このサイトが公開されて10年。振り返ってみると、「10年ひと昔」という言葉通り、世の中は確実に変わっていることに気づかされる。
「何にも変わってないじゃん!」と思いがちでも、よくよく考えてみると、当時は「ブログ」なんてものはまだなかった。個人でWebサイトをもっていること自体が(今以上に)一般人には奇特な目で見られる時代だった。もっとも、この頃になるとワープロ感覚でサイトを作れるだけのツールやネットインフラは整いつつあったのだが・・・
無論、Facebookやtwitterもないし、LINEなんてものもない。そもそもスマートフォンなんて想像の埒外で、携帯電話は、ようやく、「カラー」「TFT液晶」「写メール」なんてものが主流になりだしつつあった時代である。そういえば、「着メロ」なんてのもまだまだ貧相な和音であったことを思い出す。
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10年前ー2003年とは、どんな時代であったか。日本は、ちょうど小泉政権の為政下である。中国では新型肺炎SARSが大流行し、かの「イラク戦争」の起こった年でもあった。
以下、出来事を列挙してみたいと思う。
江戸幕府開府400年のイベント華やぐ中、「鉄腕アトム」が誕生したのが2003年4月7日である。JR高田馬場駅の発車メロディが、アニメ「鉄腕アトム」の曲に切り替わったのは、この年の3月である。当時早稲田の学生であった私は、この駅に降り立つと妙な気持にさせられたものである。「これが、アトムの生きた未来か・・」と。まだ、山手線に旧型車(今の埼京線と同じ車両)が現役で走っていた時代のことだ。
貴乃花、引退(1月)。つづいて武蔵丸も引退(11月)。若貴ブームからはじまった「平成前期の相撲ブーム」も、一つの転換点を迎えていたころだ。
そんな折、我が国の経済は、大きな「どん底」を経験しようとしていた。
まず、大和銀行とあさひ銀行が合併し、りそな銀行が発足している。そのわずか4か月後には、同グループに2兆円弱の公的資金が注入されている。三井住友銀行とわかしお銀行も合併。地銀の雄である足利銀行が経営破綻したのもこの年だ。
思えば、2003年とは、山一証券の自主廃業から怒涛のごとく進んでいった「金融再生」が、小泉政権、そしておそらくは米国政府の意向も慎重にくみ取りながら、総仕上げに向かって動き出していた時代だったように思う。その象徴として、日本郵政公社が発足。あの「郵政民営化」への先鞭もつけられた。
そんな中、日経平均株価は7607円88銭という、82年来の大幅安値をつける。捉えようによっては、もはや「バブル前」にまで経済水準が落ち込んだことが示唆されるのであった。
これはもはやバブルの後遺症というよりも、「日本型戦後経済システムの終焉」を意味していた。
そんな、経済の冷え切った時代である。もはや、旧来の常識は通用しない。それを象徴的に表しているのが、「阪神とダイエーの日本シリーズ」である。
1996年の『ドカベン プロ野球編』。作者の水島新司が「夢」という設定で、こんなシーンを描いている。
>「は は 阪神対ダイエーの日本シリーズじゃとーー 嘘じゃろーーー」
その、漫画にされるほどの嘘が現実になったのが、2003年という年であった。王政権の下で実力をつけていたダイエーはともかく、阪神に至っては、18年ぶりのセ・リーグ優勝である。「今年の漢字」が「虎」になったのもむべなるかな。
そんな、「激動の時代」というにふさわしい2003年。政治の世界にも地殻変動が起こっていた。
自由党と民主党が合併し、「民主党」発足。のちの政権交代劇の端緒である。
流行語に「毒まんじゅう」(野中広務)と「マニフェスト」の2つが選ばれたのも象徴的だ。まさに、「なんでだろう」(テツandトモ)なことがたくさん起こっていた時代なのである(テツandトモも03年の流行語大賞受賞者)。
かつての自社のなれ合い政治の下では考えられなかった「有事法制」の整備や住基ネットの稼働なども、政治の世界が確実に変化してきていると、私の眼には映ったものだ。
ところで当時、PCのメモリは1GBも積んでいれば、スーパーハイスペックと言えた。ハードディスクもせいぜい300GBが最高値で、「テラバイト?何それ?」という時代。そんな頃、アトムの時代らしく、科学の世界にも変化がみられたことをはっきりと記憶している。
最大のトピックスは、「ヒトゲノム」の解読完了であろう。人類はどこまでその活動領域を広げ得るのか。倫理面も含め、素人考えでありながらも、なかなか悩ましく思った記憶がある。
日本は、かの「はやぶさ」の打ち上げに成功。のちに、「小惑星イトカワから物質を持ち帰る」という偉業を成すことになる。
東京では、「六本木ヒルズ」がオープン。東京タワーに肉薄するパノラマビューは、新しい東京のスポットとして好評を博す。この「ヒルズ」が、良くも悪くも我が国の「ITバブル」を引っ張るのはもう少し先の話。
ITと言えば、この頃、音楽流通の大革命が起こった。iTunes Music Storeのオープンである。「ネットで音楽を買える」ことが、CDやDVD、将来のブルーレイといった「円盤メディア」を一気に「レガシーメディア」に変え、人々に「物よりデータ」を強く印象付けることになるまで、数年を要しなかった。
音楽の話が出たついでに、この頃流行した音楽をさらってみよう。
・NHK「プロジェクトX」の主題歌、中島みゆき『地上の星』がロングセラーに
・SMAP『世界に一つだけの花』ダブルミリオン達成
・ORANGERANGE『上海ハニー』が若者中心にヒット
・『さくらんぼ』で世を成すことになる大塚愛、デビュー
あたりがトピックスだろうか。まさに、「歌は世に連れ、世は歌に連れ」である。AKBジャニーズでCD売り上げが独占されている10年後とは、隔世の感である。
とんがりお鼻の新幹線100系が引退。地デジ放送が三大都市圏で開始。トヨタ「クラウン」とホンダ「オデッセイ」のモデルチェンジがあったのもこの年だ。ダイハツ「タント」も発売開始。沖縄では、戦後初の鉄道となる「沖縄都市モノレール(ゆいレール)」が開業している。
鉄道ネタでいえば、営団地下鉄(現・東京地下鉄)の半蔵門線が全線開業したのもこの年だ。併せて、半蔵門線経由で東急田園都市線と東武伊勢崎線(現・東武スカイツリーライン)が相互直通運転を開始。
当時は、「東急(ハイソタウン)と埼玉(イモタウン)が1本でつながるなんて」と揶揄されたこともあったとか、なかったとか。
ちょうど大学で都市計画を学んでいたこともあって、「都市のイメージ」というのに敏感だった私は、「東急の電車広告はファッション・マンション・デパート。東武の電車広告はサラ金・パチンコ・債務整理。客層が違うが大丈夫か?」なんて、まことしやかに書かれた雑誌の記事なんかを、結構読んだ気がする。事実関係はともかくも。「ひどいこと書くもんだなぁ」と思いつつ、「なるほどな」と思ってしまうところも意地が悪い。
・・気になって当時の文献をあさってみると、原武史さんの『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)にも同旨のことが書かれていた。このあたりの機微が気になる方はご一読されたい。その時代の空気感を表しているので。
そうそう、埼玉と言えば、さいたま市が合併を繰り返し、千葉市に続いて政令指定都市になったのも2003年である。「そんなにまでして千葉と対抗したいのか」と、私は今でも思っている。
サブカルチャーに目を向けると、当時のゲーム機はソニーの「PS2」と任天堂の「ゲームボーイアドバンス」の時代。一世を風靡する「ニンテンドーDS」や「Wii」は、まだこの世に出ていない。
トピックスは「スクウェア・エニックス」の発足だろう。「ドラクエ」と「FF」が同じ会社から出ることになるとは、当時のゲームファンたちは夢にも思わなかったことだ。
それだけ、「ビデオゲーム」の開発に体力(資金力)が必要であるということを示唆していたかのようだ。事実、この頃のゲーム市場は「大作主義」が祟り、新規層を取り込めず、市場が縮小するじり貧状態にあった。任天堂が「DS・Wii旋風」を巻き起こすまで、ライト層からは見向きもされないマニアックな市場に陥りつつあった。後世の歴史家からは、「ビデオゲーム暗黒の時代」とおそらく記銘されよう。
まだ、今よりはテレビも元気であった。ドラマは木村拓哉のTBS系列『GOOD LUCK!!』が高視聴率をはじき出しており、お笑いブームの一端を担った日本テレビ系列『エンタの神様』もこの年。バラエティでいえば、フジテレビ系列『トリビアの泉』が好評を博していた。・・その後、フジテレビが週間視聴率「4位」に凋落(2012年1月末)するとは、誰も想像し得なかったが・・・
年末には、世相を反映して、週刊少年ジャンプで『デスノート』の連載が開始。のち、ブームを巻き起こすことになる。このことはまだ、誰も知らない。
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とまあ、概観するとこのような時代。
次の10年後、どのような時代になっているのか?そして今がどのように評されるのか?
今から楽しみである。
公開:2013年6月23日