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【復刻】

Nicky修復プロジェクト


2020年12月末~2021年5月末までほぼ毎日更新されていたNicky(日記、コンセプトは「毎日更新したい」)。2021年12月にスパムの攻撃に遭い、安全のためすべてのデータを削除しました(2021年12月末からは「Nicky2(日記)」としてリスタート)。 すでに200本近い記事があったので、そのまま消してしまうのはいかにももったいないと思い、Internet Archive上に現存しているものの中から、記事として閲覧可能なものを修復して再公開することにしました(生憎と画像が欠損してしまっているので、画像がないと意味が通じない記事があります。予めご了承ください)。


【日付別アーカイブ】


Windows11 の巻
2021年6月26日


あれほど「最後のWindowsナンバリング」といっていた「Windows10」だが、いよいよ「Windows11」の登場である。まあ、6年もたてば社会環境も何もかも変わって当然だろう。

ホームユースはともかく、影響が甚大なのはビジネス回り。IEが完全に終了する(Edgeに互換モードは搭載される予定)、Teamsと統合など、IT関連の部署の方などは今から導入計画にさぞ頭を抱えていらっしゃることと思う。

いまだにIEでないと動かないシステムがあったり、それこそ20年レベルの古いOSで動かしている基幹システムなんてごまんとある。こういうのの互換性チェック、システム入れ替え、パッチ・・と考えただけで気が遠くなりそうだ。

このサイトも、特に本編は15年選手の昔のソフトを使って編集している箇所もあり、今後どうやって環境を変えていくかは今から思案のしどころだ。わくわく半分、不安半分といった心境である。

まだリリースは先だが、やはり新OSというのはわくわくする。早速、今の環境でWindows11に移行(無料)できるのかをテストしてみた(テストはマイクロソフトのWindows11のページで公開されているチェックアプリから簡単にできる)。

分かってはいたが、やはりこの表示が出ると安心する。

ではまた。


続・「必要」を自分認定しない話、の巻
2021年6月25日


前回に引き続き、「必要」を自分認定しない話。これは何も個人の話に限ったことではなく、あらゆることに援用できる。自分のやっていることを「必要」と「自分認定」しないだけで、取り越し苦労、骨折り損のくたびれ儲け、その他あらゆる「無駄骨」を防ぐことができるのだ。

「必要」と自分認定してしまうと、誰も欲していない余計な機能をつけてみたり、求めてもいないサービスを付け加えてみたり、自分の首を自分で絞める結果になってしまう。

その時にふと立ち止まって、「あれ?必要とされていない?」と思うことで、ちょっと気が軽くなるはずだ。そして、無駄なことをしなくてよいと気づけるはずだ。「生産性」を高めるヒントは、案外こういうところにあるのかもしれない。

前回、組織内での自分の分類は、「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれか3つであると書いたが、もう少し細分化するとこのようになるかもしれない。

最上位:「いたほうが困らない」
次点:「いても困らない」
3位:「いてもいなくてもどちらでも困らない」
4位:「いなくても困らない」
5位:「いなくて困らない」
最下位:「いないほうが困らない」

まかり間違っても、最上位は「必要である」ではない。「必要」なんてことはないと思っておいたほうが精神衛生の安定のためにも、また実際の生活の上でも有益である。

繰り返すが、「必要」を自分認定しないこと。QOLの向上は、すべてここからはじまる。

ではまた。


「必要」と自分認定しないことで心が軽くなる話、の巻
2021年6月24日

組織には「必要」「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」という評価分類が厳然とあって、「いてもいい」なのに「必要」と錯覚すると過労が生まれ、「いなくてもいい」なのに「必要」と錯覚すると軋轢が生まれ、「いなくていい」なのに「必要」と錯覚すると無駄が生まれるわけです。これはお互いにとって不幸なことのわけですが、表立っては「あなたは必要」としか誰も言ってくれないので、結局は自分が「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれなのかは判断しないといけないのですね。ちなみに間違っても「必要」と自分認定してはなりません。普通はどんなに上位の評価でも「いてもいい」が最高ランクでしょう。

「いてもいい」の人は、もっと自分の心と体を守ることを考えましょう。「いてもいい」は容易に「いなくてもいい」に転化します。どれだけ尽くしたところで、いずれもっと若くて勢いのある人に乗っ取られますから。

「いなくてもいい」の人は、もっと面従腹背の精神を鍛えましょう。「使えそうだから置いとくだけ」から脱却するには、プラスアルファ、「組織に従う」精神が必要だからです。動機はどうあれ、結果的に「白といえば黒も白」にできるかどうかが「いてもいい」と判定されるか否かの分岐点になりましょう。

「いなくていい人」は、おとなしくしているのが得策です。おとなしくしてさえいれば、容易に「いなくてもいい」判定を受けることができるでしょう。「いなくて」と「いなくても」の境目は、要は「空気を読んでいられるか」ということの違いになります。

まかり間違っても自分がある組織にとって「必要」と自分認定しないこと(評価は常に他者が下します)が秘訣です。むしろ常に「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどこに自分がカテゴライズされていくかを察知しておくことを重視しましょう。これが結局は幸せに生きていくための道標となるように思います。

自分が別に「必要」じゃないと思えれば、風呂敷残業、休日の電話対応、有給の日の仕事、その他あらゆる「無賃仕事」に精魂を込めることがどれだけ人生を切り売りすることかが見えてきます。

そう考えると、少し心が軽くなってきませんか?

ではまた。


はとがライドオンの巻
2021年6月23日


Google Photoで画像を発掘シリーズ。

今日は久しぶりにはとの写真だ。


・・・

電車に乗る、はと。


このあとどこへいくのかな?

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。


あまりにも毎日おなかが痛いのでいろいろ試した話、の巻
2021年6月22日


毎日おなかが痛い。どう考えても胃腸がおかしい。

治すためには、結局「よい食事」「よい睡眠」「よい運動」で「ストレスをためないこと」しかない。「ストレスをためないこと」は単独では難しいので、まずは「よい睡眠」「よい運動」に取り組むことにした。

よい睡眠・・・枕を変え、寝具を変え、睡眠時間をだいたい8時間くらいにした(23時就寝7時起床)。夜食も絶ち、寝る1時間くらい前は電子機器の刺激も極力避けるようにした。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

よい運動・・・水泳をはじめた。無心で泳ぐ。サイクリングもはじめた(電動自転車だが)。数駅分くらいの距離をできるだけ往復して移動するようにした。無心で漕ぐ。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

残るは「よい食事」である。玄米食など低GI食品の摂取、野菜から食べ始めることの励行(血糖値を上げすぎない)。夜は冷たい飲み物ではなく、できるだけ暖かい飲み物(ルピシアにハマっているのだ)で体を温める・・いろいろとためしてみた。ただ、おなかは痛いまままだ。

これは根本的に腸内環境を整えなければならない。疲れやすいのも花粉症がひどいのも、どうも腸の機能が原因のような気がしてならない。

・・ということで、「善玉菌カモン!栄養も補給するぜ作戦」をスタートすることにした。

飲みだしたのは「プロバイオティクス」の善玉菌製剤と、「プレバイオティクス」の(善玉菌への)栄養剤だ。
具体的には、「新ビオフェルミンS」「強ミヤリサン」そして「エビオス」である。


ビオフェルミンはご承知の通り、「乳酸菌のくすり」の代表格のようなものである。
●小腸に棲みつくアシドフィルス菌は、乳酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
●同じく小腸に棲みつくフェーカリス菌。腸内フローラの安定化に寄与。
●そして大腸に棲みつくビフィズス菌。乳酸と酢酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
こうして書いているだけで、おなかの痛みが吹っ飛びそうである。

続いてミヤリサン。よく、胃腸科で処方される薬に「ミヤBM」「ラックビー」というのがあるが(腹が弱い人にとっては聞きなれた薬だろう)、「ミヤBM」の「ミヤ」が、「ミヤリサン」の「ミヤ」である(ちなみにラックビーは「ラクトミン(乳酸菌)」である)。
「ミヤリサン」は、「宮入菌」という酪酸菌の製剤で、1933年に千葉医科大学(現・千葉大学医学部)の宮入博士が発見した日本発の善玉菌。抗生物質や胃液にも耐える強さを持ち、さらに腸の中で増殖し、酪酸を産生すると特徴がある。この酪酸は腸自身のエネルギーとなるだけでなく、腸内フローラの安定化に寄与しているとても素敵な菌なのであった。

ビオフェルミンとミヤリサンを併用することで、おなかに継続的に善玉菌を補給し続けよう、という作戦である。

さて。さらにそこにパンチパワーを加えたい。胃腸の調子を整える&栄養補給をするサプリメントといえば、ビール酵母の「エビオス」である。なんと2020年で発売90周年という超ロングセラー商品でもある。40種類の栄養成分(ビタミン、アミノ酸、ミネラル、食物繊維など)が含まれるという。

ちなみに今、1回の食事で16錠の薬を飲んでいる。エビオスが1回10錠という初見殺しのパンチを利かせているので、どうしてもこうなってしまう。


毎回のどにつかえる量だ。事情を知らない人からみたら、「え?ちょっと大丈夫?」的な量である。繰り返すがこれ、1回の量だ(つまり1日で48錠ということ)。

***

これらを飲み始めてから3日ほどたった。あれほど毎日ゆるかったおなかが、どうだろう。ゆるくなくなった。そして・・・おなかが痛くない!!! おなかが痛くないよ!!!!!

・・と、数日だけではプラシーボないしは偶然の可能性もあるので、もう少し続けてみよう。何となくいつもおなかがいっぱいな気持ちがするのは・・・気のせいかな。それとも効いているのかな?

でもとにかく、「おなかが痛くない」のは事実。「おなかが痛くない」って快適だなぁ。やっほう!

ではまた。
(私は医学専門家ではありませんので、個人の感想としてご覧ください)


静香専用の巻
2021年5月31日


こんな美容室を見つけた。

これは静香専用ですよね。

ではまた。


子どもが自転車に乗れるようになる方法、の巻
2021年5月30日

「ストライダー」というのがある。足漕ぎ自転車だ。
リアルの口コミでも、Web上での評判でも、「ストライダーに乗っていたから、わが子はあまり練習しなくても自転車にはすぐに乗れました」という声は非常に多く聞く。

「自転車の練習」というと「パパが後ろの荷台を押さえて一緒に走り、子どもが『パパ、絶対に離さないでよ。絶対だよ』と言って何度か転んでいるうちに自然と乗れるようになる」的なステレオタイプが認識されがちだ。私もそう思って、基本的にはそう指導してきた。しかし、最後に我が子が自転車に乗れたきっかけは、ストライダーだったのだ。「子どもが自転車に乗れるようになるために必要なこと」そして「我が家ではどうしてきたか」を記録した。

1.自転車に乗れるようになるために必要な5つのこと
(1)進む方向を見ること
下を見たり、横を見たりしているうちは絶対に安定して走れない。三輪車でも補助輪付き自転車でもなんでもいいから、「見た方向に進む」ということは早いうちから体得させておきたい。何か目標物を示して、「あの木に向かって走ろう」とか、「あそこにママがいるから、ママの顔を見て運転してみよう」などの声掛けが有効。

(2)「足で蹴って進む」感覚をつけておくこと
実は、「足で蹴って進む」動作と、「ペダルを漕ぐ」動作は似ている。むしろ「足で地面を蹴って進む」エネルギーをペダルの回転エネルギーに変えたのが自転車のペダルである、とすらいえる。ストライダーに乗っている子が強いところはまさにここだ。補助輪付き自転車では、この「足で蹴る」が練習できないので、どうしてもその感覚を身につけるのに時間がかかる。補助輪を外すときは、最初にペダルも外して「ストライダー化」して練習するのもありだろう(我が家はペダルは外さなかったが、足で蹴る練習はさせている。委細は後述する)。

(3)ハンドルさばきの感覚を覚えること
子どもにとって自転車は、下手すると自分の体重ほどもある重たい道具である。最初はハンドルをさばくのも一苦労。「足で漕ぐ」ことに加えて「手と体でバランスをとって」進行方向にタイヤで推進していく乗り物が自転車だ。誰もが「漕ぐ」ことに意識を集中させがちだが、「手と体でバランスをとる」ことも等しく重要になってくる。これも、「足漕ぎ」をするときに同時に慣れさせておきたい(足漕ぎは、自転車全体を手の力で操らないといけないので、自然とハンドルさばきが上達するのだ)。

(4)スピードを出せること
ご承知の通り、自転車はスピードが落ちてくるとバランスを取りにくくなる乗り物である。すなわち、「スピードを出すことでバランスが取れる乗り物」なのだ。したがって、「スピードを出す」ことに慣れておかなければならない。補助輪付き自転車であれ、ストライダーであれ、とにかく「怖がらずに勢いをつけて走る」ことを意識させたい。できるだけ最初は「足がぴったりとつく」乗り物で、一定のスピードを出すことを怖がらないようにしておきたい。転ぶのは、たいてい、スピードを落とした時である。

(5)何よりも、「乗りたい」と本人が思うこと
上記の(1)から(4)までは、あくまでスキルの話である。スキル×メンタル=実力であって、メンタルが0だったら何にもならない。すなわち、いくら親に強制されても、本人はちっとも乗れるようにはならないのだ。「幼稚園や小学校でお友達が補助輪なしで乗れていた」という外的刺激に頼るのもよいし、それとなくストライダーやお気に入りのデザインの自転車などを与えて「乗ってみたい」と本人に思わせることもありだろう。本人に「やりたいと思わせるようにおぜん立てする」ことが、実は唯一にして最大のポイントなのである。これはあらゆる習い事、初期段階の教育全般に言えることではないか。

2.どのように覚えさせていったか(我が子の事例)
(1)1歳
 家の中の乗り物(アンパンマンのカートなど)を与え、足で漕ぐ「乗り物」の楽しさを感じてもらう。

(2)2歳
 家の外の乗り物(三輪車)を与え、足でペダルを漕ぐ経験をさせるとともに、「乗り物」の行動範囲を広げる。最初は補助棒でサポートし、脚力がついてコツをつかんできたら自分で漕がせる。

(3)3歳
 補助輪付き自転車を与え、足でペダルを漕ぐ「乗り物」の経験値を上げる。最初はごく近所からはじめ、慣れてきたら徐々に公園レベル、できれば公道を含んだ片道1キロ程度までを自分で漕げるように導いていく。

(4)4歳
 自転車の補助輪を外し、まずはストライダーのように「足漕ぎ」で操らせてみる(ペダルは外さなかったが、外すのもありかもしれない)。徐々にバランス感覚が身についてきたら、自転車の荷台を押さえるなどで「自分でペダルを漕ぐ」練習をはじめる。このとき、声をかけるとしたら、
・「必ず前を見る」(パパが荷台、ママがゴールにいて、「ママのほうを見て運転しようね」というと効果的)。
・「設定したゴールまで止まらせない」(「漕げば転ばないよ。とにかくスピードを出してみよう」というと効果的)。
 1回15分くらい×4、5日程度やると、かなりできるようになってくるはずだ。

(5)4歳半くらい
 非常に多くの自治体で、「交通公園」というのが整備されている。大抵は自転車の貸し出しがあって、さらに実際の公道のように信号や横断歩道、標識や踏切が整備されている。いわば「子ども版自転車教習所」である。ここへ出向き、練習あるのみである。我が子の場合、まずはストライダーを借りて、約30分、ひたすら足漕ぎをして道路を走りまくった。(4)の段階で「足漕ぎ」の感覚をつけていたので、ものの5分ほどでスムーズに運転できるようになった。本人は大喜びだ。
 次の30分で、本人の希望もあって補助輪なしの自転車に挑戦である。このとき、できるだけ足がぺったりとつく安心サイズを選び、本人の緊張感を取ることがポイントである。しかし驚いた。親のサポートなしで、いきなり乗れたのである。スタートこそ最初は補助が必要だったが、それもものの5分で不要になり、あとは乗れるうれしさで、ひたすら時間いっぱい、自転車に乗りまくっていた。

3.乗れるようになったら、何に気をつけるか
 これには2つある。1つは「初速」である。自転車に一度乗れるようになれば、基本的には「進む方向を見る(意識する)こと」「バランス感覚」「ハンドルさばき」などは自動的にできるようになる。唯一未解決であろう問題は「漕ぎだし」で、ここで思い切り力を出して漕げるかが、1つのポイントになるのだ。最初のうちは「漕ぎだしのときに親が押してやる」とか、「最初から思い切り漕ぐんだよ」「足で蹴ってスピードを出してから乗ろう」という声かけが必要になる。ただ、それもすぐに不要となっていく。一度乗れだしたら、あとはもう、大丈夫だ。
 もう1つは、「ブレーキ」だ。最初はブレーキ操作まで頭が回らず、足で自転車を止めることが多い。しかし、それでは危険なので、安定して走れるようになってきたら、「手のブレーキを使おうね」ということはしっかり声掛けしたい。公道を走るのは、「手のブレーキ」を操れるようになってから、である。

ではまた。


作成環境の巻
2021年5月29日


今回は、私のサイト作成環境を紹介しようと思う。

まずこれが私のPCのデスクトップ画面だ。

めちゃくちゃシンプルでしょう?このサイトのトップ画面と比べると、驚くべきシンプルさである。

茶色をベースに、普段は何も置いていない。
タスクバーは、Edgeとエクスプローラーのみ。アイコンは電源とWi-Fi、音量と時計・日付表示だけ。

いろいろと作業をするときにとても捗るし、何より気が散らない。
デスクトップだけミニマリスト風である。

スタートメニューにおいているソフトは以下の通り。

一番上のカテゴリがサイト作成の必須ツールの数々である。

順番に「Microsoft FrontPage」。15年以上使っているWebオーサリングツールだ。Office XPのものを組み込んでいるので若干バグもあるが、もはやこのソフトがないとこのサイトは成立しない。

続いて「Open Live Writer」。このWordpressはPCブラウザ上からの編集はおろかスマホアプリからの編集も容易だが、古いウェブログ(Movabletypeの旧バージョンで作っているページ)は、ブラウザ上で編集するのが若干しんどいので、このようなライティングツールを使っている。以前はMS純正の「Wirter」があったのだが、開発終了となり、オープンソースの現在のツールを使っている(もっと以前は先述の「FrontPage」で下書きして、ブラウザ上のソースコードに貼り付けるといった荒業も駆使していたので、だいぶ楽になった)。

そして「FFFTP」。老舗のFTPツールだ。これも現役でサイト作成にフル活躍である。

「ペイント」。以前、「のび太のシャツ」を全種類描いてみたことがあるが、これは実は「ペイント」を使って描いた。どこかでそれを言ったら絶句されたことがあるが、ペイントは「軽さ」において右に出るものがないとても優秀なペインティングソフトである。言うまでもなく。だからペイントは外せない。

続いて「JTrim」。非常に使い勝手の良い、画像のトリミング・加工ソフト。サイトの黎明期からお世話になっている。このサイトはこのソフトがなければまったく出来上がっていなかっただろう。

そして「Google Photos」。以前はデジカメまたはiPhoneで撮影した写真を取り込み、それを「JTrim」で編集してサイトにアップロードしていた。iPhoneの写真を取り込むのは、ケーブルとの相性問題でなかなか認識しないなど、かなりストレスになっていた。今やPixel⇒そのまま共有、でいつでもシームレスに画像を取り込むことができるようになった。今のサイト運営で欠かせないツールの1つである。

次のカテゴリが「便利ツール」である。
ここには、「メモ帳」と「電卓」が入っている。ソースの編集用に「サクラエディタ」や「TeraPad」なども有名どころももちろん使うのだが、テキストといえばとにかく動作が軽い「メモ帳」を最初に開く、というのはもはや癖のようになってしまっている。このサイトにはCGIで動くページがいくつかあって、そのソース編集などはさすがにもう少し込み入ったソフトを使うことが多い。

続いてのカテゴリは「オフィス」だ。
普通にWord、PowerPoint、Excelが並んでいる。まあ、ホームユースならば必要十分だろう。ワンノートも入っているが、業務用ではないので(チーム作業をするわけではないので)、少なくともこのサイトの編集においては使い道はない。余談だが、Wordは最近、PDFファイルを作るのにも役立っている。ネット印刷が主体となってくると、PDFが一番ということになる。

最後のカテゴリが、「Web&エンタメ」だ。といっても、「iTunes」「IE」「Edge」しか入っていない。普段使いは完全にEdgeに移行したが、それでもIEは検証用に残っている。つい数か月前まで、メインのブラウザはIEだったのだ!!

もちろん、これ以外にもソフトはいろいろ使っているが、スタートメニューに配置しているソフトは以上である。

どうであろうか。ごちゃごちゃしたサイトを作っている割に、シンプルでしょう?
どうでもいいけれど、ミニマリストのデスクトップがごちゃごちゃだったら面白いねー。実際、どうなんだろう??

ではまた。


ねるねるねるねの巻
2021年5月28日


魔女のCM(テーレッテレー)でおなじみ、「ねるねるねるね」。
あの色素は、なんとアントシアニン(紫キャベツ)だそうで、その化学変化で「色が変わる」んだそうな。発売元は、「知育菓子」とすら謳っているそうで。

うむ。世の親は「赤色何号」とかを使っているんじゃないかと警戒し、「うちは与えないザマス!」的な向きもあるだろう。が、そんなことはまったくないのだ。合成着色料不使用。保存料不使用。これは知らなかったなぁ。

魔女が「ねるねるねるねは、ヒッヒッヒ、合成着色料は使っていないし、保存料すらつかっていないんじゃ。でも色が変わるよ」って言えば、親も認識を変えるのではないかしら。もはや親が「テーレッテレー」である。

ただCMは、今の子どもも親世代もあんまり見ないからなぁ(そもそもリアルタイムでまったくテレビを見ないし、録画したらそもそもCMは飛ばすし)。となると、狙いはYouTubeの広告だな。

あるいはブログのバナー。「ねるねるねるねは、実は合成着色料・保存料不使用。色が変わるヒミツは紫キャベツ!?続きはお店で!」みたいなキャッチコピーで見てみたいなぁ。電車のディスプレイ広告でもいいかもね。

ではまた。


バッシャーン!の巻
2021年5月27日


道路交通法第71条の1「ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、(中略)徐行する等して、泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること」

帰り道。水たまりをフルスピードで突っ込んで思い切りバッシャーン・・・右半身がびしょぬれ。スマホもカードケースもどうしてくれるんだこの野郎!

もし被害届を出して犯人が見つかれば、罰金は6000円。民事でも損害賠償をすればクリーニング代くらいは・・

・・・って、まあ、一般的には泣き寝入りだよねぇ。悔しいねぇ。

以上、珍しく日記を書きました。

ではまた。


あきらめの巻
2021年4月30日


「GWの谷間の平日の通勤時間帯に減便」という、当てつけとも取れる「一応協力してます」臭がぷんぷん漂う鉄道会社の施策。

電車が混んでしまって(当たり前だ)利用客からは総すかんっぽいが、むしろ思いつきでいきなり減便しろってむちゃをいわれた現場サイドに同情する。

「出かけるな」と言われているのだから、連休の谷間の平日は働くでしょう。しかも月末の週末である。学校もあるわけだし。連休明けを見据えてスパートをかけるこの時期に減便する合理的理由はない。

連休明けの木金だって同じだ。月初である。学校もある。レジャーもできない。普通に働くってばよ。

為政者が、こういう「形だけ減便」的な「やってるふり」しか命じられなくなったらいよいよ末期である。

「竹槍で米英の戦闘機を云々」と精神構造は何も変わっていないからだ。

決められない、やめられない、責任もとらない、どうしようもない、、、

・・・となると、もはやあきらめるしかない。

ではまた。


検便の謎の巻
2021年4月29日


「本当にこれで合ってるのかな?」と思いつつ、そのままになっていることって有りますよね!

その筆頭が検便だと思うのです。けんべん。

いつもいつも、人間ドックのたびに「こんな採取方法でいいのかしら」と思いながら不安なときを過ごし、いつも結果オーライなのでつい忘れてしまいますけれども、やっぱり時期が来ると「これでいいのかな」と不安になるわけです。

どう考えても採取見本のようにきれいに採取できず、何年も何年も「どうやったら見本のように採取できるのか」と悩むのですけれども、いつも結果オーライで過ごしているのですぐに忘れてしまう。結果、全然上達しない。

そういえば容器に採取後は「冷暗所に保管」ってかいてあって、いつも冷蔵庫に入れているんですがそれすら怪しい。入れるものと出すものを同じ場所に保管していいのだろうか。

斯様に検便の謎は深まるばかり。そのときは真剣に悩むのですが、でも喉元すぎれば熱さ忘れるで結局1年後にもう一度悩むんですよね。

このほかにも、バスの乗り方やコインランドリーの乾燥機の適正時間、マスクの洗い方、等々「よくわからないけど何とかなっているからまあいいや」的事象ってたくさんありますよね!

ではまた。


狂い咲きの巻
2021年4月28日


【自粛】自分から進んで行動や態度を改め、慎むこと。

ボランティアが強制でないのと同様、自粛も強制ではない。

通勤電車は満員。夜の人出も多い。越県の飲み会や行楽も普通。GWの予約も宣言前よりアップ・・・人間、1年は自粛できないんだねぇ。

もはや世間体があるから我慢しているだけで、「五輪のための一億総動員」ならば面従腹背だぜ、というどっちらけムードがすごい。

「百貨店は閉めるけど世界運動大会はやります」ってのはどう考えても都合がよすぎるし、「子どもに部活はさせないけど聖火リレーは普通にやります」ってのもめちゃくちゃ狂ってる。

価値判断の歪み。やることがすべて。後は野となれ山となれ。

こういうときは静かにしているに限る。オリンピックをやろうがやるまいが実はほとんどの人にとって関係ないのだから。

狂ったことには関わらないに限る。関わるとこっちも狂う・・・。

もっとも、どうせなら一緒に狂ってしまう方が楽かもしれないが・・・

ではまた。


キーボード哀歌の巻
2021年4月27日


携帯のフリック入力とやらを全然通ってこなかったので、今に至るまでずっと「qwerty入力」で過ごしてきた。

iPhoneのqwertyキーボードはとても入力しやすくて重宝していた。

スマホをAndroidに変えて一番困ったのは、なかなかよいqwertyキーボードに出会えないということだ。日本語で「鍵かっこ」をこれほどまでにスムーズに出せないとは。

純正のGboard、Google日本語入力、Simeji、Microsoft swiftkeyなど各種を試したあげく、行き着いたのがATOKであった。

これとてiPhoneのキーボードとは比べるべくもない(慣れの問題もあるのだろう)が、まあ、1700円もしただけあって取り敢えず待望の「鍵かっこ入力」はスムーズにできるようになった。

どなたか、「iPhoneのqwertyキーボードとまったく同じ挙動をするAndroid用キーボード」ってつくってくださいませんか!?

冗談抜きで3000円くらいまでなら出すつもりで待っています。需要、驚くほどまったくなさそうだけど・・・

ではまた。


「ごゆっくりどうぞ」の巻
2021年4月26日


喫茶店や牛丼屋さんなど、「回転率勝負」の店に入って注文したものが届くと、十中八九こう言われる。「ごゆっくりどうぞ」と。

本音は「さっさと飲み食いして出ていけ」だのに。

こういう裏腹な言葉というのは、「京都のお茶漬け(早く帰れ)」っぽくてドキドキする。

・「いい時計してますね」→時間見ろよ話が長いんだよ

・「ずいぶん楽器がお上手になりましたね」→うるさいんじゃボケ

・「外人さんかと思いました」→なんじゃその恰好は

・「元気なお子さんですね」→今すぐ黙らせろアホ

・「それはそれは遠いところから」→この田舎ものが

・「考えときます」→お断りしますね

・「みんな怒ってるよ」→私が激怒してるよ

・「丁寧なお仕事で」→遅せぇよ

・「気にしないで」→今すぐ全力で謝れ

・「返さなくていいよ」→いつか必ず返してね

・「よくご存知で」→うるさい黙れ

みたいなね。

そうそう、閉店間際の「蛍の光」もプレッシャーすごいわよね。

あれ、ドリフの「盆回し」に代えられないかしら。たらいとか落ちてきて、客もすぐ帰るかも・・・。

ではまた。


ありがとう定期券、の巻
2021年3月31日


高校時代から使ってきた定期券。以来、大学、社会人・・・と約四半世紀の間、途切れることなくずっとお世話になった定期券。

最初は磁気カード。続いてSuica、モバイルSuicaと形は変われどずっとポケットの傍で存在感を発揮してくれていた。

会社の「定期代支給廃止(通勤交通費実額支給)」によって、ついに自分の定期券はその役目を終える。

最後の改札を通り抜けた時、感慨深さが込み上げてきた。

初めて定期券を使った時の大人になった気持ち。

初めて「通勤定期券」を使った時のこそばゆい気持ち。

初めて「Suica」でタッチした時の驚きと感動。

初めて「オートチャージ」したときの文明への感謝。

初めて「モバイルSuica」を使った時の誇らしい気持ち。

通勤通学の思い出は、ポケットの中の「定期券」とともに。

「僕はここにいる きみのポケットに」

「待っていたんだよ 気づいてくれるまで」

ありがとう、定期券。

ではまた。


うまい話の巻
2021年3月30日

「儲け話は人にはしない」というのに、「うまい話」はそこかしこに転がっている。大抵は、「儲け話をすることそのものがそれを伝える側の儲けになる」だけだというのに。

儲け話のコミュニティに参加しても儲けるのはそのコミュニティの主催者だけである。「同じことをしろ」というのがその常道。

しかし唯一、「元本保証」「利回り無限大」「引き出しても減らない」夢のような投資がある。<自分への投資>だ。

勉強をするもよし、読書に耽るもよし、毎日運動をするでもよし。あるいは今の仕事をがんばるのもよし。「自分」を意図的に研鑽していくことだけが、唯一の「リターン確約」の投資なのだと心得たい。

ただ、これが変な方向にいくと「自己啓発マニア」とかになってしまうから難しい。

ではまた。


「ひみつ道具」の巻
2021年3月30日


【秘密(ひみつ)】-隠して人に知らせたり、見せたりしないこと。(新明解国語辞典 第四版)

皆さんはドラえもんの出す未来の便利な道具のことを「ひみつ道具」と言いますよね。でもこれ、誰に対しての秘密なんでしょう?

ドラえもんは作中で、普通にみんなの前で、躊躇することなく「ひみつ道具」を使っています。どこにも「秘密」は存在していないような気がします。

読者である私たちも50年間、彼が「ひみつ道具」を使うところを何度も目撃しています。というか、ひみつ道具自体が「秘密」なのに1600種類もあって、事典になって市販されていたり、そもそもそれを冠した映画にも(「ひみつ道具博物館」)なっていたり。もはや何がひみつなのだか!

そもそも、ドラえもんに「ひみつ道具」が出てこない話は、数えるほどしかありません(しかも、それらは「道具」がある前提でストーリーが展開します。例えば「シャラガム」「うつつまくら」「ウルトラよろい」など)。

とにかく、ドラえもんといえば「ひみつ道具」なわけですね。

でも、めちゃくちゃ不思議じゃないですかこれ。「ひみつ」でもなんでもないのに「ひみつ」。

秘密というのは、「ひみつのアッコちゃん」や「名探偵コナン」、「月光仮面」のように「主人公の正体を知られるとクソヤバい」ことなのだと思うわけですが、ドラえもんのひみつ道具には、というかドラえもんそのものに、そういう背徳感が一切ないわけです。

ところで藤子先生自身は、生前に「ひみつ道具」についてこんなことをおっしゃっています(『ドラえもん 最新ひみつ道具大事典』2008年、小学館の巻頭言より)

ドラえもんのひみつ道具には”レンタル”と”セル”の二種類があります。

(中略)

あまり高価な道具は買えないので、安い使用料で貸してもらいます。ドラえもんは三分の二くらいを、このレンタルで間に合わせているのです。

(中略)

メーカーが新製品を発売するときは、試供品をただでくれたりして、ドラえもんも助かっているようです。

めちゃめちゃヤバい設定だと思いません?未来の夢の道具は、実は「レンタル」と「セル」!・・・「今からしたら夢のような製品でも、未来になったら日用品。テレビや電卓、車なんかと同じだよ。でもそれってむしろ一番夢があるよね諸君!?」ということを藤子先生は一番伝えたいわけですが、それにしたって現実的すぎる!!

なにせ、「レンタルとセルの二種類があります」って言いきっているものね。実は文中で、わざわざ「”レンタル”は借りること。”セル”は買うことです。」と説明までしているのだ。小さい子にとっては、『こち亀』ばりに世の中の仕組み(所有させるだけが商売ではない)を体得する入口にだってなるほどの巨大インパクトだ。

藤子先生の作品のすごさは、「子ども向け」のような明るさの中に覗く「妙なリアリティ」と「スパイシーなブラックさ」にその一面がある(有名どころでは「賄賂」にかけた道具「Yロウ」とか)のですが、まさにそういう側面全開の設定です。

・・・ともかく、ドラえもんのひみつ道具のほとんどはレンタル品というのが「公式設定」です。あろうことか試供品まで使って、いかに資金切りに四苦八苦しているか。「夢の未来世界」を描く張本人が、未来になっても人間の生活は変わらないということを仄めかす・・・こういうブラックなユーモアがパッと出てくるところが、藤子先生の迫力なんですよね。

そういえばドラえもんのお小遣いの額は「月500円」といいます。月500円でやりくりできるひみつ道具なんて、そりゃあたかが知れていますし、「故障だらけ」でしょう。これで、「ドラえもんの道具のせいで」と怒るのび太の気持ちにも、まあ、わからなくもないのです。

まさに、藤子先生が提唱するところの「S(すこし)F(ふしぎ)な生活ギャグマンガ」、それがドラえもんなわけですね。

・・・と、ここまで見てくると、「未来の夢の道具は、実はほとんどレンタル商品だったんだよ。ドラえもんもお金がないからね」というのが、まあ、「秘密」っちゃあ「秘密」なのか。

【秘密(ひみつ)】-2、一般に知られていないこと。(goo辞書)

ではまた。


あれから1年、の巻
2021年3月29日


「バカ殿のメガネの家来」でおなじみ、乾き亭げそ太郎さんの『我が師・志村けん』を読む。

後半のシーン、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが、志村の悲報に接しLINEのビデオ通話で「あのハゲ死んじゃったな」と泣きながら言った―という描写で、私は大泣きしてしまった。

これほどまでに悲しい言葉があるだろうか。こんなにも人を悼む気持ちが120%込められた言葉があるだろうか。

1年前。私は職場で「志村けんの死」の悲報に触れた。向かいの席に座っていた同僚がネットニュースの速報を見て教えてくれたのだが、職場ということも忘れ、「やだやだやだ!」と子どものように喚いたことを思い出す。

妻からも心配してメールが来た。「志村好き」は知っていたから、本当にヤバいと心配になったのだろう。悲しさが余計にこみあげてきた。これはただことではない。

昼休みになると、悲しさがもうどうしようもない領域に達し、ご飯を食べながら大号泣してしまった。確かこの時はリンガーハットに居たと思う。

当然、午後も元気はない。仕事が手につかない。もう涙も枯れたと思ったら、さにあらず。帰り道も涙が止まらない。帰宅中、滝のように涙が出てきて自分でも驚いた。まだまだがまんしていたんだな。

帰宅してからも泣き続けだ。自分でもびっくりした。志村けんが好きすぎたのだ。

以前、別のところでも取り上げたが、1年前の堀井憲一朗さんの追悼コラム「志村けんの死でわれわれは何を失ったのか 彼が作り続けたコント世界のすごさ」に、私が悲報に触れた時に感じたすべての感覚が一言で表されたことばが載っているので紹介する。

<志村けんは、いなくなってしまったのだ>

こんなにも、敬意のこもった追悼文が書けるのは堀井さんの筆力である。この言葉に、志村けんを失った社会にいる私たちの「感覚」が詰まっているような気がしてならない。

この項も泣きながら書いている。だめだ、もうかけない。

ではまた。


ドラえもんの「ド」の字の巻
2021年3月28日


ちょっとした豆知識を。「ドラえもん」の「ド」の字で、どんなカテゴリーのドラえもんか、わかるんですよ。え?どういうことかって?

実は「ドラえもん」の「ド」の字は、現在3つのタイプが流通しているのです。以下のロゴ、「目の形」を見てみてください。

まずはこちら。

『●●』タイプ
これは「原作」および「大山ドラ」までのすべてのドラえもん(ライセンス商品含む、以下同じ)に使われている「ド」の字です。もっとも見覚えのある「ド」ですよね。

「え?ほかにもあるの?」と思われた方。最近は以下のロゴも急速に流通が拡大していますから、身近にあるドラえもん商品を今すぐチェック!

『^^』タイプ
笑顔の「ド」。これは「わさびドラ」以降のドラえもんに使われている「ド」の字。このロゴを見かけたら、基本的には「わさびドラ」ベースの商品だと判別することができるわけです。2005年からですから、もうかれこれ16年も経過しています。

そして、このようなハイブリッド型の「ド」の字もあります。

『●^』タイプ
こちらはわさびドラ以降の映画版ドラえもん(関連商品含む)に使われている「ド」の字です。こちらは映画版限定ですからもっとも露出量は少ないのですが、とはいっても2006年からの使用ですから今年でちょうど15年目になるわけです。

ということで、「ドラえもんのドの字には3種類ある」という日常生活にとても役立つお話でした。


「ドラえもん」は、ロゴ1つとっても実に奥深い世界ですね。

ではまた。


パルコの巻
2021年2月25日


千葉市の人間にとって、「津田沼からが東京」という思いは強い。

実際、総武線(黄色)の本数も、津田沼からは一挙に倍になるのだ。かつては駅の柱に「ノザキのコンビーフ」の広告があって、「こういうところも東京っぽい」とよく思ったものである。

そんな津田沼駅に直結しているパルコが2023年に閉店するという。これには驚いた。

平成末期に閉店した千葉パルコは、千葉市中心部と言いながら駅からは遠く、中心市街地衰退のシンボル的閉店だったが、津田沼パルコは駅とペデストリアンデッキで直結という好立地である。最近は駅の反対側にタワマンや大規模マンション群が林立したので商圏人口も増えたと思ったが・・・それでもキツかったとは・・・

確かに、津田沼からだとららぽーとやイオンモール幕張にもすぐ行けてしまう。そもそも東京にも25分圏内だ。競合だらけということだろう。

このところ千葉県下では、総武線沿線で西武百貨店船橋店、千葉三越、千葉パルコが閉店。常磐線沿線で松戸伊勢丹、柏そごうが閉店。とにかく「1つの駅前に複数店舗の立地」が成立しなくなっていることを物語っている。

ついに、千葉県に残った百貨店は千葉そごう(千葉市)、東武百貨店船橋店(船橋市)、柏高島屋(柏市)の3店舗だけということになってしまった。

千葉県の人口は600万人だから、ざっくりと人口200万人に1店舗でないと、千葉県では百貨店という業態をやっていけない時代になったということである。

かつては百貨店の商圏人口は50万人くらいと言われていたから、実に4倍である。郊外型モールの普及だけでなく、ネットショッピングの影響も大きいだろう。これが今や往時の4倍の商圏を必要としている。

ここへコロナがとどめをさした。これで千葉県からはパルコ自体が消滅することとなる。

ありがとう、津田沼パルコ!

ではまた。


正直の巻
2021年2月24日


巷で話題の漫画『正直不動産』。つい最近、10巻まで大人買いして読んでいるけれど、とても面白いなぁ。

実際にあるのよね。正直不動産。

三菱UFJの「半沢頭取」のように、事実とフィクションの符合ですね。面白いなぁ。

ではまた。


注意書きの巻
2021年2月23日


今まで見た注意書きの中で、一番「消費者保護真っ盛りだなぁ」と思ったのがこれ。

「口が乾いていると最中の皮が貼り付くことがあります」

もはやこれ、こういうことだろう。

醤油:荒れた唇で食べるとしみることがあります
砂糖:食べた後歯を磨かないと虫歯になることがあります
塩:過剰に摂取すると高血圧になることがあります
ソース:よく確かめないと醤油と間違えることがあります
麦茶:よく確かめないとめんつゆの場合があります
食べ物:食べ過ぎて運動もしないと太ることがあります
ビバ!注意書き社会!!!

ではまた。


マイナポイントの巻
2021年2月22日


以下の話は「カードの電子証明書の期限が切れててマイナポイント申し込めなかった!チクショー。5000ポイントくれ」ということを、少しひねくれた表現で書いています。

マイナポイントが不調というのは聞いていた。たまたま駅でパンフを見たので、好奇心でちょっとやってみた。

マイナンバーカードは持っているので、まあ、アプリを入れたらすぐにできそうなものだとわかったが、説明パンフがすでに超絶に面倒くさそう。これでまず人を逃している。

で、私の場合はそもそもマイナンバーカードの「電子証明書」が失効していたので、マイナポイント申請までたどり着けず断念。「役所に来い」ってさ、たかだか最大5000ポイントのために時間かけて行くかっての。

2万円で5000ポイント。一瞬お得なように見えて、マイナンバーカードを作り、IDを発行し、特定のポイントサービスと紐付け、ようやくマイナポイントに申し込みができる・・・って、工程が多すぎである。

マイナンバーカードを持っていても、電子証明書が失効していたらやり直しだ。何が嬉しくて「最大」5000ポイントのために役所まで出向くのだ。

普通に考えて、時給換算すれば「役所に出向く数時間」がまったく5000ポイントに見合っていないのである。

本気でマイナンバーを普及させたかったら、「無事故無違反なら紐付けで免許更新20年間免除(講習はネット受講でOK)」とか、「NHK・上下水道基本料金・電気基本料金・ガス基本料金・携帯電話基本料金・ネット基本料金と紐付けで3ヶ月無料!」とかやれば、あっという間に普及する気がする。

民間ですら、自社ポイントカードの普及・自社サイトへの登録誘導に滅茶苦茶苦労しているのである。現時点でまったく何の特典もないカードに、わざわざ手間をかけるか、という話。

ではまた。


100年の積層の巻
2021年1月31日


「写真が語る千葉市の100年」を眺める。前作「千葉市の昭和」の続編的存在なのだが、街の移り変わりというのは見ていて本当に面白い。

街は歴史のレイヤーがいくつも重なって形成されている。「地層」というくらいだから、土地そのものが層をなして地球規模で歴史を記憶しているわけだけれども、そこに立脚する建物や構造物、文化、思い出、風習、そういったものも、街は層となって「記憶」するのである。写真はその記憶を明確に掘り起こしてくれるのだ。

明治以降、近代日本の「街」レイヤーは大きく分けて8つあると思う。

1つが、明治層。「地方分権型武家社会から中央集権型国民国家」になっていく上で形成された「近代」を象徴するレイヤーだ。初期の官庁や学校、駅などがこれに当たるだろう。木更津県と印旛県が合併して「千葉県」ができたときに中間の「千葉町」が県庁所在地として選ばれたのが千葉市誕生のきっかけであるから、このレイヤーは今の千葉市の基本骨格であると言っても過言ではない。

2つめが、大正・昭和元禄層。関東大震災を経ての、「鉄筋コンクリート」とか「民間のデパート」などモダンな建築物がこれに当てはまる。中産階級層の勃興ともリンクする。千葉で言うと、千葉市美術館のもともとの建物である旧川崎銀行などがまさにこれである。

3つめが、戦時体制層。15年戦争にすべての資力が投入されていったときの建物群である。特に千葉市は「軍都」であったから、当時のレイヤーは思わぬところで現代でも顔を出す(軍用気球の倉庫がつい最近まで民間の倉庫になっていたり、軍用鉄道の跡地が千葉公園付近では現役の道路として活用されていたり)。

4つめが、終戦直後層。混沌の中で生まれた「生活復興のための街」である。無論、今でこそ希薄になったレイヤーだが、有名な新宿の思い出横丁を例に出すまでもなく、千葉にだって、あちこちにその爪痕は残っているのである。

5つめが、高度経済成長層。重厚長大。千葉市の場合は川鉄と東電発電所がその象徴的存在であると言える。あとは林立する大規模団地群なんかもそうですよね。

6つめが、安定成長・バブル層。「省エネ」「ソフト化」に象徴される「軽小短薄」な「イメージ」が、その機能よりも先行して想起される建造物群が目立ってくる。でも、そのイメージとは裏腹に、その実は「豪華絢爛」である。千葉で言うとモノレール、幕張新都心のあたりだ。津田沼から千葉間の「総武線の複々線」などもこの時代の産物である。この時代に移転オープンした「千葉そごう」が、このレイヤーの千葉市における集大成であった。

7つめが、停滞層。バブル期のような華やかさはなく、「実質的」な建造物が中心となってくる。この頃から郊外に展開し出したショッピングモールなど、その典型である。

8つめが、ニューエコノミー層。「カネはあるところにはある」ということで、「持てる者」を表象する建造物群が目立ってきた。象徴的なのはタワーマンションや、従来の団地とは意味合いの違う大規模マンションの展開だろう。SCも、イオンモールとか、千葉駅ビル再開発とか、「巨大資本の存在」を意識させられるようなガリバー化が進行中である。千葉駅前のビックカメラが入る予定のビル(建築中)もその1つと言えよう、

以上「100年」でざっと8つのレイヤーが顔を出している。ざっくりと12年ちょっとで街の「層」は変わっていくのである。「10年ひと昔」とはよく言ったもので、本当に10年で街は変貌していくのである。

もしかすると、今は「ICT/ウィズコロナ層」に転換していく渦中かもしれぬ。テレワーク普及によるオフィスの減床、飲食店需要の激変、公共交通機関の利用形態の変化など、「街の姿」を変えるには十分な条件が整いつつある。

変化は、基本的には止められるものではない。問題はその変化をどう受け止め、受容し、活かして、生きていくかだ。

そんなことを、「千葉市の100年」は教えてくれるのである。

ではまた。


発掘の巻
2021年1月30日


家の倉庫から、大量のポケットティッシュが出てきた。それもかなり古そうなものばかり。

その中で、懐かしのキャラ物(サンリオシリーズ)が出てきた。

裏のコピーライト表記を見て、いつのティッシュかわかったので上から反時計回りにメモする。

まず「バッドばつ丸」が1993年とある。28年前。

次に「ポチャッコ」。これは1995年とあるので、26年前か。

「けろけろけろっぴ」に至っては、何と1989年のものであった!32年前、バブル真っ只中の逸品である。そういえば、つくりがどことなく豪華に見える。

キティのもコピーライトが「1989」だったので、おそらくけろっぴのと一緒のシリーズなのだろう。

ということで、30年もののポケットティッシュを発掘してしまった、という話。密封されていたとはいえ、30年前のティッシュである。普通に使えるのだろうか・・・?

ではまた。


延期の巻
2021年1月29日


今年の映画ドラえもんは、名作と名高い「宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」のリメイク版。3月には絶対みにいくぞ!・・・と思っていたら、まさかの「延期」ですって。

もちろんこのご時世ですから仕方がないですけれども、至極残念なことでございます。

「悪のギルモア反乱軍にビビって引きこもるスネ夫を見て無言で立ち去り、一人で戦いに向かう静香。そこで改心するスネ夫」という最高にシビれるシチュエーションがどう描かれるか、今から楽しみだ。

まさかとは思うが、今風に「パピ(味方の小さい大統領)は僕らの友達!」「だから助けなきゃ」的に安っぽく描くことはないよねー。原作あるもんねー(心の叫び)

ではまた。


はと史の巻
2021年1月28日


このサイトではとを大々的に取り上げ出したのが、2003年10月。

「やっぱりはとはかわいい」と言い出したのがその年の11月。

ということで、17年に渡って「はとはかわいい」と言い続けております。

というはと歴史にさっき気づきました。

ではまた。


今日のはとの巻
2021年1月27日


はとらしい、はと。

はとがなぜ好きか。よく聞かれることだが、結局は「好きだから好き」としか答えようがない。

理屈をつけようと思えば、「首が常に動いているところ」「首だけ孔雀みたいに多色刷りなところ」「目が豆みたいなところ」等々、好きなポイントはいくつも出せるのだが、それが「決め手」ではないのだ。

ということで、こう書くしかない。

「やっぱりはとはかわいい」

ではまた。


ダンとタンの巻
2021年1月23日


「タンタンメン」を頼んだら、「タンメン」が出てきたという話を後輩から聞いた。

会社の近くにある中華料理屋だ。私が1年半前に階段でコケて骨折したところである。

あと1段、ちゃんと踏めていれば・・

ちなみにタンメンはタンタンメンより50円も高かったらしいが、文句1つ言わずにタンメンを食べたという。

あと1タン、ちゃんと伝わっていれば・・

ではまた。


照れワークの巻
2021年1月22日


オンライン会議で、音声が入っていないと思ってツッコミを入れまくっていたら、実はまる聞こえだったとき。照れワーク1。

自分の声をミュートにしたと思ったら、間違えて発表者の声をミュートにしてしまったとき。照れワーク2。

画面で他者のプレゼンが進んでいるときに、間違えて画面共有のリクエストをしてしまったとき。照れワーク3。

自分が話し終わって、「画面共有を終了」したと思って、内職でメールチェックしている画面が丸写しだったとき。照れワーク4。

様々な意識の空白に、照れワークは潜むわけです。

ではまた。


ら抜き言葉の巻
2021年1月21日


のび太「ドえもーん!、ドえもーん!」

ドえもん「どうしたの?のび太くん!」

『ドゴンクエスト』

「ゆうしゃ は リホー をとなえた

出演:井出っきょ

声の出演:TAKO

主題歌:シャんQ

<提供>

おはようから、おやすみまで 「イオン」

ロッテ「コアのマーチ」

電流イイ棒(懐かしい)

アイブユー!!

ではまた。


正座と足首の巻
2021年1月20日

一昨年の夏、中華料理屋さんの階段でコケて右足を骨折した。

一応治ったものの、それ以来、右足首が「季節の変わり目」とか、「低気圧が近づく」とか、「多めに歩いた」とか、「今日は行きたくない」とか、それっぽいことがあるごとに痛む。

その結果、正座ができなくなった・・・

正確には、ここ10年くらい、正座をする時に右足が痛くてちゃんと正座がしにくかったのだが、それにドライブをかけてまったく正座ができなくなったのだ。

「ああ、、再び正座できるようになりたい・・!」そう思って適当にネットで検索してみたら、「足が固くなっているからだよ。だからほぐせばOK」的なことを知る。

そういえば骨折当時、松葉杖を外すべくリハビリしていたときに、療法士の先生から「うわーー、固い。こんなに固いと怪我しやすくなりますよ」と言われたことを思い出す。もともと固いのだ。

ということで、ネットでいくつか紹介されていた「固さをほぐすマッサージ」を適当に試す。お? 何だか足が軽い・・・もしかして、正座できるかも・・・

・・・あっさりできた。正座ができた!!やった!正座だ!正座ができた・・!

嬉しさのあまり、マッサージ&正座をしまくっていたら、右足首を痛めてしまった。

ということで、また正座ができなくなったよ!!

ではまた。


5Hの巻
2021年1月19日


こんな壁を見つけた。

Oh! 5H! 5H!!

見事な「5H」である(煙突の形が)。こういう「同じものが並んでいる風景」というのは実に興奮する。

これはサイト本編で取り上げたことがあるが、こういう広告物も大好き。

「まったく同じ」ってところがたまらなくいい。

今日は在宅勤務。運動しないとまずいと思って朝に「みんなの体操」(録画)、昼に電動自転車で近所をサイクリング。

「昼寝の時間を設けるといいよ」的なことをよく聞くので、実験しようと思って、予めフレックスで2時間のお昼休みを設定し、「15分のシエスタ」を試してみる。わくわく。

結果、1時間寝てしまう。勤務時間開始直前で起きる。全くダメだ。昨日は8時間半も寝たというのに。いやぁ、休み時間を伸ばしておいてよかった。

あと滋養をつけようと思って黒ニンニクをたくさん食べたら胸焼けがひどい。

ではまた。


答え合わせの巻
2021年1月18日


マスクを不織布に変えた途端、鼻水や目の痛みが消えた!!!

やはり、マスクを干す→花粉が付着する→マスクを着ける→常時花粉が目と鼻と口に供給される・・・という「花粉吸い込み放題オプション」が展開されていたのだ。これまで、何も知らずに花粉サブスクリプションに重課金していたかと思うと、胸がアツくなるぜ・・

ではまた。


風の谷の話
2021年1月17日


年末に録画したままだった「風の谷のナウシカ」を見る。・・最近録画を消化してばかりだが、どこにも出かけようがないので仕方がない。

で、唐突に16年前にサイト本編に掲載した歯医者さんを思い出す。これを見たときは大興奮したなぁ・・・

そういえばナウシカの舞台は「マスクをしないと生きられない世界」であった。今の世情とリンクするわね・・・

そんなことを考える日曜日の昼下がりであった。

話題は変わって。

夕方に子どもと「サザエさん」を見る。カツオの預金通帳の話。

中島くんのじいさんが年金の受取口座にしている銀行から大量のアメニティグッズをもらっていたり、花沢さんの家で銀行員がカツオの口座情報について名簿を取り出して第三者のいる前で情報開示したり(「預金額については顧客情報なので教えられない」というが、そもそもそういう問題ではない)、いつもながら(歴史に残るぶっ飛び作品と名高い「自動卵割り機」回を描いた)雪室俊一さんの脚本らしい、なかなかぶっ飛んだ話で素晴らしかった!

ではまた。


あの音とあの音が一緒だった話
2021年1月16日


昨日は全然動かなかったのでさすがにまずいと思ってNHKの「みんなの体操」の録画を見ながら体操。その後ぶっ壊れたスティック型掃除機の電池回収をお願いするためスーパーへ。これだけで疲れ果ててしまい、家に帰ってブラタモリの録画を見ていたら昼寝をしてしまう。すごく体力が落ちている。

話は突然変わる。

「ドラえもん」に「テレビとりもち」という話がある。テレビで映ったものを手元に引き寄せることができるという道具だ。通販番組で使ってみたいといつも思う。

原作ではのび太がテレビから松田なお子(松田聖子のパロディである、念のため)をテレビから「とりもち」で引っ張って、サインをねだるというシーンが描かれている。

さて。今日のドラえもん(アニメ)でも「テレビとりもち」を放映していた。

子どもと見ていたのだが、たまげたね。静香が「私、official髭男dismのファンなの」って言って、サインをもらってるんだもの。うん、たまげた。静香が「髭男」である。おじさんは、「ああ、、時代だなぁ」「歌は世に連れ、世は歌に連れだなぁ」と思いました。

次のドラえもん映画(3月)がドラえもん映画史に残る名作の1つである「宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」のリメイクで、その主題歌が(武田鉄矢の「少年期」ではなく)髭男なので、そのプロモーションでしょうね。おじさんは、「ああ、、時代だなぁ」と思いました。

話はまた変わる。この「宇宙小戦争」は36年前の作品だ。同じく、今年で36年になるのが、現在「35周年企画」が華やかな「スーパーマリオ」である。

ファミコン時代の「スーパーマリオブラザーズ」は、例えば背景の「草」と「雲」が色違いで同じ絵だったり、クリボーが半分の絵を反転させて動かしていたり、驚きのアイデアで容量節約に勤しんでいたという。

で、さっき何となくYouTube動画で知ったのが、「パワーアップの音」と「ゴールした時の音」も同じ音程のスピード違いだという衝撃の事実である。同じメロディラインなら、容量節約になるものね。何百回も遊んだはずだが、これは全然気づかなかった・・・

これが今日の学びだ。とても有意義な1日ではないか!

ではまた。


全然歩いていない日
2021年1月15日

今日は1日中在宅勤務であり、おそらく50メートルも歩いていないと思う。相当身体に悪いでしょうね。

昼に、イギリスの裁縫バトル番組「ソーイング・ビー」の録画しておいたやつを見る。これがなかなか楽しい。

よく考えると、今日は朝刊とこの「ソーイング・ビー」以外でメディアにまったく触れていないので、世の中で何が起こっているのか全然わからん!


大発見!
2021年1月14日


布系のマスクをすると鼻詰まりがひどくなることに気づいた。

で、唐突に理由が分かった。あくまでも仮説ではあるが、「マスクを外に干して花粉がついた状態でそれをまた装着するもんだから、マスクで常に花粉を鼻に供給していた」というわけ。もうめちゃくちゃである。

ということで、今日から不織布マスクに戻るしかない。今更使い捨てマスクなんていつ供給が滞るか怖いし、単価も高いし、まあ勿体無くて、もはや1ミリも使いたくないが、まぁ仕方ない。


年末のご挨拶
2020年12月31日

激動の2020年ももうすぐ暮れ。まさかマスクで年を越すとは。

2021年は開設18年。これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

良いお年をお迎えください。


千葉は落花生王国
2020年12月30日


千葉は生粋の落花生王国で、千葉土産といったら落花生であるし、落花生と言ったら千葉である。

それはそうと、千葉駅の「落花生推し」がすごい。


チラシの裏に書く悦び
2020年12月30日

Twitterは、「駅の黒板にそのときの気分を書いていたら、たまたま物好きの目に止まって、交流が生まれた」的なメディア。

Facebookは、「卒業アルバムに寄せ書きをするような、社会的正しさのペルソナを被ってリア充を演じる」的なメディア。

YouTubeは、「おもしろホームビデオを投稿していたら、そのうち投稿することそのものが目的になってしまった」的なメディア。

Instagramは、「大量生産時代の【ためにする消費】ではなく【コト消費】によって、バーチャルなマウントによるカタルシスを得る」的なメディア。

いずれも、「大衆の時代」における自己顕示欲の発現と、増幅と、再生産のツールとして栄華を極めている。結構なことである。

ただ1つ、懸念されるのが、これらの「発表の場」のフォーマットも、永続性も、すべて運営会社の胸先三寸で決まるということ。

私にはこれが怖くてたまらない。ある日突然、運営者の都合でこれらのサイトが使えなくなれば、それに依拠して「表現」してきた人は、たちまち行き場を失うだろう。

なので、私はどうしても「自前で運営」から離れられない。

自分のサイトでシステムを構築して表現する。「個人サイト」は、「自分の家で書く、究極のチラシの裏」的なメディアといえるだろう。とてもくつろぐ。


スマホから初投稿
2020年12月30日


ああ、、、これは楽だ・・・

できるだけ「毎日更新」できるようにがんばってみよう!

他のサービスだと、トラフィックが結局「そのサイトのもの」になるのが悔しいのよね。こうやって自前で運営するのが一番精神的に楽だわー。

記念画像。娘の「サンタさんへの手紙」

「さんたさん ぷりきわの すてきよ くらさい」
サンタさん、プリキュアの ステッキを ください

ちゃんとEXIFも消したし、完璧だぜ!これでスマホからの投稿はいける!!


最初の日記
2020年12月30日

いつもは29日から会社が休みなので、「29日」と「30日」で詰め込んで家の大掃除をしていた。

今年はテレワークでもあるし、最終日に会社にいなければならないという不文律も雲散霧消したので、28日は有休をとって(それでもメールチェックや電話はしてしまったけれど)、「26日から」実質的な冬休み状態とした。

そのおかげで、大掃除を「26日」「27日」「28日」「29日」と分散して行うことができた。「30日」は掃除からは基本的には開放。いつもにないくらい、落ち着いた冬休みになりそうである。どこにも行けないしなぁ。


【カテゴリー別アーカイブ】


●IT・ガジェット

Windows11 の巻
2021年6月26日


あれほど「最後のWindowsナンバリング」といっていた「Windows10」だが、いよいよ「Windows11」の登場である。まあ、6年もたてば社会環境も何もかも変わって当然だろう。

ホームユースはともかく、影響が甚大なのはビジネス回り。IEが完全に終了する(Edgeに互換モードは搭載される予定)、Teamsと統合など、IT関連の部署の方などは今から導入計画にさぞ頭を抱えていらっしゃることと思う。

いまだにIEでないと動かないシステムがあったり、それこそ20年レベルの古いOSで動かしている基幹システムなんてごまんとある。こういうのの互換性チェック、システム入れ替え、パッチ・・と考えただけで気が遠くなりそうだ。

このサイトも、特に本編は15年選手の昔のソフトを使って編集している箇所もあり、今後どうやって環境を変えていくかは今から思案のしどころだ。わくわく半分、不安半分といった心境である。

まだリリースは先だが、やはり新OSというのはわくわくする。早速、今の環境でWindows11に移行(無料)できるのかをテストしてみた(テストはマイクロソフトのWindows11のページで公開されているチェックアプリから簡単にできる)。


分かってはいたが、やはりこの表示が出ると安心する。

ではまた。


PCはそれなりのものを買うべき、の巻
2021年6月14日


この「Nicky」は、スマホからもタブレットからもPCからも編集・投稿できるように設定している。

本当はスマホで移動のときに手軽に更新しようと思ってはじめたのだが、結局、一番多用しているのはPCである。座って、落ち着いて文書作成ができるツールはやはりPCなのだと改めて気づかされた。

何度か書いているが、仕事などで「PCが必要」となったとき、PCに詳しくない人ほど安いからとあまりにも低スペックなPCを買ってしまいがちだ。結果、手元にあるスマホやタブレットよりも動作がもたつくものだから、「動かすのが面倒」になって、日々非効率な仕事に甘んじている・・というケースを実際に何度も何度も見聞きしてきた。

もったいない。起動を待つ時間。Chromeの読み込み時間。ただの無駄である。低スペックのPCというのは、実はPCに詳しい御仁が、サブPCとして遊んだり、ちょっとお試しで触るみたいな用途に適しているのだ(私見)。

本来は、PCに詳しくない人ほど、それなりのスペックのPCを選ぶべきなのである。今日日、それなりのスペックのPCであれば、フリーズすることもないし、起動もタブレット並みに速いし、何より文書作成はタッチ入力よりもスムーズである。イライラすることもない。

「それなりのスペック」というのは、CPUであれば「Intel Core i5」ないし「i7」であり(i7のほうが高性能)、メモリは8GB、ストレージは128GBくらいのSSDを搭載したノートPC、ということになる。USB端子が複数、DVDドライブでもあればなおラクチンだ。できればMicrosoft Officeもつけておきたい。こうすると、概ね新品のメーカー品(国産でなくてもあまり変わらないのでこだわる必要はあまりない)で10万円から13万円くらいが相場だろうか。スマホでこれくらいの値段の機種を平気で買う人が、なぜかPCではケチって信じられないくらい低スペックのPCを買ってしまうというケースはきわめて多い。本当にもったいない。

繰り返しになるが、「PCに詳しくない人ほど、それなりのスペックのPCを選ぶべき」だ。SSDならば起動はタブレットに近い(さすがにタブレットほどではないが)レベルで速いものもあるし、何よりも、とにかく「画面入力」では得られないキーボードの入力感が違う。

・・といってもほとんどは、安いPCを買ってしまうだろうね。スマホに慣れた現代人にとって、「低スペック」がどれだけイライラするものかわからずに・・・。「作業のための道具だからそれなりの投資はしておくべきだ」という考えは、現実のお金の前には霞んでしまう。それだけ日本の可処分所得は落ち込んでいるということだ。

ではまた。


おすすめガジェット大会 2021 Summer の巻
2021年6月11日


色々なガジェットをいじってみて、あくまでも「普通の人が普通に使う」ときにどの機種を買うのがコストパフォーマンスにおいて最適かをまとめてみた。思い切り私見の2021年夏版「おすすめガジェット大会」である。

■スマホ部門
「iPhone SE 2 (2020)」
(理由)
・このマスク社会において、「指紋認証」が使えるiPhoneであること
・ホームボタンがあるので、操作がしやすいこと
・iPhone8とサイズが同じなので、アクセサリが豊富なこと
・iPhone11と同じA13チップ搭載で高性能なのに安価であること
・動作が安定していること
・防水、FeliCa機能もある

(ここが気になる場合は他も検討)
・そもそもLightning端子である
・イヤホンジャックがないので、イヤホンはワイヤレスか変換アダプタが必要
・顔認証機能はなし
・デザインは1世代前でやや古い
・画面も小さめ

■タブレット部門
「iPad(第8世代)」
(理由)
・iPhone X系統と同じA12チップ搭載で高性能なのに安価であること
・ホームボタンがあるので、操作がしやすいこと
・価格比で安価。動作も安定しており入門用にも最適であること

(ここが気になる場合は他も検討)
・Lightning端子である
・デザインは1世代前で古く感じる
・画面も小さめ

■ノートPC部門
※メーカーというより、以下のスペックのものとする
・OS:Windows10 Home
(理由:圧倒的シェア。いい意味でも悪い意味でも標準化が進んでいるので、ホームユースであれば無難な選択)
・メモリ:8GB
(理由:安いノートPCを買って一番キツいのが「遅いこと」。スマホやタブレットに慣れてしまうと、デスクトップが表示されてPCが表示されるまでの数十秒がとんでもなく長く感じてしまう。Windowsアップデートの時などは特に「速いパソコン」の重要性を感じることになる。「安物買いの銭失い」にならないよう、最低でも8GBのメモリ搭載モデルを選んでおきたい)
・ストレージ:SSD
(理由:容量は外付けでどうとでもなるので256GBもあればホームユースには十分だが、安いモデルはHDDだったりする。起動は圧倒的にSSDが速く、一度でもその速さを知ってしまうと、とてもHDDには戻れない。ここもケチらず1、2万円程度の値段差ならば躊躇なくSSD搭載モデルを購入すべきだろう)
・CPU:Intel Core i7搭載モデル
(理由:Core i7搭載モデルであれば、体感速度において基本的に失敗はない。ホームユースでもたつきを感じるような廉価なPCはごろごろしているが、処理待ちに時間をかけるほど無駄なことはない。ここもケチらずに数万円程度の値段差ならばCore i7(相当以上)のCPU搭載モデルを購入すべきである)
・ドライブ:DVDドライブ搭載モデル
(理由:これは好みが分かれるところだろう。外付けDVDドライブでも十分なのだが、実際に使う時に抜き差しするのは結構面倒である。今やほとんどのソフトはDL形式なので、使うこともほとんどないが、それでもちょっとしたときにCDを取り込んだり、ちょっとDVDを確認したり・・ということはある。この「ちょっとしたとき」にDVDドライブ搭載モデルだと面倒が少ないのだ。ただし、ストリーミング再生全盛のこの時代に、BDまでは求めなくてよいとも思う。これは完全に「趣味」の領域になってしまう)
・付属ソフト:Microsoft Officeライセンスモデル
(理由:多くの会社は文書作成にWord、表計算にExcel、プレゼンにPowerPointを使っている。書類作成は明らかに Officeシリーズに一日の長があり、いくら互換性のあるソフトウェアを使ったところで、「Wordの文書そのもの」にはならないのだ。これも変にケチるよりは、しっかり投資した方が後で楽になる)

上記のスペックで、おおよそ10万円から13万円台までであれば「買い」だろう。ポイントは「変にケチらないこと」・・これに尽きる。

別にメモリ16GBのハイスペックゲーミングノートPCを買いましょう、などと言っているわけではない。「ある程度上位の機種を買っておいた方が、結局はラクになる」と言っている。

私の知るある人は、初期投資をケチってメモリ4GB、CPUも低スペックな激安ノートPCを買って(当然 Officeもついていない)新しく仕事をはじめたものの、とにかく文書作成ソフトを立ち上げるだけで時間がかかってしまうことが日常化していて、かなり難儀していた(確かそのあと新しいPCを買ったんじゃなかったかな)。結局高くついたのである。

繰り返すが、「最上位機種」を買う必要もないが、かといってわざわざ「廉価版」を買って生産性を落とすこともないのである。

ではまた。


インターネットを高速化した話、の巻
2021年6月10日


J-PHONEから数えて20余年お世話になったソフトバンクの携帯をMNPして、そのままになっていたことがあった。家庭のネット回線が「ソフトバンク光」だったのだ。このままではオプションの割引がきかなくなり、月1000円くらいの出費増になる。

ちょうどネット回線の解約月だったのでそのまま光回線もどこかに乗り換えようかと思ったのだが、他社は他社で3年縛りだったり色々と面倒なので、今回は断念することにした。

ソフトバンクの携帯に加入していると、ネットをIPv6で接続できる「光BBユニット」と、ユニットをWi-Fiルーターとして使用できる「Wi-Fiマルチパック」、そしてIP電話の「BBフォン」がセットで550円(税込)になる。

しかし、ソフトバンクの携帯を解約すると同時に、これらのオプションはそれぞれにお金がかかるようになり、単純にBBユニット513円、Wi-Fiマルチパック1089円、BBフォン0円、計1602円がかかるようになってしまう。

「光BBユニット」は致し方ないとして、Wi-Fi機能を使うためだけに月1000円も払う必要もないので、これを機に「Wi-Fiマルチパック」と「BBフォン」だけ解約することにした(Wi-Fiを使うためには他社のWi-Fiルーターが必要)。

ここからは、「ソフトバンク光」で「Wi-Fiマルチパック」を解約し、「光BBユニット」を介して新しい「Wi-Fiルーター」でWi-Fiをつなぐまでの記録を書いていく。

■まずはWi-Fiルーターを購入

■Wi-Fiルーターが届いたら、いよいよ設定を開始する
(0)まずは、光BBユニット→NTTのONUの順番に一度電源を落とす。
(1)NTTのONU→光BBユニットはそのままつないでおく
(2)光BBユニットの「パソコン1」の端子と、Wi-Fiルーターの「インターネット」の端子をイーサネットケーブル(通信ケーブル)でつなぐ
(3)Wi-Fiルーターの物理スイッチを、RT(ルーター)ではなく、AP(アクセスポイント)またはBR(ブリッジモード)に切り替える。これをしないと二重ルーター状態になって接続ができなくなる可能性もある。「ソフトバンク光が急に遅くなった」原因が、ここでの設定ミスというのはよくあることのようなので、この手順は飛ばさないように留意したい。
(4)NTTのONU→光BBユニット→新Wi-Fiルーターの順に電源を入れる。
(5)必要に応じて、新Wi-Fiルーターの初期設定を行う(私の機種の場合は数十秒ほどで自動設定が完了)。
(6)手元のスマホなどから、初期値のSSIDとパスワードを使って、新Wi-Fiルーターでネットにつながるか確認する。

問題なくつながれば、次の手順へ進む。続いて、これがまた重要なのだが、

■これまでのSSIDとパスワードを引き継ぐため、今まで使っていたSSIDとパスワードを、Wi-Fiルーターに割り当てる
今はどの家庭でも、ものすごい量の機器がWi-Fiでつながっていると思う。Wi-Fiルーターを交換するたびにデフォルトのSSIDやパスワードを設定しているのでは、大変なことになる。

例えば今、家の中でWi-Fiにつながっているガジェットをざっと見まわしただけでも、

スマホ(Pixel5)
スマホ(AQUOS Sense 4)
スマホ(iPhone6)
スマホ(iPhone8)
スマホ(iPhone SE2)
タブレット(iPad mini 4)
タブレット(iPad Air 4)
タブレット(Amazon Fire7)
PC(Lenovo)
PC(Microsoft surface)
PC(Fujitsu FMV LIFEBOOK)
PC(TOSHIBA Dynabook)
PC(Fujitsu FMV)
PC(TOSHIBA Dynabook)
ゲーム機(Nintendo 3DS LL)
ゲーム機(Nintendo Switch初代)
ゲーム機(Nintendo Switch Lite)
ゲーム機(Wii U)
アクセサリ(Amazon Fire Stick)
・・・と、スマホ5台、タブレット3台、PC6台、ゲーム機4台、アクセサリ1台、計19台もあった。これらの設定を全部替えるのはいくらなんでも大変すぎる。

そこで、購入したWi-Fiルーターの会社のウェブサイトなどを参考に、ルーターの設定画面に入り、SSIDとパスワードを「現在使っているもの」に変更するのだ。もし、5Ghz帯と2.4Ghz帯両方の設定ができるのであれば、両方設定してしまうとよい(それはそれで問題があるという説もあるが、ホームユースであれば問題はないと判断)。

すると、今までと変わらずに(ガジェット側の設定は不要で)そのままWi-Fiを使うことができる。これは非常に便利なので、ぜひ実行したい。
設定を変更したら、これまでと変わらずにネットにつながるかどうかを手元のスマホなどで確認しておく。

無事につながればこれで終了・・・といきたいところだが、このままでは「光BBユニット」のWi-Fiで電波がつながっているのか、「Wi-Fiルーター」でつながっているのかが実は分からない。実際はBBユニットの電波とWi-Fiルーターの電波が併存していても、理論上は「ネットがつかえない」ことはないのだけれども、機器間で干渉が起こるなど、接続が不安定になる可能性もある。ここではじめて「光BBユニット」から「Wi-Fi機能」を奪う手順に進むのだ。これで光BBユニットのWi-Fiを使う必要はなくなるので、「Wi-Fiマルチパック」の解約が可能となる。

■「光BBユニット」のWi-Fi機能を停止する
基本的には本体の物理ボタン(「機能」ボタン)の長押しでOK。設定画面からも可能。詳しくは、ソフトバンク光の公式サイトの記載を確認する(いずれにしても、1分とかからない簡単な作業である)。

「光BBユニット」のWi-Fi機能を無効化したら、引き続き、同じSSIDとパスワードでネットにつながるかどうかをもう一度手元のスマホで確認しておく。これで問題なくつながれば、いよいよ「Wi-Fiマルチパック」の解約である。

■最後に、「Wi-Fiマルチパック」を解約する
「ソフトバンク光」版のマイソフトバンクから、オプションの変更へ進む。特に引き留めもなく、電話も不要で、基本的に数クリックで解約が可能。なお、翌日には解約される(料金は当月分全額)。

■スピードはほぼ「倍」以上に
住んでいるマンションが築20年くらいなので、残念ながら「マンションタイプ」(ハイスピードではないので最大で100Mbps)の契約をしている我が家。Wi-Fiも、「2.4Ghz帯」しかないタイプの「BBユニット」だったので、回線速度(下り)は光だというのに24~30Mbpsくらいであった。

もっとも一般的に、

テキストベースのWebサイトの閲覧が「1Mbps」
オンライン会議や720p(HD)のYoutube視聴が「3Mbps」
1080p(FHD)のYouTube視聴が「5Mbps」
4K動画の視聴が「25Mbps」
と言われているので、これでも動画を見るのには十分で、特に不満があったわけではないのだが。

ただ今回は「5Ghz」「2.4Ghz」双方に対応し、それなりに新しくて速い(さすがに元回線が100Mbpsなので1Gbps対応とはいえWi-Fi6ではないが)のWi-Fiルーターを購入したので、一気に64Mbpsくらいまで出るようになった。ほぼ倍である。

買ったばかりのiPad Airで試してみると、もともと表示の速いWebサイトが、明らかにさらに表示が速くなった印象を受けた。プラシーボ効果かもしれないが、これは本当に速い(実はキャッシュのおかげなだけかもしれないが)。

もともと、Windows95の「テレホタイム」からインターネットに入ったクチである。あの頃はADSLになっただけでその爆速ぶりに驚いていたので、本当に隔世の感が強い。

これがもし、「ハイスピード」とか「ギガスピード」とかだったらどうなってしまうのだろう。マジでDLとか一瞬なんでしょうね。いいなぁ。

以上、インターネットを高速化した話でした。最近の格安携帯ブームで、「ソフトバンクを解約したけど、そういえば光のオプション料金が爆上げしてヤバい。どうしよう」的な人っていらっしゃると思うので、参考にいただけたら(特に検索で来られた方!)嬉しいです。

ではまた。


iPad Air4を買った!すごい!の巻
2021年6月8日


自分の心を落ち着けるために、突然iPad Air4を買ったことを数日前に書いた。

数年ぶりにiPadシリーズを買ったが、これすごいねぇ。
まずはとにかく速い。起動も速ければ動作もサクサク。おまけに処理落ちしてもフリーズしない(何回か書いているが、Pixel5は1日に何度もフリーズする。Window95や98時代のブルースクリーン大会を思い出すレベルだ。それはそれで愛着もわくのだが)。とにかくこの安定性はさすがだ。

あと、設定がとにかくラク。iPhone→Androidも今やケーブル1本なのでラクなことに驚いたが、iPadについてはiPhoneを近づけるだけで設定できちゃうんだものなぁ。これには驚いた。

調子に乗って、「Apple Pencil」と「Air Pods」、そしてキーボード、マウス(これらはさすがにサードパーティー製)まで買ってしまった。

そうしたら、ほとんどノートパソコンのようになってしまった。


iPadのキーボード、思った以上に便利である。これはケースにもなるトラックパッドつきのタイプ。キーピッチも広く、打ち心地もよい。Windowsに慣れていると、「かな/英字変換」だけ戸惑うが、まあ許容範囲かな。

また、bluetoothのマウスもいい感じである。スクロールの向きがWindowsと真逆なので最初は焦ったが、これは設定画面を開き、「一般」>「トラックパッドとマウス」>「ナチュラルなスクロール」OFFでOK。


ボタンを各種機能に割り当てられるのもよい。例えば「ホイール押し込み」でホームボタン、第4ボタンは「使用中のアプリを表示」させるなどである。これもよい。設定画面の「アクセシビリティ」>「タッチ」>「Assistive Touch」をON、その後、「デバイス」>「追加のボタンをカスタマイズ」→カスタマイズしたいボタンをクリック→設定。


スクロール量がWindows PCと比べてデフォルトでは少ないので、これも設定画面の「一般」>「アクセシビリティ」>「ポインタコントロール」→「スクロールの速さ」で調整できる。


もちろん、Windows PCと比べて操作性が異なる部分も多々あるものの、十分でしょう。そういえば「ライブ変換」という自動入力機能もある。この文章もiPadで作成してみているが、うん、たしかに便利である。

ではまた。


●イラスト

ニセドラえもんの巻
2021年5月9日

こんな絵を描いてみた。

うん。

・・・だからどうしたといわれると、非常につらい。

ではまた。


現実の巻
2021年5月3日


今日の落書き。

プリキュアかいてーと無邪気にせがまれたので描いた。

現実をしっておくことと、「いつか現れる白馬にまたがった王子様」および「僕にやさしくしてくれるお姫様」なぞ存在しないということを早めに知らせておく必要がある。

これぞ早期教育。

ではまた。


新キャラの巻
2021年2月7日


新キャラを思いついた。「くだものメン」だ。

まずはりんごマン。

次になしマン。

そして、ばななマン。

みかんマン。

そして、きういマン。

うん。実にそれっぽいではないか。LINEスタンプなんかにしたら売れるかなぁ(冗談

ではまた。


●ゲーム

ツクール系の話、の巻
2021年6月12日


Nintendo Switchの最新ソフト『ナビつき!つくってわかるはじめてゲームプログラミング』を購入。

「RPGツクール」「マリオメーカー」はじめ(広義では「シムシティ」も入るか)作る系は大好きなので早速プレイしてみたのだが、さすが任天堂の丁寧さと奥深さ。時間があればオリジナルのゲームをどんどん作りこんでいきたいと思わせる魅力は十分だ。私にはその「作りこむ時間」がない・・・

これはちょっとでもセンスのある子どもだったらハマりまくってすごい作品を作ってしまえるのではないかと思った。下手に「教える」より、こうやってゲーム化してしまって実際にやらせるほうがよほど「プログラミング的思考」とやらが身につくのではないかと思った(プログラミング的思考=プログラミングそのものではないことはわかって書いています)。低スペックの国策忖度タブレットで「つながる、つながらない」と現場でひーひーやるくらいなら、Switch Liteを持ち込ませてこのゲームを毎日1時間でもやらせたほうが、よほど国力の担保になるとすら思った。

ツクール系の嚆矢ともいえる『RPGツクール』は、ゲーム・・というよりコンピュータプログラムが「イベント」すなわち「実行指示」および「各種パラメーター」の組み合わせで成り立っていることをユーザーに広く知らしめたという大きな功績がある。

『マリオメーカー』は、あの「マリオ」の「アクション」で、その実行指示やパラメーターを完全ビジュアライズして誰でも直感的にオリジナルの「マリオ」を作れるようにしたところに大きな意義がある。本質的には「実行指示の組み合わせゲーム」なのだが、その「堅苦しさ」を一切取り払って「ゲーム」にしてしまう力量が任天堂の本領発揮といったところだろう。

今回の『はじめて・・』は、敢えて「実行指示の組み合わせ」を前面に押し出してプログラムの組み方を直感的に学ばせるという、異色なほど教育要素の強いソフトだが、「ナビつき!」のタイトル通り、7種類の面白いゲームを自分で組み立てられる快感を誰でも(ある程度の年齢なら)味わうことができるようになっている。タスクを細分化してスモールステップで小さな達成感を味合わせ、ゲームが完成した暁には「即時にほめる」という報酬も用意している。「脳トレ」系のゲームにも強みのあるのがさすが任天堂。フィードフォワード→実際につくる→即時の確認(フィードバック)が完璧なのだ。この「ユーザーを自習に導いていくノウハウ」はプレイしていてすごいと思った。

繰り返しになるが、下手に低スペックで無理やり導入したタブレットで、おざなりに適当にプログラミングをやりました風の教育をして子どもたちを「なんか微妙・・」と思わせるくらいだったら、このソフトを毎日1時間やらせるほうが、間違いなく子どもたちのプログラミング的思考は鍛えられる。もう、このソフトを必修化すべきではないか。

ではまた。


Nintendo Switch讃歌の巻
2021年3月5日


どうぶつの森のアップデートで、「マリオ家具」がいろいろ使えるようになったのが愉しい。秀逸なのは「土管」で、島のA地区からB地区まで、ワープができるという優れモノだ。海岸→家の中みたいな移動もできるので、島の中の移動が劇的にラクになる。

「マリオ」も「ゼルダ」も「あつ森」も。そして「ポケモン」「桃鉄」も。

今や、Nintendo Switchは、ファミコン・スーパーファミコンのVCはもとより、かつてPSに登場した「FF7」「FF8」そして「クラッシュバンディクー」までもが手のひらで手軽にプレイできる、モンスター級のウェアラブルゲームコンソールに進化している。

ラインナップ的に、アラサー・アラフォーでも十分たのしめる、まるで手のひらの遊園地だ。いいねえ、たのしいねえ。任天堂の業績が好調なのは、「おうちブーム」だからではない。純粋に、「楽しいもの」を提供し続けているからなのである!

ではまた。


マリオ!の巻
2021年2月12日


Nintendo Switchで『スーパーマリオ3Dワールド+フューリーワールド』が発売されたよ!

3Dワールドのほうは、2013年に発売されたソフトの8年越しの再録・・かと思いきや、プレイしてみるとこれは明らかにリメイク。細かいところでプレイしやすいように調整が入っているのを感じた。こういうとこがさすが任天堂なんだよね。大好き!

基本的には「ゴールポールを目指す」というコース型のアクションゲームであるが、コースは3D。ただし箱庭型で、カメラワークも敢えて制限をかけているため、2Dコースを立体的に遊んでいる感覚になる(画面回転がないため、画面酔いも起こりにくい)。

完全3Dの系譜(マリオ64からオデッセイに至る流れ)と2Dの系譜(スーパーマリオブラザーズ)のミックスで、2D系が好きな人も、3D系が好きな人もどちらも楽しめるのがポイントなのだ。

オリジナルがWiiUでの発売ということもあり、未プレイの人も多いんじゃないかと思うが、これは数あるマリオのアクションシリーズの中でもかなりの傑作。Switchを持っているなら1度はプレイしてみる価値はあるし、このソフトのためにSwitchを購入するのもありだと思う。

一方の「フューリーワールド」のほうは完全新作。マリオシリーズ初のオープンワールドで、シームレスにコースが切り替わるのが特徴。

いつもは敵のクッパJr.とタッグを組んで、凶暴化したフューリークッパと戦うという今までにないエピソードが魅力。

時間が来ると、オープンワールドが大荒れになり、フューリークッパが大暴れする。束の間の「平和な時間」で宝探しをする。こちらは「マリオ64」や「オデッセイ」の要素と、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』の緊張感とをミックスしたようなプレイ感が楽しめる。

非常に魅力的なソフトが2本も楽しめるこのソフト、興味がある方はぜひプレイを!!

ではまた。


●ドラえもん

人魚大海戦の巻
2021年6月7日


最近、わさびドラにハマってきているという話をしている。
今度は、映画「人魚大海戦」を見た。

映画ドラえもんの30年記念作品なので、ちょうど10年前の作品になる。
率直な感想は、「これはこれでアリなんじゃないか」ということ。「藤子先生のドラえもんではもちろんないが、ドラえもんではある」ということだ。

娘は本作を見てケラケラ笑い転げていた。絵もすごくきれいだしね。人魚のお姫様もかわいいのに強いし。戦いのシーンなどは「プリキュアみたいだ」とすごくよろこんでいた(ちょうど今の「トロピカルージュプリキュア」も人魚が出てくるし)。「アナ雪」からみてもわかるように、強い女の子、というのは最近のトレンドだろう。

「今の子どもが喜ぶ」というところが作品にとっては何よりも重要なところである。大衆向けコンテンツが生き延びるためには、どこかで「時代とともに在る」ことが必要であり、そういう意味ではドラえもんのコンテンツとしての寿命は、間違いなくまだまだであると感じて私はうれしくなった。現代ナライズは大成功であろう。

ちょうど1回前に「海底鬼岩城」を見た後だったので、その要素も感じなくもなくて懐かしい気持ちになった。そして挿入歌「遠い海から来たあなた」は武田鉄矢である。・・・「ドラえもん映画にはやはり武田鉄矢である。」と昔は無制限で思っていたが、わさびドラ映画の「陽」の部分と、この歌・・・ いい意味でミスマッチ(歌は昭和!)でなかなか「あ、これは歌は世に連れ世は歌に連れだな」と考えさせらるところ大であった。この歌、EDでもよかったけれどねぇ、と少し思った。

あ、あと最後に安直に「人魚の星に行ってハッピー」みたいなエンドにせず、「僕たちの戦いはまだこれからだ」的にまとめたのもよかったです。

以上、10年も前の映画のレビューでした。

ではまた。


わさびドラ!の巻
2021年4月24日


最近、「土曜5時からのドラえもん」を娘とみる機会が増えた。そこで感じたことを書く。

すでに「わさびドラ」が登場してから16年が経過している。仮にドラえもんの視聴層が4歳から10歳くらいだとすると、すでに「わさびドラ」を見て育った初期の層は社会人である。

少子化でもあるので、社会のマス層は圧倒的に「大山ドラ」を見て育っているわけだが、「わさびドラ」を見て育った層も相当に多くなってきた。ざっくり1年に100万人子どもが生まれてきたとすると、ざっと1600万人のボリュームということだ。社会全体の13%は「わさびドラ世代」であるといえる。

マーケティングでは、普及率「11%」が影響度を与える目標値ということはよく言われるので、「わさびドラ」も社会の中で一定の存在感を示しつつあるというのがわかる。

で、何が言いたいかというと、今のドラえもん、すごく面白いのである。

原作出典の作品だけでなく、アニメオリジナルのストーリーも織り交ぜて展開されているが、製作陣は原作へのリスペクトを持ちつつ、いかに現代の子どもに受け入れられる「ドラえもん」を提供しようとしているか、相当に腐心していることがわかる。

だんだんと、キテレツ大百科的な展開(原作の枠を超えてキャラクター・ストーリーが独り歩きする)にもなってきた印象を覚える。

本日放送の『人間味調味料』(2019年放送分の再放送である)などは、その典型。原作には登場しない、「人間味」を振りかけるという秘密道具が巻き起こすドタバタ劇だ。ドラえもんやのび太がハードボイルドに変身したり、静香に「塩味」をかけて出木杉に「塩対応」させたり、オチではのび太・ジャイアン・スネ夫が様々な人間模様を繰り返し発現させて大狂いするというとんでもないドタバタ劇が繰り広げられた。ある意味、初期のスラップスティック的な「ドラえもん」世界の現代版ともいえる。

娘はこれをみて腹を抱えて笑いころげていた(録画してその日のうちに3回もみていた)。私も笑った。

これでいい、と私は思った。原作は原作。大山ドラは大山ドラ。わさびドラはわさびドラ。それぞれに良さがある。肝心なのは、今の子どもたちがそのコンテンツに夢中になって、笑って、「ああ、楽しかった。次回も見たい」となるかどうか、である。オールドファンだけ喜ばせていては、未来がない。「一言さんお断り」は大衆向けコンテンツでは致命的なのだ。

わさびドラは16年。立派な長寿番組だ(「全員集合」が16年である)。50年物の作品で、今の子どもが笑い転げるのである。コンテンツとしてのドラえもんの「延命策」は間違いなく成功である。

「ドラえもん」を残すための関係者の努力に改めて頭が下がる思いだ。映画『秘密道具博物館』でも感じたが、「原作らしさ」を残しつつ、「新しさ」を加える。この微妙な匙加減が、次の世代にも「鑑賞される」コンテンツとしての「新・ドラえもん」の妙味であろう。

こういう挑戦的な作品の積み重ねが、未来のドラえもんをつくっていく。これからも「わさびドラ」の展開を楽しみにしていきたい。

ではまた。


「ひみつ道具博物館」をまた見たの巻
2021年4月11日


先々週に初めてドラえもん映画「ひみつ道具博物館」を見てあまりにも面白かったので、また見る。8年遅れでハマってどうする。

これ、ドラえもん映画の中でも群を抜いて傑作の1つである。藤子先生原作でない作品の中ではNo.1といってよい。

散りばめられた伏線の見事な回収。謎が謎を呼ぶ展開。それぞれのキャラ立ち。ギャグも全編に渡って冴え渡り、押し付け臭くない感動や風刺も混じって「見てよかった」と思える作品である。

今までの「映画ドラえもん」らしくはないが、正真正銘、「ドラえもん」でないとできないストーリーである。1時間43分、無駄なシーンが一切ない。敢えて王道を外して「実」をしっかり取るという制作陣の意気込み・迫力が画面の向こうから伝わってくるような素晴らしい作品であった。

えー、それなりにドラえもんは齧っている私がこうやって絶賛していますので、未見の方で興味を持たれた方はぜひご覧くださいませ。前回見た時も書いたが、「モンスターズ・インク」的なタッチが好きなら特にお勧めである(話は全然違うが、読後感のイメージが近いのよね)。

今年でドラえもんも51年め(厳密には70年1月号の連載開始=69年12月発売なので52年めとも言える)である。こういう作品が出せるなら、ドラえもんの賞味期限はまだまだ先といってよい。『相棒』方式で映画ドラえもんの監督や脚本は毎年チェンジしているようなので、こうやって「当たり」を定期的に出していくことが、新たなファン層の獲得、作品の延命につながるのではないか。この作品はその好例である。

ストーリーを知っていて2回目でも楽しめる作品というのはなかなか珍しい。ドラえもん万歳!

ではまた。


「ひみつ道具」の巻
2021年3月30日


【秘密(ひみつ)】-隠して人に知らせたり、見せたりしないこと。(新明解国語辞典 第四版)

皆さんはドラえもんの出す未来の便利な道具のことを「ひみつ道具」と言いますよね。でもこれ、誰に対しての秘密なんでしょう?

ドラえもんは作中で、普通にみんなの前で、躊躇することなく「ひみつ道具」を使っています。どこにも「秘密」は存在していないような気がします。

読者である私たちも50年間、彼が「ひみつ道具」を使うところを何度も目撃しています。というか、ひみつ道具自体が「秘密」なのに1600種類もあって、事典になって市販されていたり、そもそもそれを冠した映画にも(「ひみつ道具博物館」)なっていたり。もはや何がひみつなのだか!

そもそも、ドラえもんに「ひみつ道具」が出てこない話は、数えるほどしかありません(しかも、それらは「道具」がある前提でストーリーが展開します。例えば「シャラガム」「うつつまくら」「ウルトラよろい」など)。

とにかく、ドラえもんといえば「ひみつ道具」なわけですね。

でも、めちゃくちゃ不思議じゃないですかこれ。「ひみつ」でもなんでもないのに「ひみつ」。

秘密というのは、「ひみつのアッコちゃん」や「名探偵コナン」、「月光仮面」のように「主人公の正体を知られるとクソヤバい」ことなのだと思うわけですが、ドラえもんのひみつ道具には、というかドラえもんそのものに、そういう背徳感が一切ないわけです。

ところで藤子先生自身は、生前に「ひみつ道具」についてこんなことをおっしゃっています(『ドラえもん 最新ひみつ道具大事典』2008年、小学館の巻頭言より)

ドラえもんのひみつ道具には”レンタル”と”セル”の二種類があります。

(中略)

あまり高価な道具は買えないので、安い使用料で貸してもらいます。ドラえもんは三分の二くらいを、このレンタルで間に合わせているのです。

(中略)

メーカーが新製品を発売するときは、試供品をただでくれたりして、ドラえもんも助かっているようです。

めちゃめちゃヤバい設定だと思いません?未来の夢の道具は、実は「レンタル」と「セル」!・・・「今からしたら夢のような製品でも、未来になったら日用品。テレビや電卓、車なんかと同じだよ。でもそれってむしろ一番夢があるよね諸君!?」ということを藤子先生は一番伝えたいわけですが、それにしたって現実的すぎる!!

なにせ、「レンタルとセルの二種類があります」って言いきっているものね。実は文中で、わざわざ「”レンタル”は借りること。”セル”は買うことです。」と説明までしているのだ。小さい子にとっては、『こち亀』ばりに世の中の仕組み(所有させるだけが商売ではない)を体得する入口にだってなるほどの巨大インパクトだ。

藤子先生の作品のすごさは、「子ども向け」のような明るさの中に覗く「妙なリアリティ」と「スパイシーなブラックさ」にその一面がある(有名どころでは「賄賂」にかけた道具「Yロウ」とか)のですが、まさにそういう側面全開の設定です。

・・・ともかく、ドラえもんのひみつ道具のほとんどはレンタル品というのが「公式設定」です。あろうことか試供品まで使って、いかに資金切りに四苦八苦しているか。「夢の未来世界」を描く張本人が、未来になっても人間の生活は変わらないということを仄めかす・・・こういうブラックなユーモアがパッと出てくるところが、藤子先生の迫力なんですよね。

そういえばドラえもんのお小遣いの額は「月500円」といいます。月500円でやりくりできるひみつ道具なんて、そりゃあたかが知れていますし、「故障だらけ」でしょう。これで、「ドラえもんの道具のせいで」と怒るのび太の気持ちにも、まあ、わからなくもないのです。

まさに、藤子先生が提唱するところの「S(すこし)F(ふしぎ)な生活ギャグマンガ」、それがドラえもんなわけですね。

・・・と、ここまで見てくると、「未来の夢の道具は、実はほとんどレンタル商品だったんだよ。ドラえもんもお金がないからね」というのが、まあ、「秘密」っちゃあ「秘密」なのか。

【秘密(ひみつ)】-2、一般に知られていないこと。(goo辞書)

ではまた。
 


ドラえもんの「ド」の字の巻
2021年3月28日


ちょっとした豆知識を。「ドラえもん」の「ド」の字で、どんなカテゴリーのドラえもんか、わかるんですよ。え?どういうことかって?

実は「ドラえもん」の「ド」の字は、現在3つのタイプが流通しているのです。以下のロゴ、「目の形」を見てみてください。

まずはこちら。


『●●』タイプ
これは「原作」および「大山ドラ」までのすべてのドラえもん(ライセンス商品含む、以下同じ)に使われている「ド」の字です。もっとも見覚えのある「ド」ですよね。

「え?ほかにもあるの?」と思われた方。最近は以下のロゴも急速に流通が拡大していますから、身近にあるドラえもん商品を今すぐチェック!


『^^』タイプ
笑顔の「ド」。これは「わさびドラ」以降のドラえもんに使われている「ド」の字。このロゴを見かけたら、基本的には「わさびドラ」ベースの商品だと判別することができるわけです。2005年からですから、もうかれこれ16年も経過しています。

そして、このようなハイブリッド型の「ド」の字もあります。


『●^』タイプ
こちらはわさびドラ以降の映画版ドラえもん(関連商品含む)に使われている「ド」の字です。こちらは映画版限定ですからもっとも露出量は少ないのですが、とはいっても2006年からの使用ですから今年でちょうど15年目になるわけです。

ということで、「ドラえもんのドの字には3種類ある」という日常生活にとても役立つお話でした。


「ドラえもん」は、ロゴ1つとっても実に奥深い世界ですね。

ではまた。


●はと

はとがライドオンの巻
2021年6月23日

Google Photoで画像を発掘シリーズ。

今日は久しぶりにはとの写真だ。


・・・

電車に乗る、はと。


このあとどこへいくのかな?

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。


はとライフの巻
2021年6月2日


「はと」って書いてあると思わず見ますよね(見ないか)。


これなんて、はとの駐車場ですからね。絶対に停めますよね。


ほら。はとのタクシーですよ。絶対に乗りますよね。

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。


ごめんね、はとの巻
2021年5月13日


前回、「はとに襲われた話」をした。写真をよく見ると、


目に注目。


こっちを見てる!!!

最初から怒ってたのね・・

はと、勝手に撮ってごめんなさい

ではまた。


はとに襲われた話、の巻
2021年5月12日


唐突だが、今週ははとに襲われた。これは30余年に渡るはとウォッチ史上、はじめてのことである。

事の発端は、仕事で訪れた千葉県の木更津駅。キャッツアイで有名なところだ。

時間があったので、駅のコンコースをうろつく。
たまたま目の前にいた、かわいいはとのおしりを撮影して時間をつぶすことになった。

同行者(女性)がいたが、私ははとの撮影に専念させてもらった。完全に変質者だ。

おしりを見せるはと。やっぱりはとはかわいい。
しばらく撮影していると、このはと、突然ぶち切れ出したのだ。

すごく威嚇してくるはと。やっぱりはとはかわいい。
何度も何度も急降下。すごい勢いで私たちを襲ってくる。うわああああああ

襲い掛かってくるはと(本当に)。やっぱりはとはかわいい。
うん。怖い。マジで怖い。無言なのが余計に怖い。

たまらず逃げ出し、階段を駆け下りる私たち。

逃げながら、「はとは平和の象徴なのに」・・と、同行Mさんの言。時宜に適った大変な名言である。
私も思った。「やっぱりはとはかわいい」と。

ではまた。


はとショットの巻
2021年5月10日


iPhone8からGoogle Pixcel5に変えて、数年の間にスマホのフォト技術が上がりまくっていることに大興奮している。なかでも「ポートレート」機能はすごいね。人がこんなにきれいに撮れるとはね。リア充専用機能だね。

私は「はと充」であるから、はとでもポートレートが撮れるかを試してみた。

おお!!ちゃんとはとにフォーカスが当たっているではないか(AIで背景のぼかし処理が入っている)。

相当画質を落として載せたが、それでもこのクオリティ!

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。


●ライフハック&ハウツー

インターネットを高速化した話、の巻
2021年6月10日


J-PHONEから数えて20余年お世話になったソフトバンクの携帯をMNPして、そのままになっていたことがあった。家庭のネット回線が「ソフトバンク光」だったのだ。このままではオプションの割引がきかなくなり、月1000円くらいの出費増になる。

ちょうどネット回線の解約月だったのでそのまま光回線もどこかに乗り換えようかと思ったのだが、他社は他社で3年縛りだったり色々と面倒なので、今回は断念することにした。

ソフトバンクの携帯に加入していると、ネットをIPv6で接続できる「光BBユニット」と、ユニットをWi-Fiルーターとして使用できる「Wi-Fiマルチパック」、そしてIP電話の「BBフォン」がセットで550円(税込)になる。

しかし、ソフトバンクの携帯を解約すると同時に、これらのオプションはそれぞれにお金がかかるようになり、単純にBBユニット513円、Wi-Fiマルチパック1089円、BBフォン0円、計1602円がかかるようになってしまう。

「光BBユニット」は致し方ないとして、Wi-Fi機能を使うためだけに月1000円も払う必要もないので、これを機に「Wi-Fiマルチパック」と「BBフォン」だけ解約することにした(Wi-Fiを使うためには他社のWi-Fiルーターが必要)。

ここからは、「ソフトバンク光」で「Wi-Fiマルチパック」を解約し、「光BBユニット」を介して新しい「Wi-Fiルーター」でWi-Fiをつなぐまでの記録を書いていく。

■まずはWi-Fiルーターを購入

■Wi-Fiルーターが届いたら、いよいよ設定を開始する
(0)まずは、光BBユニット→NTTのONUの順番に一度電源を落とす。
(1)NTTのONU→光BBユニットはそのままつないでおく
(2)光BBユニットの「パソコン1」の端子と、Wi-Fiルーターの「インターネット」の端子をイーサネットケーブル(通信ケーブル)でつなぐ
(3)Wi-Fiルーターの物理スイッチを、RT(ルーター)ではなく、AP(アクセスポイント)またはBR(ブリッジモード)に切り替える。これをしないと二重ルーター状態になって接続ができなくなる可能性もある。「ソフトバンク光が急に遅くなった」原因が、ここでの設定ミスというのはよくあることのようなので、この手順は飛ばさないように留意したい。
(4)NTTのONU→光BBユニット→新Wi-Fiルーターの順に電源を入れる。
(5)必要に応じて、新Wi-Fiルーターの初期設定を行う(私の機種の場合は数十秒ほどで自動設定が完了)。
(6)手元のスマホなどから、初期値のSSIDとパスワードを使って、新Wi-Fiルーターでネットにつながるか確認する。

問題なくつながれば、次の手順へ進む。続いて、これがまた重要なのだが、

■これまでのSSIDとパスワードを引き継ぐため、今まで使っていたSSIDとパスワードを、Wi-Fiルーターに割り当てる
今はどの家庭でも、ものすごい量の機器がWi-Fiでつながっていると思う。Wi-Fiルーターを交換するたびにデフォルトのSSIDやパスワードを設定しているのでは、大変なことになる。

例えば今、家の中でWi-Fiにつながっているガジェットをざっと見まわしただけでも、

スマホ(Pixel5)
スマホ(AQUOS Sense 4)
スマホ(iPhone6)
スマホ(iPhone8)
スマホ(iPhone SE2)
タブレット(iPad mini 4)
タブレット(iPad Air 4)
タブレット(Amazon Fire7)
PC(Lenovo)
PC(Microsoft surface)
PC(Fujitsu FMV LIFEBOOK)
PC(TOSHIBA Dynabook)
PC(Fujitsu FMV)
PC(TOSHIBA Dynabook)
ゲーム機(Nintendo 3DS LL)
ゲーム機(Nintendo Switch初代)
ゲーム機(Nintendo Switch Lite)
ゲーム機(Wii U)
アクセサリ(Amazon Fire Stick)
・・・と、スマホ5台、タブレット3台、PC6台、ゲーム機4台、アクセサリ1台、計19台もあった。これらの設定を全部替えるのはいくらなんでも大変すぎる。

そこで、購入したWi-Fiルーターの会社のウェブサイトなどを参考に、ルーターの設定画面に入り、SSIDとパスワードを「現在使っているもの」に変更するのだ。もし、5Ghz帯と2.4Ghz帯両方の設定ができるのであれば、両方設定してしまうとよい(それはそれで問題があるという説もあるが、ホームユースであれば問題はないと判断)。

すると、今までと変わらずに(ガジェット側の設定は不要で)そのままWi-Fiを使うことができる。これは非常に便利なので、ぜひ実行したい。
設定を変更したら、これまでと変わらずにネットにつながるかどうかを手元のスマホなどで確認しておく。

無事につながればこれで終了・・・といきたいところだが、このままでは「光BBユニット」のWi-Fiで電波がつながっているのか、「Wi-Fiルーター」でつながっているのかが実は分からない。実際はBBユニットの電波とWi-Fiルーターの電波が併存していても、理論上は「ネットがつかえない」ことはないのだけれども、機器間で干渉が起こるなど、接続が不安定になる可能性もある。ここではじめて「光BBユニット」から「Wi-Fi機能」を奪う手順に進むのだ。これで光BBユニットのWi-Fiを使う必要はなくなるので、「Wi-Fiマルチパック」の解約が可能となる。

■「光BBユニット」のWi-Fi機能を停止する
基本的には本体の物理ボタン(「機能」ボタン)の長押しでOK。設定画面からも可能。詳しくは、ソフトバンク光の公式サイトの記載を確認する(いずれにしても、1分とかからない簡単な作業である)。

「光BBユニット」のWi-Fi機能を無効化したら、引き続き、同じSSIDとパスワードでネットにつながるかどうかをもう一度手元のスマホで確認しておく。これで問題なくつながれば、いよいよ「Wi-Fiマルチパック」の解約である。

■最後に、「Wi-Fiマルチパック」を解約する
「ソフトバンク光」版のマイソフトバンクから、オプションの変更へ進む。特に引き留めもなく、電話も不要で、基本的に数クリックで解約が可能。なお、翌日には解約される(料金は当月分全額)。

■スピードはほぼ「倍」以上に
住んでいるマンションが築20年くらいなので、残念ながら「マンションタイプ」(ハイスピードではないので最大で100Mbps)の契約をしている我が家。Wi-Fiも、「2.4Ghz帯」しかないタイプの「BBユニット」だったので、回線速度(下り)は光だというのに24~30Mbpsくらいであった。

もっとも一般的に、

テキストベースのWebサイトの閲覧が「1Mbps」
オンライン会議や720p(HD)のYoutube視聴が「3Mbps」
1080p(FHD)のYouTube視聴が「5Mbps」
4K動画の視聴が「25Mbps」
と言われているので、これでも動画を見るのには十分で、特に不満があったわけではないのだが。

ただ今回は「5Ghz」「2.4Ghz」双方に対応し、それなりに新しくて速い(さすがに元回線が100Mbpsなので1Gbps対応とはいえWi-Fi6ではないが)のWi-Fiルーターを購入したので、一気に64Mbpsくらいまで出るようになった。ほぼ倍である。

買ったばかりのiPad Airで試してみると、もともと表示の速いWebサイトが、明らかにさらに表示が速くなった印象を受けた。プラシーボ効果かもしれないが、これは本当に速い(実はキャッシュのおかげなだけかもしれないが)。

もともと、Windows95の「テレホタイム」からインターネットに入ったクチである。あの頃はADSLになっただけでその爆速ぶりに驚いていたので、本当に隔世の感が強い。

これがもし、「ハイスピード」とか「ギガスピード」とかだったらどうなってしまうのだろう。マジでDLとか一瞬なんでしょうね。いいなぁ。

以上、インターネットを高速化した話でした。最近の格安携帯ブームで、「ソフトバンクを解約したけど、そういえば光のオプション料金が爆上げしてヤバい。どうしよう」的な人っていらっしゃると思うので、参考にいただけたら(特に検索で来られた方!)嬉しいです。

ではまた。


子どもが自転車に乗れるようになる方法、の巻
2021年5月30日


「ストライダー」というのがある。足漕ぎ自転車だ。
リアルの口コミでも、Web上での評判でも、「ストライダーに乗っていたから、わが子はあまり練習しなくても自転車にはすぐに乗れました」という声は非常に多く聞く。

「自転車の練習」というと「パパが後ろの荷台を押さえて一緒に走り、子どもが『パパ、絶対に離さないでよ。絶対だよ』と言って何度か転んでいるうちに自然と乗れるようになる」的なステレオタイプが認識されがちだ。私もそう思って、基本的にはそう指導してきた。しかし、最後に我が子が自転車に乗れたきっかけは、ストライダーだったのだ。「子どもが自転車に乗れるようになるために必要なこと」そして「我が家ではどうしてきたか」を記録した。

1.自転車に乗れるようになるために必要な5つのこと
(1)進む方向を見ること
下を見たり、横を見たりしているうちは絶対に安定して走れない。三輪車でも補助輪付き自転車でもなんでもいいから、「見た方向に進む」ということは早いうちから体得させておきたい。何か目標物を示して、「あの木に向かって走ろう」とか、「あそこにママがいるから、ママの顔を見て運転してみよう」などの声掛けが有効。

(2)「足で蹴って進む」感覚をつけておくこと
実は、「足で蹴って進む」動作と、「ペダルを漕ぐ」動作は似ている。むしろ「足で地面を蹴って進む」エネルギーをペダルの回転エネルギーに変えたのが自転車のペダルである、とすらいえる。ストライダーに乗っている子が強いところはまさにここだ。補助輪付き自転車では、この「足で蹴る」が練習できないので、どうしてもその感覚を身につけるのに時間がかかる。補助輪を外すときは、最初にペダルも外して「ストライダー化」して練習するのもありだろう(我が家はペダルは外さなかったが、足で蹴る練習はさせている。委細は後述する)。

(3)ハンドルさばきの感覚を覚えること
子どもにとって自転車は、下手すると自分の体重ほどもある重たい道具である。最初はハンドルをさばくのも一苦労。「足で漕ぐ」ことに加えて「手と体でバランスをとって」進行方向にタイヤで推進していく乗り物が自転車だ。誰もが「漕ぐ」ことに意識を集中させがちだが、「手と体でバランスをとる」ことも等しく重要になってくる。これも、「足漕ぎ」をするときに同時に慣れさせておきたい(足漕ぎは、自転車全体を手の力で操らないといけないので、自然とハンドルさばきが上達するのだ)。

(4)スピードを出せること
ご承知の通り、自転車はスピードが落ちてくるとバランスを取りにくくなる乗り物である。すなわち、「スピードを出すことでバランスが取れる乗り物」なのだ。したがって、「スピードを出す」ことに慣れておかなければならない。補助輪付き自転車であれ、ストライダーであれ、とにかく「怖がらずに勢いをつけて走る」ことを意識させたい。できるだけ最初は「足がぴったりとつく」乗り物で、一定のスピードを出すことを怖がらないようにしておきたい。転ぶのは、たいてい、スピードを落とした時である。

(5)何よりも、「乗りたい」と本人が思うこと
上記の(1)から(4)までは、あくまでスキルの話である。スキル×メンタル=実力であって、メンタルが0だったら何にもならない。すなわち、いくら親に強制されても、本人はちっとも乗れるようにはならないのだ。「幼稚園や小学校でお友達が補助輪なしで乗れていた」という外的刺激に頼るのもよいし、それとなくストライダーやお気に入りのデザインの自転車などを与えて「乗ってみたい」と本人に思わせることもありだろう。本人に「やりたいと思わせるようにおぜん立てする」ことが、実は唯一にして最大のポイントなのである。これはあらゆる習い事、初期段階の教育全般に言えることではないか。

2.どのように覚えさせていったか(我が子の事例)
(1)1歳
 家の中の乗り物(アンパンマンのカートなど)を与え、足で漕ぐ「乗り物」の楽しさを感じてもらう。

(2)2歳
 家の外の乗り物(三輪車)を与え、足でペダルを漕ぐ経験をさせるとともに、「乗り物」の行動範囲を広げる。最初は補助棒でサポートし、脚力がついてコツをつかんできたら自分で漕がせる。

(3)3歳
 補助輪付き自転車を与え、足でペダルを漕ぐ「乗り物」の経験値を上げる。最初はごく近所からはじめ、慣れてきたら徐々に公園レベル、できれば公道を含んだ片道1キロ程度までを自分で漕げるように導いていく。

(4)4歳
 自転車の補助輪を外し、まずはストライダーのように「足漕ぎ」で操らせてみる(ペダルは外さなかったが、外すのもありかもしれない)。徐々にバランス感覚が身についてきたら、自転車の荷台を押さえるなどで「自分でペダルを漕ぐ」練習をはじめる。このとき、声をかけるとしたら、
・「必ず前を見る」(パパが荷台、ママがゴールにいて、「ママのほうを見て運転しようね」というと効果的)。
・「設定したゴールまで止まらせない」(「漕げば転ばないよ。とにかくスピードを出してみよう」というと効果的)。
 1回15分くらい×4、5日程度やると、かなりできるようになってくるはずだ。

(5)4歳半くらい
 非常に多くの自治体で、「交通公園」というのが整備されている。大抵は自転車の貸し出しがあって、さらに実際の公道のように信号や横断歩道、標識や踏切が整備されている。いわば「子ども版自転車教習所」である。ここへ出向き、練習あるのみである。我が子の場合、まずはストライダーを借りて、約30分、ひたすら足漕ぎをして道路を走りまくった。(4)の段階で「足漕ぎ」の感覚をつけていたので、ものの5分ほどでスムーズに運転できるようになった。本人は大喜びだ。
 次の30分で、本人の希望もあって補助輪なしの自転車に挑戦である。このとき、できるだけ足がぺったりとつく安心サイズを選び、本人の緊張感を取ることがポイントである。しかし驚いた。親のサポートなしで、いきなり乗れたのである。スタートこそ最初は補助が必要だったが、それもものの5分で不要になり、あとは乗れるうれしさで、ひたすら時間いっぱい、自転車に乗りまくっていた。

3.乗れるようになったら、何に気をつけるか
 これには2つある。1つは「初速」である。自転車に一度乗れるようになれば、基本的には「進む方向を見る(意識する)こと」「バランス感覚」「ハンドルさばき」などは自動的にできるようになる。唯一未解決であろう問題は「漕ぎだし」で、ここで思い切り力を出して漕げるかが、1つのポイントになるのだ。最初のうちは「漕ぎだしのときに親が押してやる」とか、「最初から思い切り漕ぐんだよ」「足で蹴ってスピードを出してから乗ろう」という声かけが必要になる。ただ、それもすぐに不要となっていく。一度乗れだしたら、あとはもう、大丈夫だ。
 もう1つは、「ブレーキ」だ。最初はブレーキ操作まで頭が回らず、足で自転車を止めることが多い。しかし、それでは危険なので、安定して走れるようになってきたら、「手のブレーキを使おうね」ということはしっかり声掛けしたい。公道を走るのは、「手のブレーキ」を操れるようになってから、である。

ではまた。


●レビュー

お茶の本の巻
2021年6月21日

お茶の専門店、ルピシアの出しているお茶のバラエティーパック「the Book of Tea」(以下、BOT)。

少し前に、「旅」をテーマにした「BOT BON VOYAGE(ティーバック30個入)」が出て、すっかりその虜になったわけだが・・・

その最新版、「BOT 100」が登場した。「100」ということは、そう、ティーバックが100個である。100個!!


とにかくサイズがでかい。前作と比べると、iPad と iPad Proくらいの差はあるのではないか(適当な例え)。

そして中身。見よ、このいかにも「インスタ映え」しそうなカラーリングを!!ふたを開けた時、思わず叫んだね。「グラデーション!」って。


この色を見ただけで「うわ!おいしそう。好き!!」となるのである。もう、ルピシア好きとしてはイチコロよ。


そしてみてごらんなさい。このいかにもスイーツな感じのお茶。スイーツ×インスタ的なこのネーミングセンスよ(あ、ほめています)。

ルピシアのお茶は、香りが高くて、それでいて味はさっぱりしている感じで私はとても好みである(たぶん、香りと同じ味がずっとしていたら途中で飽きてしまう。ちゃんと上品な香りに「お茶の味」がしっかりしているから、ルピシアのお茶は好きなのだ)。

100種類もあると、どれから飲もうか本当に楽しみである。

・・・という、ただ単に「おいしそうなお茶が届いてうれしかったよ」というお話でした。
ではまた。


今日のエンタメの巻
2021年3月20日


このサイトでは非常に珍しく、エンタメ分野の話題についていくつか書きたいことがあるので勝手に書く。

1つ目が、内田英治監督『ミッドナイト・スワン』の日本アカデミー賞受賞!!最近見た邦画の中で群を抜いて素晴らしい作品(原作も)だったので、巷に言われるような「忖度」抜きで正当な受賞をして本当に良かったと思った。

唐突だが、鴻上尚史さんの著書『ロンドン・デイズ』に大好きな一節があるので引く。

「差別に対する心を完全になくすということは不可能だろう、と僕は思っている。ただ、差別に対して無自覚なレベルと、私はひょっとして差別しているんじゃないかと意識できるレベルとは、雲泥の差がある」

社会で生きていくときに絶対必要な「謙虚さ」、「自身の正義感覚の相対化」、「自己万能感への制動」といった要旨が散りばめられた、含蓄に富んだ金言である。私は手帳にメモして、何度もこの言葉を反芻して生きている。

『ミッドナイト・スワン』は、所謂トランスジェンダーを取り扱った物語だが、この作品には、一切の「説教臭さ」がなかったことが特筆に値する。ただただ、そこには「あるトランスジェンダーと、その周囲の人間が抱える<事実>」だけが描いてあった。私は、この「事実」が大切だと考える。

あくまで私の解釈だが「人は、その人でないとわからない領域というのが必ずある」というのがこの作品の主題だったように思う。それを100%分かりあうことはできないのだ。その境遇に共感したり、「そういう人がこの世のどこかにいる」ことを認識することはできる。しかし、それが限界であり、それを超えてかかわる(同調する)のは、むしろ偽善ですらある、と私はこの作品によって強く思い知らされた。

「自分は何も知らない(あるいは、知らないことがまだまだたくさんある)ということを知ること」と「それでも、自分には関われない領域があることを知る」ことが重要なのだと最近とみに思う。その中には、「無知によって、誰かを知らずに傷つけているかもしれない」という感覚も含む。

例の「日テレ民族差別騒動」とか「オリンピック開会式ルッキズム騒動」なんかを見ていると、おそらく作り手の「社会の中での謙虚さ」というのがすごく大切なのだろうな、と感じるのである。

「社会に関わっていくときの、ある種の謙虚さを持つことの重要性」をこの作品は静かに訴えているのだ。

2つ目が、Adoさんの『うっせえわ』のMV(YouTube)が1億再生を突破したというニュース。

「若者が現代社会に反発するソング」というのは、ジャンルとしては昔からよくあるわけだ。ただ昔は「現実に不良(ワル)になる」という具体化方向の反発という歌詞に走っていたのが(ビジュアル的には初期の金八先生のイメージ)、この作品では終始「心の中では反逆者(ワル)になる」という形而上的な概念として反発していて「具体的な行動には至っていない」というところが、実に現代的なのである。要するに「よい子」なのだ(実際に行動したら仲間内もしくはSNSで大炎上してハブられることなど、今の若者は織り込み済みなのだ)。曲も韻の踏み方もいかにも若者受けしそうである。

このようなムーブを批判する向きもあるようだが、まあ、この「反発する感じ」はすごく共感できるし、反対する議論というのも古今東西ずっと繰り返されてきた「今どきの若者は」議論と何も変わらない。まさに「歌は世に連れ、世は歌に連れ」ではないか。まあ、こんなことを私が言ったところで、「うっせえわ」なのだろうけど。

以前も書いたが、大正時代の広告に「これからは国際化、英語の時代!」と書いてあったのと同じで、いつでも若者は現代社会に反発するし、大人はそれに眉をしかめるものだし、いつまでも「国際化、英語の時代」と言われ続けるのである(昔はこの「英語」が漢語だったりポルトガル語だったり、ドイツ語だったりしたわけでしょう)。

ではまた。


「幼稚園」の付録の巻
2021年3月10日


最近の付録ってのは、すごいね。子ども向け雑誌の付録の凝りようがすごいというのは聞いていたが、まさかここまでとは。


「スピードくじ ひきほうだい。ドラえもんバージョン」である。

早速組み立ててみた。どう考えても幼児1人では組み立てられないので、工作自体は大人向けだ。


なんだかコンビニっぽいでしょう。
くじもこんなにリアルなのだ。


コードが「1293」(ドラえもんの身長「129.3cm」より)というのもいいでしょう?


さて、A賞は「どこでもドア」型ポスタースタンド。私は工作が苦手なので組み立てるのがめちゃくちゃ大変だったが、予想以上にリアルなどこでもドアで大満足である。


開けてみると、「宇宙小戦争2021」のポスター。企画時点ではすでに封切られていたはずなので(コロナで上映延期)、少し切ない。


「ショックガン」も入っていた。なんと、輪ゴムを3連発できる優れもの。すごい飛ぶので普通に楽しめる。


こういうキャラフィギュアも入っているので、「ショックガン」の的当てに使える。


ここで気になるのが、ゲストキャラクターの「パピ」の容姿である。36年前の原作ではこんな前髪生えていなかったぞー!!


現代版「パピ」

もともとの「パピ」(映画DVDパッケージのスクリーンショット)
さらに、結果として公開前になってしまったので付録によってネタバレになってしまったのだが、新キャラクターとして謎の宇宙人、ピイナが存在することが発覚してしまった!うーん・・・これで「宇宙小戦争2021」が原作そのままではないことが確定である。


「鉄人兵団」で活躍した「ミクロス」が、「新・鉄人兵団」ではまったく出番がなかったのと同様、「宇宙小戦争」で活躍した「ロコロコ」が、「2021」では出てこない・・となったらどうしようとすごく心配になったのだが、来場者特典が『ロコロココミック』(コロコロコミックのもじりである、念のため)だというからあまり心配はしていなかったのだが、こういう新キャラ登場というのは、どうも原作ファンをドキドキさせるのである。

まあいいや。最後に最高の景品(D賞)がこちら。


ジャイアンのサイン入り色紙!「剛田たけし」の文字がイカすぜ!

ではまた。


濡れない!の巻
2021年2月28日


風呂のバスマットが汚くなったので、今色々と話題の珪藻土マットに変えてみた。

Amazonで頼んで、届いた第一印象は「重い・・・」

とりあえず裸足で踏んでみた第一印象は「冷たい・・・」

印象に引っ張られ、「吸水がいいっていったって、まあ、期待し過ぎないでおこう」って思うわけですよ。

そんな感じだったが、風呂上がり。驚いた。足踏みするだけで足がカラッカラになるのね。

洗面所がここまでビチャビチャにならないとは。こりゃあ、すごいなんてもんじゃない。

このサイトは別に広告サイトではないのでリンクも何も、どのメーカーを買ったのかも書かないけれど、いやぁ・・・試してみるもんですね。「食洗機」「ルンバ」と並んで「QOLを買えるホームグッズ選手権」には参加できるね、こりゃ。

ではまた。


身近なシャワーの巻
2021年2月16日


NHKの「攻略!ABCニュース英語」という番組がすごくよかった。

ABCニュースの抜粋を、概要解説→キーワード紹介→「英語字幕つき」→「日本語字幕つき」→「字幕なし」→キーワード解説→「英語字幕つき」で都合4回も繰り返して聴ける番組なのだけれど、5分と短い上にとにかく端的。

これ、本気で毎日聞いていたら英語力つくんじゃないかしら。ニュースも分かるし。

国際的なニュース素材そのものを掴みたい場合は、「CNNスチューデントニュース」が愉快だ。

結構、学びのタネというのはころがっているものである。

ではまた。


●健康

「必要」と自分認定しないことで心が軽くなる話、の巻
2021年6月24日


組織には「必要」「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」という評価分類が厳然とあって、「いてもいい」なのに「必要」と錯覚すると過労が生まれ、「いなくてもいい」なのに「必要」と錯覚すると軋轢が生まれ、「いなくていい」なのに「必要」と錯覚すると無駄が生まれるわけです。これはお互いにとって不幸なことのわけですが、表立っては「あなたは必要」としか誰も言ってくれないので、結局は自分が「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれなのかは判断しないといけないのですね。ちなみに間違っても「必要」と自分認定してはなりません。普通はどんなに上位の評価でも「いてもいい」が最高ランクでしょう。

「いてもいい」の人は、もっと自分の心と体を守ることを考えましょう。「いてもいい」は容易に「いなくてもいい」に転化します。どれだけ尽くしたところで、いずれもっと若くて勢いのある人に乗っ取られますから。

「いなくてもいい」の人は、もっと面従腹背の精神を鍛えましょう。「使えそうだから置いとくだけ」から脱却するには、プラスアルファ、「組織に従う」精神が必要だからです。動機はどうあれ、結果的に「白といえば黒も白」にできるかどうかが「いてもいい」と判定されるか否かの分岐点になりましょう。

「いなくていい人」は、おとなしくしているのが得策です。おとなしくしてさえいれば、容易に「いなくてもいい」判定を受けることができるでしょう。「いなくて」と「いなくても」の境目は、要は「空気を読んでいられるか」ということの違いになります。

まかり間違っても自分がある組織にとって「必要」と自分認定しないこと(評価は常に他者が下します)が秘訣です。むしろ常に「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどこに自分がカテゴライズされていくかを察知しておくことを重視しましょう。これが結局は幸せに生きていくための道標となるように思います。

自分が別に「必要」じゃないと思えれば、風呂敷残業、休日の電話対応、有給の日の仕事、その他あらゆる「無賃仕事」に精魂を込めることがどれだけ人生を切り売りすることかが見えてきます。

そう考えると、少し心が軽くなってきませんか?

ではまた。


あまりにも毎日おなかが痛いのでいろいろ試した話、の巻
2021年6月22日


毎日おなかが痛い。どう考えても胃腸がおかしい。

治すためには、結局「よい食事」「よい睡眠」「よい運動」で「ストレスをためないこと」しかない。「ストレスをためないこと」は単独では難しいので、まずは「よい睡眠」「よい運動」に取り組むことにした。

よい睡眠・・・枕を変え、寝具を変え、睡眠時間をだいたい8時間くらいにした(23時就寝7時起床)。夜食も絶ち、寝る1時間くらい前は電子機器の刺激も極力避けるようにした。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

よい運動・・・水泳をはじめた。無心で泳ぐ。サイクリングもはじめた(電動自転車だが)。数駅分くらいの距離をできるだけ往復して移動するようにした。無心で漕ぐ。確かに頭はすっきりした。脳の疲労は確実に減衰。ただ、おなかは痛いままだ。

残るは「よい食事」である。玄米食など低GI食品の摂取、野菜から食べ始めることの励行(血糖値を上げすぎない)。夜は冷たい飲み物ではなく、できるだけ暖かい飲み物(ルピシアにハマっているのだ)で体を温める・・いろいろとためしてみた。ただ、おなかは痛いまままだ。

これは根本的に腸内環境を整えなければならない。疲れやすいのも花粉症がひどいのも、どうも腸の機能が原因のような気がしてならない。

・・ということで、「善玉菌カモン!栄養も補給するぜ作戦」をスタートすることにした。

飲みだしたのは「プロバイオティクス」の善玉菌製剤と、「プレバイオティクス」の(善玉菌への)栄養剤だ。
具体的には、「新ビオフェルミンS」「強ミヤリサン」そして「エビオス」である。


ビオフェルミンはご承知の通り、「乳酸菌のくすり」の代表格のようなものである。
●小腸に棲みつくアシドフィルス菌は、乳酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
●同じく小腸に棲みつくフェーカリス菌。腸内フローラの安定化に寄与。
●そして大腸に棲みつくビフィズス菌。乳酸と酢酸を生成し、悪玉菌の増殖を抑制。
こうして書いているだけで、おなかの痛みが吹っ飛びそうである。

続いてミヤリサン。よく、胃腸科で処方される薬に「ミヤBM」「ラックビー」というのがあるが(腹が弱い人にとっては聞きなれた薬だろう)、「ミヤBM」の「ミヤ」が、「ミヤリサン」の「ミヤ」である(ちなみにラックビーは「ラクトミン(乳酸菌)」である)。
「ミヤリサン」は、「宮入菌」という酪酸菌の製剤で、1933年に千葉医科大学(現・千葉大学医学部)の宮入博士が発見した日本発の善玉菌。抗生物質や胃液にも耐える強さを持ち、さらに腸の中で増殖し、酪酸を産生すると特徴がある。この酪酸は腸自身のエネルギーとなるだけでなく、腸内フローラの安定化に寄与しているとても素敵な菌なのであった。

ビオフェルミンとミヤリサンを併用することで、おなかに継続的に善玉菌を補給し続けよう、という作戦である。

さて。さらにそこにパンチパワーを加えたい。胃腸の調子を整える&栄養補給をするサプリメントといえば、ビール酵母の「エビオス」である。なんと2020年で発売90周年という超ロングセラー商品でもある。40種類の栄養成分(ビタミン、アミノ酸、ミネラル、食物繊維など)が含まれるという。

ちなみに今、1回の食事で16錠の薬を飲んでいる。エビオスが1回10錠という初見殺しのパンチを利かせているので、どうしてもこうなってしまう。


毎回のどにつかえる量だ。事情を知らない人からみたら、「え?ちょっと大丈夫?」的な量である。繰り返すがこれ、1回の量だ(つまり1日で48錠ということ)。

***

これらを飲み始めてから3日ほどたった。あれほど毎日ゆるかったおなかが、どうだろう。ゆるくなくなった。そして・・・おなかが痛くない!!! おなかが痛くないよ!!!!!

・・と、数日だけではプラシーボないしは偶然の可能性もあるので、もう少し続けてみよう。何となくいつもおなかがいっぱいな気持ちがするのは・・・気のせいかな。それとも効いているのかな?

でもとにかく、「おなかが痛くない」のは事実。「おなかが痛くない」って快適だなぁ。やっほう!

ではまた。
(私は医学専門家ではありませんので、個人の感想としてご覧ください)


心を穏やかにする方法、の巻
2021年6月4日


メモ。

(1)期待値を下げる
(2)他人に求めない(期待しない)
(3)努力と結果は正比例しないことを認識する
(4)他者への尽力は直接の返報を意味しないことを認識する
(5)他者はとりあえず「利用できる」場合においてのみ自己を欲すると思え
(6)すべては「今」と「未来」であり、過去の関係性に拘泥するのは概ね無意味である
(7)1つのことだけに特化せず、できるかぎり迂回路を準備して「逃げ出せる」準備をしておく
(8)「寄らば大樹の陰」「長い物には巻かれろ」であるが、寄るところ・まかれるところは間違えるな
(9)コミュニティ内の最大の影響者には決して逆らわず、面従腹背でもよいからゆめ嫌われないようにせよ
(10)自分の気持ちに正直に、今やるべきだと思うことにだけ100%の力を発揮できるようにコントロールせよ

要は、「他者に何かを求めるな」ということですね。

ではまた。


プラシーボの巻
2021年5月20日


以前、「安眠枕を買った」と書いた。
「すごくよく眠れるようになった!!」と書いたが、
今日気づいた。

向きが逆だったのだ。
1か月くらい、そのままで寝ていた。

店員さんに、「向きが逆だとまったく意味がないですから、ラベルに注意して使ってくださいね」と言われていたのに。

しかし、この1か月で肩こりは改善するわ、寝起きはいいわ、いろいろ変化してきたのだ。
しかし、逆だったとは・・・

思い込みの力って、すごいね!

ではまた。


シングルタスクの巻
2021年5月11日


最近、あまりにも疲れやすかったので、睡眠や自律神経に関する専門家の本を読んで、いろいろ実践してみることにした。ストレスを「ためない」のではなく、「そもそもつくらない」くらいの意気でいないとつぶれる。

あれこれ考えていて、1つ、キーワードを発見した。「シングルタスク」だ。

仕事中だけみても、メール・電話・相談事・Teamsの通知・Skypeチャットの呼び出し・来客・・と様々なマルチタスク要因が登場する。休んでいるつもりでも、スマホから何から、阻害要因が多い。寝る時ですら、電気をつけっぱなしで気絶してしまうということもよくある。

日ごろ、「集中」してなにかをやるということは本当に少ないと気づいた。

敢えて、「1つのことだけ」をやりきる時間をつくる。「ながら」を極力減らす。それだけでかなりストレスが減るのではないか。主導権を自分に返す的な。

・寝る時は「寝ること」だけに集中する
・トイレでは「出すこと」だけに集中する
・通勤時は「歩くこと」だけに集中する
・電車の中では「外の景色を見ること」だけに集中する
・メールを見る時間、電話をする時間、Teamsの通知を確認する時間・・など「それだけを見る時間」を作る。原則、決めた時間以外では電話を見ないようにする(例えば昼食時は電話を置いて外に出る)
・食事中は「食べること」だけに集中する
・1つの仕事を1時間単位で区切り、原則その仕事だけに集中する(10分を小休止、5分をバッファーに充てて、45分間の仕事量にして調整する)
・帰宅したら、「脱ぐこと」「片づけること」だけに集中する(ダラダラしない)
・風呂では「洗うこと」「温まること」だけに集中する
・スマホでニュースを見るなら、「ニュースを見ること」だけに集中する

今日やったのはこれだけだが、これでかなりすっきりと生活することができた。自分でもびっくりするのだが、1日の終わりで全然疲れていない。これはいいかもしれない。

「マルチタスク」デトックスである。
「ながら」解消。いつかリバウンドしたら怖いが、ちょっとこれでやってみよう。

ではまた。


●小ネタ

3分勝負の巻
2021年6月19日


「3分」という時間があったときに、構想も含めてどのくらいの文章が書けるのかの実験。

30秒与えられた場合。

ストップウォッチで30秒計りながら文章を書いている。意外とタイプミスが多くて、ちゃんとした文章

うーん・・・意外とタイプミスの修正に時間がかかるものだと知る。頭の中にある文章が、そのままディスプレイに表示されるわけではないんだねぇ。

続いて1分。

我が家では「ホームベーカリー」を購入した。作る段階になって、やれ水を正確に測れだ、どうのといろいろ面倒くさい。「ソーダ製造機」にも憧れるのだが、結局こういうのは準備が大変になって

お!1分もあると何となくそのあとの展開が想像できる文章が書けるものだ。「ホームベーカリー」「ソーダ製造機」「ビールサーバー」など、憧れるけれど、実際にやってみるとなかなか続けるのが難しい・・的な文脈になりそうなことが想像される。

そして3分。

水泳をはじめた。泳ぐ。家に帰る。体力がないので、疲れて寝てしまう。ただ、起きると異常にすっきりしている。その理由はおそらく、頭が空っぽになっているからだろう。無心に泳ぐ。そんな時間が自分には必要だったようだ。

日常生活でくさくさすることがあって、半ば衝動的に通い始めたのだが、いざはじめてみると「無心になれる時間」のありがたさに気づく。ストレスをスマホいじりで解消しても、頭が疲れてしまって精神の休息にはならなかった。体を酷使して、「疲れ」によってその他が入り込む余地をなくす。これがよかったようだ。

この生活を続けることで、前向きな気持ちで生きていけるのだろうか。ちょっと楽しみであ

時間に比較的余裕があるとわかっていると、安心して文章を書くことができる。推敲はまったくしていないので文章のつながりや、導入部の盛り上がりなどは不十分な気がするが、3分あると、とりあえずは中身がそれなりに通じる文章になるということがわかった。

とはいえ、思いつくままに書いたとしても、3分で290文字である。だいたい、音読で300文字/分、黙読で600文字/分を平均とすると、「打った文字」は「声で読む文字」の半分くらい、「黙読の文字」の1/6なのだ。

かくて書くのは、時間がかかる。

ではまた。


存在感の巻
2021年6月17日


もうすぐ父の日ですね。


・・・


面積的にママの1/10ほどの存在感ですが、
がんばって家を支えようと思います。

ではまた。


大人版「こんなこいるかな」の巻
2021年6月16日


昔、NHKで「こんなこいるかな」というのがあった。なんでも嫌がるいやだいやだの「やだもん」、怖がり屋の「ぶるる」、いたずらっ子の「たずら」、忘れん坊の「ぽっけ」、食いしん坊の「もぐもぐ」など、様々なキャラクターが登場した。

その大人版を考えてみた。

なんでも背負っちゃう、似非リーダーの「ニセボス」。自分は何者でもないのに、「自分がいないと組織が回らない」と本気で思っていて、人を常に見下している。気に入らない人については「あの人使えないから変えて」と架空の人事権も発動。頼んでもいないのにサービス残業を率先して行い、自分より多く休みを取る同僚を勝手に敵視。周りからはいつも白い目で見られています。

うーん・・のっけから話が重たくなってきたぞ・・・

ビジョンを語って中身が空っぽ、いつも笑顔の「ウサンクサ」。古今東西、理念だけに囚われると碌なことにならないものです。「金を儲けたい」でもいいから、「自分のために」という動機がはっきりしていたほうが、よほど信用できるというもの。理想だけを追求していくと、その理想を実現する理由が「その理想を実現するため」というトートロジーに陥って、「平和のために暴力を厭わない」類の、地獄のような「正しい社会」になってしまう。でもそういうタイプの人って、いますよね。

だめだ・・どうしてもブラックな方向になってしまう・・

自分の地位さえ安泰ならばあとは野となれ山となれ、権力に阿る「ソンタック」
上だけ見ます、下のことなど知らん! 権力大好きな「ヒラーメ」
あれ・・だんだんオブラートが取れてきた・・・

自分を守る「嘘つき」
大切なのは自分の金「守銭奴」
見かけは善人「詐欺師」
都合よく七変化「裏切者」
白といえば黒も白なり「腰巾着」
IT後進国の真骨頂、教えてもらうのはタダだと思い込む「時間泥棒」
うーん・・・

きっとね
きっとね
きっと変わらない
悪い子 たくさん いやがるぜ

ずっとね
ずっとね
ずっと変わらない
人の性

ではまた。


注意書き社会の巻
2021年6月3日

以前、最中のことを書いた。


「口が乾いていると最中の皮が貼り付くことがあります」

うん。確かに。気をつけて食べよう。

こんなグミもみつけた。


「食べる前には手を洗いましょう」

うん。確かに。グミは直接手で触りますものね。

・・・さて。まるで幼稚園児扱いですけれども、もしかしたら「おい、最中が口の天井にくっついたぞ。どうしてくれるんじゃ」とか、「おい、手を洗わずにグミを食べたら翌日腹壊したぞ。」という謎のクレームが連日連夜続いていて、その対策のために「パッケージに注意書きが書いてございます。ご賞味の際、お口は十分に湿っていらっしゃいましたか?」とか、「説明書の通り、食べる前に手は洗われましたか?」と対応する想定なのだろうか。

だとすると、やっぱりそれって幼稚園児よね。

ではまた。


面従腹背かるたの巻
2021年5月8日

あ 新しい 考え 潰され 消されるの
い いつの世も 得をするのは 上級国民
う 美しい 言葉の裏に 偽善あり
え 絵にかいた ような地獄絵 目の前に
お おしまいだ 命より金 そんな世は

か 課金だよ 生きてる限り 重税よ
き 聞きたくない 見たくもないよ 似非美談
く 苦しさを 外にぶつけて 潰しあい
け けったいな イベントありて 国滅ぶ
こ 国民の ためというのは 言葉だけ

さ さすがです 心の中では 知ってるよ 
し 知らないよ 見捨てるよ 自己責任
す すっかり慣れた 自粛自粛と いう言葉
せ せっかくの 自粛が無駄に やる気ゼロ
そ その通り 理屈はわかるが できないよ

た 楽しくない 面白くない つまらない
ち 「力を合わせて」 掛け声だけは ワンチーム
つ 疲れたな ああ疲れたな 疲れたな
て テレワーク 付き合う企業 減ってゆき
と とりあえず 繕う施策 すべて無駄

な なんにでも「コロナと五輪」で予算つく
に 人間の 限界超える 情報量
ぬ 塗りつぶす まずい情報 残業で
ね 年齢で 差別されます 予防接種
の ノー残業 ノー貯蓄 ノー未来

は 働けど 増えることなし 手取りかな
ひ 必要な 人から消えてく 職場かな
ふ 増えるのは 無駄なお仕事 ばかりなり
へ 変なこと 変と言えない この世かな
ほ 報告は いつもいいこと ばかり言い

ま 待っている 結論出るまで 遅すぎる
み 「みんなで」と何でもかんでもディベートで
む 無理するな 声かけだけは ホワイトで
め 面倒を 押し付けるほど 出世して
も もう限界 無理難題が 降りかかる

や やっぱりね 誰もが予想 つく結果
ゆ 有休を 取ったはいいが 仕事する
よ 酔っ払う こともできない こんな世の中じゃ ポイズン

ら 楽になる はずが逆に ややこしく
り 利益とは 上級国民 肥やすだけ
る ルックスが よければ 七難隠します
れ 連絡は 休日にこそ やってきて
ろ 労働の 目的誰もが 忘れてる

わ わーーーーもういやだーーーーー

ではまた。


●懐かしモノ

ねるねるねるねの巻
2021年5月28日


魔女のCM(テーレッテレー)でおなじみ、「ねるねるねるね」。
あの色素は、なんとアントシアニン(紫キャベツ)だそうで、その化学変化で「色が変わる」んだそうな。発売元は、「知育菓子」とすら謳っているそうで。

うむ。世の親は「赤色何号」とかを使っているんじゃないかと警戒し、「うちは与えないザマス!」的な向きもあるだろう。が、そんなことはまったくないのだ。合成着色料不使用。保存料不使用。これは知らなかったなぁ。

魔女が「ねるねるねるねは、ヒッヒッヒ、合成着色料は使っていないし、保存料すらつかっていないんじゃ。でも色が変わるよ」って言えば、親も認識を変えるのではないかしら。もはや親が「テーレッテレー」である。

ただCMは、今の子どもも親世代もあんまり見ないからなぁ(そもそもリアルタイムでまったくテレビを見ないし、録画したらそもそもCMは飛ばすし)。となると、狙いはYouTubeの広告だな。

あるいはブログのバナー。「ねるねるねるねは、実は合成着色料・保存料不使用。色が変わるヒミツは紫キャベツ!?続きはお店で!」みたいなキャッチコピーで見てみたいなぁ。電車のディスプレイ広告でもいいかもね。

ではまた。


どんびえの巻
2021年5月23日


妻の実家の倉庫から「シャーベット作り器」として名高い、「どんびえ」が発掘されたとのことで、送ってもらった。

容器には「どんびえ マークⅡ」と書いてあった。このノリがいかにもイケイケの1980年代風である。

この「どんびえ」、昔の記憶では、思ったほどシャーベット状にならなくていつの間にか飽きて・・みたいな印象しかなかったのだが、今回作ってみて気づいたことがある。

冷蔵庫の「冷え方」が変わっているのだ。

どういうことか。この「どんびえ」、もう30年以上たっているはずなのに、容器がよく冷える。そして、しっかりとシャーベットが作れる。驚いた。

「どんびえ」は、数時間ほど冷蔵庫に入れておき、容器がよく冷えてから使うのだ。昔も同じようにやっていたはずなのだが、冷蔵庫の性能が今ほどよくなくて、よく冷えないまま「どんびえ」をしていたのではないか。どうも、そんな気がするのだ。

昔「どんびえ」で、あまりうまくシャーベットが作れなかった思い出のあるみなさん。今の冷蔵庫で試してみてごらんなさい。きっと、予想以上にちゃんとシャーベットが作れて驚くから。

ちなみにこれが今回作ったシャーベットだ。ファンタグレープを入れたら、ほんのり炭酸の利いた激うまシャーベットに変身した。今の冷蔵庫でどんびえ、おすすめである。誰もが喜ぶこと請け合いだ。


ではまた。


センプラの巻
2021年2月27日

千葉市民にとって、「センプラ」という言葉は懐かしのワードである。「休日に千葉のセンプラの本屋に連れて行ってもらった」というのは、一定の年齢層以上であれば、誰もが共通の恍惚的体験として持っていたはずである。

さて、センプラである。正式名称を「セントラルプラザ」という。今はタワーマンションになってしまったが、千葉市中心部にあった往時の(戦後、千葉そごうの開店までは千葉県一の売り上げを誇った)老舗デパート「奈良屋」の改装で誕生した、今でいうところのショッピングモールである。

この中に入っていた「多田屋」という巨大書店が目玉の1つで、これともう1つ、近くにあった「中島書店」と双璧を成す、千葉中心部の「本屋さんといえばここ」という存在だったことを思い出す。

津田沼パルコ閉店のニュースを聞いて、「千葉市中心部の懐かしのデパート」について、いろいろ調べてみた。こちらがその成果物だ。

戦後の千葉市中心市街地の主な百貨店・ショッピングセンターの経緯をまとめてみた

千葉市出身の、アラフォー以上の世代に「センプラ」の話題を振ってごらんなさい。きっと、話題が弾むこと請け合いですから。あと、「千葉駅ビルのキディランド」「ショッカー」なんかにも触れると、ぐっと距離を縮めることができるだろう。

ではまた。


レガシーの巻
2021年2月11日


実物は使わなくなっても、日常に残っているもの。

1、フロッピーディスク。未だに「上書き保存」ボタンで毎日見る。


2、電話の受話器。未だにスマホの「ホーム」画面の常連である。


3、「巻き戻し」。DVDであれ、ストリーミングであれ、映像を見るときは普通に「巻き戻そうか?」などと口に出る。・・・が、今は「早戻し」というらしい。ホント?

4、写メ。「画像をメールで送ってください」と言うのを「写メして」の一言で済ませられるのは助かるのだが、かなり古臭く聞こえるらしい。

5、レコード屋さん。音楽のCDを買いに行くときは「レコード屋さん」に買いに行く。そもそも「タワーレコード」だし、「レコード大賞」だし。

6、「シャッターを切る」。・・・よくよく注意して聞いてみると、最近は「シャッターを押す」に変わってきたかも。

7、「メールを書く」。・・・これも、いつの間にか「メールを打つ」「メールする」になっていますよね!

8、「チャンネルを回す」。・・・もはや誰もチャンネルを回していない!!ただこれ、完全に死語と化した「ダイヤルを回す」よりはまだまだ生き残っていませんか?

ではまた。


18周年の巻
2021年2月6日


今日は「鬱色時代」開設から18年。来年には「18歳成年制」になるわけだから、このサイトもようやく大人の仲間入りというところである。

当時はブログはもちろん、YouTubeもTwitterもFacebookもInstagramもLINEもなかった。よく考えるとスマホもなかったので(iPhoneは2007年)、デジカメで写真を撮って、SDカードでパソコンに取り込んで、編集して、アップロードして・・という作業を延々とやっていたのを思い出す。

最初は「りんごマーチ」というやばい曲をアップするところからはじまって。徐々に今のページの形ができてきて。そんな中、最初に(今風に言えば)バズったのが「のび太が百点取ったテストを再現してみた」である。

ここからドラえもんネタ中心にアクセス数が激増し、だんだんと定期的に見てくださる方も増え、検索サイトにも引っ掛かるようになって・・

・・・という流れでかれこれ18年。これからもがんばりますのでどうぞ宜しくお願い致します。

昨年末から思いつきではじめたこの日記も、思いの外毎日更新ができているので、是非ご支援くださいませ。他のコーナー含め、18年目以降もしっかり更新を続けていきたいと思っています!

■おまけ:2003年の出来事

1月:横綱・貴乃花が引退、大関・朝青龍が横綱に昇格、中島みゆき「地上の星」が発売から2年6ヶ月でオリコン1位を獲得(前年末の紅白歌合戦の影響)

2月:スペースシャトルコロンビア号空中分解事故、大邱地下鉄放火事件(韓国)

3月:徳川家康による江戸開府400周年、台場に「大江戸温泉物語」開業、新型肺炎SARSの流行が始まる、大和銀行とあさひ銀行が合併して「りそな銀行」に、森山直太朗「さくら」、SMAP「世界に一つだけの花」がシングルカットされダブルミリオンヒット、木村拓哉主演のドラマTBS日曜劇場「GOOD LUCK!」放映開始(平均視聴率30%)、アカデミー賞で宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」が最優秀長編アニメ映画賞を受賞

4月:ヒトゲノムの解読完了、iTunesのミュージックストアがローンチ、日本郵政公社が発足、さいたま市が政令指定都市に、スクウェア・エニックスが発足、六本木ヒルズが開業

5月:小惑星探査機「はやぶさ」打ち上げ成功、個人情報保護法の成立、三浦雄一郎がエベレスト世界最高齢登頂ギネス記録(70歳7ヶ月)を樹立

6月:韓国の盧武鉉大統領が国賓として来日、戦後初めて有事法制が整備される、スーパーフリー事件

7月:食糧庁が廃止、ファミコン発売20周年、映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ」の封切り(邦画興収1位に)、北島康介が世界水泳選手権(平泳ぎ100m)で世界新記録樹立、宮城県北部地震

8月:北アメリカで大停電、関東地方の梅雨明けが8月にずれ込み10年ぶりの冷夏、沖縄で戦後初の鉄道である「ゆいレール」が開業、住基カードの発行開始、久米宏が「ニュースステーション」引退を表明

9月:JAXAが発足、中国が初の有人宇宙船「神舟5号」の打ち上げに成功、国会議事堂に落雷、阪神が18年ぶりにセリーグ優勝、名古屋で立てこもり放火事件、北野武監督「座頭市」がヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞、東海道新幹線で100系が引退、北海道釧路沖地震

10月:東海道新幹線品川駅が開業、Jフォンがボーダフォンに変更、日本産トキが絶滅、視聴率買収事件

11月:関西圏でICOCAのサービス開始、衆議院議員選挙、第2次小泉内閣発足、横綱・武蔵丸が引退、イラク日本人外交官射殺事件、足利銀行が経営破綻

12月:米軍がフセイン大統領を拘束、地デジ放送が三大都市圏で開始される、アジアで鳥インフルエンザ問題が顕在化、大塚愛「さくらんぼ」

当時の流行語:「なんでだろう」(テツandトモ)、毒まんじゅう(野中広務)、マニフェスト、年収300万円(森永卓郎)、『バカの壁』(養老孟司)、「へぇ」(トリビアの泉)、「ビフォーアフター」(「大改造!!劇的ビフォーアフター」)

今に通じているものもあれば、すっかり昔の出来事というのもありますね。


●日記

スイミングの巻
2021年6月6日


今から10年くらい前だろうか。思い立って近所のスポーツクラブで水泳をはじめる。最初はまじめに泳いでいたのだが、そのうち「風呂に入ること」と「リラクゼーションルームで寝ること」がメインになる。あるとき、リラクゼーションルームが室内ゴルフ練習ルームの開設に伴い大幅に縮小されて急激にテンションが落ち、さらに風呂が故障して入浴できないことがあって、「もう退会しよう」と思ってすぐに退会した。退会届の「退会理由」の欄には何も書けなかった。まさか「リラクゼーションルームが縮小され、風呂も故障したから」とは書けなかったのだ。

続いて今から2年くらい前。再び思い立って、別のスポーツクラブで水泳をはじめる。今度は意気込んで頑張ろうと思っていたのだが、1週間ほどでコケて骨折。すぐに退会した。

そして今。ようやく思い立って、同じスポーツクラブで水泳をはじめた。今度は続くだろうか。スポーツ水着まで買って、気合いだけは十分なのだが・・・・

あとこれはマジでヤバいと思ったのが、高齢者が誰も彼も、ロッカールームなどでしゃべりすぎである。自分たちはワクチンを打っているから、もはやどうでもいいのかもしれないが・・・。

ではまた。


スタートの巻
2021年6月5日


今更ながら自分でも驚くが、生きていく上で「家族を含めた自分が快適に過ごしていくための投資をすること」だけが唯一の求めるべき価値であって、それ以外のことは生き抜くための方便に過ぎないということを、このところ大きく学ぶ機会があった。

「自分が快適に過ごしていく」という文脈以外において、他者のために尽くす必要は基本的には、ない。他者は他者の人生を生きていて、”あなた”の時間は生きていないからだ。他者は「自分が快適に過ごしていく」ためにときに協力的で、ときに仲間になるが、その関係性が終わったときは、容易に過去の関係をなかったものとするし、裏切る場合もあるし、とにかく”過去”を継続してよいことは1つもなくなる。でも、そんなものだ。もっとも、どこかでまたご縁ができた時に、「自分が快適に過ごしていく」という文脈上においてのみ、タッグを組むことはあり得る(オリンピックにまつわる「政府」と「専門家」の関係をみているとわかりやすい。幼稚園の時のママ友と、小学校のときのママ友が変わるケースも例に挙げられるかな。あとは、異動して3か月もたてばあれほど飲み会で愚痴を言い合った前の職場のメンバーと疎遠になる、というのもこの例かもしれない)。「情けは人の為ならず」ということわざがあるが、これは、無制限の他者貢献を説いているのではなく、むしろ「自分が快適に過ごしていくために情けをかけておいたほうが得だよ」というニュアンスを暗に含んでいると言えよう。

他者のために尽くして疲弊しているすべての人々へ。もう尽くす必要はない。「自分が快適に過ごしていく」ことを第一に考えていきていけばよい。いや、「自分が快適に過ごしていくこと」だけを考えればよい。「自分基準」で考えると、義務感でやっていたこと、なんとなく続けてきたこと、そういうものが途端に馬鹿らしくなってくる。そうすると、すごく楽になる。

ただ冒頭にも書いたが、方便は必要だ。したがって、「自分基準」で考えた結果、馬鹿らしかったり、もうどうでもよくなっていても、ここは「フリ」をしておいたほうが得だな、と思った時だけは、意に反することをせざるを得ないことはあるだろう(それが「仕事」という稼得行為の一側面ですよね)。ただ、あくまで方便であることを忘れてはならない。

私はこの数日で、精神的なしがらみからだいぶ解放されて、楽しく生きていくためには、「人のために時間を提供するのではなく、もっと自分のために時間とお金を使えばよいのだ」という当たり前のことに気づいた(繰り返しになるが、そのためには、一定程度、他者のために時間を提供して稼得する必要がある)。

とまれ「自分に時間とお金を使う」、これこそが究極の「投資」である。怪しい副業とか、いきなり大きな夢に飛びつく前に、まずは本気で自分のために時間とお金を使うこと。これが重要なのだとほとほと気づかされた。

そして、「自分のために時間と金を使う」=「自分のやりたいことをやる」と決意したら、すぐに行動することだ。よく、「役者志望という役者はいない」という。「役者」は役を演じた時点で「役者」であるからして、「志望」しているだけだったら、いつまでも「役者」ではないという論理だ。また「YouTuberになるには」と逡巡している時点でYouTubeで成功することはできないともいう。それはそうで、誰でもボタン1つで「撮影」はおろか「投稿」までできてしまうのである。「やってみよう」と思ったら、即座に「やる」ということが重要なのだ。おそらく、「やるかやらないか」を迷っている時点で、「本心ではやりたくない」のである。必要に迫られて、ないしはやりたくて仕方がなければ、迷う前にやっているのである。

自分のやりたいことをやる―と決意して、今日はいろいろなことをはじめた。

まずは「体」。水泳だ。昨晩寝る前にはじめることを思い立って、朝イチで入会申し込みをした。以前、水泳を始めた途端に中華料理屋さんの階段でコケて骨折して3日くらいで退会するという失態を演じたので何年も足が向かなかったのだが、リモート勤務中の昼休みにひと泳ぎするという外資系エリートサラリーマン(イメージ)の真似をすることにしたのだ。目指すは逆三角形。誰にも馬鹿にされない(道端ですれ違ったときに避けられるレベルの)ボディーをつくる。

続いて「食」である。早速今夜は、思い立って家族で久しぶりのお高めディナーをいただいた。おそらく1年以上このレベルのディナーは自粛していたが、どうということはない。お店は混んでいた。もちろんお酒は飲んでいない。念のため。さらに勢いに乗って、月の中旬にはホテルの豪華ランチを予約した。会社は休む。月末には温泉にでも行こうと思う。これまた会社を休む。感染対策は当然のことだが、どうせオリンピックはやるのだ。なぜ、そのために「やりたいことをやる」権利が制限されなければならないのか。

そして「衣」。専門店で高級パジャマを購入。睡眠の質を高める。怪しい民間療法ではなく、「自分の健康への正当な投資」は「やりたいことをやる」ために何より重要なことであるから。

そして忘れてはならないのが「エンタメ」だ。エンタメは生きていく上の潤滑油である。ここまでの勢いに乗って、iPad Air(第4世代)およびApple Pencil(第2世代)を購入。もう明日には届くので楽しみでしょうがない。Google Pixelのフリーズが頻繁過ぎて、日常のビデオやブラウジングには不適なので、画面の大きなiPadにホームエンタメは任せて、Google Pixelは外でのやり取りや連絡専門にする。ほとんど通信をwi-fiで行えば、どのみち今の携帯会社なら基本料はかからないし、通話もSMSもアプリで無料なので、他キャリアの養分になる必要もない。

・・ということで、今日だけで15万円くらいの出費をしました。

今のところ心はすっきり。晴れ晴れしておりますけれども、万が一この後すぐにiPad Proを買ったり(欲しい)、Macbook Proを買ったり(欲しい)、新しいSurfaceのメモリ32GBモデルを買ったり(欲しい)、クルマを買ったり(あるいはKINTで高級車をサブスクしたり)、家を買ったりしたら、完全にメンタルの不調ですよね。

「不安や落ち込みを紛らわせるために」「つらい気持ちを解消するために」・・要は代償行為としてこういうことをしだしていたら危険なわけです。

さて、本当のところはどうなんでしょう。「自分のやりたいことをやる」なんて言って、実は「それしか今は生きるよすががない」的なことだってあるわけですよね。そういう精神状態のときに無理に主張を遮ると、場合によっては突然退職したり、突然失踪だってしかねないわけです。そうっとしておきましょう!そうっと。

ではまた。


バッシャーン!の巻
2021年5月27日


道路交通法第71条の1「ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、(中略)徐行する等して、泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること」

帰り道。水たまりをフルスピードで突っ込んで思い切りバッシャーン・・・右半身がびしょぬれ。スマホもカードケースもどうしてくれるんだこの野郎!

もし被害届を出して犯人が見つかれば、罰金は6000円。民事でも損害賠償をすればクリーニング代くらいは・・

・・・って、まあ、一般的には泣き寝入りだよねぇ。悔しいねぇ。

以上、珍しく日記を書きました。

ではまた。


いきたくない!の巻
2021年5月6日


さて。5月病である。
とにかくいきたいくない。いやだいやだ。

休み明けの夜に「サザエさん症候群」になる
休み翌日の朝に「ブルーマンデー病」になる
それを防ぐ方法。
自分を欺くことだ。

休み明けの前日。
朝から、「よーし、今日から休日だ」と言ってみる。
昼になったら、「よーし、今日から休日だ」ともう一度言う。
夕方になったら、「よーし、明日から休日だ」と言ってみる。
夜になったら、「よーし、明日から休日だ」ともう一度言う。

そして余計に空しくなるのだ。
絶望に苛まれながら床につく。悪夢を見る。何度も目が覚める。
そして朝が来る。

ああ!何も解決していない!!

ではまた。


ドリフ!の巻
2021年5月4日

昨日のドリフ総集編、前回に引き続きゲストトークゼロ。オールコント。制作陣の良心を感じた。この構成は作品に敬意がある人でないとなかなか作れるものではない。素晴らしい。今後もこの構成でゴールデンタイムに殴り込みをかけてほしい。

すでに異世代の娘も真剣に見入って「これからもテレビでやるときは(ドリフを)見たい」と私に訴えてきた。舞台「志村魂」をみたときに思ったが、真の笑いは世代を越えるのだ。誰でも笑えるってすごいよなぁ。

ではまた。


●映画

上映時間の巻
2021年5月1日


映画「ベイブ」をはじめてみる。1995年の公開だというから、26年越しの出会いだ。
この何年かでみた動物擬人化コメディはこのベイブ(豚系)のほかに、「ピーターラビット」(ウサギ系)、「スチュアート・リトル」(ネズミ系)、「テッド」(クマの人形系)といろいろあるが、どれもパンチが利いていて面白かった。動物擬人化モノ、なかなかいいねぇ。

で、今回のベイブを見ていて思ったことがある。「短いとラク」ということだ。ベイブは上映時間が90分。非常にコンパクトな作りである。

もちろん、長くても名作はたくさんある。最近でぱっと思いつく代表的なのは「きっとうまくいく」(2時間51分)だが、それ以外にも3時間越えという作品も古今東西、たくさんある(「風と共に去りぬ」「七人の侍」「沈まぬ太陽」「ベン・ハー」などなど)。

一方で、「何もこんなに長くなくても・・」という作品もそれこそたくさんある。「描きたいことがありすぎて結果として長くなった」のならよいのだが、「せっかく1900円払ってみてくれるお客さんのためにも、1時間40分くらいは見せないとね」という気づかいは、やらなくてよい。

昔、こち亀で両津が「だいたい映画は長すぎる!細かい心理描写なんて端折れ(最初からクライマックスでいい)」と怒っているシーンがあったが(抄出)、この主張はある意味的を射ていると思う。

「泣ける」とか「笑える」とか「感動」とかで釣っている時点で「駄作ですよー」と言っているようなものだ。いい映画は見た後に「ああ、よかった」と思って誰かと語らいたくなる(あるいは、あまりにも重くて誰とも語らいたくなくなる)ものなのだ。そしてそれは、決して時間の量ではない。

以前横浜のシアターで「ショートフィルム大会」みたいのを見にいったことがあるが、そこで改めて思ったね。「大作だから名作というわけではない」と。長いパワポのプレゼンより、数分の会話で物事が決まることだってあるのだ。短くて、コンパクト。こういうのがもっとあったってよい。30分ものの映画を2本とか。もっと気軽に映画を見たいものだ。

私は星新一のショートショートがかなり好きで、おそらく文庫は全部持っている(たぶん)と思うが、好きな理由の1つは「余計な描写が一切ない」ということも挙げられる。長けりゃいいってもんじゃあないのだ。

YouTubeだって、興味深そうな動画が1時間もあったら普通は躊躇する(か、飛ばす)。しかしそれが15分程度の動画だったら思わず開いてしまう。そんな感じ。長けりゃいいってもんじゃあないのだ。

大作主義に陥ると、間口は間違いなく狭まっていく。30分、45分、それくらいの短編を数本セット・・みたいな上映がもっと普通になるといいなぁ。いやいや、5分、10分の名作があったっていいじゃないか・・と思うのだけれど。難しいのかなぁ。

ではまた。


ホームアローンの巻
2021年4月20日


ものすごく久しぶりに「ホームアローン」を観た。

ああ、こんなに「家族」を前面に描いた作品だったんだ、というのが感想。昔はドリフ的というか、ピタゴラスイッチ的というか、要は泥棒を仕掛けによって退治するという、いわゆる装置的な面白さ(ルーブ・ゴールドバーグ・マシンというやつですよね)にばかり目がいっていたが、そればかりがこの作品の主眼じゃなかったのだな、と気づかされた。

これは自身の成長による視点の変化というやつだろう。嬉しい。

もう1つ、カメラワークで覿面に酔った。見た後に酔い止め薬を飲むくらいにはひどく酔った。こんな平和な映画で酔うとは・・・

これは自身の退化による老化現象というやつだろう。悔しい。

ではまた。


●時事ネタ

Z世代の次の巻
2021年6月1日


子どものままごとをみていると、シルバニアファミリーにおいては「まずは換気しなくちゃ」といって小窓を開けるところからはじまり、アイドルごっこにおいては「コロナのため観客は1人だけです」と言わしめ、図書館ごっこにおいては「本の消毒をします」からはじまる。

よく考えると、子どもにとってはこれが「普通」なんだよなぁ。テレビで人が密集している昔の町の映像をみて「これ、近づきすぎだよ」的なことも言っていたし。

ではまた。


高度な中止フラグ?の巻
2021年5月21日


「緊急事態宣言下でも五輪は開催」というニュース。

これを聞くと、脊髄反射が起こって、


であるならば、休業要請で不遇を託つありとあらゆる業種は、今すぐに通常営業に切り替えてよい。
今すぐに。

去年の甲子園も、国体も、何のために中止したのかまったく意味が分からない。
休校も、修学旅行も、卒業式も、すべて中止は無意味。
1年前の緊急事態宣言は何だったのか。

あと、よく考えると緊急事態だというのに勝手に来る奴らを「おもてなし」する必要ないよね。
勝手に来て、勝手に帰ればいいよね。

何が「おもてなし」だ。「ろくでなし」だろこんなの。



・・・ってなるはずなのだが、もはやここまでくるとわざとやっているとしか思えない。
国民を激怒させて、それを理由(世論の反発)に中止するための布石だったりして。

ではまた。


似ているふたりの巻
2021年5月19日


昔から「新垣結衣」と「長澤まさみ」が似ていてしかたがない。

Googleのサジェスト機能でも「新垣 長澤 似てる」と出るので、まあ、世間一般的にもそういう認識はあるのだろう。

さーて、星野源の「創造」でも聞くかー。

ではまた。


電車はわかったけどさ、駅の中ってどうなの? の巻
2021年5月15日

電車の空気は「6~8分で入れ替わります」と鉄道会社はPRしている。

確かに「電車でクラスター」は発生していない。もっとも、それは「報道されていないだけ」ないしは「追えないだけ」かもしれない。何が何でも「電車は安全」にしておかないと、パニックが起こるから触れないだけかもしれない。あるいは科学的にみて本当に安全なのかもしれない。真相はわからない。

ただ、1つだけ触れられていないことがある。駅の改札口、階段・エスカレーター、ホーム・・は「外」だからよいとして、コンコースはどうか。

最近は「エキナカ」で、駅の中が商業施設そのもののようになっているところも多い。
この写真は、首都圏の某駅の様子だ。


ふと、天井を見上げて仰天した。換気口に着目してほしい。


もう少し拡大してみる。


真っ黒である。そう。やはり人混みの多いところの空気は相応に汚れているのだ。

これがイコール、そのまま「危険」と結びつけるつもりはまったくないが、しかし、こういう写真を見ると、やはり「人流を抑制する」という意味合いにおいて、「人混み」は避けたほうがよいのだろうな、と直感されるところである(ベストというよりベターをとるという意味で)。

ではまた。


オリンピア・プリキュアの巻
2021年5月14日


「たすけて!プリキュア! このままじゃ、無定見な世論の圧力によって、上級国民と世界の貴族のためのお金の祭典、ハイキン・トンキン・オリンピアが開催できなくなっちゃうの!」

まかせて!!

キュア・カザミドリ(グリーン) 得意技:排除ビーム
世論の動きをみて、「開催」か「中止」を決めるよ! 狙うは自分の選挙のみ!!

キュア・リケン(玉虫色) 得意技:論点ずらしショット
金主の動きを見て、「開催」に突っ走るよ! 狙うは一族の安泰のみ!!

キュア・ジブンダケ(ホワイト) 得意技:政治資金パーティー主催者キック
自分のところに患者が来なけりゃそれでいい! 常に国民の健康が人質だ!!

キュア・ナカヌーキ(ブラック) 得意技:ステマパンチ
おいしい仕事はかすめとれ! 自分たちだけ甘い汁!!

キュア・サワグダーケ(グレー) 得意技:個人視聴率シフト
「開催」しようがしまいが、数字が取れればそれでOK! ただただ騒ぐだけ!!

さあいくよ! 開催ビーム!!!

ぐわああああああああ

世論は封じ込めたよ! 6割が反対しようが、やっちまえばこっちのもんさ
無定見な愚民たちはおとなしく上級国民のいうことに従っていればいいの
知恵なんてつけちゃだめ なんのために 「ゆとり教育」で愚民化したのかわからないでしょ

愚民はいつまでも養分として 上級国民のために 働き続ければいいの
知恵なんてつけちゃだめ さ、さっさと白痴なメディアで遊んでいなさい ほら、ほら

ぐわああああああああ

やったわ! 無事、開催ね!!

(この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係ありません)

ではまた。


●本

100年の積層の巻
2021年1月31日

「写真が語る千葉市の100年」を眺める。前作「千葉市の昭和」の続編的存在なのだが、街の移り変わりというのは見ていて本当に面白い。

街は歴史のレイヤーがいくつも重なって形成されている。「地層」というくらいだから、土地そのものが層をなして地球規模で歴史を記憶しているわけだけれども、そこに立脚する建物や構造物、文化、思い出、風習、そういったものも、街は層となって「記憶」するのである。写真はその記憶を明確に掘り起こしてくれるのだ。

明治以降、近代日本の「街」レイヤーは大きく分けて8つあると思う。

1つが、明治層。「地方分権型武家社会から中央集権型国民国家」になっていく上で形成された「近代」を象徴するレイヤーだ。初期の官庁や学校、駅などがこれに当たるだろう。木更津県と印旛県が合併して「千葉県」ができたときに中間の「千葉町」が県庁所在地として選ばれたのが千葉市誕生のきっかけであるから、このレイヤーは今の千葉市の基本骨格であると言っても過言ではない。

2つめが、大正・昭和元禄層。関東大震災を経ての、「鉄筋コンクリート」とか「民間のデパート」などモダンな建築物がこれに当てはまる。中産階級層の勃興ともリンクする。千葉で言うと、千葉市美術館のもともとの建物である旧川崎銀行などがまさにこれである。

3つめが、戦時体制層。15年戦争にすべての資力が投入されていったときの建物群である。特に千葉市は「軍都」であったから、当時のレイヤーは思わぬところで現代でも顔を出す(軍用気球の倉庫がつい最近まで民間の倉庫になっていたり、軍用鉄道の跡地が千葉公園付近では現役の道路として活用されていたり)。

4つめが、終戦直後層。混沌の中で生まれた「生活復興のための街」である。無論、今でこそ希薄になったレイヤーだが、有名な新宿の思い出横丁を例に出すまでもなく、千葉にだって、あちこちにその爪痕は残っているのである。

5つめが、高度経済成長層。重厚長大。千葉市の場合は川鉄と東電発電所がその象徴的存在であると言える。あとは林立する大規模団地群なんかもそうですよね。

6つめが、安定成長・バブル層。「省エネ」「ソフト化」に象徴される「軽小短薄」な「イメージ」が、その機能よりも先行して想起される建造物群が目立ってくる。でも、そのイメージとは裏腹に、その実は「豪華絢爛」である。千葉で言うとモノレール、幕張新都心のあたりだ。津田沼から千葉間の「総武線の複々線」などもこの時代の産物である。この時代に移転オープンした「千葉そごう」が、このレイヤーの千葉市における集大成であった。

7つめが、停滞層。バブル期のような華やかさはなく、「実質的」な建造物が中心となってくる。この頃から郊外に展開し出したショッピングモールなど、その典型である。

8つめが、ニューエコノミー層。「カネはあるところにはある」ということで、「持てる者」を表象する建造物群が目立ってきた。象徴的なのはタワーマンションや、従来の団地とは意味合いの違う大規模マンションの展開だろう。SCも、イオンモールとか、千葉駅ビル再開発とか、「巨大資本の存在」を意識させられるようなガリバー化が進行中である。千葉駅前のビックカメラが入る予定のビル(建築中)もその1つと言えよう、

以上「100年」でざっと8つのレイヤーが顔を出している。ざっくりと12年ちょっとで街の「層」は変わっていくのである。「10年ひと昔」とはよく言ったもので、本当に10年で街は変貌していくのである。

もしかすると、今は「ICT/ウィズコロナ層」に転換していく渦中かもしれぬ。テレワーク普及によるオフィスの減床、飲食店需要の激変、公共交通機関の利用形態の変化など、「街の姿」を変えるには十分な条件が整いつつある。

変化は、基本的には止められるものではない。問題はその変化をどう受け止め、受容し、活かして、生きていくかだ。

そんなことを、「千葉市の100年」は教えてくれるのである。

ではまた。


最近読んだ本の巻
2021年1月24日


『詐欺とペテンの大百科』というのを読んでいる。全部で570ページ、しかも2段組という大著だ。人間の奥深さが知れて面白い。

野心・優越感・偏見・利益の欲求があれば「誰でも」騙され得るというのがこの本の訴えだ。

要するに、「誰でも」騙され得るということだ。

斬新なように見えても、大体は過去の事例の「亜流」だったりする。でも、目が曇ると古今東西、「これしかない」「この人しかいない」となるのがとても不思議だ。

たいていは、信じている人から「自分は正しい」と繰り返しトリッキーに示されるわけだから、抜け出すのも難しくなるわけだ。

どこかで「もしかして自分、騙されてる?」という振り返りは常に必要だろう。

で、ほら、最近の例で言うと(以下自粛)

ではまた。


●漫画・アニメ

ラメール・・それは海の巻
2021年6月20日


ラメール。フランス語で「海」。トロピカルージュ・プリキュアの人魚、ローラが変身する新しいプリキュアだ。

本日の「プリキュア」で、人魚であるローラは「足」を持ち、プリキュアになった(なんとそのまま、プリキュアでないときにも人間になるというサプライズつきだ)。

ちょうどその少し前に、「映画ドラえもん のび太の人魚大海戦」を見て、「戦う人魚、格好いい人魚」に虜になっていた我が娘は(私ではない)、一挙に大のローラ・ファンになったようだ。あれほど欲しがっていた「トロピカル・パクト」には目もくれず、ローラのパクトが欲しくなった、と宣っていた。

「本当は人間になりたい。」そんな気持ちを隠していたローラに足が生えた瞬間は、おじさんでもウルっときた。感動の余韻に浸っていると、まさかのエンディング変更だ。おお、せっかく覚えてきたのに歌も変わるのか。

ラメール。それは海。

ではまた。


プリキュアの巻
2021年4月21日


娘がプリキュアに夢中だ。畢竟、はじめてプリキュアの世界に足を踏み入れる。

うん。奥が深い。バトルが意外にも肉弾戦であったり、ストーリーが結構骨太だったり、これは「女の子版戦隊モノ」である。

なまじっかAmazonプライムで過去のプリキュアが大量にあるものだから、最新の「トロピカル」に限らず、娘の頭の中ではいろいろなプリキュアが登場しまくっている。しかしどれも設定がしっかりしていて、混ざることがない。敵キャラの境遇を含め、人間のエゴの果て無さを嘆いているような感じがして、なかなかに奥深い。

大きなお友達が夢中になる(最近出たプリキュアコンプリート事典みたいなやつが品切れになるくらいだ)理由はわからなくもない。

最新の「トロピカル」は、底抜けに明るい系だ。お嬢様系が多い中では結構珍しい部類であると思うが、このコロナ時代、人を明るくする作品はいいものだ。

うん。下手するとこれは大人が沼にハマるぞ。

ではまた。


●社会

テレビのこれから、の巻
2021年6月18日


少し前に、NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」による調査で「深刻なテレビ離れ」(特に30代以下の若者)が起こっていることが裏付けられた、というニュースが話題になった。このページでも記事にしている(5/20の記事、5/21の記事)。

そういえば自分(若者ではない)はどうだろうかと問うてみる。
振り返ってみると、少なくとも今月は、1度もリアルタイムでテレビの放送を見ていないことに気づいた。うーん・・もしかすると「今年」に置き換えても数回あるかないかなのではないか。
記憶にある限り、テレビの前で待機していたのは、ドリフの特番だけだったはずだ。

録画する番組も決まっていて、定期録画は子どもとみる『ドラえもん』および『プリキュア』、そして『ブラタモリ』『ソーイング・ビー』のみである。前者はCMを飛ばすし、後者の2つはNHKなので、タイムシフトで視聴したとて私なぞ「カネ」にはまったくならない視聴者である。

今やテレビの画面を見るのは、録画していた番組を見るか、Amazon PrimeビデオやdTVの映像を見るか、である。ほかに見るべき画面はPC、スマホ、タブレット、携帯ゲーム機とごまんとある。リビングの主役、ではもはやない。

幼少期をテレビ漬けで過ごしている(それこそ絶頂期のフジテレビの空気を浴びている)はずのアラフォー世代ですらこんな状況なのだ。況やもっと若者においてをや、である。

そもそもリビングに置いてあって、ボタンを押すだけですぐにつくテレビはきわめて手軽なメディアだ。とりあえずテレビ、の「とりあえず」の累積が視聴率であり、その視聴率が担保されていることでこれまで隆盛を極めてきたわけだ。ただ、その「とりあえずボタンを押す」という行為はある種の習慣であり、テレビとともに育ってきた60代・70代は習い性となって何のためらいもなくテレビを毎日つける(意識せずに)ことができるだろうが、おそらくその呪縛が解けた40代以下は「ボタンを押す」習慣がとっくの昔に消え去っている。すると、もはや若者にとっては「テレビを見る」ということすら意識下にない可能性まである。

よく「好き嫌い」より怖いのは「無関心」というが、そのフェーズに入っているのだ。そもそも「テレビ」が意識にない。だから悪感情もなく、単純に「見ない」のである。今の若者より少し上の世代だと「テレビを見ない」というある種のファッションというか、自己アピールというか、要は「意識高い系」で「意識してテレビを見ない」という風情が見え隠れしていたが、今の若者はそうではなくて、「意識そのものがなく、本当に見(るつもりが)ない」のである。そこには何の意図も虚飾もない。「え?見ませんけど何か?」という「空(くう)」だけがそこにある。

私自身、テレビを「つける」という行為は、「意識して」やらないといけない行為にハードルが上がってしまっているのを感じる。スマホやタブレットは躊躇なくホームボタンを押せるのに、テレビのリモコンはボタンを押すのがしんどいのだ。そこに「意識」があるから。スマホは「さあ、スマホを見るぞ」という「構え」はいらない。自然体でそのものである。しかしテレビには「構え」が必要だ。ただただ、「不自然」なのである。

そういえば我が家では新聞を取っているのに、テレビ番組表を見ることもなくなった・・と書いていて気づいた。それくらい、意識から外れてきているのだ。

ここまでくると、旧来の「コンテンツとコンテンツの合間にCM」というのはどんどん、少なくとも若者、これからの世代に対しては効果がなくなってくるはずだ。そんなこと、私が言わなくても自明のことだ。

そうなると、もしかすると「コンテンツの下部にずっとCMを表示する」とか、「番組のオチをWeb化して、そこに誘導する」とか、いやでも「目に入ってしまう」状況をつくるようにしないと「無料放送・広告収入モデル」が持たない段階がいずれ来るのもしれない、とさえ思う。

ただそうなると、おそらく今のメイン視聴者である高齢者からクレームが殺到して、全世代が「無料のテレビ」から離れることになる。だからできない。

ということで結局、これまで通り「番組の合間にCM」という旧態依然とした放映形態が続く。しかし、タイムシフト視聴に慣れ、興味のない部分は飛ばすことに慣れた若者は、「強制的に見せられる長いもの」は見ない。自分でコントロールできないことは、嫌いなのだ。だからますます、離れていく。

すごいジレンマである。
しかし以前書いたように、このジレンマをどう乗り越えるのか、という課題は人口が激減する我が国において、あらゆる業種が「学ぶべき事例」にほかならない。

人口拡大時代の成功体験を捨てきれないことが「失われた30年」の根本要因だ。今は高齢者に実数ベースでボリュームがあるからまだ何とか体裁を保っているが、この層がいつまでも主たる社会の「金主」足り得ないのだ。

「昭和の代表」であり、もはや「レガシー」の1つである「テレビ」がこのピンチをどう乗り越えるのか。これは非常に興味深いテーマだ。今後も注意深く動向を見ていきたい。

ではまた。


「テレビ離れ」の分析の巻
2021年5月21日


NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」の2020年版がまとまった。前々回の記事でも書いたとおり、「10代は約半数がテレビを見ていない」という衝撃的な結果で、「若者の」テレビ離れは確実に進んでいることが話題となった(一方で、高齢者はまったくテレビ離れを起こしていない)。

国民生活時間調査のサイトで詳しい数字が公開されていたので、さっそくその中から顕著な例を取り上げて紹介したいと思う。今回取り上げるのは、10代女性・20代女性の動向である。

20代女性というのは、もとより「F1層」と言われるマーケティング上の宝の山であるし、それに接続する10代女性も将来の貴重なお客様だ。彼女らの動向は、そこに紐づいてくる「まだ比較的若い両親」「彼氏」「旦那」あるいは「子ども」関連の消費にも直結するので、相当重要であることは論を俟たない。

NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021)に基づき筆者作成
この図は、「平日」の「21時から21時15分」までの間に、テレビを視聴している「10代女性」と「20代女性」の経年の割合を示した図である。

見て分かる通り、25年間で視聴割合が激減しているのが分かる。20代女性は、42.7%から19.3%へ45%減、10代女性は、減少幅こそ40%減(それでも大きいが)だが、割合そのものは30.4%から「12.2%」にまで落ち込んでしまっている。

若年人口はどんどん減っているので、これを「実数」にすると、深刻さがよりリアルに見えてくる(数字は総務省統計局の2020年10月度の人口推計による)。
2020年10月の人口でみると、
10代女性の平日9時からの15分のテレビ視聴人口は、65万人/536万人(1.2億人の0.54%)
20代女性の平日9時からの15分のテレビ視聴人口は、118万人/612万人(1.2億人の0.98%)
1995年ではこれが、
10代女性で238万人/782万人(1.2億人の1.98%)
20代女性で392万人/918万人(1.2億人の3.26%)
であった。桁が違うでしょう?

すなわち、25年で10代女性の「平日9時からの15分のテレビ視聴人口」が173万人、20代女性が274万人、「蒸発」したということになる。

さらにこの減少ぶりを視覚的に認識するには、視聴「していない」割合をグラフ化してみよう。

NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021)に基づき筆者作成
平日の夜9時。今の10代女子は87.8%が、20代女性は80.7%がテレビを見ていないのだ。

この調査のテレビには、地上波だけでなく、BSやCS、CATV、ワンセグも「含む」数字である。今の「若い女性」は、平日の夜9時から9時15分の間、複数のチャンネルが束になっても、もはやYouTubeの人気チャンネルの再生数にすら届かない人数しか「見ていない」ということになる(10代と20代を足しても183万人にしかならないのだ)。

見ないから余計にその層へ向けた番組はつくられなくなる。だから余計にこの層が見なくなる・・という悪循環。

ただ、
*「新しい層(この場合は若い人)」が入ってこなくなるとその世界は廃れる
*長くいる層ばかりになると、どんどん内容が無難になって、革新的なもの(イノベーティブなもの)が生まれなくなり、ますます新しい人を獲得できる機運を失う
というのが世の常だ。完全に「じり貧状態」であるといえる。

今は人口ボリュームゾーンの視聴者(コア層)がいるからよいが、やがて今の「見もしない」人たちが社会の主流になったときに、果たしてどうなるのか。今のままでは、凋落が火を見るよりも明らかである。

敢えて、イノベーティブなことをやって「再興」を狙って突き進むか
今のフィールドを捨てて若者の主戦場(YouTubeなど)で戦う戦略にシフトするか

実際は様々な戦略のミックスなのだろうが、テレビの「若手取り込みの戦略」の成否というのは、大変興味深い。

テレビ局の直面する「いかに新規顧客を獲得するか(あるいは捨てるか)」という取り組みは、人口激減という環境の変化において、「人口拡大」時代の成功体験をどこかで捨てきれないあらゆる業種にとって(今は高齢者に実数のボリュームがあるから何とか保っているのであって、この層がいよいよ入れ替わったら、本格的にヤバいことになるわけだから)、生き延びていくための1つの試金石になり得る。

ではまた。
 


本当にテレビ離れしていた話、の巻
2021年5月20日


衝撃的なニュースである。「10代の過半数がテレビを15分以上見ていない」というニュースだ。
(10~20代の約半数、ほぼテレビ見ず「衝撃的データ」/朝日新聞デジタル)

「テレビを見ていない」なんて言って、本当は見ているんじゃないの?」と思ったら、本当に10代の半数はテレビをほとんど見ていない。しかも、5年で20%も減っているというかなり驚くべき状況であった。

出典はNHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」で、ソースはしっかりしている。21日にも詳細がアップロードされるというから、これは要チェックだ( https://www.nhk.or.jp/bunken/)。

記事をもとに、さっそくグラフを作ってみた。いかに若者がテレビを見なくなったか。たった5年で劇的な変化がみられる。

出典:NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021年)
50代以降は「見るのがデフォルト」なのに対し、20代以下は「見ないのが普通」になってきているとすらいえる。
もう少しわかりやすくしてみよう。

出典:NHK放送文化研究所「国民生活時間調査」(2021年)
こちらのほうが分かりやすいかもしれない。上記のグラフを逆転させて、「見ない」割合にしてみた。テレビはもはや、オールド層のもの。急激に若者が見なくなっているのが分かる。

この図を見ると、「お年寄りと若者」の分岐点は「40代」であることもわかる。

そういえばここ数年、気になっていたのだ。「テレビで取り上げられた」とか「CMが云々」と話題にするのは、お年寄りばかりだなぁということに。

ということは、スポンサーの選択肢は2つに1つ。徹底的に主要視聴層である年寄り向けの広告で攻めていくか、あるいは若い人に見てもらえる番組をつくるか。

イージーな選択肢は前者、「年寄り向けの広告で攻めていく」ということなのだろうが、今はボリューム層であっても、やがてじり貧になる。30代以下の減り方を見ていると、とても彼ら・彼女らが60代になったとき、同じ割合でテレビを視聴するわけがないからだ(そもそも絶対数が違う)。

とすると、本来の選択肢は後者、「若い人に見てもらえる番組をつくる」というのが「急がば回れ」の道になるのだろう(マクドナルドの「ハッピーセット」戦略である)。しかし、ここまで視聴習慣が崩れてしまうと、なかなか厳しい。

実際、もはやテレビそのものを家に持っていない若者は普通になってきた(会社をみてすらそうだ)。「なくてもYouTubeもネットフリックスもあるし」「あったらあったでNHKが来るし。だったらないほうが安いし」というのがもはや普通の感覚である。若人はもはや「テレビの話題」をしていない。

好き嫌いよりももっと怖いのが「無関心」。一度無関心になると情報は途端に入ってこなくなる。そういう層をどう振り向かせるか。

ボリュームの大きい層に気を取られているうちに、「子どもが楽しめる番組」を隅に追いやった結果である。これはすごく大事なことだ。

単体でみると「半沢直樹」とか「ソーイング・ビー」とか、面白い番組はこの5年間でもしっかり供給されているのだ。作り手や流し手の能力低下では決してない。あくまで、ターゲット設定や志向性の歪みである・・・と信じたい。

ではまた。


電話談義の巻
2021年3月28日

部屋を整理していたら、電話帳が出てきた。

2017年から2019年にかけて、たった2年で半分くらいの薄さになっているのが分かる。

千葉市は人口98万人、事業所数28000か所(千葉市統計書令和元年度版参照)の政令市である。それでこの薄さ。時代ではあるが、固定電話離れはここまで来ているのかと実感させられる。

昔は電話帳といえば「ぶ厚いもの」の代名詞であった。日常的には重しに活用されていたし、確かプロレスラーが力自慢のために真っ二つに破くみたいなパフォーマンスにも使われていた記憶もある。時代の変化だ。

固定電話界隈では、時代の変化を伝えるニュースが相次いでいる。一番は、「個人宅の電話番号が載っている」という「ハローページ」の廃止(NTT東日本ニュースリリース)だ。一応、今年の10月発行分を持って最終号とのことらしいが、これなど携帯電話の普及のみならず、個人情報の観点からも完全に役目を終えたといえるだろう。お疲れさまでしたというほかない。

そのほかに、新幹線の公衆電話も今年の6月末でサービスを終了するという(Impress Watch)。正直、「まだあったの!?」と驚いたが、これもまた時代だろう。

あとは、ややマニアックな話になるが、交換機の仕組みによる電話網の維持が限界を迎えていることから、2024年1月以降、電話網がIP化する(日経)という報道も記憶に新しい。IP化に併せて全国一律3分8.5円という距離制ではない新料金体系になることも発表されている。今までの「市外や県外の電話は高い」という常識は雲散霧消する。携帯では「市内・市外」はもはや関係ないし「かけ放題」も当たり前なのでもはや「全国一律料金になる」ことに驚かない人も多いと思うが、これは固定電話の世界における大革命(しかも固定電話網の完全IP化というのは世界でも初の事例とも)なのだ。

固定電話の契約者そのものがピーク時の6322万件(1997年)から1834万件(2018年)と約20年で71%の激減をしている現状では、(一方で携帯電話・PHSの契約数は同3825万件から1億8561万件となんと4.9倍も伸びている)あまりピンとくる人が多くないのも無理はない。(上記データは上述の日経記事及び、総務省情報通信白書令和元年度版、総務省情報通信統計データベースを参考とした)。

今日日、固定電話は企業であれば信用のため、個人であっても「今までおいていたから何となく」というケースが大半だろう。特に個人にはセールスか怪しい勧誘しかかかってこないから普段は取らないなんて話もよく聞く。

まさに黄昏の固定電話。だが、電話といえばやはり「固定電話」なのだ。以前も書いたが、スマホの電話のマークは、固定電話のマークなのである。レガシーというやつだ。固定電話は今も生きている。


ではまた。


綺麗事。英語では”fine-sounding”(周りには立派に聞こえる)の巻
2021年3月23日

よく選挙で「市民の皆さんとともに」とかいうじゃないですか。代表様に庶民と同じ目線でいられちゃ困るんだよね。頼むから大所高所で判断してくれよといつも思う。

大企業の社長が「社員とともに」っつって、社員のオフィスで席を並べて「おお、2in1でコピーしてるな。感心、感心」とか言われても困るでしょう。上の人はわざわざ降りてこなくていいんです。

よく選挙で「自分の給与を◯割カット」とかいうじゃないですか。責任も◯割カットされちゃたまったもんじゃないんだよね。頼むから既定の給与分の責任を負ってくれよといつも思う。

自分の給料がいきなり半分になったら、責任感やモチベーションも相応に下がるでしょう。自分がされて困ることは人にも求めちゃいかんのです。

だいたい、「給与カット」とか「交付金もらわない」なんてのは、「他から金が出てる」「他の資金源の出処を探って欲しくない」ということでしょう。

綺麗事抜かすやつなんて絶対信じちゃいけないのだ。裏で何やってるかわからない。

ではまた。


●街角ウォッチング

はとライフの巻
2021年6月2日


「はと」って書いてあると思わず見ますよね(見ないか)。


これなんて、はとの駐車場ですからね。絶対に停めますよね。


ほら。はとのタクシーですよ。絶対に乗りますよね。

やっぱりはとはかわいい。

ではまた。


静香専用の巻
2021年5月31日


こんな美容室を見つけた。


これは静香専用ですよね。

ではまた。


箸休めの巻
2021年5月22日


こんな看板を見つけた。

9月に「冷やし中華 はじめました」的な。

ではまた。


myselfの巻
2021年5月18日


いやだいやだ!今日はどうしてもこの髪じゃなきゃいやなの!!


マスクはしないわ。メイクもしない。ただただ、ありのままであなたに会うの。


てやんでぃ。うちはこのスープ、この麺、この味付けなんでぃ。


いいですね。自己主張。
このご時世に必要なスキルですね。

ではまた。
 


それっぽさだけでの巻
2021年5月17日


最近は世相関連の記事ばかりだったので、今日はお口直し。
さわやかな看板シリーズである。

やくざ「風」ときた。

そう。とても良い人で見た目だけ怖いパンチパーマのおじさんなどは入店できないのだ。
ちょうどクレヨンしんちゃんの園長先生のような人ね。

「人は見た目で判断してはいけませんよー」
「人は見かけによりませんよー」

「『人は見た目が9割』ですよー」

ではまた。


●雑記

Windows11 の巻
2021年6月26日


あれほど「最後のWindowsナンバリング」といっていた「Windows10」だが、いよいよ「Windows11」の登場である。まあ、6年もたてば社会環境も何もかも変わって当然だろう。

ホームユースはともかく、影響が甚大なのはビジネス回り。IEが完全に終了する(Edgeに互換モードは搭載される予定)、Teamsと統合など、IT関連の部署の方などは今から導入計画にさぞ頭を抱えていらっしゃることと思う。

いまだにIEでないと動かないシステムがあったり、それこそ20年レベルの古いOSで動かしている基幹システムなんてごまんとある。こういうのの互換性チェック、システム入れ替え、パッチ・・と考えただけで気が遠くなりそうだ。

このサイトも、特に本編は15年選手の昔のソフトを使って編集している箇所もあり、今後どうやって環境を変えていくかは今から思案のしどころだ。わくわく半分、不安半分といった心境である。

まだリリースは先だが、やはり新OSというのはわくわくする。早速、今の環境でWindows11に移行(無料)できるのかをテストしてみた(テストはマイクロソフトのWindows11のページで公開されているチェックアプリから簡単にできる)。


分かってはいたが、やはりこの表示が出ると安心する。

ではまた。


続・「必要」を自分認定しない話、の巻
2021年6月25日


前回に引き続き、「必要」を自分認定しない話。これは何も個人の話に限ったことではなく、あらゆることに援用できる。自分のやっていることを「必要」と「自分認定」しないだけで、取り越し苦労、骨折り損のくたびれ儲け、その他あらゆる「無駄骨」を防ぐことができるのだ。

「必要」と自分認定してしまうと、誰も欲していない余計な機能をつけてみたり、求めてもいないサービスを付け加えてみたり、自分の首を自分で絞める結果になってしまう。

その時にふと立ち止まって、「あれ?必要とされていない?」と思うことで、ちょっと気が軽くなるはずだ。そして、無駄なことをしなくてよいと気づけるはずだ。「生産性」を高めるヒントは、案外こういうところにあるのかもしれない。

前回、組織内での自分の分類は、「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれか3つであると書いたが、もう少し細分化するとこのようになるかもしれない。

最上位:「いたほうが困らない」
次点:「いても困らない」
3位:「いてもいなくてもどちらでも困らない」
4位:「いなくても困らない」
5位:「いなくて困らない」
最下位:「いないほうが困らない」

まかり間違っても、最上位は「必要である」ではない。「必要」なんてことはないと思っておいたほうが精神衛生の安定のためにも、また実際の生活の上でも有益である。

繰り返すが、「必要」を自分認定しないこと。QOLの向上は、すべてここからはじまる。

ではまた。
 


「必要」と自分認定しないことで心が軽くなる話、の巻
2021年6月24日

組織には「必要」「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」という評価分類が厳然とあって、「いてもいい」なのに「必要」と錯覚すると過労が生まれ、「いなくてもいい」なのに「必要」と錯覚すると軋轢が生まれ、「いなくていい」なのに「必要」と錯覚すると無駄が生まれるわけです。これはお互いにとって不幸なことのわけですが、表立っては「あなたは必要」としか誰も言ってくれないので、結局は自分が「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどれなのかは判断しないといけないのですね。ちなみに間違っても「必要」と自分認定してはなりません。普通はどんなに上位の評価でも「いてもいい」が最高ランクでしょう。

「いてもいい」の人は、もっと自分の心と体を守ることを考えましょう。「いてもいい」は容易に「いなくてもいい」に転化します。どれだけ尽くしたところで、いずれもっと若くて勢いのある人に乗っ取られますから。

「いなくてもいい」の人は、もっと面従腹背の精神を鍛えましょう。「使えそうだから置いとくだけ」から脱却するには、プラスアルファ、「組織に従う」精神が必要だからです。動機はどうあれ、結果的に「白といえば黒も白」にできるかどうかが「いてもいい」と判定されるか否かの分岐点になりましょう。

「いなくていい人」は、おとなしくしているのが得策です。おとなしくしてさえいれば、容易に「いなくてもいい」判定を受けることができるでしょう。「いなくて」と「いなくても」の境目は、要は「空気を読んでいられるか」ということの違いになります。

まかり間違っても自分がある組織にとって「必要」と自分認定しないこと(評価は常に他者が下します)が秘訣です。むしろ常に「いてもいい」「いなくてもいい」「いなくていい」のどこに自分がカテゴライズされていくかを察知しておくことを重視しましょう。これが結局は幸せに生きていくための道標となるように思います。

自分が別に「必要」じゃないと思えれば、風呂敷残業、休日の電話対応、有給の日の仕事、その他あらゆる「無賃仕事」に精魂を込めることがどれだけ人生を切り売りすることかが見えてきます。

そう考えると、少し心が軽くなってきませんか?

ではまた。


PCはそれなりのものを買うべき、の巻
2021年6月14日


この「Nicky」は、スマホからもタブレットからもPCからも編集・投稿できるように設定している。

本当はスマホで移動のときに手軽に更新しようと思ってはじめたのだが、結局、一番多用しているのはPCである。座って、落ち着いて文書作成ができるツールはやはりPCなのだと改めて気づかされた。

何度か書いているが、仕事などで「PCが必要」となったとき、PCに詳しくない人ほど安いからとあまりにも低スペックなPCを買ってしまいがちだ。結果、手元にあるスマホやタブレットよりも動作がもたつくものだから、「動かすのが面倒」になって、日々非効率な仕事に甘んじている・・というケースを実際に何度も何度も見聞きしてきた。

もったいない。起動を待つ時間。Chromeの読み込み時間。ただの無駄である。低スペックのPCというのは、実はPCに詳しい御仁が、サブPCとして遊んだり、ちょっとお試しで触るみたいな用途に適しているのだ(私見)。

本来は、PCに詳しくない人ほど、それなりのスペックのPCを選ぶべきなのである。今日日、それなりのスペックのPCであれば、フリーズすることもないし、起動もタブレット並みに速いし、何より文書作成はタッチ入力よりもスムーズである。イライラすることもない。

「それなりのスペック」というのは、CPUであれば「Intel Core i5」ないし「i7」であり(i7のほうが高性能)、メモリは8GB、ストレージは128GBくらいのSSDを搭載したノートPC、ということになる。USB端子が複数、DVDドライブでもあればなおラクチンだ。できればMicrosoft Officeもつけておきたい。こうすると、概ね新品のメーカー品(国産でなくてもあまり変わらないのでこだわる必要はあまりない)で10万円から13万円くらいが相場だろうか。スマホでこれくらいの値段の機種を平気で買う人が、なぜかPCではケチって信じられないくらい低スペックのPCを買ってしまうというケースはきわめて多い。本当にもったいない。

繰り返しになるが、「PCに詳しくない人ほど、それなりのスペックのPCを選ぶべき」だ。SSDならば起動はタブレットに近い(さすがにタブレットほどではないが)レベルで速いものもあるし、何よりも、とにかく「画面入力」では得られないキーボードの入力感が違う。

・・といってもほとんどは、安いPCを買ってしまうだろうね。スマホに慣れた現代人にとって、「低スペック」がどれだけイライラするものかわからずに・・・。「作業のための道具だからそれなりの投資はしておくべきだ」という考えは、現実のお金の前には霞んでしまう。それだけ日本の可処分所得は落ち込んでいるということだ。

ではまた。


スマホ考現学構想の巻
2021年6月13日


ふと思い立って、フードコートでスマホをいじっている人を数えてみた。

おひとり様だろうが家族連れだろうがカップル、友達どうし、子連れ、その他属性関係なしにおそらく7割くらいがスマホに目を奪われていた。観察しているとすごく面白い。幼子が靴で椅子に上っても気にせずずっとネットサーフィンに興じる親とか、カップルで来てるのに会話もせずお互いにスマホに熱中している風景とか。私は何もそれを批判しているのではない。あくまで「人間観察」の対象として楽しんでいたのだ。

続いて電車。昼下がりのロングシートを観察して、どれだけスマホをいじっているかを数えてみた。

これまた、老若男女問わず、10人中9人がスマホをいじっていた。すごいね。1人だけ読書をしている男性がいたが、それがむしろ目立つという状況。指を素早く動かしていれば大体ラインだろうし、イヤホンをつけて横向きで凝視していればYouTubeか何かのドラマ、定期的に横向きにフリックをしていればkindleで読書、タップを繰り返していればゲーム、下にスクロールしていればインスタかニュースサイトのチェックか何かだろう。指の動きで相手が何に興じているのか分かるのも、実に面白い。

しかし・・もう、笑ってしまうくらいほとんどの人がスマホをいじっている。ぜひ皆さんも人流ウォッチングをしてみていただきたい。日常におけるスマホ依存度が全年齢層で高くなっていることに気づくはずだ。ちょっとひくくらい。

『スマホ脳』とか『読書をする子は○○がすごい』など、その状況を嘆いて批判する書物は世に多けれど、ここまで浸食してしまったらもはや「昔のように」戻るのは不可能である。「昔に戻れ」と専門家がいくら警鐘を鳴らしても、それを元に戻すのはかなり難しいと思う。

2020年代。「目の前の現実よりも画面の中に<今>がある」という仮想現実社会が到来したのである。しかもみんなマスクをしているので表情が分からないときた。昔から「目は口程に物を言う」とは言うので、顔の中で唯一露出している目で意図を探るしかないのだが(耳はワイヤレスイヤホンでふさがっている)、その目が画面を向いてしまっているというのが今の状況である。つまり、目の前の人の考えがよくわからないというのが現実社会だ。むしろ画面越しのほうがダイレクトにコミュニケーションができる、という倒錯した状況にすらなっているのだ。

大切なのはこうした現状の肯定でも否定でもなくまずは「認識」であり、その現状認識においてはじめて、そこにおいてどう生きるか、という問いが立つのだ。とにかくここからでしょう。

しかしスマホウォッチングは面白い。これはいろいろな場所で試せそうだ。「予防接種の待合会場」「ラーメンの行列の待合列」「アトラクションの待ち列」その他、いろいろなパターンがありそうだ。スマホ版考現学といったところか。場所別で「最初の100人行動調査」みたいなのやってみようかしら?スマホ考現学構想である。

ではまた。


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