厭戦気分ってやつだ。もう笑っちゃうくらい、政府と国民の心が乖離しているのが分かる。政府はオリンピックが命なので国民のことなんてどうでもいい(死なない程度に税金を納めてくれ)とおそらく本気で思っているし、国民は国民でそんな政府の魂胆は見えているから「生きていける程度に」いうことをきく、と。そんな「相互不干渉の均衡」で日常が成り立っている。
まあ、昔からそうかもしれないが、ある意味、政府と国民の距離感としては今みたいな「相互不干渉の均衡」くらいでちょうどよいのだろう。近すぎても管理型になってウザいし、遠すぎてもカネが回らなくなって死んじゃうし。こんなもんなのだろうな、と思う。お互いに期待しない感じ。ある意味心地よくないですか。
なんでもそうだが、期待するから裏切られて怒り狂うわけで。とっくの昔に「期待」をぶつけ合う「政治の季節」なんて終わっていて(だから野党は受け入れられないのだ)、人口が増え続けていたから享受できた「経済の季節」もとうに過ぎて(だから可処分所得は減り続けるのだ)、余ったカネで一儲けする「拝金の季節」も終わりを告げて、「あきらめの季節」が到来しているのである。
その証拠に、子どもが減っているでしょう。だから人口も減り続けている。今から何やったって「減ったペア」からしか再生産はされないのだから、国自体が確実にどんどんダウンサイジングしていくわけですよ。政府も国民に期待していなけりゃ、国民も政府に期待していない。同じ考えなのだから、期待値はどんどん下がる。まあ、よい均衡じゃないですか。もっとも、縮小均衡だけど。
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さて。みんな大好き「オリンピック」である。現状は、とにかくオリンピックをやりたくて仕方ない人たちと、別にどーでもいいほとんど(8割)の国民。そこから遊離する選手たち。何がスポーツマンシップか。どこが復興か。
私は別に「お金のために」大運動会をやることを非とは思っていない。興行ですからね。確立したビジネスモデルだから、やりたければやりたいひとがやるのはよいと思う。需要があれば金が回るわけですからね。カネが回れば復興にもつながるしね。論理はどうあれ、また倫理的にどうあれ、「やりたければやればいい」という性質のものでしょう。
ただ、それって平時ならね。ここがポイントなのよね。
今は戦時だから、「こんなところにカネをかけてんじゃねーよ」と思っている人がたぶん、普通のときよりは間違いなく多いということよね。コロナで大赤字に陥ったスポンサー企業の従業員だったら、「それを給料に回せよ」ってたぶん思うよね。国民だって、「そんなところに税金回すなよ」という気持ちは、平時よりも強いはず。
もちろん、選手個人に罪はまったくない。この状況は非常に気の毒である。だが、「中止したら準備をしてきた選手がかわいそう。時期を逃す」という言葉で良心を攻撃するのはちょっと違う。
いいですか。どれだけの人がこのコロナで涙を呑んできたか。コロナで傷ついたり、ボーナスがカットされたり、おかしくなってしまったり。選手「だけ」が特権階級なのではなくて、多くの人が日常の生活を狂わされているわけです。何かを特別扱いをすると、必ず分断を生みます。
「時期を逃す」といったら、じゃあ、「卒業式」「入学式」「甲子園」「成人式」その他、「一生に一度」のイベントを逃した人は何万人いるんだって話なわけですよ。
もともと、オリンピックで利益を得るはずだった業界の損失を補填する「GOTO」キャンペーンだって、それが直接の原因かどうかはともかくも、国民の気を思い切り緩ませて、次の緊急事態宣言を惹起してしまったわけでしょう。金が回るはずだった業界を傾斜的に支援しているつもりが、却って深刻な損をさせることにもなっている。
今の「飲食店一律給付」だって、飲食店を応援するつもりが、「コロナバブルだ!」と批判を生む温床にもなってしまっているわけですからね。支援で分断を生んでどうする。
ただでさえ「上級国民」というスラングが人口に膾炙している時代である。オリンピック基準で傾斜的な財政出動ばかりをしているために「プチ分断」が起こっている中、オリンピックを強行すれば、スポーツそのものはもとより、スポンサー、その他「オリンピック」を連想するものへの風当たりが強くなることは火を見るよりも明らかだ。
もはや何がやりたいのかさっぱりわからない。平和の祭典どころか、分断の序章みたいなことをやってどうする。
ただ、そういう諸事象への怒りはまったく沸かない。ここまでくると、批判する気持ちにもなれず、ただただ、諦観するほかなくなるのである。
「オリンピック」に一億火の玉、心頭滅却すれば火もまた涼しで飛び込むのもよし。できもしない「コロナ撲滅」でぺんぺん草も生えないくらい経済を壊滅させて、経済が焦土化するくらいのロックダウンをするも自由だ。もう好きにしたら、という感じである。
今の気持ちでいうと、「やろうがやるまいがどうでもいいけれど、とにかく早く終わってくれ。ただ、お願いだから巻き込むな」という感じだろうか。
・・・こうやって書いていたら、本当にどうでもよくなってきた。巻き込まれたら全力で拒否する所存だが、巻き込まれない限りは、ちょっともう関知する気持ちにもなれない。それくらい、少なくとも私の心は倦んでいる。
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マスクつけて、手洗いうがいをして、三密を避けて、早寝早起きをして、三食食べて、健康に生活しようっと。別にオリンピックをやろうがやるまいが、自分の生活には関係ないんだった。もっと自分のことを心配しようっと。
2021年1月30日