あれこれ思いついていつか長文にしようとメモにしていたけれど、どうもまとまらないのでミニコラムとして放出する。
●クールビズは「気温管理」すればよい
「10月ー5月がネクタイあり、6月ー9月はノーネクタイ」という企業が増えてきた。いまだに節電ポーズを取らねばならない企業・役所では、「5月ー10月がネクタイあり、11月ー4月がノーネクタイ」なんていうところもあるようだが・・・。
ここまでノーネクタイの社会的認知度、許容度が上がると、もはや「ノーネクタイでも失礼ではない」状況になってきた。
私は結構ネクタイが好きなので、9月であっても涼しければネクタイをしているけれど、かなり少数派みたいだ。しかし、10月になったら、暑かろうがなんだろうが全員が一斉にネクタイ、というのも滑稽である。「したい人はする、したくない人はしない」そんな社会でもいいんじゃないか、と思う。
しかしサラリーマン。「右へ倣え」も重要なこと。誰かが基準を示さねばならぬ。
ならばいっそのこと、「気温管理」をしてしまえばいい、と思う。
例えば、その日の最高気温が25度を超えると予想される場合はノーネクタイ可、のように。10月でも最高気温が28度、という日は、無理してネクタイをしなくてもノーネクタイでよい、みたいに。
その方が人間的だと思うのだけどなぁ。
●街頭の怪しいアンケートで声を掛けられなくする方法
私は一見組しやすくみえる優男なので(←自分で言う)、一人でボーっと歩いていると、いい面では道を尋ねられやすいし、写真を撮ってと頼まれるし、悪い面では詐欺師の街頭アンケートやら、意味不明な似非知り合いが「よぉ!久しぶり」と近寄ってきたりするのである。
その反面、考え事をしたり、怒ったりしているときの顔が相当怖いらしく、「短髪にして、メガネを外し、メンチを切る」と、完全にチンピラらしい。
で、あるとき街頭アンケートがやたらたくさんいる道があったのだが。声を掛けられるのが面倒くさくてたまらない気持ちに・・。そこで、ずーっと物凄い形相で睨んで歩いていたら、1度も声を掛けられなくなった。
以来、「うん、これはいい方法だ」、と思って「睨み歩き」を実践している。これをやると、ティッシュもビラも渡されなくなるので、ちょっと虫の居所が悪い時は実践してみるとよいと思った。
ただし注意は、誰かに目線を合わせると「何見てンだよ!」と喧嘩になるだろうこと。というより絡まれかねないこと。これだけは気をつけなくては・・。
もう1つ方法を思いついて、実践してみたいのは、「ずーっと独り言を言って歩く」という回避法。時々奇声を発すれば完璧である。これならば、まず間違いなく人は寄ってこないだろうな。
・・そのうち「緑の救急車」に乗せられそうだけれども(冗談です念のため)。
●週休3日制度を本気で提案する
平均給与は20年前の水準に、サラリーマンのお小遣いは30年前の水準に落ち込んだ今、もはや「週休2日」ですら、「やってられっか」の状況に突入しつつある。
ただでさえバカンスの習慣のない我が国のこと、有給取得だってどうせできないのだから、本当に「働き過ぎ」な環境である。
ならばいっそのこと、「週休3日制度」を法的に強制して、ストレスだけでも減らしていくべき、という提案をしてみる。
週休3日というのは、標準的な企業のケースであれば「月火木金勤務、水土日休」という勤務形態のことだ。
単純に計算すると、労働時間(≒給与)は現在より15%くらい少なくなる(より正確には、14.28571428%)が、ここで敢えて給与水準を落とさずにこの制度を実現すれば、景気はものすごく上向くだろう。もちろん、有給基準緩和等の企業救済措置は必要だろうが・・。
ワークシェア(≒企業に労働力吸収のチカラが減っていることを言い換えた言葉)という言葉が人口に膾炙するようになって、「週休3日論」も見かけるようになったが、ただ単純に、現在の社会構造(有給未取得の恒常化、サービス残業・風呂敷残業の実質本給への折込が当たり前の社会)下で本制度を導入しても、皆がより貧乏になって、益々景気が悪くなるだけなのである。
「週休3日制」論のキモは、実は「給与水準を落とさないで、休みを増やす」ことにある。虫のいい話であるということは、百も承知であります。
●投資話への反論
マンション投資、儲かる○○必勝法、その他、「儲かりますよ」という話はたくさん聞く。それを赤の他人によく伝えるな、といつも思う。
こういう電話なり営業なりがあったときは、「ならばあなたがやればいい」と言ってみる。すると向こうは、「私もやりたいんですが、社内の決まりでできないんですよね」と返してくる。普通はここで話を切るのだが、さらにこう畳み掛けてみたい、といつも思う。「だったら、仕事を辞めてその儲かるサービスの会員になるなりすればいいじゃないか」と。でも、私は人に「辞めろ」というほど不躾な人間ではないので、心の中で我慢する。
ともかく、こういうロジックが浮かぶものだから、どうしても「儲け話」に乗る気が起きない。また、同様の論理で数多くのギャンブルもまた然り。期待値からみて結局胴元が儲かるように出来ている以上、これまたどうしても乗っかる気がしないのである。
儲け話、すべて「やるんだったら胴元」なのだ。
●そもそも「儲ける」ってなんだ?
で、1つ前の話からの敷衍で少し考えてみた。「儲ける」の定義を、「少しでも多くの利益を得る」こととする。否、「少しでも多くの利益率を上げる」こととしよう。
古今東西、「儲ける」の代表は、持てる者が持たざる者に融通すること、その他は、ペーパー商売、情報の寡占供給、コネクション、と決まっている。
融通は富める者を益々富ませ、ペーパー商売は一度の創造物を低コストで無限大に増殖させ得る打出の小槌。しかも腐らないし。情報供給というのは、持てる者のところに集まるから、寡占化がしやすい。すなわち儲かりやすい。そしてコネクション。連鎖講から口コミ商売、SNSまで、人間は関係をつくらねば生きていけない社会的な生き物である以上、彼ら彼女らの「つながり」こそは最大の富の元。「人間関係」をカネにするのは、もっとも原初的な儲け方なのであります。
これらをヒントに商売をはじめてみたところで、必要なのは政治力(調整力)。あっちを立てればこっちが立たず、いざこざを何とか収めるのは、「金と暴力」、すなわち権力なのである。
ということは、もっとも合法的に権力を行使し得るのは国家なのでありまして、・・とすると最大の「アガリ」は、やはり国家官僚なのであった。
そうなのだ、この社会、構造的に<国が胴元>となっており、それに取り入れない庶民は、「負け戦」と知りながらも、毎日を戦い抜くしかなかったのだ!
それに気づいたところで、別にどうということもない。何が悪いのではなく、そういう社会構造なのだから・・・。
・・あれ?結論がおかしい・・・。
公開:2012年9月30日