少子化と高齢化により、凄まじい勢いで「労働力」が減少している。景気がいいわけでは決してないのに、どこもかしこも「人手不足」であえいでいる。将来の見通しが立たないので、人々は貯蓄に励み、財布のひもは締まったまま。社会が高齢化しているので、政策も老人優先。畢竟、若い世代はますます「放置」されていく。将来の見通しがなくて苦しいのに、さらに「一億総活躍」とお尻を叩かれ、「こんなに苦しいのに、まだ働けっていうのかよ。あがりはいつなんだよ」というのが正直なところではないか。
高齢者割合が増えるという意味での「高齢化」の原因は「少子化」で、「少子化」の原因は(様々なデータを見る限りでは)「晩婚化・非婚化」だ。晩婚化・非婚化の原因は、「不景気」というよりも、むしろ「女性の社会進出」である(誤解のないように書くが、これは「事実」であって、私は女性の社会進出そのものへの評価をしているわけではない)。
男女雇用機会均等法「前」の、戦後日本社会のロールモデルは、男が「仕事」で長時間労働して稼得をし、女が「家事・育児」で長時間労働して生活のケアを行う、という「長時間労働・役割分担型」であった。
男女雇用機会均等法「後」、このロールモデルはもはや過去の遺物とな・・・るはずだったが、男性は相変わらず「仕事」で長時間労働して稼得し、女性は「仕事」に加えて「家事・育児」でさらに長時間労働を迫られる(男は女性よりも家事をしないことは統計でも明らかなのである)・・しかも、高齢化によってここに「介護」が加わることで、何とかギリギリで回っていたはずの歯車が、まったく立ち行かなくなってしまっているのだ。「一億総疲弊社会」の到来といえる。
問題解決のカギは、仕事であれ家事・育児であれ「労働総時間」をこれ以上増やさないことである。ただ現実は、仕事においては「労働力不足」によって、既存労働力はさらなる勤労時間確保を求められるし、家事・育児においても、そもそも「保育園不足」が物語るように、家事・育児のアウトソーシング先が「労働力不足」なのであるから自分たちでその部分を担うしかない。
おまけに女性を取り巻く環境は相当に複雑化していて、「バリバリ働きたいから保育園に入れる自治体に引っ越して働き続ける」人、「バリバリ働きたいから親のそばに住んで(あるいは同居して)働き続ける」人、「バリバリ働きたいけれどようやく入れた保育園が微妙な距離にあって、16時台には上がらなくてはいけないからジレンマを抱えている」という人、「バリバリ働きたくないが、経済的事情もあって仕事と家事と育児を両立させざるを得ない」という人、様々だ。あまりにもバリエーションがありすぎて、政策での個別対応はおそらくもう不可能な領域に入っていることが直観される。
すなわち、「待機児童をゼロにしよう」とか、「残業は月100時間までにしよう」とか、「金曜日は早く帰ろう」とか、個別の事案をパッチワーク的に埋めていこうとしても、まったくの手詰まりなのである。問題は根本で解決しなければならない。繰り返しになるが、仕事であれ家事・育児であれ、「労働総時間」をこれ以上増やさないことだけが、様々な課題解決の糸口なのである。
結局、日本の場合は「家事・育児・介護」といった「ケアワーク」を誰が分担するか、という社会的合意がなされないまま、ずるずると「女性の社会進出」だけを歪めて推し進めていったことで、「男性型の長時間労働社会」に女性が加わっていくというスタイルで社会が確立してしまったのである。だから誰もが外で長時間働くし、家ではケアワークがそのまま残っている・・・という疲弊一直線への道をたどることになったのである。
こんな状態なら、一人で生活を成り立たせていたほうが楽だ。当たり前だが「よっぽど」でないと女性は結婚しなくなる。これが「非婚化・晩婚化」の一因であろう。ちなみに女性が労働市場に参入した分、当然だが男性のパイは減るので、男性の総合的な稼得力は長期的には低落する。したがって、「よっぽど」にカテゴライズされない男性が増えるので、これまた「非婚化・晩婚化」を推進するのである。
大昔、女性が中心的にケアワークを担っていたのは、おそらく古今東西、変わらない。女性が社会進出し、かつ家庭でもケアワークをしなければならないという「超長時間労働」から解放されるために、この「ケアワーク」は何らかの形でアウトソーシングされなければならない。
北米型社会が見出した解決策は、「移民労働力」であった。すなわち、ベビーシッターやハウスキーパーを雇用するのである。育児休業制度が企業マターであれば、「個人で」アウトソーシングをするしかないのである。北米らしい考え方だ。
一方、北欧型社会が見出した解決策は、「ケアワークのシェアリング」であった。すなわち、女性をケアワークの公務員として政府が雇用し、ケアワークを「社会が分担」することにしたのである。単純化するとAさんはBさんの家の家事を対価を得て行い、BさんはAさんの家事を対価を得て行う、その配分は政府が行うということである。まさに「大きな政府」というか、北欧らしい思考だと思う。
両方のケースとも少子化を克服しつつあるので、政策的には「成功」しているのだろう。ただ問題は、北米型や北欧型、いずれもおそらく日本にはなじまないということだ。移民を受け入れる社会的合意はないし、ケアワークを公務化してシェアするという財政余力もないからだ。
日本では、伝統的には「大家族での扶助」が解決策の1つであった。すなわち、「おじいちゃん、おばあちゃんが見てあげる」のである。「バリバリ働くキャリアウーマン」が、キャリアウーマンでいられるのは、実は父母または義父母が同居もしくは近居しているから、というケースは今でも決して少なくはない。
ただ、必ずしも同居や近居の恩恵に預かれる家庭ばかりではない。核家族が一般化する中で、「大家族での扶助」が(現状では実は唯一の)超長時間労働是正の糸口というのは、あまりにも心細すぎる。
では、どうするか。
「超長時間労働」解決策の1つが、「家事の機械化の政策的推進」であると思う。少なくとも家事労働の分野で、少しでも労働時間を縮減していく。それも政策的に一気に、である。
最近、「共働きの三種の神器」なる言葉がホットワードとして度々登場するようになった。すなわち、<食器洗い機(以下食洗器)>、<ロボット掃除機(以下ルンバ)>、<洗濯乾燥機(以下乾燥機)>の3つである。
実際に、私自身がこれを家庭に導入してみて分かったことを書いてみる。
まず食洗器。手で洗うのと変わらないんじゃないか、むしろ手間が増えるんじゃないかと思ったがそんなことはなく、洗い物に費やしていた時間をほかのことに使えるのは想像以上に「生活の余裕」を生み出したのである。特に赤ちゃんのいる家庭では哺乳瓶や離乳食用の食器類を洗う手間が省けることは大きい。また想像以上に食器がピカピカになるので、衛生的でもある。
次にルンバ。ゴミなんて拾えないんじゃないかと嵩をくくっていたが、さにあらず。まさかこんなにゴミだらけの中で生活していたのかと絶望した。「外出中に勝手に部屋が綺麗になっている」ことの精神的効用は大きく、これまた「生活の余裕」を生み出したのである。
最後に乾燥機。洗濯物を乾かすために洗濯ばさみに吊るすという行為が、ここまで「重労働」だったのかと思い知らされた。天気を気にしたり、夕方まで乾くのをまったり・・という必要がなくなり、洗ったら即、服をたためるというのは異常な便利さであった。副次効果として、タオルがふかふかになること、花粉やPM2.5を気にしなくてよいことなど、いいことづくめなのである。これも「生活の余裕」の一。
ニュースで「自動服畳み機」が登場すると聞いた。次は「自動アイロン」だろうか。ここまでくると、あとは「水回り掃除」だけである。
機械で、家事労働は相当に軽減される。精神的な余裕も大幅に生まれる。導入当初、一かけらだけあった「罪悪感」のようなものも、「精神的効用」の前には雲散霧消した。「便利なものは、どんどん取り入れるべき」なのである。「仕事は残業すればいいってものではない」のと同様、家事も「時間をかければいいってものではない」のである。当たり前だが、浮いた時間は「人間性」の追究に活かされるべきなのだ。間違いなく。
そこで政府は、「結婚する」ときにご祝儀として「共働き三種の神器の購入引換券」でも渡したらどうか、というのが今回の主題である。
食洗器5万、ルンバ5万、乾燥機(ドラム式ではなく、乾燥機単体で)5万として合計15万くらいである。年間60万組が結婚するとして、予算はざっと900億(初婚限定にすれば、もっと予算は減らせる)だ。田舎にじいさんばあさん向けのふれあい交流施設を建てたり、使われないスポーツ施設をボンボン作るよりは、よっぽど未来への投資になると思うが・・・
ともかく、名付けて「結婚お祝いバウチャー制度」である。これを考えてみたい。
まず、ここで政策的な誘導が必要になる。すなわち、「早く結婚すればするほどよい引換券がもらえる」ようにすることである。そこで以下のようなことを考えてみた。これ、提案したらしたで物凄く怒られそうなのだが、現実としてはこれくらいやらないとのっぴきならないところまで来ていると思うのだ。
【結婚お祝いバウチャー制度(案)】
女性の初婚年齢 | 結婚時にもらえる家電バウチャー | 保育園入園バウチャー |
27歳まで | 食洗乾燥器・ルンバ・ドラム式乾燥機 3点 | あり |
27歳-34歳 | 食洗乾燥器・ルンバ・乾燥機(単体)の中から 2点 | あり |
35歳以上 | 食洗器・ルンバ型ロボット・乾燥機(単体)の中から 2点 |
ちなみに「女性の」初婚年齢としたのは、この政策が「晩婚化・非婚化」対策であるだけでなく、少子化対策でもあるからだ。政策は「社会の方向」を政府のメッセージとして誘導することでもある。これくらいやったほうがよほどインパクトがあるし、何より即物性・即時性・有効性も高いものであると思う。
今の政府は何の飴もなしに、とにかく「男は働け、女も働け、死ぬまで働け。租税負担をしろ。見返りはないが、結婚して将来世代をつくれ。」と号令をかけ続けているだけである。
それよりは、「男は働け、女も働け、死ぬまで働け。租税負担をしろ。早く結婚して将来世代をつくれば、少しだけ見返りをやろう。」とやってくれたほうが、まだ希望が持てると思うのだ。
ちなみにこれでは育児も介護も何も解決していないが、少なくとも「家事労働時間の縮減」だけは、社会的に最低保証できることがあるのではないか、と思うのである。
※ちなみに、政策的に「大家族での相互扶助推進」という考え方を採ることも、少なくとも封建的な思考が根深く残っている日本では有効であろうと思う。結婚の際に同居若しくは近居する場合、税制面で優遇するなどである。ただ、これは近代的発想とは言い難い。「個人の解放」が近代のテーゼなのだとすれば、これは完全に近代の指向性からは逸脱しているからだ。ただ、日本が既に「超」近代社会になってしまっているのだとすれば、近代社会へのアンチテーゼとして、復古的に「イエ」への回帰を志向するという、社会的な選択肢が<ないわけではない>ことは付記しておく。おそらく、現状では現代日本が抱える「超長時間労働の罠」は先に挙げた「機械化」ないし、ここで挙げた「大家族化」の推進でしか解決し得ないように思われるからだ。
公開:2017年6月11日