2010/05/21公開の記事。
社内SNS(社内イントラネット専用のmixiみたいなやつ)というのがブームらしく、私の会社も例外ではない。
何でもかんでもオンライン化するのは結構だが、そのことによって、却って「どこに何が書いてあるか」が分からなくなって、現場は大混乱している。
今や、部署ごとの共有サイト、社内のSNS、各社員の日報を全社で共有するサイト、社内の統計情報を集約するサイト、そしてメール、社内報・・・と、様々な情報に囲まれて仕事をする毎日。
当然、現場は忙しいから、これらの情報を全部読んでいる時間はない。時間はないのに、情報だけは怒涛のごとく襲ってくる。
だから肝心の情報は抜け抜けで、部署Aが「伝えたつもり」のことが、部署Bには伝わっていなかったり、部署Cでは曲解されたりしている。1人でもいい加減な奴がいれば、情報は「伝言ゲーム」のごとく、どんどんおかしな方向へ解釈されていくものだ。
以前にも書いたが、情報は「伝える」と「伝わる」ではまったく意味が異なってしまう。圧倒的に「伝わる」のボリュームが大きいにも関わらず、「伝える」ことで終わり、満足、となってしまっているケースが非常に多いのだ。
本社のコストセンターは、基本的に「伝える」ことでその全精力を使い果たし、「伝わる」ことにたいしては全部「現場のせい」にするというきらいがある。
曰く、「それは伝えたはずだ」「そのように解釈した○○が悪い」。
しかし現場サイドから言わせてもらえば、あるときはメールで、またあるときは社内報で、別のときはSNSで・・・と、メチャクチャな情報流通をしているくせに、「伝えたはずだ」はないだろう・・・と、怒りがこみ上げてくる。
すでに社内のあちこちでコミュニケーションの歪みが起きており、「重要なメールを部署の全員が削除して読んでいなかった」というのは日常茶飯事。この時点で問題だと思うが、最近は、ある勉強会に行く必要のない社員が出席する羽目になったという珍事があったかと思えば、顧客と同じタイミングで社員が同じ情報を知った、という笑えない出来事も。
こんなことだったら、部署ごとの共有サイトもなく、社内SNSなんてものも存在せず、メールと電話と社内文書、そして Face to Faceの伝達会議を行っていた時代のほうが、よほどスムーズに仕事が進んでいた、と思うのだ。
情報量に比例して、情報共有がどんどん薄くなっていくこの現実。皮肉としか言いようがない。
データ情報では限界があり、本当は Face to Faceが一番なのは、「人を大切にする」が謳い文句の(おそらく)すべての企業にとって、本当は分かっていることなのに。
何だか、こういう情報化による埋没費用、機会損失は、社内会議の減少等によって浮いた人件費よりも高くつくような気がするのだけれどな。
予想すると、会社の雰囲気が悪くなって、業績が傾いて、社内SNSどころではない、という発想を経営陣が持てたら、また社内の情報共有は「復活」するように思うんだけどな。そうもなっていないところが何とも。
パワーポイントなどを使って、「暗黙知の形式知化」を盛んに図で説明する、現場を知らない社員の説明を聞くが(たぶんこの裏には天下りやバーターで儲けている社員がいるはずだと勘ぐるが)、正直、「頭の中のファンタジーランドだけで遊んでろよ!」と思ってしまうね。
暗黙知には、「暗黙」であるだけの理由もあると思うけれどな。
まあ、経営陣としては、本気で「暗黙知を形式知化して共有したい」という思いがあってやっているのだろうが、そもそもそんなところ(SNS)に仕事中に投稿したり、閲覧したりする暇があったら、少しでも日銭を稼げ、と私は思うのだが。書いているのは本社のコストセンターの社員ばかり(残業代がもらえる)というのが笑える。現場社員はサービス残業してるのにだよ?
○社内SNSについて
ということで、私はこんなものいらない。私はね。あくまでも。一番いらない機能は、「メールでお知らせ」機能だろう。拒否できるので当然しているが、中には1回書き込みがあるたびに必ずメールが来てしまう書き込みもある。もう、馬鹿かと。必然的に、メールそのものを読まなくなる。その結果が、「部署全員、重要なメールまで黙殺してしまう」の現実だ。
導入を企画した部署はおそらく、「部署ごとの利用率」か何かで業績評価が決まるから、必死だ。全社員に「○日までに登録して、最低1件は書き込め」と命令が下った。実に下らない。
どんな書き込みがあるか。
「iphoneの使い方について」「アドレスの登録方法について教えてください」「雑誌△△に広告登場。その感想募集!」
そんなの、部署の数人に聞いて解決しろよ、と思う。なんでこんなことを会社のおカネを使ってやるのか、さっぱり意味が分からない。これが暗黙知なの?
書き込み機能や「日記」機能もあるし、それをやっている社員もいるが、どうして会社でそういう暇なことができるのか。私はとても知りたい。
「足あと」機能も気持ち悪いって。
社員同士の足あとなんて、見る気も起きない。
○部署ごとの共有サイトについて
これも私は強硬に反対したが(心の中で)、結局デフォルトになってしまった。
そもそも他部署の人間が見られない、というサイトもあり、「それだったらサイトなんて作らないで、部署のサーバーに仮想のフォルダでも作ったほうが楽じゃない?」とか思うのだが、それはそれでもうあるしね。
こういうサイトの欠点は、何といってもアップロードの面倒臭さ。「添付もれ」や「開けないファイルを添付」というミスはそれこそ日常茶飯であり、その処理だけで莫大な時間を取られることになる。
毎回毎回、同じ部署の人と「どこにそのファイルあるの?」「あ、もうダウンロードしたのでメールで送りましょうか」とか、「どうやってアップロードするの?」「あ、やっておきますからメールで送っていただけますか?」とかやるのはもう、やめたいのだが。
メールなら1回で済むじゃないか。馬鹿か。
○全社員の「日報」を社内で共有できるサイトについて
仕事には「異動」がつきものだから、日報や業務日誌、メモ的なものが残ると、担当者が何代か入れ替わっても、「その当時に何が起きていたのか」を把握するのが容易くなる。こういうシステムは、どの会社でも、今や普通に導入しているだろう。
私も、このシステム自体は嫌いではないが、社員によってリテラシースキルのばらつきが大きすぎて、全然機能していない現実には目を覆いたくなる。
まず上司は、「悪い情報を書くな。上が見るだろう。消せ」と明に暗に圧力を掛けてくる、典型的にダメな会社のリーダータイプ。反発している同僚もいるが、私は「あ、下らないな」と思い、基本的に「いいこと」だけしか書かないようにした。まあ、こんなことを全社員がやったら、組織は腐ってしまうだろうが。ただ、「いいこと」しかない仕事などあり得ないわけで、結局メールや「飲みニケーション」で、「悪い情報」は横に広がっていくわけだが・・・
それはともかく。
日報を共有する唯一といってもいいメリットは、中間管理職が「いい情報」しか挙げてこないと組織が腐るので、経営陣が、ある意味で中間管理職を飛び越えて、直接、各社員の「本音」を探るという点に絞られる。
これが、実は中間の地点で、「情報の封鎖」が行われている可能性もあるということ。これは、こういったシステムを導入している会社の経営陣は、当然ながら、重々承知しておかねばならない。おそらく、「いい情報」の裏側には、その何百倍もの「悪い情報」があり、そして驚くべきことに、その「悪い情報」を、本社のコストセンターは、驚くほど「知らない」場合もある、ということだ。
もちろん会社も、「自部署にとって都合の悪い情報は、流してこないだろう」ということくらい想像がつく。したがって、「どんなことでも、入力しろ」と建前では言う。だが、それを額面通りに受け取るのも大人としてスマートな態度ではない。
だが、いるんだな。そういうスマートさに欠ける「情報リテラシー」のない輩が。
業務のメモを、その情報を必要としている社員が判る程度にさらっと書けばいいのに、ひどいのになると、それが「結局何が言いたいの?」という日記になってしまっていたり(読む側の都合は無視)、中には、顧客のプライベート情報がつらつらと書かれていたり(社内で共有したら、誰がそれを外に持ち出すか分からないではないか!そんなもの、最悪でも自分のノートにでも控える程度にしておけ馬鹿野郎)、とても「業務上の記録」とは言えないものが出てくる。
こういう状況を見ていると、やっぱり基本は、Face to Faceなんだな、と思ってしまうのだ。
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何だか文句ばっかりになってしまったが(いつもそうだが)、情報を共有しようと思えば思うほど、情報が散逸する逆説。
不思議なものだ。
公開開始:2011年6月27日