百花繚乱・・・もとい、諸説紛々の「英語教育界」に、「英語を学ぶには、絵本がよい」という流派があることを最近知った。よくある「日本人は9年間も(今は12年間)も英語を勉強するのに、ちっとも話せない。それは受験英語に問題がある」という批判の急先鋒ともいえる論点であり、興味深く思った。
絵本か・・・まずは有名な英語の絵本、「Clifford the Big Red Dog(おおきいあかいクリフォード)」を手にしてみよう。いきなり原書のハードルが高ければ、CDつきのクリフォード初歩の初歩、「フォニックスファン」シリーズからでよいと思う。たぶんこれくらいとっつきやすくないと、続かないと思う。
しかし「絵本」と馬鹿にするなかれ。まずびっくりするはずである。文字だけだと、すべての意味が分からないことにすぐに気づくからだ。
そこで絵を頼りにすると、何とか推測して文章を読み進めることができる。「英語は絵本で」派の主張はまさにここで、「絵を頼りに、文脈を補足する」ことの積み重ねこそが、英語力の基盤になる、と言っている(やや乱暴なまとめかもしれないが)。なるほどそうかもしれないな、と思う。
とあるTOEIC850点の才媛ですら、当該書籍を初読で「意味が分からない単語があった」と言っているくらいなので、私が読めなくても当然なのだが、現地人はこれを2、3歳で読み聞かせされて意味が分かるわけだ。それだけ、「テストの英語」と「実際の英語」が乖離しているということだろう。
例えば英単語の「POP」。絵を見れば「じいじ」のことだとわかるが、「祖父」=Grand Father もしくは Grand-Paなんて機械的に覚えている脳には、どうしても「POP=じいじ」とは思い浮かばない。こういうのがたくさんあることに、「クリフォード」シリーズを1冊読むだけでも、愕然とさせられるのだ。
日本人が、ちょっとふざけて「うちのじーちゃんがさぁ」という話をするようなノリで、英語圏の人と「My POP was ●●●、HAHAHA,,,」なんてやられて、「?」だったら、「こいつ、こんな言葉も知らねぇのかよ」と思われること請け合いである。
***
翻って、言葉を学ぶには、「絵本がよい」ということなのだろうと思う。よく「歌と読み聞かせが大切」というが、確かに、語彙も十分に獲得していない乳幼児が、ことばの世界を広げていくには、情景を想像できる(その言葉が表す意味内容が具体的に表象される)「メロディ」や「絵」の存在が決定的に大切なのだろうと思う。
わが子には、0歳から約2年かけて「読み聞かせ1万冊」を実践してみたが、それから約2年。約100分の「ドラえもん映画」の内容を理解し(例えば名作の1つである「宇宙小戦争」の感想を述べることはできる)、「すみっコぐらし」の映画で感動して泣くくらいの状況把握力は身に着けてくれている。「絵本に触れさせることの大切さ」は、日に日に(事後的に)体感しているところである。内田樹さんが著書『日本辺境論』で、「学びとは、事後的に体得されるもの」ということを書かれていて「なるほど!」と思ったものだが、本当に「絵本」の効果は事後的に顕れるように思うのである。
「言葉」で生活する人間は、その言葉の獲得を、何かで担保せねばならない。その1つの方法が、確かに絵本なのではないか、ということはわが子への実践からも何となく感じるのであった。
2020年12月29日