新型コロナウイルスとの闘いは、正に「戦争」である。銃後を生きる我々は、コロナと戦うとともに、もう二度と社会が「コロナ前」には戻らないことを自覚し、今の社会の「当たり前」を見直すしかない。
■9月入学で、社会を変える
「9月入学」説がにわかに現実味を帯びてきた。3月・4月、そして5月と3か月間も「学校の授業」がまともに実施できない現状では、夏休みを超えて「9月入学」に切り替えるのが、生徒の学習機会担保の観点で見て、もっとも現実的な選択肢であろう。
「4月が入学の季節。桜とともに入学式!」という向きもあろうが、近年の気候変動で、例えば首都圏では3月には桜が咲き終わってしまっているし、そもそもの話、東北では5月前に桜が咲く。別に、「入学=桜」ではないのだ。
そして単純に9月入学が国際標準であるからして、今後の国際競争を見据えた時には、日本独自の制度に拘る必要もあまりない。
強いて言えば、予算管理の問題であろう。ただこれも、仮に「年度」という枠組みを活かすならば、9?3月の7か月を1年度、4?8月の5か月を2年度として、分割管理すればよいだけだ。
本当は、社会全体で年度そのものを「9月?8月」としてしまうことも考えたいところだ。難しいようでいて、実はできないことではない。そもそも、確定申告は「1月?12月」で行う。年度管理を「1年」とずらしたところで、人が決めただけのこと、やろうと思えばできるはずだ。
9月入学の導入によって、意識が変わり、社会の常識が変わる。就活が変わり、企業活動も変わる。空白期間が生じている今こそ、前例にとらわれず、社会全体で取り組むべき課題であろう。
■オンライン化を一気に進める
在宅勤務を続けて、心底思ったことがある。「通勤って、本当に無駄だな」ということ。往復2時間が「家での時間」に代わるだけで、どれだけの時間が捻出されることか。仕事の時間+通勤時間で大幅に拘束されていた「自分の時間」がつくれたという人も多いのではないか。これこそ、「働き方改革」である。
小池都知事の公約通り、図らずも「満員電車ゼロ」が実現した。誰とも知れない人とくっついて出勤するという光景が、そもそも異常なのである。「同じ時間に、一斉に移動する」必要が実は全くないことを、この在宅勤務は示してくれた。
ミーティングはオンラインで充分。むしろ、無駄な話をしている余地がないので、テーマが明確で、サクッと会議が終わる。
FAXなど時代錯誤の遺物。メールなり、BOXなりで済む書類を、今までどれだけ無駄にやり取りしていたか。
そしてそもそも、事業所という存在がもったいない。オフィススペースを縮小し、浮いた賃料を社員のオンライン経費に回し、「いつでも、どこでも、誰とでも」仕事ができる環境を整えるほうがよほど生産性に直結する。社員が自宅近辺で仕事をできたほうが、災害時のリスクヘッジにもなる。
これも、「在宅勤務」を多くの日本人が”体感”しはじめている今こそ、前例にとらわれず、社会全体で取り組んでいくべきテーマとなろう。
■学校の常識を変える
時折、休校期間中でありながら、「登校日」と称して学校にランドセル姿で登校する子どもの姿を見かける。
「ちょっと待てよ」と思う。一体何年、「学校に行くこと」を前提として教育制度を組み立てているのか。
オンライン環境を整えれば、非常時にはわざわざ学校に行かずとも、在宅で授業を受けることはできる。まずは「学校に行けない状態でも、教育機会を担保する」ための環境づくりが急務であろう。
そして、そもそも「毎日、決められた時間に学校に行く」ことにもメスを入れる必要がありそうだ。例えば週1回は在宅で授業を受ける日、などを設けることで、「家で学習する習慣を身に着けさせる」ことに特化した教育プログラムを組んでもよい。
「○月○日は市営の○○体育館に集合」とやって、1日中、外部で体育の授業をしてもよい。わざわざ、体育館や運動場をセットで設置する必要もないかもしれないのだ。
ここは、柔軟に考えたい。集団行動も重要だが、同じように「個人としてどう動くか」の訓練も必要なのだ。旧時代的な「標準工業品を出荷する教育」=集団教授式(みんなと、同じ時間に、同じ成果をあげさせることを目指す)だけでなく、「オーダーメイドのオリジナル商品を出荷する能力を磨く教育」=個人別学習(いざ、一人で動くときに、どう学ぶかを体感させる)という「学び方」そのものも提供できる教育機関に脱皮することを、学校には強く期待したい(どちらか、ではなくどちらも、である)。
■会社の常識を変える
筆頭は、やはりテレワークの浸透だろう。この流れは止めようがない。「監視型テレワーク」は絶対に長続きしない(疲れるから)。そうではなく、「成果型テレワーク」に移行していくだろう。「労働時間」ではなく、「成果」だけでもなく、「組織の成長プロセスと成果物」で組織への貢献度を図る、そんな時代がまもなく来ようとしている。
「ハンコ決済」「書類の郵送・FAX」はかなり厳しい局面に立たされる。一度デジタルの「手軽さ」「即応性」に慣れてしまうと、ほとんどすべての書類決済はオンライン化が加速することになろう。
「同じ時間に、同じ場所に、全員が集合する」という勤務スタイルは、もはや古い。「バラバラの時間に、別々の場所で、全員が自分の仕事をする」という勤務スタイルがデフォルトになる。すると畢竟、「通勤」という概念が様変わりする。
まずは「満員電車」がなくなるはずだ。どうしても出勤が必要な時でも、わざわざ激混みの時間に突入していって、体力を消耗させる必要はないのだ。
中長期的には、「居住環境」が多様化するであろう。テレワークが浸透すれば、わざわざ「都心に近い場所」で働く必要性が薄くなってくる。場合によっては、「自然が大好きなので、山奥の広い家を買ってそこからリモート出勤をする」とか、「日本中を旅して、必要な時に業務に加わる。だから家は安いところで充分」みたいな究極ともいえるノマドワーカーも普通になるかもしれない。
会議も出張も、勉強会も。もはや「集まって何かを実施する」というのはリスクでしかない(感染、災害など)。コストもかかる(交通費、会場費、資料代など)。「できるだけ人を動かさない」という方針が、これからますます強くなってこよう。
■”アフターコロナ”を見据えた業務改革を:「再成長戦略」としての働き方改革
今はまだ多くの企業が緊急対応の段階(社員とステークホルダーの安全確保、既存の事業継続計画(BCPやBCM)に基づく応急的実行)にあろうが、やがて1年というスパンで「収束」が見えてきたときに、「戦後処理」が必要になってくる。それが組織や業務体制全体の再構築(リストラクチャリング)の段階である。そして、この2つの段階を乗り越えた先に、「ポストコロナ」のイノベーションを起こしていかなければならない。
平成を駆け抜けたグローバル化、拠点の集約化、選択と集中は、すべて「平時」の戦略であった。「戦時」は、グローバル化が統一対応の足枷になるし、組織効率化はバッファーの不足を露呈させる。これまでの「効率一辺倒、グローバル化頼み」では到底立ち行かないのが、この「アフターコロナ時代」であろう。
組織はまず、BCPやBCMといったリスクマネジメントの概念を、まさに、組織そのものの生命を守り抜くために、より包括的なERMにまで引き上げていく必要が生じよう。リスク評価の概念を、単に「地震」や「台風」といった災害にとどめず、全世界的・長期的に経済活動がストップする状況を想定したものに引き上げていかねばなるまい。
これと密接にかかわってくるのが、組織改編である。組織ビジョンや経営計画の抜本的見直しはもちろん、抱えている事業そのものの大幅な再構築も求められよう。
それにはまず、組織の変革だ。「稼得部門」は「効率化」のみならず、稼得特化能力(不要不急の業務に忙殺されない業務チェーンの見直しと緊急時のリスク対応能力)を高めるための適切かつ迅速果敢な投資を行うことが求められ、一方で「バックオフィス部門」は、一層の効率化を進める圧力が強まるはずだ。
そのために欠かせないのが、ICTを中心とした企業内インフラの充実である。「高速」で「安全」な社内LAN環境の整備を前提に、より社員がテレワークをしやすい環境を常時整えておくことが求められる。
これと併せて、人事制度の改革にも徹底的に着手をする必要性があろう。それこそ、2021度からの「9月入学」1期生に合わせた新卒採用活動からスタートし、社内研修制度の見直し、「働きすぎない在宅勤務」を見据えたテレワーク制度の整備・充実、台風災害などのときに「外で何時間も電車を待って出勤する」ことが”美徳”とならないような人事制度設計も含めて、根本から制度そのものを見直していくことが不可欠である。
本稿の参考文献:「アフターコロナを見据えた取り組みの方向性・・・収束から再成長に向けて 」(日本総研)
■まとめ
以上、様々なことを書いたが、とにかく空白期間が生じている今こそ、前例にとらわれず、社会全体で取り組むべき課題であろう。
公開:2020年4月29日