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少子化


いつだったか、「24時間だっこし放題」というフレーズで大顰蹙を買った日本の少子化対策は、子育ての実体も分からぬまま議論され、結局1990年の「1.57ショック」から特に成果を上げぬまま33年が経過した(本稿は2023年1月に脱稿)。お世辞にも何か手を打った・・・とは言えない状況で、「出生数が100万人を切った」と大騒ぎになった2016年からわずか6年で出生数が「80万人を割った」(2022年)と、いよいよ危機感が本格的に騒がれ出したところで、ここまで出てきた政策というのが「幼稚園・保育園無償化」(便乗値上げがあったことは触れない)、「出産一時金引き上げ」(便乗値上げされたことは触れない)、「待機児童問題の解消」(既に供給過多が問題化しつつあることには触れない)、あとは・・・何?「育休中に学びを拡充する」だ?そんなカネも時間もないわ、というのが本音だろう。結局、実効性のきわめて高かった政策は「不妊治療の保険適用」くらいではないのか。

-既に「母親の数」自体が減っているので、少子化はこれからもずっと続く。せめて「抑止」していくためにはどんなことが必要だろうか。

■希望

大前提は、「希望」だ。手取りの給与がどんどん上がって、暮らしがどんどんよくなること。将来に希望が持てなければ、人は必要最低限度の消費しかしないし内向的になっていく。あのスキャンダルまみれの新・東京オリンピックの体たらくをみていても、日本は「中進国」への坂道を転げ落ちていることは明白。そもそも、社会に核たる「希望」がないこと。これが問題だと言えるだろう。

そしてそもそも、「老後」はどうか。増税を是とする財務省が「財政不安」を煽りに煽り、年金もどうなるか分からない。毎年増税に次ぐ増税で、物価高も相まって手取りは減る一方。この状態で、どうして「子どもをたくさんつくろう!」となるか。月にわずか数千円を配ったところで「よっしゃ、こさえるべ」となるわけがない。

■結婚

そして、そもそも(日本の場合は特に)「結婚していること」そのものが、「出産」と密接に結びついている。自由恋愛全盛の今、結婚に必要なのは「出会いがあること」と「つがいをつくるメリットを感じること」並びに「世間体」の3つである。既に共同体は瓦解しているので、「世間体」で結婚するというのは考えにくい。となると、「出会い」と「メリット」だ。

生憎とコロナで「出会いの機会」そのものが激減してしまった。出会いの季節にコロナが直撃してしまった世代(特にコロナ期に大学~新社会人世代)の出会いはますます少なくなり、このままいくと数年スパンで(その世代にとって)さらに深刻な「出生数減」が起こるであろうことは容易に想像がつく。

「つがいをつくるメリット」はどうだろうか。デメリットのほうが強くなっているのではないか。理由として、一人でいたほうが気楽。一人でも時間を消費できる。一人でも特に困っていない。一人で十分に稼ぐことができている(独身貴族)。概ね、こういったところだろうか。一方で、経済的に「一人で手一杯である」という答えもあるかもしれない。いずれにしても、「つがい」を敢えて作る必要性を感じない-社会に変容してきていることは確かだ。

■出産

希望と結婚、ここまできて初めて「出産」が課題となる。出産のためには、いくつかのハードルがある。「適齢期」「キャリアの保証」「預け先」「扶養する経済力」の4点だ。

まず適齢期の問題。これは生物学的にかなりどうしようもない部分だが、晩婚化(既に30代が初婚の"平均"になっている)が進んでいるため、そもそも子どもが身体的にできにくくなっている。これは残念ながら事実だ。不妊治療はもはや「妊活」という言葉が人口に膾炙するほど普通になってきている。以前は自由診療だったので、余りの高額にひと財産を投じて、それでも子どもができない-というケースはごまんとあった。私も経験者なので分かるが、夫婦の精神状態、経済的な負担、周囲からの無言のプレッシャーなど、はっきり言って相当に苦しい。無事に生まれたとしても、高齢出産の場合は母子ともに様々なリスクがあることも考えねばならない。この現実をしっかりと見据えるべきだ。目をつぶっていてはいけない。「適齢期がある」ことをしっかりと直視し、必要な行動を起こすしかない。

キャリアの保証も大きな問題だ。ただし今は、「仕事と家庭の両立」に政策が拠りすぎている。これにプレッシャーを感じて子どもをつくらない場合もあることを認識しなければならない。すなわち、キャリア志向が高い夫婦は「キャリアが継続する」方向で働く仕組みが担保されれば良いのだが、そういう夫婦ばかりではない(子どもが生まれたら、少し仕事をセーブしたい、など)ことも重要な観点だ。片稼ぎ-専業主婦・夫であっても-十分に生活できる経済状態を社会全体で作れていけるか、というのも少子化抑止のファクターになり得るのだ。誰もがキャリア志向とは限らない。本人の志向に応じて、「選択」できる社会が、ほんものの文明社会ではないだろうか。

「預け先」も、深刻な問題を孕んでいる。そもそも、一時期大騒ぎになった「保育園待機児童問題」。今や、「保育園余り」が静かな社会問題となりつつある。出生数が6年で2割も減れば、それはそうなるとしか言いようがない。「保活」などといって煽りに煽られた結果、上述の「特にバリキャリ志向でもないけど、みんなが保育園に預けるから・・・」という層も含めて、猫も杓子も「保育園に預けよう」と殺到したという要素もあったのではないか(こういうことを書くと、「本当に困っている人もいた」と曲解して怒り出す人がいるが、そういうことを言っているのではなく、"空気"があったということを言っているのだ)。実際、「育児休暇を延長したいので、"保育園に入れなかった"という証明を得るために、敢えて倍率の高い保育園に申し込んだ」ということが社会問題化していたわけだ。実は預け先で本当に問題になるのは「小学校1年生」であることは有名だ。低学年の学童保育こそ、真の「待機児童問題」と言ってもよい。必要な時に子どもを預けられる仕組みが絶望的に少ないのだ。政策的に保育園"だけ"にフォーカスしてよいのかどうかは、冷静に捉える必要がある。

そして最大の課題が「扶養する経済力」である。端的に言えば、「経済的な余裕」だ。例え経済的に余裕がある(ように思われている)パワーカップルであっても、タワーマンションに高級外車なんてやっていたら、ローンや維持費、その他生活費で意外とカツカツというのはよく聞く話。育休を取ることで一時的な収入減は避けられず、ローン返済や税金のことなどを考えると「DINKSで、今の生活を充実させよう」となっても、その心情は理解できる。今の生活水準を落としてまで苦労したくない(今まで海外旅行に充てられていた余裕資金が、保育料やシッター代で全部消えるなんてありえない!)と考える人は決して少数派ではなかろう。

そもそも、住居費はどうか。ここまで都心部の物件価格が上がると、とても「世帯人員を増やす」ことに踏ん切りがつかないのではないか。テレワークが追い打ちをかけて、「家で仕事をするスペース」を捻出しなければいけないから、猶更だ。既に首都圏の主要駅周辺は、一般のサラリーマンがおいそれと手を出せる金額ではなくなってしまっている。「テレワークなら、地方移住でいいじゃん」という簡単な話ではない。教育や利便性を考えると、「都会に住む」ことのベネフィットには計り知れないものがあるのだ。

生活費も狂ってきている。金融緩和と消費増税のコンボでは決して成し遂げられなかったインフレを、記録的円安と資源高騰のダブルパンチで(結局日本は「黒船」などの「外圧」でしか変化しないのか?)あっという間に40年レベルの大インフレに変えてしまった。食費・電気代・ガス代の高騰に目を丸くしている人は少なくないだろう。ここで賃金は全く上がらない(というか下がっている)ので、正にスタグフレーションである。一足早く、家計を著しく圧迫していた「携帯代」が値下がりしていたのが不幸中の幸いだ。しかし、まだまだメスが入っていない領域がある。現代インフラの根幹ともいえる「インターネットの使用料」は相対的に高額のままだし、ここへ来るとオールドメディアのNHKや新聞は相対的により高額に感じられてしまう。

もっとも大きいのは、実質賃金の目減りだ。消費増税・社会保険料の高騰で可処分所得が減っているだけでなく、そもそも「働き方改革」が「残業カット」の代名詞となり、残業代を以前のように稼げなくなったという声はよく出てくる。ボーナスが丸々手取りにできた時代ではもはやない。同じ「年収700万円」でも、一昔前の700万円とは訳が違うのである。

住居と似ているのだが、「クルマ」も同様だ。既に軽自動車やコンパクトカーが主流になった日本は、まさに「中進国」化していると思わざるを得ない状況だ。クルマも「乗れる人数」には限界がある。住居同様に、「乗車人員を増やす」ことを躊躇させる要因になるのだ。

そして不安に拍車を掛けているのが「教育費」である。今、中学受験は「ブーム」といってよい盛況だ。中高一貫が増えたことも大きい。中学で不良化されないためにも、よいところに通わせたいというのは親の性(受験したからと言って不良化しないとは言っていないので悪しからず)。そして、その準備(になっているのかは知らないが)である幼児・小学生期の「習い事」も、7000円~1万円/月というのが普通なのだ。はっきり言って高い。

-このほか、保険もかかるし、いろいろと手も増える。「だったら今のままでいいや」となってもおかしくないだろう。

■マインド

そして実は、この「マインド」こそが出産につながるために一番必要な要素だと思う。いくらハード面が整備されたとしても-結局はハート(社会的な意識や価値観)が変わらなければ、何も変わらないのだ。

大前提として、「(好きになったこの人の)子どもを残したい」という気持ちが自然発生的にあることがマインドの中核なのだが、これを強制することは、思想・心情の自由に悖り、ポリコレ的にもいかにもまずい。

となると、1つは「社会的圧力の存在」が構成要素として浮上してくる。「そろそろ結婚したらどう」「お子さんは?」という無神経なことをいう人も今は随分と少なくなった(と思う)が、これがあることで何とか結婚できたという人も中にはあったろう。ただ、これもポリコレ的にみて今、その状態への再帰を図ることはあり得ないだろう。もう1つの社会的圧力が、「キャリアの押し付け」だ。

すなわち、「現代女性たるもの、仕事と子育てを両立させ”なければならない"」というメッセージだ。強迫観念と言ってもよい。誰もがバリキャリ志向であるわけがないので、人によってはこれを「できるかな(不安)」「本当はそうしたくないのに」という人の結婚願望・出産願望をスポイルしてしまっている可能性には常に留意しておきたい。一方で、「両立」派に向けては様々な制度的な拡充が図られてきて、今や少なくともそれなりの企業であれば、育休を取ったからと言ってキャリアパスに傷がつく・・・などということもなくなってきている。だが一方で、「別に、今のままで困っていないから」と、バリキャリ派はバリキャリ派で、未婚の道を(好むと好まざるとに関わらず)選んでゆくケースも多いことはご承知の通り。

結局は、「生みたい・育てたい」と思う社会かどうか、だ。政治的には既に、圧倒的大多数が高齢者という「シルバー民主主義」化が進行している。こうなると、所謂「逃げ切り世代」の本音としては、「自分たちが生き延びればいいから、あとはヨロシク」となって当然だろう。これは自分が逆の立場だったら、当然にそう思うはずだ。だって、ちゃんと年金もらいたいもの。

子どもの数が減っているので、社会の中で子どもが少なくなっていて、寛容度も下がっている。日本社会は(不景気で基本的に気が立っているのもあって)全体的に子どもに冷たく、平気で「うるさい」と怒鳴られるし(実際に子どもはうるさいのだ)、ベビーカーも迷惑がられる(実際に場所を取るのだ)。これ、「うるさいと思ってはいけない」「邪魔と思ってはいけない」ということとも少し違う。実際に子どもはうるさいし、ベビーカーなどの専有物も場所を取るのは「事実」なのだ。ポイントはそれを受け容れた上でお互いに「寛容」しあっていく心の涵養なのだが、なかなかそこまでには社会が成熟しきれてないのだろう(あるいは、成熟しきって、老年期-しばしば幼児期-反抗期-に戻るとされる-してしまったのかもしれない)。

また、先に触れた「現代女性たるもの~」というところと似ているが、「母親たるもの、かくあるべし」というべき律というか、要求が今どきのママの感覚と乖離してしまっていることも私は懸念している。ただでさえ情報が氾濫している今、「識者」による「あれしろ、これしろ」というノイズに常にさらされているのだ。一昔前は実母などがあれこれ子育てに口出しをして、実娘に「お母さんの時代とは違うんだから、放っておいてよ」と言って喧嘩をする-なんてのが情景としては一般化されたのかもしれないが、今やそういう「自分の状況と合わない"おせっかい"」が、勝手に入ってくるのだ。しかも、とめどなく。「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」と多数に向けて発信される情報は、実は「あなた」や「あなたの子」だけに向けて発信された情報ではない。取捨選択をしていくしかないのだ。-本来は、こういう心持でいたほうがよいだろう。曰く、「親がなくても子は育つ」-。

-ここまで、あれこれと「課題」を縷々述べてきたわけだが、ここからは「解決策」について考えてみたいと思う。「状況は分かった。・・・で?」のアンサーだ。公共セクターだけでなく、民間(国民)も意識し、課題解決に向かってはじめて「希望」が生まれ、「結婚」につながり、「出産」へと至る「マインド」が醸成されると信じたい。

■希望

公共セクターでは、何よりも「投資」であろう。特に教育投資が不可欠だ。大学までの無償化は大前提として、資源のない国として「技術立国」へと数十年掛けて立て直しを行っていく。科学投資・ICT投資にも傾斜的に予算投下し、人材の生産性向上・企業間の自由競争促進(障壁緩和)も進めていきたい。この目的は、何よりも日本が技術的なプレゼンスを獲得し、国際規格・ルールを主導できるような存在になることだ。「技術」というのは何も「ものづくり」だけではない。開発のノウハウやソフトウェアも含めた「知的財産形成」も含まれる。

民間セクターでは、1つは「世代間の痛み分け」を提言したい。何をどうやっても今のままの制度で年金・健康保険を継続していくことは不可能だ。医療費の自己負担引き上げ、年金の一律カットなど、全世代で「三方一両損」をしなければやっていけないことを覚悟したい。

また、「働き方改革」も視点を変えていきたい。週休3日制は、情報が氾濫する現代においては適応障害やうつ病を抑止する切り札だと期待するものだ(月・水・金勤務とすれば、実質的に毎日が"明日はお休み"になれる)。このとき、賃金の据え置けば実質賃上げにもなるし、その分単位時間当たりの生産性も向上していいことずくめ-なのだ。選択的テレワークについても検討したい。要するに、「好きな時にオフィスで、好きな時にリモートで」という働き方だ。「終身雇用」や「年功序列」と並んで日本型雇用の特徴ともいえる(そして現代の家族の姿にはまったく合わなくなってしまった)転勤を抑制することにもつながるだろう。

結局は、投資と教育によって時代に適合した人材の生産性向上を図り、企業間の公正な自由競争を促すことで、国家としての経済的(これは軍事的にもである)プレゼンスを高めていく(維持し続けていく)ことしか「希望」は生まれないのである。

■結婚

結婚は「両性の合意にのみ基づく」(日本国憲法第24条)ので、国が無理やり結婚させることはできない(のは当たり前の話)。間接的に結婚を有利にしてしまえばよいので、例えば所得税や住民税のペア優遇税制などはどうだろうか。

民間では、もっとも将来につながる「出会い」が多い大学入学~入社2年目くらいまではリアル重視で接点をつくるとか、メディア挙げて「結婚あこがれコンテンツ」を大量供給するとか、はどうだろう。

■出産

安易に「費用援助」をすると便乗値上げが起こるし、単に金銭給付だと貯金に回ってしまうし、どうすればよいのかというと先に挙げた「手取り・経済」「キャリア」「預け先」「不妊」といった課題を、1つずつ丁寧に潰していくしかない。

「手取り・経済」では、このコロナ禍で「内部留保を一定程度しておかないと、危機に対処できない」ことが白日の下に曝されたわけで、おいそれと「賃上げ」などできるものではない。ここは、「ボーナス・退職金の非課税化」で実質の手取りを底上げするしかない。これで消費が回復する可能性はある。またこれに併せて、マイナンバーカードの普及も見据えて源泉徴収を廃止して確定申告にしてもよい。「経費」の概念が広く浸透すれば、消費の質も変わってくるのではないか。

教育費の観点では、教育費の観点では、大学までの無償化はもはや必須課題だろう。子女の塾・習い事も電子クーポンで(全部とは言わずに)一定額をバウチャーでサポートする。

住居の観点では、子育て世帯の住居やクルマの取得(あるいは賃貸)費用の大胆な税制優遇もよいだろう(所得税・住民税控除など)。

これらによって消費が回復することを以て、必然的に消費税収・所得税収も上がることを期待する。経済回復で捻出された財源を活かして、消費税を食品のみ非課税にする、水道光熱費や通信費の基本使用料(従量分は除く)の一定額の高騰分を補填する制度枠組みの設計などによって、基礎生活費を政策的に抑えることも考えたい。

キャリアの面では、もはや法的な制度というよりも多分に民間セクターの「空気」「雰囲気」によるところも大きいのだが、出産・育児による「有給休暇」の制度的拡大、従前のキャリア保証の法定などはまだまだ着手できる部分があると言える。

預け先の面では、かつての保育園のときと同じテンションで、学童の無償化・学童の拡充を図っていくしかないだろう。

不妊の面では、何よりも晩婚・高齢出産のリスクの正しい教育が不可欠だ。そのうえで、「一定年齢までの一人目不妊の無償化」などにも踏み切って、政策的なメッセージとして「子どもを産み育てる」ことへの支援を強く打ち出していきたい。

■マインド

キーワードは2つある。1つが「お互い様/寛容」である。誰もが多少なりとも迷惑を掛け合って生きていることを自覚していくしかない。

もう1つが「選択の(精神的)自由」の保証だ。今や、就活→婚活→妊活→保活→(転活)→・・・→終活と、人生のイベントの多くの部分が「パッケージ化」されていて、それが便利さを生み出す反面、しばしば「こうしなければならない」という規範化することによって、社会の閉塞感や息苦しさを生んでいるともいえるのではないか。実際はこのレール通りに行かなくて当然である。企業の"造語"(その多くはマッチポンプでもある)に必要以上に惑わされないことも重要だ("必要以上に"と書いたのは、たまには踊らされることも処世術としては"アリ"だからである。ただ、ツールとして利用すればよいのだが、これに飲み込まれないように-という話である)。


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