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多くの企業で「在宅勤務」がスタートした。しかし営業現場の声に押されて「原則オフィス閉鎖だが、緊急の場合は出社を可能とする」という”抜け道”が用意されていることが多く、部署の1/4くらいは出社をしている・・みたいな職場もある。

しかし、(会社が出社を抑えているのに出社する行為は)結局、コロナウイルス感染拡大を封じ込めることと「真逆」のことをしているわけで、却って事態終息を遅らせ、余計に自分たちの首を絞めることになる。ここはおとなしく、できる人は、在宅勤務を徹底すべきであろう。

1度出勤すると、場合によっては1日で90人近い人と2m以内で接触することになる。もし、自分が感染者だとすると、最悪の場合、その100人に感染させてしまうかもしれないのだ。

行きの改札で10人、ホームで5人、電車の中で20人、エレベーターで5人、コンビニで5人、昼食で5人、帰りの改札で5人、ホームで5人、電車の中で20人、スーパーで10人、、と2m以内に接触するとすると、それだけで90人だ。「外出」がどれだけ「接触」のリスクがあるか、これでわかる。

「まさか自分が・・・」という人が、クラスター源になっている。「自分がかかるわけがない」のではなく、「自分はかかる可能性がある」のである。

そう考えたら、安易な気持ちで「緊急だから、出社しよう」と思えるはずがないのだ。それくらい、事態は逼迫している。「会社が出社を禁止しているのに、軽い気持ちで出社をする」という行為は、危険行為でもあると心得なければなるまい。

出社は、癖になる。「家で一人でいても手持無沙汰だから」「家では子どもがいて仕事にならないから」「なんとなく、心配だから」「印刷しなければならないものがあるから」・・・様々な言い訳で、会社を「居場所」にする。しかし、本当に感染爆発が起これば、その「居場所」には行けなくなるのだ。「居場所」を確保するためにも、今はその「居場所」に行かないという選択が極めて重要である。

在宅勤務を1か月も続けるためにはどうしたらよいか。いくつか考えてみた。

■時間割を決める
メリハリのある生活をすることが、きわめて重要だ。例えば私は、平日を以下のような時間割を組んで勤務することにしている。今時、塾のない小学生並みの健康スケジュールだ。

07:00 起床
07:30 朝食
08:00 新聞チェック
08:30 午前の勤務開始(3時間30分)
12:00 昼食
13:00 午後の勤務開始(2時間)
15:00 休憩
15:30 午後の勤務再開(2時間)
17:30 午後の勤務終了
18:00 入浴
18:30 夕食
19:00 ニュースチェック
19:30 残務処理
20:00 業務終了
23:00 就寝

今は通勤時間は、仮にドアtoドアで30分程度であっても、結局準備や待ち時間だなんだで、その倍(1時間)はかかるので、結局往復2時間はロスする。これが丸々「自分の使える時間」として活用できるのは非常に大きい。

そして、オフィスにいるときはなんだかんだで、人から話しかけられたり、自分が話しかけたり、トイレや印刷、探し物で立ち歩いたりと結構ロスが多い。丸々2?3時間、机に向かって集中できる時間というのは、そうそう捻出できないのである。

こういう仕事の組み方をすると、脳が非常に疲れる。それはそのはずで、ずっと集中しているからだ。しかし、通勤で疲れない分、オフィスにいるときよりも朝の集中力は高くなる。まさに生産性革命である。

■休憩をしっかりとる
集中して仕事をする分、それなりに意識してレストタイムを設定しないと、くたばってしまう。朝は3時間30分ぶっ続けで仕事をする一方、業務効率が落ちてくる昼は、2時間で休憩をはさむスタイルをとる。もし、仕事が押していれば、この休憩時間を調整時間に充てるわけだが、ここでせめて10分、15分でも休憩をとるようにすると、後半の2時間の効率が違ってくる。

■通勤しないことにより捻出された2時間
1つは、「残務処理」の時間に充てる。夕食前までに終わらなかった業務(細かいメールの返信など)は、やることが全部終わって「あとは寝るだけ!」というテンションの比較的高めの時間に集中して終わらせてしまう。それでも20時には開放されるようにすると、そこから寝るまでの3時間以上を「自由時間」として使える。これは大きい。

■適度に運動する
通勤もしない、途中でランチの外出もしない・・・となると、必然的に運動不足になる。ただでさえずっと同じ場所に座っているのだから、非常に体に悪い。アイデアも出なくなる。だから、運動の時間は設けたほうがよい。

おすすめは3つあって、1つは勤務前の「ラジオ体操」、昼食後の「youtubeでエクササイズ」、あるいは15時の休憩時の「散歩」だ。全部組み合わせると疲れるので、どれか続きそうな1つでもよいだろう。とにかく「少しでも体を動かす」。それだけでも、その後の業務の効率は違ってくるだろう。

■人と話す
今は、Skypeなり、Teamsなり、Zoomなり、FaceTimeなり、職場のメンバーとのコミュニケーション・ツールは劇的に進歩している。1日1回は、職場のメンバーとしっかり肉声で話す時間を作って、できれば顔を見せて、生存確認をするべきだろう。誰とも話さないでいると、例えば近所のコンビニで「ポイントカードはお持ちですか?」と聞かれたときに、「あっ・・うっ・・持っていないです・・」と、びっくりするくらい声が詰まることに苛まれるだろう(実話)。

■深夜と土日は仕事をしない
いつでも家で仕事ができてしまう環境にあると、特段やることのない自粛期間のことである、ついつい仕事をしてしまう・・というワーカホリック現象に陥りやすい。ただし、ここはオフィスがあるときと同じペースで土日仕事をしないことが重要だ。1日中、気が張り詰めた状態となり、これが1か月も続けば確実に破綻する。「深夜と土日は仕事をしない、メールを返さない、電話にも出ない」という心構えを、むしろ「在宅でない」とき以上に守らなければならないのである。

■在宅でできる趣味を複数見つける
ついつい、在宅のときは「ゲームをする」「Youtubeをみる」「NetFlixをみる」「Amazonをみる」といった画面行為に走りがちだ。事実、私も「あつまれ!どうぶつの森」や「スーパーマリオメーカー2」にハマっているし、Amazonで「全員集合」を見まくっているし、Youtubeも大好きだ。息抜きには最高!!だろう。

ただし、在宅で、ただでさえ「画面系」の仕事をしているのである。ここは「非画面系」の趣味も同時並行でやってバランスをとったほうがよい。厳密に決める必要はなかろうが、画面系に○分、非画面系に○分、と決めるのもありかもしれない。

「非画面系」で真っ先に思い浮かぶのが「読書」「音楽鑑賞」である。「料理」もよい。また、読売新聞の「編集手帳」の編集者が「園芸でも・・」みたいなことを書いていたので、私はさっそく、ベランダで「ガーデニング」を始めることにした。また動画を見ながら「ダンス」というのも面白そうだ。これを機に「語学を勉強する」(ラジオ講座など)というのもありだろう。派生で、「資格を取る」「敢えて昔苦手だった教科を勉強しなおす」などもよいかもしれない。「手芸」とか「DIY」に凝る人も出てこよう。「掃除」という向きもあるかもしれない。子どもがいる家では、「トランポリン」もおすすめだ。小さい子どもは、ずっとそれで跳ねている。親もよいエクササイズになる。マンションならば、下にも音が響きにくいという利点もある。

■意地でも出勤しない   
先程、「出社は癖になる」と書いた。当たり前である。オフィスは仕事がしやすいようにデスクや椅子、レイアウトが設計されているからだ。インターネット環境も家とは段違いに高速なはずである。出したいときに印刷ができ、ちょっと目をやれば外の景色も、観葉植物も自分たちの目を和ませてくれる。空調だって、家よりもずっと効いている。

何より、(ほかの人が出勤していない分)静かである。静かで快適な空間。そりゃ、仕事しやすいって。

だから、ダメなのである。出社しては。社会の要請は「一刻も早くコロナウイルスの感染拡大を抑止して、今までの日常に戻ること」であるからして、今の時分に「行ってはいけない」と言われているオフィスにのこのこ出社するのは、「自分はこの感染拡大抑止に協力する気はありません!」と高らかに宣言しているようなものなのだ。

家は、基本的には「寛ぎの空間」である。職場ではない。ゆえに、生活はしやすいが仕事はしにくい机やいす、レイアウトになっているはずだ。インターネット環境も、オフィスとは段違いに低速なはずである(最近は一斉テレワークによってVPNがつながりにくくなっており、Wi-fi接続ですら超低速回線のようになってしまっている)。印刷はコンビニに行くしかなく、外の景色はいつもの風景、観葉植物などありゃしない・・と。空調もかび臭いもわっとしたエアコンのそれだ。

何より、(ほかの家人がいれば)にぎやかである。にぎやかで仕事にはおよそ向いていない空間。そりゃ、仕事しにくいって。

だから、工夫が必要なのである。そして、出社欲を抑えなければならないのである。社会の要請は「一刻も早くコロナウイルスの感染拡大を抑止して、今までの日常に戻ること」であるからして、今の時分に「行ってはいけない」と言われているオフィスへ出社するのは、「自分は感染拡大をしています」と言っているようなものなのだ。


公開:2020年4月14日

「接触を8割減らす」。どうもこれが、今、日本社会において国民・市民が参画できる唯一にして最大の社会貢献であるようだ。

もっともこれを明確に解説していたのが、小池都知事とヒカキンの対談動画であった。ここで「接触を8割減らすことの意義」が非常にわかりやすく解説されていた。すなわち、

  • 感染者1人を何もしないで放っておけば5日後には2.5人が感染し、1か月後には406人にまで感染が拡大する。
  • 2次感染者を半分に減らせば、5日後にはこれを1.25人にできるので、1か月後には15人にまで抑えられる。
  • そして接触を75%減らすことができれば、5日後には感染者が0.625人となり、1か月後には2.5人という水準にまで減らせる

というロジックである。だから、「8割減」が必要なのだ。

ちなみにこの動画は、大量に存在するであろう「テレビ非視聴者」層へのリーチとしては、現時点で最も効果が高い動画だと感じられた。ピコ太郎の「Wash Hand」もそうだが、「動画インフルエンサーの、拡散力」は、社会にとって今、必要な力である。

そしてこの「8割減」は、可及的速やかに為される必要がある。日経の記事(4月11日付)で、「「接触7割減」では収束まで長期化 北大教授が警鐘 」という記事が掲載されていた。

これによると、

  • 7割減のままでは、感染拡大抑制まで34日、効果の確認まで2か月弱かかる
  • 2週間かけて段階的に(4割→6割→)「8割減」を目指すと、感染拡大抑制水準まで39日、効果の確認まで2か月程度かかる
  • 8割減にしてはじめて、感染拡大抑制まで15日、効果の確認まで1か月程度になる

という。

そしてこれは誰もが懸念していることだが、この記事でも指摘されていた通り、「外出自粛を1か月以上続けると、実行が難しくなる」ということには留意しておかなければならない。何より、実行する側の精神衛生の問題にかかわってくる。もちろん、経済的にもだ。実際は学校の休校は2か月目に突入しており、これが仮に夏頃まで続くとなると、子どもの学業はもちろん、親の精神的負担はいよいよピークに達することとなる。

国も地方自治体も「経済的影響」を気にしてちぐはぐな政策をパッチワーク的に当てこんでいるようにしか見えないのだが、とにかく何が何でも「接触を8割減らし、自粛期間を最小化する」ことが、結局は長期的な経済的ダメージを最小化する最適解のようである。

***

では接触を「8割減らす」とは具体的にどういうことなのか。これについては、TBSの「新・情報7DAYS ニュースキャスター」(4月11日放映)で非常にわかりやすい解説をしていた。普通のサラリーマンが「会社に出勤する」ことで「接触」が拡大することの意味することが、危機感を持って伝わる内容であった。

私なりに、その放送内容を踏まえて「オフィスに通勤するとはどういうことなのか」を記述してみる。ちなみに、「半径2メートル以内」を「接触」とここでは定義する。

すなわち、

駅の改札付近で3人に接触
駅のホームで7人に接触
朝の通勤電車の中で20人に接触
オフィスのエレベーターの中で10人に接触
オフィスの中で15人に接触
お昼のランチで、同僚3名+店員2名+客4名の計9名と接触
帰り道のコンビニで店員1名+客1名の計2名と接触
夜の居酒屋で、同僚3名+店員2名+客3名の計8名と接触
夜の通勤電車の中で15人に接触
帰り道のスーパーで店員1名、客3名の計4名と接触

とすると、1日のうちに93名と接触することになる。
仮に、オフィスへの通勤を取りやめ、在宅勤務に切り替えるとすると、
スーパーで店員1名、客3名の計4名と接触するだけとなり、容易に「8割減」を達成することができるのだ。通勤は最も「接触機会」を増やす触媒となるということが、よくわかる。

***

しかし、実態は「8割減」とは程遠い。
内閣官房が「新型コロナウイルス感染症対策」というページで、所謂ビッグデータを活用し、NTTドコモの携帯電話位置情報を基にした「都市別の人口変動の推計」を公表している。

これによると、例えば4月10日(金)の渋谷周辺の人出は、2019年11月比-57.7%、宣言直前比-30.0%という水準だが、宣言発効翌日の9日比では+1.9%と「増えている」。この傾向は横浜、千葉、船橋、大宮といった都市部でも観測されている。中でも、浦和は2019年11月比でわずか-10.9%しか人出が減少しておらず、宣言直前比でも-7.7%、そして発効翌日の9日比率でも+1.7%の増加となっている(※ただし、居住者のデータを含むので、千葉・船橋・大宮・浦和といった衛星都市部では、むしろ都心部よりも人口の滞留があることは含みおいておく必要がある。参考:「横浜40%、浦和は10%… 緊急事態宣言で人の数が減少 ドコモ調べ」[産経 4/9の記事])

この減少幅では、まったく足りないことは素人目にも明らかである。「もう少し、企業が協力してくれるだろう」と高をくくっていた感のある政府は慌てたはずだ。だからこそ、散々「休業要請はもう少し様子を見てから・・」などと弱腰だった政府をして、「「出勤、7都府県は7割減」 首相、接客伴う飲食自粛を」(日経 4/11)というかなり強めのメッセージを発出せざるを得なくなているのだ(安倍首相は「どうしても必要な場合でも出勤者を最低7割は減らす」とまで言い切っている)。

政府の狙いは明確で、「緊急事態を1カ月で終える」ことだ。すべては経済のため。しかし、結局は「自粛要請はするが、カネは出さない」のであるからして、本当に実効性があるのかはかなり怪しい。

「経済を優先するあまり、目的を見失っている」のが今の政府の状況である。本来は「国民の生命財産を守る」のが政府の存在意義であって、国民の健やかな生命あっての「経済」であるはずだ。

いくら鶏が金の卵を産むからといって、無理して産ませ続けてその鶏の健康を損ねてしまえば、その「金の卵」も手に入らなくなるだ。国民の健康が損なわれてしまえば、経済もさらに立ち行かなくなる。

このままではますます国民の健康は害され、「緊急事態宣言」の対象地域が全国に拡大し、結局「緊急事態宣言」の期間が延び、政府が優先するところの経済は崩壊する。蔓延状況次第では、あれだけアレルギー反応を起こしてきた「ロックダウン」を、本当にやらなければならない非常事態に陥る危険性だってないとはいえない。

***

すでに、危険な香りは漂い始めている。11日、国内の感染者は初の700人を超えるという未曽有の領域に達した(「新型コロナ 国内感染、新たに745人」[毎日 4/12])。

累計感染者の増え方を見ると、すでに「感染爆発」にタッチしてしまった可能性は高い。

1000人→2000人台(3/31) 11日
2000人→3000人台(4/3) 3日
3000人→4000人台(4/6) 3日
4000人→5000人台(4/9) 3日
5000人→6000人台(4/11) 2日
6000人→7000人台(4/??)    1日?(※)

※すでに4/11の時点で6900人となってしまっているので、直近の感染ペースを鑑みると6000人台→7000人台まで、ついにわずか「1日」となってしまう可能性が極めて高い(4/12 1:10現在の情報)。

【上記累計データの参考:時事 「国内感染5000人超す」(4/10)】

3月までは、まだ「増え方」がゆるやかであった。それが4月に入り、急激に拡大の一途をたどっている。約1週間で2倍である。これを爆発的増加と言わず、なんというのか。

もう時間的猶予はない。ここは「とにかく外に出るな。補償はする」という強いメッセージを発出して、向こう2週間でもよいから「人が出歩くことがない環境」を徹底してつくることしかない。そして、お為ごかしの現金給付でごまかすのではなく、緊急の「一律現金給付」や回復後の「期限付き消費税減税」など、これまでには考えられなかった大胆すぎる施策をセットで打ち出し、「政府が責任をもって何とかする。回復後は国民一丸となって復興のために立ち上がろう!」というメッセージを打ち出すしかないのではないか。

「自粛はしろ、でも自己責任で生きろ」というのは、普段酷税に苦しむ側からすると、あまりにも惨い話である。「とにかく外に出るな。補償はするから」というメッセージをただちに出すこと以外に、事態収拾の術はないのではないか。


公開:2020年4月12日

明らかに異常事態なのに、「緊急事態宣言」が出し渋られている。

「緊急事態」と「都市封鎖」が混同されたことで、社会的混乱を何としてでも防ぎたい政府が余計に出しにくくしているのか。新年度だから避けているのか。経済への影響を恐れているのか。

「要請でそれなりに統制がとれるから、まだいいや」というのだったら、ひどい忖度社会である。そんな忖度に甘んじるのもいい加減にしろ、という話。

国は黙っていても税金が入ってくるからよいが、自粛に求めることで、保証もなしに業務をシュリンクさせざるを得ない民間の立場にもなってみろ。

「あと1週間、2週間」といって、すでに1か月以上たっているではないか。中途半端な期限設定で、何度も何度も「自粛」を要請して、「コロナ疲れ」というより、「振り回され疲れ」でもある。

誰もがこの「戦時体制」で「精神的疲労」を感じている。もちろんコロナが憎いのだが、精神的疲労は人災の側面が多分にある。

どのみち、感染爆発を防がなければ経済は崩壊するのだ。「鶏が先か、卵が先か」の議論である。

経済は「金」だけで動くのではない。「人」がなければ動かない。その「人」が未知の病に侵されているのだから、まずは「人」を正常にしていかなければ。

もはや「ソフトランディング」を期待する状況ではない。あれほど「自粛」を求めて、結局、感染拡大は防げていないのだ。どう転んだって、「痛み」を伴う。

それを訴えてこそ、為政者ではないのか。


2020年4月1日公開

志村けんが、あの志村けんが。あの志村けんが、逝ってしまった。

憎い、憎い、とにかく憎い。クソコロナめ。
悔しい、悔しい、とにかく悔しい。クソコロナめ。

日本で随一の喜劇王。現代のチャップリン。日本の宝。

志村けんの笑いで、どれだけの人が元気と、勇気と、やる気と、希望をもらったことか。志村けんが社会にもたらした効用は、何よりも深く、大きく、重い。

クソコロナめ。

「8時だヨ!全員集合!」「ドリフ大爆笑」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのだいじょうぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」・・・日本のコントの最高峰。バラエティの金字塔。これ以外にも、たくさんの、数えきれないほどたくさんのヒット番組の数々。

数年前、念願の舞台「志村魂」を見た。行先に「志村魂」と書かれた観光バスが続々と止まり、期待に顔をほころばせた老若男女が我先にと「明治座」に押し掛ける・・・

これだけ多くの人を笑わせ、元気づけ、「さあ、明日もがんばろう!」という気持ちにさせるような人が、なぜ逝かねばならぬのか。

***

第一報を聞いた時、私は職場で号泣した。仕事中に泣くなんて、自分でも驚いた。その後、お昼休みになると食事をしながら涙が止まらなくなってしまった。帰り道。涙で視界がぐちゃぐちゃになって帰路についた。そして夜。まだまだ涙は枯れないのである。

志村けんが、自分にとってどれだけ大きな存在だったか。仕事を離れ、「我」に返ると涙が止まらない。まったく止まらない。

喪失感があまりにも大きすぎて、まったくこの感情が言葉にできない。何だろうか。この「偉大なもの」「寄りかかれる何か」を亡くした気持ちは。

悔しい。あまりにも悔しい。

***

コラムニストの堀井健一郎さんが、堀井さんらしい切り口で、志村けんへの追悼コラムを寄せている。タイトルは、「志村けんの死でわれわれは何を失ったのか 彼が作り続けたコント世界のすごさ」。

最後に、こう締めている。「志村けんは、いなくなってしまったのだ。」と。

そうなのだ。志村けんは、もう、いなくなってしまった。書いていて涙が止まらない。志村けんは、あの、あの少しシャイで、寡黙で、でも見ているだけでとっても楽しい志村けんは、もういないのだ。突然、あまりにも突然、いなくなってしまったのだ。

もう、新しい志村けんのコントは、もう、、もう二度と、、、、二度とみられないのである。二度とだ。

なぜだ。なぜだ。

いつも僕の心をときめかせ、いつもわくわくさせてくれ、画面に映るだけで楽しくて楽しくてしかたがない、あの志村けんは、もういなくなってしまったのだ。

***

志村けんで育った1人として。

本物の笑いを本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。


公開:2020年3月31日

一緒にいてどうも疲れる人と、元気をもらえる人。これと「うまくいかない人」と「うまくいく人」は相関があるなぁ・・・と思うようになった。

最近気づいたことは、人には4タイプあるということだ。
■表面上は明るくて、性格も前向きな人(陽で陽)
■表面上は暗いが、性格は前向きな人(陰だが陽)
■表面上は明るいが、性格は後ろ向きな人(陽だが陰)
■表面上は暗くて、性格も後ろ向きな人(陰で陰)

このうち、大切なのは表象される明るさ・暗さではなく、性格的な「前向き」「後ろ向き」の部分であることに気づいた。

人が人を呼ぶ。元気をもらえる人、すなわち、「うまくいく人」は、例外なく性格に「陽」の属性を持っている。すなわち、「陽で陽」「陰だが陽」の2者である。

「陽で陽」は、解説不要。
「陰で陽」は、一見、暗い人なのに、心持が前向きな人。
人付き合いは、この2タイプに精力を注ぐことが人生を豊かにする秘訣だと私は感じてきている。
(仕事上も、このタイプとの付き合いに注力をすることで「生産性」が向上するのだと思われる)

「陰で陰」は、解説不要。
「陽で陰」は、一見、明るい人なのに、心持が後ろ向きな人。一番タチが悪いと私は思う。いわゆる「無能な働き者」の類だ。後ろ向きなら後ろ向きらしく、騒がずに静かにしていたほうがよい。
人付き合いは、この2タイプとの接点を避けることが、幸せのカギなのではないか。
(仕事上も、このタイプとの付き合いを極小化することで「生産性」が向上するのだと思われる)

松下幸之助の逸話に、「運がいい人を採用する」というのがあった(7年くらい前にも書いた)。
そしてタモリも、一世を風靡した「ネクラ・ネアカ」論でこのことを指摘していた(のだと今にして思う)。

つまりは、「見た目」の陽・陰ではなく、性格上の<陽タイプと付き合い、陰タイプとは疎遠になる>ことが、人間関係で悩むことを極小化する最適解なのではないか、と思われるのである。


公開:2020年3月29日

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