのは誤り。
ほんらいは冬に、寒い日が3日ぐらい続くと4日くらい暖かい日が続くことを指す。冬の季語だが、季節の変わり目として春先にも使われやすい。
「独り舞台」という意味において、「独壇場」(どくだんじょう)はほんらい誤読・誤用で、「独擅場」の「擅(せん)」の字が「壇(だん)」の字に誤読され、「独壇場」も定着したという経緯がある (現在は放送用語としても認められている)。
「学問に王道はなし」という言葉の通り、「楽な道、近道」の意味。正統とか定番、正攻法という意味は本来持たないので、「まさに王道の作品!」というのは誤用。
「悪いことをしても、その報いを受けない」こと。「運の悪い出来事があっても、特に問題がなかった(被害をほとんど受けなかった)」とか、「不幸中の幸い」といった意味は持たない。
「食事と食事の間」。「食事中」ではない。
果物のこと。水ようかんなどは「冷たい和菓子」が正しい。
骨折した骨が皮膚を貫通し、体の外に出てしまう骨折で、いまは「開放性骨折」ということが多い。したがって、骨が1本少しだけ皮膚の外に露出してしまった、というような「"単純"な複雑骨折」も起こり得る。「複数の骨を折る」とか、「複雑に絡み合った骨折」というわけではない。
目を閉じること。「口をつむる」という使い方は誤り(この場合は、「つぐむ」)。
「重し」と「重り」はまったく別物。「重り」はあるものを沈めるために取り付けるもの(バランスウエイトなど)。「重し」は上から押さえるために置くもの(漬物石など)。
重職の地位にある人を解任し、他の人を登用すること。ポストの入れ替えを指すため、単に「解任」すること自体は更迭とは呼ばない。
惜敗した場合に使う。勝った場合に使うのは誤用。この場合、負けた側は「善戦むなしく破れる」、勝った側は「接戦の末、辛勝」となる。
学制上、最も高等な学問を修める機関、すなわち大学のこと。ほんらいは、「東京大学」だけを指すわけではない。
ほんらいは、「中間業者を介さず、直接取引をする」ことを指す言葉(言葉そのままの意味になる)。逆の意味で使うのは誤用。中間で搾取をすることは「ピンハネ」。
本やWebサイトなどの内容を「調べよう」として「読む」こと。動画は視聴、芸術作品は鑑賞を使う。
本を開いて読むこと。「謎を解明する」という意味は持たない。
「万端」はあらゆる事柄の意で、「準備に関するあらゆる事柄」のこと。「準備が整った」の意味で使う場合は、「準備万端整った」、「準備万全」などと表現する必要がある。
根拠のない、(他の人にとって)あり得ない想像をすること。あれこれ勝手な想像を想い膨らませることではない。
恨みに思っている相手から逆に恨まれること、または、人の行為を曲解して反対に恨むこと。「自分が悪いのに逆に相手を恨む」のはほんらい誤用。
その人の趣味(個人の楽しみ)や嗜好(親しみ嗜むこと)、すなわちその人の「好み」を表す。よくこの意味で「趣味趣向」(この表現は必ずしも誤用とまでは言えないが、一般的にはあまり使わない )と混用されるが、こちらは個人の好みと、それに対して趣や面白味を見出すような意味合いを持つ。
醜く争うこと。「仕合」と「試合」は同義とされるが、「泥仕合」に「試合」は用いない。
独特。特異なさま。「面白い」わけではない。
行き詰まること。「暗礁」ではない。
テレビやラジオなど公共の電波を使用する放送において、技術的なトラブル等で予定された通りの品質での放送を行えない事態のこと。放送そのものに影響のない生放送中のハプニングや、衝撃映像そのものを指すのは誤用。
相手が恥ずかしがっている場面を見て、自分も恥ずかしくなってしまうこと。ベタな滑りを見て、相手は特に恥ずかしがっていない(堂々としている)のに、場面的に自分だけが何となく恥ずかしくなってしまうのは「観察者羞恥」。
晩秋から初冬にかけて(11月頃)の、春のような穏やかで暖かい気候を指す。初春や早春のぽかぽかした晴天の日のことは「小春日和」とは言わない。
自分の主張や考えを広く人々に知らせ、同意を求めること。「元気のないものに活を入れて活気づけること」という意味はない。
「言う」の尊敬語で、「仰る」。「ずけずけと大きな態度で言う」「もっともらしく言ってくれる」といった意味は、もともとはない。
「健康状態に留意し、自分の体を大切にする」こと。よって、「お身体ご自愛ください」は冗語となる。「時節柄くれぐれもご自愛ください」などが正しい。
もともとは、コンピューターに対する深い知識や高い技術を持つ人物への尊称。コンピューターを駆使した犯罪者は「クラッカー」。
サービスの対価として料金を課し、徴収すること。支払うことではないため「課金する」は誤用。この意味で使う場合は、「納金」ないしは「課金される」が正しい。
寄付金を募ること。したがって、募金に寄付することを「募金する」と表現するのは誤用。この場合は「(募金に)寄付する」でよい。
一睡もしないこと。「微動だにしない、動かない」という意味はない。
日が暮れそうでなかなか暮れない状態。「日が暮れている」ことではない。
積極的に「やってもよい」「やりたい」ということを表す。「あまりやりたくないがやってもよい」とか、「いやだが、仕方なくやる」というネガティブな意味はない。
「AはBの敵ではない」といったとき、「Aが弱すぎて、Bが強すぎる」の意。「Aが強すぎて、Bが弱すぎる」のは誤用。
「着眼がうまく本質を突いている」こと。「ひねくれた視点」という意味はない。
もと剣道の「中断の構え」で、真正面から向き合う姿勢のこと。ここから、相手や物事に対して身構えたり、改まった態度を取ること。「ひねくれた態度」や「不真面目な態度」、「皮肉な態度」は本来は誤用。
気遣いの必要がない、遠慮がないこと。気が許せない、油断できないことは「気が置ける」。
相手の勢いに、精神的に(気持ちで)押されること。相手の勢いに実際に(物理的に)押されるときは「圧倒される」(精神的に押される意味で「圧倒される」も使う)。
物事を少しずつ済ませていくこと、借金を少しずつ返済すること。もともと、「なかったことにする」という意味はない。 漢字で「済し崩し」と書くと語義が分かりやすい。
自分の過ごしてきたぶざまな生き方。この「ざま」は、無様とか、このざま、ざまぁみろ、死にざまなど、「ぶざまな様子」を表すことばなので、よい意味には使わないのが本来。「その人が生きていく態度・有りよう」という意味で使う場合は、「生き方」 が妥当。
収穫や利益の多い年のこと。台風や地震など、好ましくないものに使うのは誤り(その場合は、「災害が多い年」などと表現する)。
天災や戦争などが残した被害や影響。「成果を残す」「印象付ける」「一矢報いる」「(目立って)記憶に残す」での使用は誤り。
「縁起の悪いもの・こと」。本来は、縁起の良し悪しに関わらず、「縁起担ぎ」のもの・ことは指さない。
多くの人が一気に押し入ること。「乱暴に押し入る」とか、「第三者が無理やり割り込んで来る」といった意味は持たない。強引に入り込むのは「侵入」、突然無断で入り込むのは「闖入」。
危うく、もう少しで悪い結果になるところだった、の意。前向きなニュアンスで「もう少し、あと一歩」という使い方はしない。
世間一般の人々が口にしている話のこと。品性下劣な話題は、「下品」。
つまらないものでも、ないよりはましということ。「人が集まればにぎやかになる」などの意味はない。
雨が降りそうな空模様のこと(つまり現在、雨は降っていないということになる)。既に小雨が降ったりやんだりしている様子として誤用されるケースが目立つ。
自費で働くこと。持ち出し。または、自分で用意した弁当のこと。手作りの弁当、ではない。
他人の失敗や誤り、間違った行いを参考にすること。他人の良い部分や成功事例を参考にするという意味はない。「人の振り見て我が振り直せ」が近い。
十分に満足できること、最上であること、素晴らしく結構なこと。「一応、これで満足できる」「一定の水準は満たしているようなので納得はできる」という意味はない。
面白くない、感心しない。「ぞっとする」の反対にとって「怖くない」という意味は持たない。
行動を起こすべき時に、何もせずにいること。「準備して待ち構える」という意味はない。
性(しょう)になっている癖、特に悪癖のこと(貧乏ゆすり、鼻くそほじりなど)。性的な趣味・嗜好のことは「フェチ」とか「性嗜好」を使う。
恥じ入るような思いのこと。思い描いた通りにならず残念であるとか、なかなかうまくいかずにもどかしいといった意味は本来はない。
「全然~ない」の形で、下に打消し・否定語を用いることが基本だが、「すべて・全部」の意味で使うこともある。ただし「断然」の意味では用いない。
信頼していた人から裏切られること。(敵から)酷い目に遭わされるという意味はない。
今着ているもの以外、無一物の状態であること。「(今の)着衣のまま」といった意味はない。
目下の者が目上の者に忠告すること。目上の者が目下のものに注意する場合は「咎める」が妥当。身分の差に関係なく相手の非を詰る場合は「責める」。
あるはずがない、考えられない。とんでもない。またはあってはならない、ふさわしくない、はしたない。結果として近い状態を指すことも多いが、「露わ」とか「乱れ」ではない。
失望して呆れるさま、むなしくやりきれないさま。「腹を立てる」という意味はない。
「結婚」の意味で使うのは厳密には誤用。かつての結婚は女性が男性の戸籍に入ったが、現代は新規に夫婦の戸籍を作るため。したがって、「籍を入れる」も同様に「結婚」の意味では誤りとなる。結婚を表す場合は、「婚姻届けを提出する(出す)」でよい。なお現在も、 養子縁組などによって戸籍筆頭者の戸籍に「入る」手続きをとる場合は「入籍」である。
何かをしようとするちょうどその時、の意味。直前。「直後」の意味で使うのは誤用(例えば、「注意した矢先に失敗した」というのは誤用。「出かけようとする矢先に来客があった」は正しい)。
宮中や政府の用務を年始に開始/年末に終了すること。民間は「仕事始め/仕事納め」を用いる。
手ごわいこと。一筋縄ではいかず、図太い、などのニュアンスを含む。人に使う場合は計算高さとか、ずるがしこさなどの意味合いを含むため、誉め言葉としては使わないほうが無難。
濃厚なキス、すなわち「ディープ・キス」のこと。「軽いキス」ではない(この場合はバード・キス)。
麦の熟するのは初夏であり、「秋」ではない。
これまで誰も成し得なかったことを行う人を評することば。大胆とか、豪快とか、無茶をするとか、荒っぽい・荒々しいというニュアンスは本来はない。
敵同士や仲の悪い者同士がたまたま同じ場所に居合わせること。単に異質の者が一緒になることを指す言葉ではないので、異業種の集まりや、なかなかない珍しい組み合わせができたことを指して「呉越同舟」と表現してしまうのは危険。
悲しみと喜びが入り混じっているさま。悲しみと喜びを同時に、または代わる代わる味わうこと。「悲喜交交」と書く。悲しみを持った人と喜びを持った人が入り混じっていることではない。
特別にすぐれていること。行いが感心なこと。殊勝なさま。「奇妙」「変わっている」という意味はない。
他人の気持ちを推し量ること。「目上の気持ちを推量し、適切な形で便宜を図る」という意味はない。
思い通りにならず残念なこと。「謝罪」のニュアンスはない。
ほんらい、分不相応な望みや、望んではならない大それた望みのことを指す。目上の人や社会的地位のある人に「野望は?」と問うのは失礼に当たるので、「目標」「目指すもの」「ビジョン」の意味で使う場合は、そのままその言葉で問うたほうがよい。
「厚く~」は誤用。「厚く」は御礼に使う(「深く」は御礼にも使用する)。
もと声明文や宣言の意で、転じて選挙公約。政治理念だけでなく、施策の財政的な裏付けや数値目標、実施期限なども記すのが本来とされる(諸説あり)。日本のように選挙ごとにその内容が変わるという意味合いにおいては、「政権公約」というよりも「選挙公約」が妥当とされる。
酒好きのこと。「辛いものが好き」なわけではない。
辛党の対義語で、酒をあまり嗜まず、甘い菓子類のほうが好きな人のこと。ほんらいは「甘いものが好き」という意味はない(それは単に「甘いもの好き」であって、「辛党の甘いもの好き」はあり得ることになる。)。したがって、 「辛党で甘党です」「辛党の甘党です」といった表現は誤用。
旅立つ人が乗った馬の鼻を、旅する方角に向けて見送る習慣から。すなわち、「別れ」のときの挨拶や贈り物に使い、それ以外の挨拶や贈り物に使うのは誤り。
自分の行動・ありかたを振り返り、それでよいかを考えること。もちろん「自分の良くなかった点を認めて、改めるために考えること」にも使えるが、「よいこと」にも使用できる点がポイントである。したがって、「反省会」といったときは「振り返り会」と同じ意味で、それによって「反省した活動で自信を深め、その よい行動をいっそう強化する」ということもあり得ることになる。
本来は兵役義務のこと。転じて、「血を絞られるような重税」のこと。「血が滲むような労働で収める国民の税金」といったニュアンスよりも、もともとはさらに「血」の意味が直接的。
自分から進んで行いや態度を慎むこと。「禁止」ではなく、「命令」でもないので、「解禁」されるものでは本来ないし、「要請」されるものでももちろんない。
必要な物事が実現することを願ったり、求めたりすること。こちらもほんらいは「禁止」ではなく「命令」でもない。
浄土宗の言葉で、「自らの修行の功徳によって悟りを得るのではなく、阿弥陀如来の本願によって衆生が救済され、極楽浄土を得る」こと。「人任せ」「自分が努力するのではなく、他者の援助に期待すること」の意味はほんらい誤用。
勢いに乗って、ある事柄の勢いをさらに増すこと。「勢いに逆らって、ある事柄の勢いを失わせること」という意味はない。 川下りの舟を思い浮かべると誤用しにくいか。
日が暮れて暗くなること。ものごとが衰えること。「物思いに耽る」の意味は誤り。
桜が開花する、日脚が伸びるなど、ものごとが日に日に進行していくさま。月日が過ぎていくことを表す場合は、「一日一日と」などと表すのが妥当。
思わず笑いだしてしまうこと、堪えきれずに吹き出し笑いをしてしまうこと。「呆れて笑う」とか、「相手を見下して笑う」のは「嘲笑」や「冷笑」。
大勢の人が一度にどっと笑うこと。「大笑いすること」ではない。
大声で泣くこと。激しくわんわん泣くという意味ではない。
こけらは屋根をふく薄板のこと。従って、「屋根のある施設の落成」のみに使用する(屋根のない屋外施設には使用しない)。
素晴らしいもの、よいものに触れて感銘を受けること。感動を覚えたり、共鳴したりすること。「激しい怒りを買う」の意は誤り。
目上の人を激しく怒らせること。自分自身や目下の人には使わない。
運送する荷物などで、破損を避けるために、上下を逆にしてはいけないことを表す言葉。「上下は気にしないでよい」という意味ではない(大変なことになるので注意)。
在来工法(現地での施工)とは違い、ユニット工法で組み立てられたバスルームの総称。本来は「風呂トイレが一緒」という意味は持たない。浴室・洗面台・トイレが一緒のものを「3点ユニットバス」、浴室・洗面台が一緒のものを「2点ユニットバス」、浴室のみのものを「1点ユニットバス」という(ほとんどが、「2点ユニットバス」の意味で「ユニットバス」を使用してしまっているのが現実)。
誤用とされていたものが、実は「正しい」という表現をまとめました。
よく「的を射るが正しい表現で、的を得るは”当を得る(道理にかなっている、適当・妥当)”や”正鵠を得る(的をついている、要点や核心をついている)"の誤用だ」ということが人口に膾炙しているが、「的を得る」も昔から使われている言葉で、どちらの表現も「正しい」というのが最近の説。
長らく「汚名返上」「名誉挽回」の誤用とされてきた言葉だが、もともと「挽回」には「元に戻す」という意味があるため(疲労回復の「回復」のニュアンス)、この表現自体はどうも「正しい」 らしい、というのが最近の説。
「え、そこを区切るの・・・!」という表現をまとめました。
綺羅・星(ほし)の如く。綺羅は美しい絹の衣服。着飾った人たちが星のように立ち並んでいる様子。
キリマ(山)・ンジャロ(輝ける)。スワヒリ語で「輝く山」の意。
不可抗(抵抗することができない)・力。
五里霧(五里四方に立ち込める深い霧)・中。
張本(事の起こり、原因)・人。
一衣帯(一筋の帯)・水。一筋の帯のように狭くて長い川や海峡。また、それを隔てて近接していること。
ヘリコ・プター。ギリシャ語のヘリックス(螺旋)+プテロン(翼)からきたフランスの造語「エリコプテール」より。
三(つの)・半規管(内耳にあって平衡感覚を司る、半円形の器官)。
ア・カペラ(教会音楽の様式)。
登(る)・竜門(通り抜けると立身出世ができる門)。
コレ(胆汁)・ステロール(ギリシャ語の「ステロス(固体)」)。
コ(補)・エンザイム(酵素)。
ニュー(新しい)・ジーランド(オランダのゼーラント州)。
トリ(3)・コロール(色)。
クー・デター(フランス語)。
ドン・キホーテ。
無・礼講(儀式に従って行われる宴席)。無礼講の対義語は、慇懃講。
プリマ(第一の)・ドンナ(女性)で、オペラの主役となる女性歌手のこと。
トリ(3つの)・ケラトプス(角を持つ頭)。ケラは古代ギリシャ語で「角」、トプスは「顔」。
ペレ(ロシア語で「再」)・ストロイカ(建築)。立て直しの意。
テレ(遠隔地の)・ビジョン(映像)。
カラス(熟すと身が黒くなることから)・ノエンドウ(野豌豆)。
ペン(シルベニアを建設したイギリスの総督ウィリアム・ペンより)・シルベニア(ラテン語で「森」)。
「馬から落馬」や「頭痛が痛い」のような、「重ね言葉」を集めてみました。
「予約」自体が「事前」の意味を兼ねる。単に「予約」でよい。
「一番」と「最初」が同じ意味。
「第」と「目」が同義。「第1回」もしくは「1回目」が正しい。
「デビュー」で「初めて登場すること」の意味を含む。「初登場」または「デビュー」でよい。
ダントツは「断然トップ」の略。「ぶっちぎりの1位」などがよいか。
「一任」で「すっかり任せる」の意味が含まれている。
この場合は、「エントリー1番」もしくは「エントリーナンバー1」が正しい。
「およそ1時間」もしくは「1時間ほど」でよい。
「従来」でよい。
「程」で距離を表す。「射程」や「射程圏」を使う。
「満天」が空の意。この場合は「満天の星」。
「挙式を執り行う」もしくは「式を挙げる」。
「うなだれる」でよい(「うなだれる」で頭を垂れるの意となる)。
単に「ぜい肉」、もしくは「余分な肉」でよい。
「不快感を覚える」または「不快に感じる」。
「ハプニング」自体が、「思いがけない出来事」の意。
「被害を受ける」ないし「害を被る(受ける)」。
ほんらいは「存亡の機」、ないし「存亡の秋(とき)」。
「予定」は、「あらかじめ(前もって)決める」こと。
「成功裏に」、または「成功のうちに」。
「炎天下」でよい。
「つぶて」は、投げる小石のこと。
「かねて」。
「古来」。
「轍」で車輪の跡の意となる。
「手ほどき」で、初歩のことを教える意味を持つ。よって、「手ほどきをする」でよい。
気が「ガス」の意味となるため、単に「排気」でよい。もしくは「排ガス」「排出ガス」。
「離」と「発」が同義。対義で使用する場合は、「離着陸」または「発着」となる。
「後悔」は、「後になって自分の行為(したこと・しなかったこと)を悔いること」。
「楽観する」でよい。
「返事」は、「答えを返す」こと。「返事をする」でよい。
「犯罪をする」もしくは「罪を犯す」。
「メーカー」は製造業者のこと。
「クーポン」自体が券の意味。
「ハングル」自体が韓国語で「文字」の意味となる。
「フラ」がハワイ語で「ダンス」の意味。語義では「フラ」や「ハワイのフラを踊る」でよい。
「サルサ」がスペイン語で「ソース」の意。
「トリコロール」がフランス語で「三色」の意。
「ゴビ」はモンゴル語、「サハラ」はアラビア語で「砂漠」。
ついつい、混用してしまいがちな言葉を挙げてみました。
「荒げる」ではない。
目上の人から褒められたり、感謝されたり、または謝罪を受けた時に「大したことではない」と謙遜したり、「気にしないでください」と伝えたりするときに使う慣用句。「とんでもない」で「途方もない」「あるべきことではない」「決してそんなことはない」という意味を表す連語。より丁寧にしたものは「とんでもないことでございます」。「とんでもない」で形容詞なので、「とんでも+ない」に分解して、「とんでもございません」や「とんでもありません」とするのは本来は誤用とされる(が、近年は国語的にも慣習的にも許容される傾向にあるともされる)。 どうしてもへりくだりたいシチュエーションでは、「とんでもないことでございます」や「滅相もございません」が使えるか。
「上には上がいる」は誤り。
「愛想をふりまく」ではない。この場合は、「愛想よく振舞う」となる。
「暗雲が立ち込める」は誤用。この場合は、「煙が立ち込める」「霧が立ち込める」など。
「押しも押されぬ」は誤り。
「間が持たない」は誤り。
「弓矢を引く」のは誤り。「弓を引く」→「矢を放つ」が正しい。
「極めつけ」ではない。
「苦渋をなめる」のは誤り。苦渋は苦悩のこと。苦汁(つらい経験)の場合は、「苦汁をなめる」となる。同じく、辛酸(つらい経験)も、「辛酸をなめる」。
「苦虫をかんだ顔」「苦虫をかむような顔」は誤用。
「采配を振るう」のは誤用。
「上にも置かぬ」のは誤用。
「耳ざわりがよい」は誤り。「耳ざわり」は「耳障り」であるので注意。同義に、「耳に心地よい」など。
「頭をかしげる」のは誤り。
「耳をかしげる」のは誤り。この場合は、「耳を疑う」となる。
煮え立ったり、沸き立ったりするのが「滾(たぎ)る」。よって「燃えたぎる」は誤用。この場合は、「燃え盛る」。
「火蓋を切って落とす」のは誤り。この場合は、「幕を切って落とす」。
「飲み交わす」は誤り。
「上や下への大騒ぎ」は誤用。
「垣間見せる」は誤用。この場合は、「うかがわせる」や「のぞかせる」。
「留飲を晴らす」のは誤用。この場合は、「鬱憤を晴らす」。
「食指をそそる」は誤り。この場合は、「食欲をそそる」。
「食指を伸ばす」は誤り。この場合は、「食指が動く」。
「寸暇を惜しまず」は誤用。この場合は「労を惜しまず」や「骨身を惜しまず」。
「迎え水となる」は誤用。
「三度まで」ではなく、「三度」であることに留意したい。「温和な仏でも、顔を三度も撫でられると腹を立てる」の意。ほんらいは「4回目」ではなく「3回目」でアウトということになる。
「口先三寸」ではない。「口先だけ」との混用か。
「論戦を張る」は誤り。この場合は、「論戦を挑む」。「陣を張る」からの誤用か。
一見の客の意。「ふり」は日本語なので、「フリーの客」は誤用。これだと、「無料の客」ないし「パートナーがいない客」の意味になってしまう。
「無垢の民」は誤用。
「舌の先の乾かぬうち」は誤用。「舌先三寸」などの慣用句から連想された誤用か。
「二の句が出ない」は誤用。
「眉をしかめる」や「目をひそめる」は誤用。この場合は「顔をしかめる」。
「胸先三寸」は誤用。「舌先三寸」から連想した誤用か。
「櫛の歯が抜けるように」は誤り。「歯」から「抜ける」を連想しての混用か。
「おぼつかない」で形容詞。したがって「おぼつかぬ」や「おぼつかず」は誤用。
「著作を物にする」は誤用。
「自信なさげ」はほんらい誤用。「なげ」で形容動詞的に「なさそう」の意。「自信がなさそう」との混用か。
上記同様、「所在なさげ」はほんらい誤用。
「袋小路にはまる」や「落ちる」は誤用。ただし、「袋小路に入り込む」は使える。
気つけをする、元気づけて励ますこと。「喝を入れる」は誤り。「喝」で「大声で叱る、怒鳴る、脅す」の意味を持つ。
「素人はだし」は誤り。この場合は、「素人離れ」や「プロ顔負け」。
「矢折れ刀尽きる」は誤用。
「後手を踏む」は誤用。
「口をつむる」は誤用(「つむる」は、目を閉じること)。 また、「口をつむぐ」も言い間違い(「つむぐ」は、より合わせて1つのものにすること。この場合は「言葉をつむぐ」になる)。
竹で作った割符を合わせることから、ぴったり一致すること。「符丁を合っする」とは言わない。符丁(=合言葉、パスワード)からの混用か。
公算は確率や確実さの度合いなので、一般的には「大小」で表現し、「公算が強い(弱い)」のように強弱では表現しない。
「下手な考え休むに似たり」は誤用。ここでの「下手」は、「下手な者」のことで、知恵のない者を指す。
こちらは、「お求めやすい」と誤用しがち。「お求めになる」+「やすい」なので、「~になる」が抜けるのはほんらいは誤用。
「囲まれた側が外に出られないさま」を表す表現なので、「アリの入り込む隙間もない」とするのは誤り。
「足元をすくう」ではない。この場合は、「足元を見る」である。
「体調を壊す」とは言わない。この場合は、「身体(体)を壊す」となる。
有卦(うけ)は幸運が7年間続く年回りのこと。「受け」ではない。
「異存は出ませんでした」とするのは誤り。この場合は「異存はなかった」が正しい。
「熱にうなされる」のは誤り。「うなされる」のは、「高熱のせいで悪夢にうなされる」などと使う。
「雪辱を晴らす」は誤用(「雪」で「すすぐ」の意味となり、「晴らす」との語意重複がある)。この場合は、「屈辱を晴らす」または「恨みを晴らす」となる。
「怒り心頭に達する」ではない(「頭にくる」ことの連想からの誤用か)。心頭で「念頭」や「心の中」を表す。
「髪を丸める」とは言わない。
「至上命題」は誤り。「至上課題」からの混用か。
「法案が成立」は誤用。可決(否決)するのは法案で、成立するのは法、法律。 したがって、「法案が可決(否決)され、法が成立しました(しませんでした)」が正しい。
「へそを抱えて笑う」は誤用。この場合は、「へそが(で)茶を沸かす」。
「明るみになる」は誤用。この場合は「明らかになる」。
衰えたものが再び栄えること。「枯れ木に花のにぎわい」は誤用(まったく意味が異なる「枯れ木も山のにぎわい」との混用か)。
「足蹴りにする」は誤用。
発売は「売り出すこと」なので、「発売中」はほんらいは誤用。この場合は「売り出し中」。
「預金を切り崩す」は誤用。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」は誤用。「飛ぶ鳥を落とす勢い」からの混用か。
恩田陸の小説。なぜか『蜂蜜と遠雷』と読んでしまうことが多い・・・。え?どこが違うかって・・・!!
ジブリ映画『紅の豚』の有名な台詞。有名なのに、なぜか「飛べない豚はただの豚」で覚えられていることが多い。「飛ばない」のは意思で、「飛べない」のはそもそも不可能ということ。意味がまったく違ってしまう(主人公のポルコは、「意思を持って行動しない=何もしない =飛ばねぇ」ことを嫌ったわけだ)。
川端康成『雪国』の有名な書き出し。有名なのに、なぜか「長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった」などと覚えられていることも多い。ちなみに、この「国境」も「こっきょう」ではなく「くにざかい」なのではないか、と論は分かれている。
読み間違えやすい言葉を集めてみました。
「ちち」ばなれ、ではない。
「ぞく」がら、ではない。
「ぎゅう」しゃ、ではない。
じじ「こくこく」、ではない。
かん「ぱ」つをいれず、ではない。
き「ぞ」ん、ではない。
にく「じる」、ではない。
「たにん」ごと、ではない。
「だい」じしん、ではない。
だい「がえ」ではない。
もろはの「けん」とは読まない。
「いちじ」ひなんばしょ、ではない。
「ひと」だんらく、ではない。
あく「て」、ではない。
「よ」ろん、ではない。「世論(せろん)」は「世間一般の意見」のこと。「議論に基づいた意見」が輿論(よろん)。
「そう」きゅう、ではない。とはいえ、かなりの程度氾濫している。ほんらいは誤用。
あれ・・どちらだっけ・・・となるような、書き間違いを起こしやすい言葉を集めてみました。
「シュ」ミレーション、ではない。
アタッ「シュ」ケース、ではない。
ギ「ブ」ス、ではない。
ジャン「バー」、ではない。
「グランド」、ではない。
人間「ドッグ」、ではない。「ドック」は船の修理や検査の施設。転じて、(人間の)精密検査のこと。
アボ「ガ」ド、ではない。物質量1モル当たりの粒数(原子量・分子量)の定数は「アボガドロ定数」で、こちらは「ガ」でよい・・・。
「ヘイブン」で「回避地」。すなわち「租税回避地」。「ヘブン」(天国)ではない。
動物を入れる籠は「ケージ」。「ゲ」ージだと、「物差し」とか「(線路の)幅」という意味になってしまう。「Nゲージ」といったら鉄道模型。「犬のケージ」といったら犬籠。
鞄はバッグ(bag)。後ろに下がるのがバック(back)。
バ「ト」ミントン、ではない。部活では略して「バド部」なので、そこから覚えたい。
寝るのはベッド(bed)。ベッ「ト」(bet)にしてしまうと、ギャンブルで賭けることになってしまう(ルーレットなど)。
細長い、フランスパンの一種で「baguette」、すなわちバ「ケ」ットではない。
リラク「ゼ」ーション、ではない・・・。
キューピッ「ト」、ではない。
キャスティングボー「ド」、ではない。
ハイブリッ「ト」、ではない。
エンター「テー」メント、ではない。
ドッ「チ」ボール、ではない。
バン「テ」ージ、ではない。
エキシビ「ジ」ョン、ではない。
ハンガリーの首都はブダペスト。ブ「タ」ペストではない。
ついつい勘違いしてしまう言葉の数々です。
1か月単位で契約する駐車場のこと。駐車場の全国チェーン(全国津々浦々にある巨大不動産会社を想像する)ではない。
証券取引所の株式市場の最上位市場に上場していること。多くは東京証券取引所の旧東証一部(現東証プライム、東証スタンダード)上場のことを指す。
全部上場とか、半分上場という使われ方は当然、ない。
「提供:ゴランノスポンサー(ほぼすべてのTV番組への提供を欠かさない巨大コングロマリットを想像する)」ではない。
「お食事券」と聞こえる。こちらは平和だが・・・。
「シチュー引き回し」ではない。
「うさぎ美味し 蚊の山」?
「台風一家」とは。
「きよしこ(←誰?)の夜」。だいたい、クリスマスの頃に、毎回「きよしこって誰?」と考え込むのが風物詩。
「暴走半島」ではない。
「ヤクザ医師」ではない。
重い「コンダラ(という名前の矯正器具)」などは存在しない。
だいたいは、「ルパン、ルパーン」と聞こえるので初めて真相を知るとかなり驚く。そして「the Third」とはどうしても聞こえない。
「カレー臭」ではない。
「ダイエー博物館」ではない。
実は商標だった言葉の一覧と、その一般名詞についてまとめました。
ポテトチップス
カプセルトイ
宅配便
マグロの油漬け缶詰
ペッパーソース
うま味調味料
クレーンゲーム機
プリントシール機
短期賃貸マンション
リバーシ
六面立体パズル
温水洗浄便座
インク浸透印
電子オルガン
鍵盤ハーモニカ
気泡緩衝材
自転車型トレーニング器具
無限軌道、クローラー、トラックベルト、履帯
プラスチックモデルキット
ラジオコントロール
コーン標識、パイロン
セロハンテープ
接着剤
ノーカーボン紙
絆創膏
家庭用ビデオ(テレビ)ゲーム機
硬質プラスチック製バケツ
食品用ラップフィルム
弾丸旅行
二次元コード、二次元バーコード
インスタントカメラ
スウェット
ポリテトラフルオロエチレン
歩数計
消波ブロック
水上バイク、水上オートバイ
フェルトペン
オイルパステル
面ファスナー
粘着カーペットクリーナー
プラスチック製密封容器
噴流式泡風呂。本来は「ジャクージ」。
泡型化粧品
点火棒
日本語のようでいて、実は外来語というものをまとめました。
ロシア語
英語(okra)
オランダ語
ポルトガル語
ポルトガル語
ポルトガル語
ポルトガル語
英語(gallery)
サンスクリット語
ロシア語
ポルトガル語
ポルトガル語
「サボタージュ」より。オランダ語、フランス語
サンスクリット語
アラビア語→ポルトガル語
ポルトガル語
ロシア語
サンスクリット語
英語(civil clothes)
スペイン語・ポルトガル語
英語(tongue)
ポルトガル語
ポルトガル語
英語(hearts)
ポルトガル語
フランス語
ポルトガル語
オランダ語
ポルトガル語
ポルトガル語
オランダ語
英語("sewing machine"のmachineの部分)
サンスクリット語
サンスクリット語
ポルトガル語
サンスクリット語
英語(bookkeeping)
勘違いしやすい、社名や商品名を一覧にしました。
英語でもBIC CAMERA。「ビッグ」ではない。
「ヤ」は「ャ」ではない。
「ジ」ではなく「ヂ」。
「いすず」ではない。
自動車変速機の「ジヤトコ」。「ジャ」ではない。
「キューピー」ではない。
「ブルドッグ」ではない。
「アオ」ではない。
「エンブレム」ではない。
「カービー」ではない!
「フィルム」ではない。さらに言えば、今は「写真フィルム」でもない。
「ヤ」が大きい。
「ヤ」が大きい。
「キョー」ではない!
「ハウジング」ではない。
「ウイスキー」ではない。
「ウィン」ではない。
「AGF」のFは「フーヅ」のF。
よく見てみると、「ファ」ではない・・・。
「ウォ」ではない。
「ビルディング」ではない。
「ビルディング」ではない。
「シティ」ではない。
「エモン」ではない。
「えもん」ではない。
「バリュー」ではない。ちなみに英語綴りも「Topvalu」でTopvalu「e」ではない。
イトーヨーカ堂(企業)が運営するのが「イトーヨーカドー」(店舗)。
「ウェ」ルシア、ではない。
サイゼリ「ア」、ではない。
「カンパニー」ではない。
釣り用具のマルキユー。「キュー」ではない。
農機具の井関の商標表示は「イ」ではない。
産業用チェーンの椿本チエインは「チェーン」ではない。
「レーヨン」ではない。
「エクスプレス」ではない。
「ザラス」ではない。
「総合」ではない。