テレビをやめてから1年半。
NHK代が浮き、家が広くなり、余計な情報に煩わされることもなくなり、静かになったことで読書に集中できる時間も増えた。悪いことが何もない。
次は新聞もやめた。
やめた理由は次に集約される。
(1)高い
消費税で優遇されているにもかかわらず、「値上げ」とな。月約4000円というのは、この物価高のご時世に厳しすぎるわけで。年間約5万円の節約は大きい。
(2)重い
地味に、溜まる新聞や広告を束ねて捨てる・・・という行為に耐えられなくなる。広告の束を見るたびに、「どうして労力かけて見もしない広告棄てなあかんねん」となってしまった。
(3)古い
もはや、情報が古い。どうしてもネットニュースの速報性には勝てない。・・・というのと、記事や広告が「高齢者向け」過ぎて、得るものが少なくなっているというのも大きい。今日日、「インターネットの使い方」みたいな記事載せられても見ないわけで・・・。
(4)偉そう
実はこれが一番やめるきっかけになったもの。ある時、何気なく「社説」に目を通して、一気に醒めてしまった。
よく考えれば、戦争も、バブルも、「失われた30年」も、少子化も、なーーーーーんにも食い止められていないくせに、大上段で天下国家を語る言説に、申し訳ないが、何かが切れてしまった。「蛙化現象」とでもいうか・・・。
「なんで月数千円も払って、偉そうな大人の説教読まなあかんねん」となってしまった。
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テレビも新聞もやめたからといって、「ネットがあるから」という方向に舵を切るわけではない。
そもそも、情報過多の時代である。
よく考えると、「知らなくてよい情報」というのはごまんと存在する。
ニュースは、基本的には送り手が垂れ流している情報だ。
テレビも新聞もやめた。これを機に、「ニュースそのもの」への接し方も見直していきたいと思う。
2025年3月1日記す