■ソフト化
- 直営はフランチャイズへ。フランチャイズはライセンスへ。
- ネタ見せはひな壇へ。ひな壇からコメンテーターへ。そして司会業へ。
- 製造業は蓄えたキャッシュを活かして金融へ。
- 有名になったらグッズ販売、そしてサロンへ。
- 当たった作品は続編頼みとなって、やがてスピンオフへ。
- 現金は銀行振込へ、そして電子マネー、オンラインのポイントへ。
- アナログカセットはデジタルディスク、そしてデータ販売、ストリーミングへ。
- 所有権の販売から、使用権の販売へ。
- 買い切りモデルからサブスクリプションもしくはメンテナンスモデルへ。
- 多機能優勢から機能特化型へ。
- モノ消費からコト消費、そしてストーリー消費へ。
- コモディティ化の進展で一般化、差別化へ。
- 重厚長大から短小軽薄へ。
- 面倒からラクへ。
- 切り抜きから倍速視聴、そしてショート動画へ。
- 手動から自動へ。
高いところから流れる水の如く、ことほど左様に「快適」を目指して社会は"発展"してゆくのであった。
■AI
未知のもの、よくわからないものを恐れる心はもっともだが、とはいえ、ChatGPTに端を発した世界的な「これ、ヤベーかも」ムーブは、かつての「小説ばかり読んでいると・・」「漫画ばかり読んでいると・・」「映画ばかり見ていると・・」と同様、「新文明」に対する惧れそのものであるように感じられる。おそらくどんなに規制したところで・・・もう流れは止められないのではないか。
人間の思考回路は、突き詰めれば電気信号である。過去・経験の蓄積から「着想」を得るわけだが、・・・翻ってAIも同じく動作回路は電気信号だ。過去・経験の"蓄積"から"着想"を得るのだからして、アウトプットだけを求めれば、実はもうそのプロセス(人間が生み出したのか、AIが構築したのか)は「判別不能」な領域にもなってきている。
何だろうか・・いうなれば、地理を「桃鉄」で覚えようが、「ガリ勉」で覚えようが結果は同じじゃない?・・・・ということだろうか。
人間は自分がインプットできる(要は能動的)存在で、機械は常に受動的であるという見解もあるが、これはプロセスの問題であって、成果物に遜色がなければ、すでに「差分」ではなくなっている。
また「AIは間違いもある」というが、それは人間も同様だ。卑近な例で言うと、自分が少し詳しい分野で「Youtuberの解説系動画」を見てみればわかるでしょう。堂々と間違えているって。もちろん、新聞だって、本だって同じだ。間違える。そんなものだ。要は、「間違えるか、間違えないか」でAIと人間との差分を測る意味はあまりないのだ。
インプットの質やアウトプットの成果だけではかろうとすると、見誤る。人間とAIの絶対的な差分は、肉体と感情でしょう。すなわち、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚(五感)、痛覚・疲れ・喜び・悲しみ・楽しさ・嬉しさ・怒り・煩悶・嫉妬・恨み・・・
純粋なインプット/アウトプット論ではなくて、「人間とAI」とを分かつのは「肉体感」と「感情感」に収斂するのではないか。
2023年4月30日