■公約で「自分の給料を減らす」という無責任野郎
色々と選挙があって、候補者の公約を読むと「自分の給料を減らします」という人間の多いこと多いこと。「給与返上ブーム」でも起きているのか。
私は、自分の給料を減らすなどという人間は絶対に信用しない。むしろ、「私は○○円の給料をもらうので、それに見合うだけの働きをします」という候補者を信用する。
お金をもらうからこそ責任が発生するのであって、今より給与を半額にするなんて言う野郎は、結局は「求められている職責の半分しか全うしません」といっているのと同じだからだ。ましてや全額返上するとかトチ狂ったことを言う輩は、「じゃあ貴様は仕事をしないってことだね」と言い返してやりたくなる。
基本的に「給与がなくていい」なんていうのは、それ以外の資金源があるからだと疑わなくてはいけない。「お金はもらいません」というのは、クリーンなようでいて、実は一番ダーティーなのである。
繰り返す。公からお金が出る(選挙された人の給与)=記録が残る(手続きを踏んだお金)ということ。これを減らしても平気ということは、「私は公人ですが記録外のお金で生活しています」、と言っているようなものなのだ。出どころ不明なものほど、公益を害するものもない。
これも<無知の善意>ほど害悪なものはない、という好例である。
■行政の長が行政府内の不祥事を市民と一緒に批判する謎
人気のある市長やら大臣やらが、自分の組織の不祥事があったときに、なぜか「国民目線で」「組織を」批判する、という謎の光景をたまに目にする。
いつも思うのだが、「あんたがその組織の長だろう」と言いたくなる。責任者はあなたなのだから、批判する前に「部下のやったことはすべて私の責任」としてまず奉仕者たる国民に謝るなり、何らかの責任をとるのが筋だろうと思うのだが。
就任早々、組織の批判をする長も過去、後を絶たない。いつもうんざりする。組織の長に「自分の組織は腐っている」などと言われて、やる気の出る組織人はいるのだろうか。あなたがその腐った組織の長なんですけど、そのトップたるあなたが一番腐っているということ?と見ていていつも思ってしまう。これは想像力の問題。
長は組織を外の攻撃から守るべきだし、内なる改革はその理念を内から浸透させていくべきだし、その結果は手続きを踏んで、正当な手続きに依る審判(直接選挙や議会との対峙)にさらされるべきなのだ。
公開:2016年7月16日