NHKは慌てすぎだ。いきなり3分番組『受信料と公共放送についてご理解いただくために』を始めたからだ。それも何度も。「まさか」の1政党の大躍進のためのアレルギー反応とはいえ、はっきり言って異常である。
受信料(しかも一番高い衛星放送契約だ)を払っている立場からすると、こんな教条的な番組を作る金をまず返せ、と思う。お金を払っている視聴者からすると「金を払っていない人」のことなど実はどうでもよくて、「金を払っている人」のための施策をちゃんとしろよ、と強く思う。それが普通ではないか。
しかし本当に番組の内容には驚いた。とにかく「いいから金払え」というとても脅迫的な内容だったからだ。こちらはしっかり視聴料を払っているのに、なぜ視聴者を脅すようなことをするのか。はっきり言って悲しかった。「加入するときに散々脅迫しているのだから、見てからも脅迫するなんてひどい」としか思わない。
以下、『受信料と公共放送についてご理解いただくために』で放送された12の主張について、しっかりと突っ込みを入れていく。
【主張1)最近、受信料に関する問い合わせが多い】
→そもそも、「問い合わせ」とはどのような内容なのか。その問い合わせへの回答は適切になされているのか。
【主張2)放送法解説のくだり】
→法律を盾に視聴者を脅すわけか。
→法律を盾に取るのなら、究極的には「根拠法を変える行動をとれる議員を当選させる」とか、「最高裁判所裁判官の国民審査をする」というのも国民の選択肢であることは、決して忘れてはならない。 今回の「N国」の躍進は、そういう声が国民の中である(単純に「見えやすい既得権益の権化」としてヘイトを集めている、あるいは安定政権下で上級国民に対する庶民のルサンチマンが蓄積している)ということである。「法律を盾に取る」のは、余計にルサンチマンを掻き立てる。はっきり言って悪手だ。
→というか、「法で運営」を主張するのなら、<役員>を国民によって選挙させろ、という議論にもなるのではないか。果たしてそれでもよいのか。
余談だが、こちらがNHKにされたことは絶対に忘れないぞ。
<我が家が受けたNHKからの怖い訪問>
1.私の妻が独身時代、テレビが家になくて、携帯もガラケーでワンセグも視聴できない状態だというのに、「携帯でも金は払うもんだ!」と強く押しかけられてものすごく怖かった、という話。
2.新婚時代、ケーブルにテレビをつないでもいないのに「電波を検知しました」と加入を迫ってきた話。
3.そして数年後。引っ越した先のマンションでの出来事。小さな娘を寝かしつける時間帯に無理やり押しかけて、「BSが見られるマンションなので加入しなければなりません」と言って、接続するケーブルを買っていない、と言っているのに無理やり「分配器」と「ケーブル」を買うことを約束させ、高額な衛星放送契約を(夫の留守中に)結ばせた話。その場でNHKの営業センターに電話をして、「合意の下です」という宣言もさせられた。
これらのやり口は絶対に許さない。絶対にだ。まずはNHK自身が、こういう加入のさせ方をさせているという事実を認めるべきではないのか。
【主張3)放送受信規約説明のくだり】
→典型的なミスリードである。「法律」と「規約」の違いを敢えて述べないこすっからさしか感じない。
【主張4)特定の利益や視聴率に左右されず】
→では今後、紅白や大河ドラマや朝の連ドラの視聴率が1%でも気にしない、ということか。
→あまり大っぴらには言わないが、「みなさまのNHK」を標榜しておいて、実は<高齢者しか見ていない>NHKになっているのではないか。どこが「みなさま」なのか。すでに高齢者の利益にしかなっていないのではないか。
→そもそも、「特定の利益に左右されない」のだったら「N国」を「ニュース7」や「NHKスペシャル」で取り上げろ、という話でもある。 明らかに社会現象なのだから。
→そして利益を求めないなら、テレビテキストはただで配り、オンデマンドも無償化するということなのか。
【主張5)福祉/防災/過疎地放送】
→弱者を盾にしてどうする。批判できない主体を持ってくるのは卑怯だ。というか、「弱者救済」「非常時対策」を標榜するのなら、それこそ税金を投入したらどうか。
【主張6)国際放送もやっています】
→放送法に規定があるのは知っているが、原則論で言えば海外の視聴者からも徴収すればよいのではないか。なぜ、海外の視聴者のために日本在住の視聴者が負担をしなければならないのか。それがそもそも不公平ではないか。その明確な説明が無理なら、「公共性が高い(らしい)海外放送」はすべて税金(※)でやればよい話だ。
(※国から年間30億円を超える交付金=税金が出ていることは承知の上で書いている。私は「すべて」と書いた。)
【主張7)放送技術開発もがんばっています】
→技術をないがしろにするものではないが、それでも「お前らのためにやっているんだ」という上から目線が非常に気になる。こういう言い方をするのなら、果たして「4K」「8K」を「視聴者側から」要求しただろうか、と言い返すほかない。 技術は大切だと思うだけに、こういう「お願い番組」で技術開発を全面に出して視聴料徴収の根拠にするのは、むしろ技術への冒涜だと私は憤る。
【主張8)スマホの普及で必要な情報が簡単に手に入れられるようになった】
→だから何だというのか。テレビと関係ないではないか。 というか、大多数の国民にとって、メディアが限られた時代と比べて、情報源が広がることはむしろとてもいいことではないか。
【主張9)(ネットやスマホのせいで)関心のない多様な課題に触れることができなくなる】 【主張10)誰にも簡単に発信でき、不確かな情報が拡散する】 【主張11)(主張8・9)〜を懸念する声もあります】 【主張12)視聴料を払っている人が不公平と感じることがないよう〜丁寧に説明する】
→そもそもNHKを見ない層にそれを訴えても無駄ではないか。
→何より、得る情報を選択する権利は国民にある。「よい情報に国民を善導しよう」などそもそも大きなお世話である。そういう立ち位置がそもそも尊大だと思わないのか。
→国民に与える情報をコントロールしようとするNHK側の傲慢な態度こそ、問題である。これに気づかずこういう放送をしてしまうことそのものが、大問題であることに気づくべきだ。
→小学生のとき、「リサイクル」といういかにもなテーマでNHKが自分の小学校の取材に入ったときも、取材時間に合わせて列を作って順番に缶を捨てさせられるなど、普段と全然違う状態でゴミを捨てさせられたぞ。これのどこが「正確」なんだ?
→NHKとは無関係だが、「サンゴ事件」だけでなく、数々の虚報で内憂外患を誘発している新聞社もあるじゃないか。 マスメディアも不確かな情報を拡散しているという自覚はないのか。どうして自分たちだけ無謬性があると信じて疑わないのか。
→誰の声よ。自分の声ではないのか。 「声もあります」といって、「自分たちの主張ではないですよ」という逃げを打つ。こんなの卑怯以外の何物でもないじゃないか。
→だから「公平性」を訴えるなら「ペイビュー方式」もしくは「スクランブル」しかないじゃないか。今の「誰でも見られる環境」がそもそも不公平なのではないか。 先述したが、海外視聴者からも徴収しなければ、そもそも国際レベルで不公平ではないのか。
→受益者負担の観点からみれば、「見ていない人の分を割り引け」、という議論にまで発展しかねない。現にそう主張する向きも出ているではないか。
→そもそも「公平性」はNHKが言うことではなく、払っている側が主張すべきことだ。
・・・ということで、今回のこの『受信料と公共放送についてご理解いただくために』は、余計に「対上級国民ヘイト」を惹起しかねない番組であり、お金を払っている身としてはとても残念であった。
そもそも、厄介な相手に絡まれたときの鉄則は「相手にしない」ことだ。客観的に見れば、よせばいいのにどんどんどんどん自分から傷口を大きくしてしまっている。
「国民から国政レベルで信任が得られるくらいには、NHKが忌避されている」という事実に慌てまくって、NHKは突然、ネット上に「いいから金払え。法律で決まってんのやぞ」という脅迫的なPDFを掲載した。かと思えば、放送でも「いいから金払え」という国民脅迫をやってしまった。脅迫だけでない。この放送は、保身と啓蒙性ばかりが先立ち、全然納得できる内容がない、という衝撃的なものだった。
こうやってしまった以上、ますます「NHKってこのままでいいの?」という国民的議論は拡散していく。「権力者の保身」ほど、庶民のルサンチマンを掻き立てるものはないからだ。
そもそもNHKが恐れるのは、「ほとんど見ていないがまあ支払ってはいるよ」「徴収方法に納得はしていないが、法律だし払うもんは払うよ」という、圧倒的大多数、すなわちサイレントマジョリティーが動くことだろう。スクランブル化したら、真っ先に(無理矢理結ばされた)衛星契約は外そう、と思っている人も、私も含めて少なくはあるまい。こうした視聴者離れを何より危惧しているはずだ。
一般的にサイレントマジョリティは日常生活に忙しいので、ホットエントリーにならない限りは、いずれ忘れていく。NHKは「バカな国民を忘れさせる」方向に舵を切ればよかったのだ。しかし現実は、大慌てで、多くの国民の神経を逆なでするような燃料投下をしてしまった。
いや、普通に考えてこの展開、現在進行形で面白過ぎるでしょ。「強き者との闘い」というのは、庶民にとって物凄いエンタテインメントでしかないからである。
言うなれば、コロッセオの中で、猛獣使い(N国)と猛獣(NHK)が闘っている図である。これは娯楽だ。庶民はNHKの視聴料(=入場料)を払って、あるいは払わずに、ただただN国とNHKのバトルを愉しむのである。
今後は「新社屋建設」「ネットからの徴収」など、より庶民のルサンチマンを掻き立てるイベントが待っている。「N国」がちょっと動き出しただけでこんなに慌てて、他人事ながら心配になってくる。無謬性を標榜する大組織ほど批判に弱いということか。もう少し落ち着けば、こんなに面白いことにはならなかったのに。残念だ(棒読み)。
さて。冷静に日本の政治状況を考えて、実際にNHKがスクランブル化する可能性は低いと思う。しかし、それでも今回の参院選と続く「N国騒動」を受けて、NHKの「インターネットからの視聴料聴取」などの新たな財源確保作戦は格段にハードルが上がったと思われる。「好き勝手はできない」という緊張感が為政者(NHKも当然含まれる)と国民との間に醸成されているのは、非常によいことだ。
しかし、繰り返しになるが、返す返すも残念な放送であった。視聴者に向かって「いいから金払え」はないだろう。例えればすぐわかる。レストランで飯食ってる客に「無銭飲食はダメだよ。みんなおカネ出してるからあんたもちゃんと金払ってね」とメニューで言ってるようなもんだ。普通にとんでもなく失礼である。
本来はそうではなくて、ごくごく普通に「視聴料に見合う番組づくりとサービスを提供して参ります」と言えば、こんな憎悪を集めることもなかったのだ(「視聴料に見合う番組とサービス」に自信がない、あるいは提供できていないというなら、それこそ「受益者負担」の公平性を毀損しているではないか)。 結果的に、ますます面白いエンタテインメントが展開されることになるではないか。残念である(楽しみだ!)。
ともかく、「いいから金払え」「公平性が大事」というのがいかに自己矛盾に満ちた発言か。そして失礼極まりない発言か。こういう無神経極まりない放送を平気でできる傲慢さを、視聴者は決して許してはならないのである。
私はNHKの『ブラタモリ」やドキュメント番組、教育番組にはとてもお世話になっている。NHKの良質な番組には期待するからこそ、まずはNHKの自己改革に期待するのだ。しかし、それができないなら「政治的改革」に期待するしかない。今回のNHKの放送は、NHK問題の根深さを、沈黙せる子羊たちに気づかせてしまったのではあるまいか。
公開:2019年8月12日