■「ノー残業 職場の外では 仕事増え」
仕事量を変えずに残業時間だけ規制しようとすると、持ち帰り残業が増えるだけだ。もっと構造的に「仕事のプロセス」を改善していかないと、真の働き方改革にはならない。
仕事には、「やらなければならないこと」と「やったほうがいいこと」「やらなくてもよいこと」が混在している。大抵は「やらなくてもよいこと」に時間がとられ、「やらなければならないこと」までしか手につかず、「やったほうがいいこと」(これは、一言でいうと将来の自己成長や組織成長への投資である)にリソースが割かれることはほぼない。
これを逆転させて、「やらなければならないこと」に特化し、「やらなくてもよいこと」には手を掛けず、「やったほうがいいこと」の時間を捻出する。ここまでやっての「働き方改革」であることをもう一度考え直したい。
国会でも取り上げられた有名な話で、「レジ打ちの速度が2倍になったところで生産性は変わるのか」という命題がある。企業サイド(ミクロの観点)からすると、レジ打ちが2倍速になればそれだけレジの稼働台数を減らせる(単純計算で1/2にできる)わけだから、確かに「生産性」は高まるのである。ただ、マクロのの観点でみると、レジ打ちが2倍速になったところで客が2倍に増えるわけでもないし、売り上げが2倍になるわけでもないから、「それだけ」では付加価値を創出したわけではない、ともいえるのである。
要はスキルアップによって時間が単純に2倍速くなったレジ打ちの店員が、その時間を使って何を捻出できるか、まで設計することが必要だということだ。
時間労働者の作業力がスピードアップすると、結局その労働者の取り分が減る(作業時間が減るから)とか、そもそもレジの総稼働数が減って総人件費が抑制できるとか、そういう「人件費圧縮」目的だけで働き方改革を進めていくと、前述のとおり経済全体として「付加価値を創出」したことにはならないので、利益は上がっても、いつまでたっても社会全体としての「生産性」は上がらない、ということになりかねない。
働き方改革とは何のためにあるのか。それは、人口が激減し、社会がシュリンクする中であっても、今の経済を何とか維持していくためのアウトプット改革である。これは換言すると「労働者1人当たりの生産性を高める」ことに他ならないことをここで確認しておく。
繰り返しになるが、「スキルアップの結果として捻出された資力を何に活かすか」という観点と、そもそも、前提となる「スキルアップやアウトプットをどうやって創出するか」という観点が、働き方改革には欠かせない要素ということになる。
■では、何から着手するか
「やらなくてもよいこと」を今すぐやめることである。今すぐにだ。
*確認事項だけの「念のため会議」
メールを読めば済むこと、各自で確認すればよいことはいちいち集まって行わない。「会議の時間が60分設定だから、そこに合わせてコンテンツを組む」など愚の骨頂だ。
*出社しての「書類作成」
わざわざ1時間かけて書類作成のためだけに出社するのはもはやナンセンスだ。「人と顔を合わせる必要がある」仕事のためにだけ、オフィスはあればよい。いや、もはや「人と顔を合わせる」ことすら、SkypeやTeamsなどの情報共有ツールで事足りる。そもそもオフィスって何のために存在するのだろうか(たぶん、突き詰めると社員と社員の知的な刺激と化学反応・・学びあいのため「だけ」にあるのかもしれない。オフィスは事務作業をする場所ではなくて、学ぶための場所・・・となると、今までのような機能はオフィスにはいらなくなる???)
オフィスと社員はもう要らない!?(日経ビジネス)
*同じ時間に通勤すること
上述のとおり、オフィスに出勤することそのものは「仕事」でもなんでもない。携帯さえあれば顧客に直接電話だってできるから、デスクについている必要すらない。とすると、わざわざ「同じ時間に通勤すること」すら異常にナンセンスなことだとわかる。すし詰めの満員電車に全員で乗り続けることは、体力的にも精神的にも、社会の大きな損失でしかない。
*社内の視察と接待
一定規模の企業であれば、「偉い人」が現場訪問(視察)をすると大騒ぎで社内接待がはじまる。やれ、どんな職場の状態を見せる、どのお店で歓迎会を開く・・・「現場の声を聴く」つもりが、「忖度といい顔で塗り固められた張りぼて」だけが一夜城のごとく構築されるのである。企業のアウトプットにはまったくかかわらないことだ。
現場の本当の空気を知るには、偉い人がフラットにやってきて、フラットにランチでも一緒に食べて帰る・・・くらいの状態が常態化する以外にないのであって(そして組織のレポートラインを考慮すると、直属の上司を飛び越えてその状態を実現する組織的合理性は不明であるし、仮にその状態が必要なのであれば、そもそも組織の改編こそ求められるともいえる)、旧態依然とした「視察部隊」をやっている限りは、現場で「顔を見せる」ための残業が今日もどこかで行われることになるのである。
*社内でのプレゼンや勉強会でやたらとPPTを使うこと
PPTは、「装飾」もあれば「ノート」もあって、「作業」の集合体だ。社外向けのプレゼンであれば効果的な視覚効果を狙ってどんどん使えばよいと思うが、社内向けではどうだろうか。実はワードファイル(PDFでもいいが)に文章と図を載せておくだけで充分・・ということはないだろうか(むしろそのファイルを読めば大要が理解できるのであれば、「プレゼン」という行為すら不要なのではないか)。
ワードファイルなら、「大量のPPTをカラー印刷する」みたいな時代に逆行した行為もなくなり、大幅な印刷費縮減にもつながる。
*虚礼
すぐに顔を突き合わすメンバーに対する年賀状を筆頭に、古い職場だといまだに「バレンタインデー」や「ホワイトデー」の義理チョコの交換などを行っているところもあるかもしれない。これも「やらなくてもよいこと」の代表のようなものだ。
*社内行事
歓送迎会はともかくとして、忘年会や納会を代表とする強制的な飲み会、社内BBQや旅行などの強制的な親睦会。すべて「やらなくてもよいこと」だ。やるのであれば、自発的に「飲みに行く?」→「行こうか」とならないもの以外は、すべて「業務」として対応すべき案件だ。これに「賃金を出せない」のであれば、それは企業にとって不要なのである(働く場所で、働くこと以外をしたらおかしいでしょう?)
*定時
同じ組織でも、それぞれが違う仕事をしている。「定時」で区切って、同じ時間で全員仕事をさせようとするから、無駄な残業が起こるともいえる。仕事時間はそもそも、「フレックス」であるべきなのかもしれない。
*「とりあえずCC」
「CCは禁止」にすると、1日のメールはどれだけ減るだろうか。
*FAX文化
「FAXの着確認の電話」ほど、無意味な業務はない。いまだに校正がFAXのところもあるが、PDFではなぜダメなのか・・・習慣の力は素晴らしいが、負に回ると恐ろしい非効率を「当たり前」のものにしてしまう。
*ネクタイ着用、スーツ着用
この高温多湿の日本で、よく最近まで「クールビズ」なしで生活できていたものだと心底思う。本当にネクタイ・スーツが必要なビジネスシーンは、実は少ない。リラックスできる格好で働いたほうが、頭をクリアにしてアウトプットもできるというものだ(スーツを着たほうが頭が回る、という人はそうしたらよいだけの話。要は、「絶対にネクタイ・スーツ」という固定観念がすでに生産性を阻害しているかもしれない、ということだ)。
■働き方「修整」しかしていない
世で起こっている「働き方改革」のほとんどが、働き方「修整」「調整」の類だ。ノー残業デーなどその筆頭で、そもそもの「やらなくてよいこと」を削らずに、「時間だけ減らせ(あとはお前らで調整しろ)」とやっても、冒頭の「ノー残業 職場の外では 仕事増え」になるだけなのである。
単なる「流行」でよそもやっているからうちも・・というノリで働き方改革をやるくらいだったら、「働き方修整」など、むしろやらないほうがよい(職場の外で際限なく仕事をされたら、余計に過労リスクは高まるし、情報セキュリティの観点からしても望ましくないからだ)。
「やらなくてよいことを減らす」のは、「流行」ではなく「不易」の概念だ。「働き方改革」は、それを完遂させるだけの準備と覚悟が必要なのだ。なにせ「改革」なのだから。
2019年12月31日 公開