東海道新幹線。東京と大阪を1964年の開業当初は最速4時間で結んでいた。
翌1965年になると、路盤が固まってきたことなどもあり、一挙に最速(以下同)3時間10分に。
100系が登場した1985年、3時間8分。そして翌1986年に3時間の大台を切って2時間52分。
JRになると「スピードアップ」への追究が文字通り加速度的にアップしていく。
まず民営化直後の1988年、2時間49分。
300系「のぞみ」の登場で1992年、ついに2時間半へ。
車体傾斜装置搭載でカーブを減速せずに走れる「N700系」によって2007年、ついに2時間25分へ。
そして2015年。「N700A系」が「2時間22分」の営業運転を開始して、現在に至る。
最高速度は210km/h(1964年)→220km/h(1986年)→270km/h(1992年)→285km/h(2015年)と段階的にスピードアップ。ざっと50年で75km/hもアップしたことになる(35.7%)。
所要時間は4時間(1964年)→2時間25分(2015年)なので1時間35分も短縮。これは率にして、65.5%もの大幅短縮、なのである。
技術進歩には目を見張るばかりだが、「2時間25分(2007年)が2時間22分になった(2015年)」と聞いて、どう思われただろうか。
これ、「たった3分」だろうか。それとも「なんと3分も」だろうか。技術立国として我が国が今後も存続していく上で、この一見些細な疑問は、実は重要な「問い」でもある。
東海道新幹線は日本最古の新幹線。新幹線としてはもっとも古い規格なので、カーブが多かったり、そもそも最高速度を出せない区間があったりと様々な制約がある。その中で、「安全」と「技術」をギリギリまで突き詰め、「3分も」スピードアップをしてみせたのである。技術的にはこう評価できる。
それでは、社会的にはどうだろうか。「たかが3分」なのか。それとも「されど3分」なのか。
結論を先に書くとそもそも、この「3分」。ものすごい社会的効用があるのだ。すなわち・・・
1つの列車が「3分早く着く」ということは、乗車している乗客全員が「3分ぶん」移動時間を浮かすことができる、ということに等しい。
1列車に換算してみよう。東海道新幹線の定員は1323席。つまり、乗車率100%とすると1323×3=3969分。そう、1列車だけで66時間もの時間を捻出できるのである。2日分以上である。
東海道新幹線の1日の平均乗車人員は約42万人というから、これに「3分」を掛けると126万分、すなわち1日だけで21000時間(875日、つまり2年以上!)が社会全体で短縮するということになる。これ、本当にすごいことなのだ。
1か月ではどうだろう。26250日(つまり72年弱)。半年では157500日(431年半)・・そして1年では、なんと315000日(つまり863年だ)もの短縮につながっているのだ。
863年を平均年収(およそ414万円とする)で掛け合わせると、35億7280万円分の労働に等しい・・ともいえる。
まとめよう。「東海道新幹線が3分速くなると、1年で863年分の乗客全体の時間が浮き、その年給換算は35億円を超える」ということだ。「1分速くなると、1年で287年分の乗客全体の時間が浮き、年給換算は12億円弱となる」ということでもある。
もう少しスケールを小さくして考えてみてもよいだろう。例えば月に2回出張するサラリーマンであれば、年間で2(月の乗車数)×2(往復)×12(ヶ月)×3(分)=144分。2時間24分・・つまり、東京―大阪を1往復するだけの時間が実は浮くのだ。
「たかが3分、されど3分」。「時は金なり」とはよく言ったもので、この「3分」の技術的進歩を我々は決してバカにしてはならないのである。
技術者の「3分短縮への情熱」に対して感謝の心を失ったとたん、我々は傲慢になり、ますます現代社会の歪んだ「消費者優位」の長として、知らず知らずのうちに君臨することになるのである。
公開:2017年5月11日