SNSに疲れた人々の声を拾う。一応、フィクションということにしておく。
「いいね!がほしくて、投稿漬けの毎日を送っています」
「フォローが減るのが怖い。だから八方美人になっていく」
「最後は、結局匿名の2ちゃんに戻る。楽だから」
「リア充のフリをするのは、もうたくさん」
「本当の自分は、平日) 仕事→コンビニ弁当→寝る。 休日)寝る。 なのに、
そうでない自分を演じるのが本当につらい・・・」
「プライベートでも四六時中、周囲に気を遣うのはつらい・・・」
「一般人の日常なんて、たいていは取るにたらないもの」
「自慢話なんてしたくないのに。聞きたくないのに」
「ブログ → mixi → twitter → Facebook → 疲れてすべてアカ放置」
「自意識過剰が強くなっていく気がする」
「リアルで『いい人』を演じているのに、どうしてサイバー空間でも『いい人』でいなきゃいけないの」
「ネットに顔写真。マジで大丈夫なの?何に使われるかわからんぞ。特に女子!!」
「いちいちコメントするのも疲れた。いいね!する義務感から解放されたい」
「とりあえず『いいね!』押しとけばいいさ」
「ネットデビューが遅い人のほうがSNSに嵌る傾向がある(ドヤァ」
「リアル連絡用のアカウントと、本当の自分をさらけ出すアカウントの二重持ちが基本です」
「オフは引きこもりたいのに、何で好き好んで平日並みのセルフプロデュースをせにゃあかんの?」
「『いいね!』だけでなく、『いやだね!』ボタンもくれよ」
「気を遣う現実がいやだからネットで遊んでいるのに、どうして余計に気を遣うのか」
「実名のほうが情報の質が高いっていうのは勘違い。実は、個人の人格や人間関係が絡んでくるので、本音がオブラートに包まれやすくなるし、直截的な物言いがしにくくなるので、情報の質は低下しやすい。却って、2ちゃんねるようのうに匿名で罵詈雑言を言い合っている中にこそ、質の高い情報が混ざっている可能性はある。もちろん、匿名ゆえの無責任なガセやゴミ情報、すなわちノイズも多くなるわけだが・・・だから、情報が匿名か実名かというのは実は重要ではなくて、大切なのは信頼できる情報源から発せられた情報に基づいた建設的な議論こそにある。これは実名だろうが匿名だろうが実施可能なことだからね。「実名のほうが偉い」というのはもしかすると、ネットを嫌うものによるステマかもしれないね」
「お互いを必要以上にほめたたえるSNSは、一種のカルト的な要素があるのかもしれない。もちろんこの要素がまったく肌に合わない人も多いのだろうけれど。っていうか、これは村社会の気持ちの悪い部分を濃縮したようなにおいがする」