※わざと乱暴な表現をしている可能性があるので、ご注意ください。
「石の上にも三年」とはよく言ったもので、これは真理だ。
実際には、ちょっとかじっただけで「分かったつもり」になって見切りをつける人間の多いこと、多いこと。
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超早期にコロコロ移り変わる「転石苔を生ぜず」人間の口癖(周囲にまき散らす毒言葉)は、
「こんなつもりじゃなかった」
...だが、ちょっと待って欲しい。勝手に期待して、勝手に絶望するとは、何と浅はかなことよ。
はっきり言おう。我儘もいい加減にしてほしい。「自分で選んだんでしょ?自分で選んだんだよね?」と、小一時間問い詰めたい。
そもそも、あらゆる労働は、「こんなつもりじゃなかった」の連続のはずである。お金をもらっているのだから、それ相応の苦しさや大変さ、艱難はつきものなのだ。自分の思い通りにいくことなど、万に一つ、千に一つが関の山だろう。
さらに言えば、たかが数週間、数か月、もしくは例えば「3年」くらいなど、労働市場においては「キャリア」でもなんでもない。5年、10年とやっていくうちに見えてくるものがある。そんなことくらい、誰でもわかろうものなのだが・・・
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幼児的な「自己万能感」に囚われた人間に多いのだが、いまだに「努力」と「成果」が正比例すると思っている脳味噌お花畑さんが存在する。
単なる努力が成功の十分条件ではあり得ないことぐらい、分かりそうなものだが...。
ただただ「正しい努力」が成功の前提条件であり、誤って負の方向に努力したところで何の意味もないのである。その努力は本当に「正の方向の」努力なのかは、徹底的に自問したほうがいい。
「努力をしているのに、どうして?」なんて、たとえ思ったとしても、周囲に対しては口が裂けても言うセリフではない。
努力をしても成果が出ないときは、たぶん、努力の方向性が間違っているからだ。
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さて。こずるい人間にあるのが、先の「こんなつもりじゃなかった」に続くこのフレーズ。
「よく考えずに、この仕事を選んだ私にも問題があると思うのですが...」
この台詞、判で押したように、超早期に「辞めたい」と弱音を吐くローリングストーン人間の常套句である。
この言葉を聞くだけで、私など反吐が出そうになるのだが(そしてその瞬間にそいつには見切りをつけるのだが)、要するに
「一応、浅はかでかわいそうな自分をアピールしています。
でも、この仕事は私が思ったのと違うから辞めるね(テヘッ」
という意味でしかない。
こういうセリフを聞くと、そこで働いている人は、自分を否定されているような不快感を覚えるものだ。だって、テメェが見切りをつけたまさにその職業で、飯の種を稼いでいるのだから。
曲がりなりにも、いい大人が、自分の意思で職業を選択しておきながら、「こんなつもりじゃなかった」だの、「選んだ私が悪ぅございました」だの、もちろん、思うのは勝手だが、それを周囲に向かって口に出してしまうとは、本当にガキ以下の知能か、と驚くのだ。本当に驚く。
かわいそうアピールを免罪符に、その実、「私に合うフィールドを用意できなかった(会社側の)せい」と、所詮は己の能力不足でしかない癖に、責任転嫁をしているのである。
これが所謂「ブラック企業」ならともかくも、普通の職場でこういうセリフをのうのうと言い捨てて平気な顔をしている奴は、きっとどこへ行っても上手くいかないでしょうね。
こう言いたい。
「辞めるなら、黙って辞めろ。自己正当化をする暇があったら、さっさと周囲に迷惑を掛けないように引き継げ」
自分が辞める理由づけを愚図愚図として、周囲に不快な思いをさせるのだけはやめたほうがいい。
人間的な評価を下げるだけだから。それならば、黙ってスパッとやめるのが賢い方法なのだ。
本当に志ある人間は、周囲に黙って逃げ道を確保し、身の振り方をある程度決めた上で、スパッと辞めている。見ていて小気味よい。 私は、これを「ステルス退職者」と呼んでいる。
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企業は、ここで挙げた「こんなつもりじゃ・・」の「見切り退職者」のケアは適当に、本来はこういう「ステルス退職予備軍」のケアをするべきだと思う。
ステルス退職予備軍は、基本的には優秀な人が多いので、そういう人たちのやる気を維持することが人材維持の要諦になるはず。ここの舵取りを失敗すると、10年後、20年後にコア人材が不足し、敢え無く轟沈...なんてこともあり得るから恐ろしい。
公開:2012年6月9日