志村けんが、あの志村けんが。あの志村けんが、逝ってしまった。
憎い、憎い、とにかく憎い。クソコロナめ。
悔しい、悔しい、とにかく悔しい。クソコロナめ。
日本で随一の喜劇王。現代のチャップリン。日本の宝。
志村けんの笑いで、どれだけの人が元気と、勇気と、やる気と、希望をもらったことか。志村けんが社会にもたらした効用は、何よりも深く、大きく、重い。
クソコロナめ。
「8時だヨ!全員集合!」「ドリフ大爆笑」「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「志村けんのだいじょうぶだぁ」「志村けんのバカ殿様」・・・日本のコントの最高峰。バラエティの金字塔。これ以外にも、たくさんの、数えきれないほどたくさんのヒット番組の数々。
数年前、念願の舞台「志村魂」を見た。行先に「志村魂」と書かれた観光バスが続々と止まり、期待に顔をほころばせた老若男女が我先にと「明治座」に押し掛ける・・・
これだけ多くの人を笑わせ、元気づけ、「さあ、明日もがんばろう!」という気持ちにさせるような人が、なぜ逝かねばならぬのか。
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第一報を聞いた時、私は職場で号泣した。仕事中に泣くなんて、自分でも驚いた。その後、お昼休みになると食事をしながら涙が止まらなくなってしまった。帰り道。涙で視界がぐちゃぐちゃになって帰路についた。そして夜。まだまだ涙は枯れないのである。
志村けんが、自分にとってどれだけ大きな存在だったか。仕事を離れ、「我」に返ると涙が止まらない。まったく止まらない。
喪失感があまりにも大きすぎて、まったくこの感情が言葉にできない。何だろうか。この「偉大なもの」「寄りかかれる何か」を亡くした気持ちは。
悔しい。あまりにも悔しい。
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コラムニストの堀井健一郎さんが、堀井さんらしい切り口で、志村けんへの追悼コラムを寄せている。タイトルは、「志村けんの死でわれわれは何を失ったのか 彼が作り続けたコント世界のすごさ」。
最後に、こう締めている。「志村けんは、いなくなってしまったのだ。」と。
そうなのだ。志村けんは、もう、いなくなってしまった。書いていて涙が止まらない。志村けんは、あの、あの少しシャイで、寡黙で、でも見ているだけでとっても楽しい志村けんは、もういないのだ。突然、あまりにも突然、いなくなってしまったのだ。
もう、新しい志村けんのコントは、もう、、もう二度と、、、、二度とみられないのである。二度とだ。
なぜだ。なぜだ。
いつも僕の心をときめかせ、いつもわくわくさせてくれ、画面に映るだけで楽しくて楽しくてしかたがない、あの志村けんは、もういなくなってしまったのだ。
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志村けんで育った1人として。
本物の笑いを本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします。
公開:2020年3月31日