※すべてノンフィクションです
履歴書
千葉の公立小→中→高と進み、
進学した早稲田大学では「都市計画」を専攻。
・・・「都市計画」を学んできたはずが、
卒論は「こち亀」というファンキーっぷり。
・・現在はごく普通の会社員です。
もしかするとあなたのお傍に・・・
入社後は千葉勤務でしたが、
その後東京勤務になりました。
なお既婚で、子どもは娘が1人います。
詳細プロフィール
幼児期。
知識欲が豊富なお子さん。本が大好き。いつも図鑑と、「教育テレビ」を見ていた。
幼稚園が終わると、親に録画してもらっていた「ワン・ツー・どん」や「さわやか3組」その他を見ていた。
幼児期によくありがちだが、「車博士」であった。
トミカ百台はあったかな。今はまったく駄目だが、当時はテールランプを見ただけで車種がいえたらしい。
基本的にチャレンジャー。BB弾を鼻の穴に入れて、抜けなくなる。耳鼻科へ。
ウサギの餌がおいしそうだったので、食べる。腹をこわす。砂場の砂や、道端の雑草の味を覚えたのもこの頃。・・・あれは不味い。
千葉そごう(旧館、当時)のレストランの前に敷いてあった白い砂を食べる。胸が焼けただれる。これは怒られると思い、親には黙っていた。
小学生。
最初は給食が全部食べられなかった。パンを残したら担任にいきなりひっぱたかれたのもいい思い出だ。
この頃からはっきり言って物事を斜に見ていたので、教師には嫌われていた。
担任が陰で「変な声」とか、「今日はコイツの班で給食を食べるのか、ゲッ」などといっているのを聞いた。
ぶっ飛ばそうかと思ったが、
基本的に「いい子」なのでグレることなく今日に至る。
学校に対して思っていたことはただ1つ。
「頼むからそっとしておいてくれ。俺に構うな。」、担任の机間巡視が何より邪魔だった。
中学生。
学校が荒れていた。警察が来て、新聞に載るほど。
私はいわゆる「安全グループ」にいられた(不良でもなく、いじめられるわけでもなく)。不良からはたまに挨拶で頭を叩かれる程度で済んだ。
授業中にCDラジカセ(当時)の音が鳴り響き、教師に向かってはさみが飛び、壁に穴があき、消火器は暴発し、タバコの煙が教室中に充満し・・・
という金八先生の世界がそのまま再現される。なかなかファンキーだった。
病んだ教師の入院とかもあったっけ・・・。
そんなに学校がいやなら、来なけりゃいいのにね。
でもまあ私としては、教師が不良に構っているものだから、理想の「頼むから俺に構うな」状態に置かれ続けた。助かった。
高校生。
構われないのがよかった。畢竟、変態が芽生える。
受験直前に、クラスに数人しか来ていない日があって、・・・ちゃんと学校に来ていた奴は、自分も含めて合格していた。まあ、世の中そういうもんだと悟った。
大学生。
構われないのがよかった。大学というのはまさに「人種のサラダボウル」。いい意味で周囲は「変人」ばっかりだった。大学の面白さを実感する。
・・・変態にドライブがかかる。
社会人。
ここでも構われないのがよかった。さらに変態に拍車がかかって今に至る。
仕事だからもちろん「やりがい」「楽しさ」もあるのだが、基本的に「つらい」「苦しい」からお金がもらえるのであって、やたら「楽しさ」を主張する手合いは権力の手先であるということを実感する。自分探しとか、やりたいこと探しの前に、「できること」探しをしろといいたい(誰に?)。
今から老後に備えて貯金をしていくのだ。