テレビを売ってみて気づいたことは、テレビというのは自分の好きなタイミングでコンテンツを見られないというウィークポイントがあるということです。動画を「飛ばす」あるいは「倍速視聴」することに慣れてしまうと、決まった時間にアクセスしなければならず、しかも結論がなかなか示されないテレビ番組は、きわめて億劫です。さらに、サブスクリプションとしては極めて割高なNHK代が強制的にかかるという枷もあります。
続いて「動画」。これも、結局「見て」「聞いて」をしないと目的の情報にたどり着かない(一覧性がない)というボトルネックがあります。どうしても時間がかかるのです。また、「おすすめ」で似たものばかりが紹介されるので、「飽きる」というのがあります。むしろ全く違うジャンルのものが「おすすめ」されたほうが、プラットフォームとしての寿命が長くなるのではないか?とすら感じます。
こうしてみると、トレンドがもう一度「静的」なメディアに戻るのではないか、という予感がしています。例えばラジオです。耳さえ貸せば、自然にコンテンツが聞こえてくる。これはラクです。BGMとしてならば。ただ、すでに音が気になってしまっていて、「傾聴」するのはするのでこれも疲れるな、とも思ってしまっています。
そして「Webサイト」や「本」など。これも、自分の意志で読みたいところを読めばいいわけですから、「探す」必要のある動画や、「待つ」必要のあるテレビと比べて優位性があります。「読む」だけ、「見る」だけ、というのが究極には到達点かもしれません。
===
これ以外にも、「面倒なもの」として以下のようなものが挙げられます。どうでしょうか。
まずは3D。定期的に「3Dブーム」はやってきますが、なかなか定着しません。理由は単純に目が疲れるとか、酔うというのもあるのですが、何よりも重要なのは準備が大変ということでしょう。裸眼立体視もあるにはありますが、機材(ヘッドセットなど)を準備して・・・というのはいかにも大げさで、億劫なのですね。
この関連で行くと、仮想空間もそうですね。わざわざデバイスにアクセスして、その中でも社会生活を強いられるというのは相当にしんどいものがあります。日常生活でさえ、コスパだタイパだと大わらわだというのに、さらに別の世界でまであくせくできないよ、と直感的に思っている人も多いのではないでしょうか。本当のところは知りませんが。
あとは音声入力でしょうか。これは薄々気づいている人も多いと思うのですが、声を出すのって意外としんどいんですよね。単純に疲れます。当たり前ですが、何もせずに黙っていたほうが楽なんです。しかも、認識してくれなかったときや誤認識があったときの訂正も面倒です。
・・・ということで、「テレビを売った」というただそれだけで、便利になっているつもりがものすごく「面倒」なものに囲まれて生活しているな、と気づかされたという話でした。
2023年7月25日