19年参院選の主役は、間違いなく「NHKから国民を守る党(N国)」であった。その主張は早いうちからネットで興味本位で見ていたし、地方議会で党勢を拡大していることも知っていた。そして今回の参院選である。
もはや「大躍進」だろう。率直な感想を言えば、「人が本気で怒ると、国政にまで通じることがあるんだな」、という不思議な感情を抱いた。
前回の記事でも書いたが、19年度参院選を概観すると、与党は想定通りに「大勝」はした。確かにしたのだが、当然超えると思われていた「改憲ライン」は獲得できなかった。
しかしこの低投票率である。「投票に行かないほうがマジョリティ」と書くと、事態の深刻さが分かるというものだ。これっぽっちの投票率で3分の2取れないって、これまでだったらあり得ないことだ。
つまり、与党にとってはのどに骨が引っかかるような勝ち方なのだ。「勝ち」だがどうも「勝ち」ではない、というのが与党サイドの抱いた正直な実感なのではないか。
そう。どう見ても、本当の民意は「投票しなかった」過半数にあった、ということなのである。有権者の過半数はすでに既成政党に何も期待をしていない。政策実行能力のない野党にはハナから期待せず、といって与党にも与しない。「どこに入れても変わらない」という諦観を感じる。繰り返すが、既成政党への期待感は、すでに国民の過半数が喪失しているとみてよい。その結果、極めて明快な公約を打ち出したN国が利を得た、ということになる。
一応こういう記事を書くからにはちゃんと書いておくが、私はNHKと契約をしているし、受信料も払っている(しかも、一番高い衛星契約である)。NHKは受信料を支払う視聴者を「スポンサー」と呼んでいるから、ここからはスポンサーとしての意見を書かせていただくまでだ。
ちなみに『紅白』は毎年見ているし、子どものころからから教育テレビ(現Eテレ)で育ち、親になってからも「ありがとう、ゆきちゃん」という記事を書いたくらいにはEテレが好きだし、そもそも今は『ブラタモリ』を毎週欠かさず見ている。それなりには利益を享受しているいちNHK視聴者である。
さて、私の志向などどうでもよい。ここからの議論は、「N国現象をどう読み解くか」である。
既成メディアというか、識者というか、とにかく「良心」を代表したい人たちの希望的観測では、たぶん、「N国」が当選したのは無思慮な若者が投票した、面白半分で投票するのは民主主義の危機だ、というような論調を盛り上げたかった、のかもしれない。
だが実態は違った。これは朝日新聞・東京大学の出口調査分析記事(2019年7月24日付)になるが、 「68%が男性、40代が最多」という調査結果が出ている(グラフは記事を元に筆者作成)。
まずは「世代別の『N国』への投票割合」を見てみよう。実は、40代以上が64%以上を占めており、決して(既存のメディアが描きたがるような)「ネットに踊らされた若者が投票」したわけではないことが分かる。
次に「支持政党別の『N国』への投票割合」について。無党派が3割、ほぼ同率で自民支持層が投票したという事実には驚きを禁じ得ない。さらに、出口調査の選択肢にはそもそも「選択肢のある政党」と「選択肢が『その他』にまとめられた政党」があるようで、『N国』は選択肢には入っていなかったことが判明。ということで、民進などは「選択肢のある政党」で、これが7党。これらの政党の支持層は、束になってようやく18%。そして、「その他」支持層からが20%ということになる。単純に考えて、「その他」がほぼ純粋な「N国」支持層=コアな支持層であると仮定すると、コアな支持層は得票全体の20%ということになる。つまり、今回の「N国」の躍進は、「自民支持層」「無党派層」が支えた、ということになる。
これらのことから何がいえるか。そう、N国に投票した有権者は、決して「ネタありき」だけではないことが見て取れるのである。そもそも、2019年の統一地方選挙でも26議席を固めていることをみると、より投票率の低い地方の選挙でも投票するような政治関心層にもその主張が受け入れられている可能性がある。この観点は外してはならないと思うのだ。
この酷い低投票率で、どう考えても組織票が圧勝するはずの国政選挙だ。それでも普通であれば「泡沫候補」としてほぼ扱われないワンイシュー政党が、議席を獲得した。今後の党勢次第では憲法改正のキャスティングボードを握る可能性すら出てきた。
これまでであれば既成政党不信が生み出した時代の仇花、という評価をする識者もあり得ようが、今次のネットでの明らかな好意的評価や、NHKの「焦り」ともいえる声明文発表(「受信料と公共放送についてご理解いただくために」)などを見ると、この「N国現象」が一過性のものとも言えないような気がしてくるのである。
想像以上に、「既成のなにものか」がヘイトを集めているかもしれない、という(ある意味で不気味な)現状は、認識をしておいたほうがよいかもしれない。
私は今回の「N国現象」で、かつての「フジテレビデモ」を思い出してしまった。どうも既成メディアは(メディア側が思っているほど)国民の味方と国民に思われているわけではないようなのだ。「第4の権力」と言われるように、ときに国民と「対峙」し得る存在であることは、メディア関係者は頭の片隅に入れておいたほうがよい、とさえ思う。
「フジテレビ」しかり、「NHK」「TBS」しかり、「朝日新聞」「毎日新聞」「東京新聞」しかり。普段は公器としての信頼性と安心感を公には持ちつつも(この記事にだってソースとして掲載しているくらいなのだ)、本音のはけ口たるネットでは、上記メディアの評判は必ずしも「すべてGOOD」ばかりではないのは誰もが承知の通りである。
繰り返しになるが、「N国現象」は、この文脈でとらえたとき、既存メディアが(権力者ゆえに)内在的に包摂している(あるいは、せざるを得ない)「庶民からの憎悪」の顕在化そのものと捉えてもよいのかもしれない。
この観点でもう少し突っ込んでみると、この「N国現象」とは、庶民による「上級国民へのルサンチマンの捌け口」として機能した、と言えるかもしれない。
「上級国民」は、五輪の「佐野ロゴ事件」から人口に膾炙するようになった。「この世の中にはよい思いをしている特権階級がいる。俺たちは苦しいのに、そいつらだけでおいしい思いをしやがって」という漠然とした不満は、増税で可処分所得が激減し、将来不安も高まる中、中流階級以下の「誰もが」うすうすと抱いている1つの典型的なルサンチマンである。
「上級国民が好き放題やっていること」が事実かどうかはここでは実は問題ではなく、そういう「”上級国民許すまじ”という雰囲気」が醸成されてしまっているのは厳然たる事実であり、一種の「分断感情」が国民の間に既に成立してしまっているのである。
そんな中、NHKは「上級国民」のわかりやすい目印であった。「高所得の職員」「1つの県並みの予算」「高級な新社屋建設」などは、当然に「目立つお金持ち」が内包せざるを得ない「生理的嫌悪感」を伴ってしまっているようなのだ。これだけを切り取ると、単純によくある「公務員叩き」の亜流だと私は思う。
「公務員」=俺たちの税金で生活の安定=特権階級=叩け!というのと、NHKに対するそれは、本質的には同類のものだ。実際は公務員も稼得から税金を支払い、NHK職員だって受信料を支払っているわけで、制度への批判はともかくも、そこで働いている職員(ある役割をもってその職責を果たしているだけ)を攻撃するのは筋が違う、ということは冷静に訴えていく必要があると思われる。
ただ、一方で、こうしたルサンチマン的な要素を抜きにして考えてみても、NHKの現行の受信料制度への「静かな怒り」が国民の中にあることは事実であろう。そもそも、今回の参院選でN国に投票したのは「40代以上が6割」である。決して若者の支持ではない。ここに国民総体としての「静かな怒り」を感じずにはいられないのだ。
日本人が怒った場合、普通にとる行動は「静かに怒り、黙ってやめる」のである。だから一番怖いし(今回の隣国対応が典型的)、為政者もそこには気を遣わざるを得ないということになる。ここを見極めると(例えば55年体制下の自民党のように)長期安定政権が約束されるし、ここを見誤ると徹底的に(例えば民主党のように)国民から相手にされない政権が登場することになる。
新聞契約と同じく、NHKの強引な契約方法に怒りを覚えたことがある国民は多いだろう。
私の場合も怒り狂うことが2度あった。1回目は新婚時の普通契約だ。まだテレビを置いていないときに、「テレビの電波を検知しました」と嘘をついてやってきた勧誘員。この「嘘をつく」という行為が人間として本当に許せなかった。その後テレビを買い、普通にネットで契約した。嘘をついた勧誘員のポイントになどするものか、とネットで契約したのである。
2回目が衛星契約。別のマンションに引っ越して、地上放送だけを視聴していた(分配器をつけていないので、BSの視聴はできない状態)。しかし、マンションがBS視聴可能な状況というただ1点で、妻子だけがいるときに家まで上がり込んで勝手に衛星契約を結んだ勧誘員がいた(当然に電話で抗議すると、マンションまで配線が来ていますので、分配器とケーブルを買ってください、の一点張りで取り付く島がなかった)。
契約した以上は払うしかないので、わざわざケーブルと分配器とを買う羽目になった。なぜ、見ていないBSのために、分配器とケーブルを買わされたのか。いまだにこのやり口に納得はしていない。こんなもん、完全にヘイトを集めるに決まっているではないか。お金は払っているが、NHKのやり口だけは許さないという気持ちがあるのも事実である。
こういうNHKの強引な契約は、たぶん、多くの国民の怒りを買っている。<投票こそしなかったが、「N国」を心情的には応援している、という国民は、為政者が思っている以上には、たぶん多い>と思ったほうがよい。
ただ、このあたりのNHKの感度は鈍い。「視聴者に公平に負担してもらうよう努めることが、NHKの責務」というのがNHKの基本的スタンスである。ただ、これは違うと思う。こういうスタンスでいると、大阪市長のように「国会議員が払わないのなら、大阪市も払いませんけど?」ということになる。「アイツが払ってないのに、俺も払うのか」という理論は、理屈ではわかるのだが、不払いの連鎖を生むだけで、それは根本の解決にはなっていないのだ。
そもそも既にカネを払っている視聴者にとって、払っていない人間がいるのは確かに「不公平」な気もするのだが、それはNHKのロジックにはまっているだけだ。実は他人が何をするのも勝手なので、「見ないなら、払わなくてもいいんじゃない?見ている人だけ金を払う受益者負担がそもそも公平な制度なんじゃないの?ペイビュー方式・スクランブル方式でいいじゃん」というのが論理的な帰結である。
で、カネを出している身からすると、NHKが他人のカネを集められるかなんて実はどうでもよくて、それ以上に「じゃあ、その分アンタは何をしてくれるの?」ということのほうが重要なのだ。
だって他人が払おうと払うまいと、自分には関係ないんだもの。他人との公平なんてどうでもいいんだよ。こっちはもう、受信料払ってんだから。そもそも「力を入れる場所」が違うんだよ!!
NHKは、お金を払っている客に向けて、「視聴者が観たくなるようなクオリティの番組を作り、受信料を払いたくなるようなきわめて健全な経営を行います。だから、どうぞご理解ください」という姿勢をとるのが先じゃないのか?というか、「公共放送」を訴えるのなら、子会社で小金を稼ぐんじゃなくて、キャラクターのパテントも全部無償開放して、過去の映像もすべてタダで見られるようにするくらいして、はじめて「公共」なんじゃないの?
NHKは「N国」の台頭で「受信料利権」を守ることを前面に押し出して主張してしまっている感がある。客観的に見てもちょっと慌て過ぎだ。
よくよく考えてえてみると「お金を払っていないのは客じゃない」のだ。普通に考えて、公平性を主張するならスクランブル放送をすれば解決する、と思うはずなのだが、そうはしない。かといって、先ほども書いたが「視聴者が観たくなるような番組を作る」とか「経営をより透明にします」とか「アーカイブを開放します」とは言わない。結局は「受信料を集めることだけ」がNHKの主張に見えてしまって仕方がないのだ。
何度でも書くが、NHKのメッセージは一貫して「受信料の公平負担の徹底」であり、決して「受信料に納得してもらえるような番組の制作と経営」を主張していないところがポイントである。この滲み出る「無謬性」「特権階級風情」が、結果的に「受信料を支払っていて、文句も言わない圧倒的大多数」の従順性を切り崩すきかっけにならないとはいえないのである。
普通に「ペイビュー方式」ではいけないのか。そこを問うと、NHKはすぐに「公共性」を持ち出す。しかし、公共性を入れたいなら、税金で運営すれば解決するのではないか。たとえば「緊急情報」「ニュース」「天気予報」「政見放送」は税金で運営し、その他の番組はスクランブルもしくはスポンサード放送、ないしペイビュー方式にすれば解決する話だ。
しかしそうすると、NHKは「報道の公平性」がなくなるというんだろう。いやいや、もとからないじゃないか。報道の公平性を謳うんだったら、「N国」を「ニュース9」に呼んで徹底討論でもしたらいいじゃないか。でも、そんなことはしないだろう。それがすでにおかしいじゃないか。
こういう様々な疑問点を少なくともこれまで以上に国民のイシューに昇華させた「N国」の功績は、すでに「参院選」に打って出られるくらい党勢が拡大していた時点で大きいと言える。
・・・ということで、「N国」が躍進するにもそれなりの理由があって、決して「政党不信の仇花」「ネット時代の闇」「ポピュリズムの台頭」的な状況ではない、というのが本項の主張である。
最後に、建設的に「NHKにこんなサービスをしてほしい」という案を書いておく。
●まずは最低限、「契約書」は契約時に郵送し、解約方法なども明示した「重要事項説明キット」を渡す。
●Web上で視聴者マイページを開設し、解約を含めた手続きをネット上で完結できるようにする
●一度お金を取っている以上、アーカイブ化された番組は無償提供する
●公共放送として、自社展開のキャラクターはパテントを取らず、「自由利用」にする
●公共放送として、非スクランブルの「ニュース・天気予報専門チャンネル」を開設し、税金で運営する
●映画やスポーツ、バラエティなどの嗜好番組は「ペイビュー化」ないし「スクランブル放送」にする
もっと、「金を実際に払っている視聴者に向き合ってくれ」というのが一視聴者としての願いだ。「N国」の国政参戦を契機に、NHKの視聴者目線での改革につながることを願う。
公開:2019年8月2日