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旧軍都・千葉の記録
■旧軍都としての千葉市
千葉県北西部に位置し、今は臨海工業都市、そして東京のベッドタウン、房総半島の中核都市として人口98万人を擁する千葉市。ここは戦前、「軍都」としての機能を要していたことは今のすっかり様変わりした街並みからは想像することが難しい。
明治6年(1873年)、千葉県が誕生。千葉町が県庁所在地となると、人口4000人の町は「官庁街」としての歩みをスタートする。学校や師範学校、医学校などが整備され、稲毛という海沿いの別荘地もあり、また東京から1時間という好立地も相俟って明示末には人口3万人を擁する都市に発展していった。大正10年(1921年)、市制施行。
明治27年(1894年)、千葉駅開業。大正10年(1921年)、京成千葉駅開業。そもそも「東京に近い」という立地もあって、千葉市には以下のような軍事施設が密集していた。まさに「軍都」だったのである。大東亜戦争では、米軍のB29による空襲を昭和20年6月10日と7月7日(七夕空襲)に受け、市街地の7割が焼失し、死者1200名を出している。
●千葉市におかれた陸軍施設(設置年順)
- 下志津原演習場(明治初期)
稲毛区六方町から四街道、佐倉市下志津にかけて。現在は住宅地や内陸工業団地、林野、畑などになっている。明治初期に、東京からも近い広大な平野が軍用地として活用された。
- 千葉陸軍病院(明治41年)
中央区椿森。現在は国立千葉医療センター(国立千葉病院)。
- 鉄道第一連隊(明治41年)
中央区椿森。現在は住宅地、椿森中、椿森公園など。
- 鉄道第一連隊 材料廠(明治41年)
稲毛区轟町。現在は住宅地、千葉東高校、千葉経済大学など。
- 鉄道第一連隊 作業所(明治41年)
中央区弁天。現在は千葉公園。演習用のトンネルなど、遺構が残る。演習用の鉄道跡地は、千葉駅からのモノレール軌道下など。
- 陸軍歩兵学校(大正元年)
稲毛区天台。現在は住宅地、千葉県中央児童相談所、千葉法務少年支援センター(少年鑑別所)など。
- 陸軍兵器補給廠(大正12年)
稲毛区轟町。現在は千葉経済大学短期大学、千葉経済大学付属高校、轟町小学校、轟町中学校など。
- 下志津陸軍飛行学校(大正12年)
若葉区若松町。現在は陸上自衛隊下志津駐屯地(自衛隊高射学校)。
- 気球連隊(昭和2年)
稲毛区作草部。現在は県営住宅、集合住宅、民間倉庫など。
- 千葉連隊区司令部(昭和6年)
中央区椿森。現在は財務省関東財務局。
- 陸軍戦車学校(昭和11年)
稲毛区穴川。現在は稲毛区役所、放射線医学研究所、京葉工業高校など。
- 陸軍防空学校(昭和13年)
稲毛区小仲台から園生にかけて。現在は千葉女子高校、市立千葉高校、小中台中学校、園生小学校、小中台小学校、稲毛図書館、小中台公民館、仲よし公園、千葉大学寮・宿舎、公務員住宅、集合住宅、UR住宅、住宅地など。
現在のJR稲毛駅東口側には、広大な陸軍防空学校があった。中央部に近いこと、当時はほぼ畑地で土地が確保しやすかったこと、そして近傍に多くの軍事施設があったこと(四街道「陸軍野戦砲兵学校」、下志津「下志津陸軍飛行学校」、習志野「陸軍習志野学校(毒ガス学校)」、柏「高射砲第二連隊」「陸軍柏飛行場」)などの地の利が活かされたとされる。
また、日中戦争・大東亜戦争に突入すると、帝都からの近さ、海運も利用できること、などが注目され、様々な軍関連施設も立地するようになっていく。
●千葉市におかれた軍関連施設(設置年順)
- アルコール工場
稲毛区稲毛東。現在は大規模マンション。戦争当時は石油の代用品として、芋からアルコールを精製していたという。かなり巨大な施設で、戦後も平成年代まで「新エネルギー・産業技術総合開発機構千葉アルコール工場」として、全国でも有数の工業用アルコール工場として稼働していた。
- 日本バルブ
稲毛区小仲台。現在はイオン稲毛店や集合住宅など。海軍の戦艦に関連する軍需産業工場であった。
- 加藤製作所
稲毛区稲毛台町、黒砂台。現在は閑静な住宅地。現・世界的クレーンメーカーのKATOである。
- 東京帝国大学第二工学部
稲毛区弥生町。現在は千葉大学。戦後も平成29年まで、同地に東京大学生産技術研究所千葉実験所として残っていた(現在は東大柏キャンパスへ移転)。戦時中は戦争技術者の養成を目的に設置。
- 日立航空機
中央区川崎町。現在はJFEスチールなど。
■参考文献
- 稲毛図書館市民講座『稲毛にあった防空学校と戦後復興』(2017年)
■ステータス
公開開始は2022年9月19日です。
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