いいことを言っているようで実は何も言っていない「空っぽ言葉」について
行政の刊行物などで頻繁に見られる、「いいことを言っているようで実は何も言っていない」言葉。なぜかその言葉の中に「上から目線」が存在し、それを隠しきれていないのも特徴です。
ふれあい
アカの他人とそんなに触れ合いたいですか?あ、政治家や業者が「お金」とふれあうということですか。
世界中の人々
どこの国のことですか?せいぜい、東アジアくらいしか想定していないんでしょう?
国際色あふれる
運動会ですか?
魅力ある地域
誰にとってですか?政治家?業者?
にぎわい
うるさくないですか?
地域に根付いた
因習にとらわれたクレームジジイ、しきたりにうるさい年増のババアしか思い浮かばないのですが。
ものづくり
何を作っているのか意味不明です。
女性や若者
とりあえず、イメージのいい言葉を並べてみました感が強い。しかも全然MECEでない(若者と女性は一部重複する)ので、違和感がすごいんですよね。
女性と子ども
同上。
街全体
何かを言っているようで、何も言っていない言葉の典型です。
新たなビジネス
他力本願。
地元の人たちとの交流
だから、アカの他人と交流なんてしたくないって。
自然ゆたかな地域
「ド田舎」を上から目線で言い換えただけです。
美しい自然の中でのんびり暮らす
自然災害の多い我が国の現状を無視したきわめて傲慢な物言いです。自然と共存するためには不断の努力が必要です。よく「のんびり農業」なんて表現もみかけますが、こんなもの幻想でしかなく、本来は重労働でしょう。しかも田舎には因習が根強く残っているので、人間関係的にも「のんびり」は絶対にできません。スーパーだって遠いですしね。知っていてこう表現しているのなら作為を感じますし、知らずに妄想だけで表現しているのならば無責任にもほどがあるでしょう。こんな言葉を野放図にしておいて平気な神経は、なかなかのものです。
究極の「のんびり暮らす」というのは、都心部にいくつも土地を持っていて地代で一生、悠々と暮らせて、都心の高級住宅地の中の管理が行き届いた低層マンションで、近所との面倒な付き合いもせず、何不自由なく暮らせることだけを言うような気がします。そういう選民がたまに旅行で田舎に行ってのんびり羽を伸ばすのと、一般の民草がそこで「暮らす」というのは、まったく違う概念でしょう。
地域全体が活気づく
これも、何かを言っているようで、何も言っていない言葉です。
文化の香り
どんなにおいですか?排気ガス?芳香剤?
AIの活用
なんでもAI、AI。とりあえずAIと言っておけば議論が収束するような雰囲気ですよね。一昔前のIT、ICTが「AI」に置き換わっただけのような気がします。
SDGs
エコがどうも「胡散臭い言葉」になってしまったので、より広い概念が提唱されたんですよね。概念が広すぎて、「(耳に)いいこと」をすれば全部SDGsになるというとんでもないことになってしまいました。例えば「詰め替え用のシャンプーを買っていますから私はSDGsです」・・・って普通に生活しているだけだわ!!
みらい
ひらがなにすればいいと思っていますよね。
女性活躍
女性が活躍していないと思っているからこそ出てくる究極の上から目線の言葉です。この言葉を見ても、女性蔑視のおっさんか、ネオ・バリキャリ女のイメージしか沸かないです(どちらも自分の世界がすべてで他者への寛容がないことで共通)。要するに、すごくイメージが悪い。
多様性
「慈悲」のニュアンスが強いんですよね。「正解」があって、それと「外れるもの」が「許容」されているだけという感触です。無理やり「外れるもの」を「納得」させられているというか・・・。
本当の多様性とは、異質なものが、それぞれが納得せずとも相互に共存することのはずです。例えばLGBTやルッキズムを例に挙げると、今の「多様性」は、強制的に社会にそれらを「納得」させる方向で動いているんですよね。だから軋轢を産むのであって、「納得」している人がいようがいまいが、その状態とは無関係に、それぞれが「共存」している状態が本来の意味の「多様性」なのではないかと思うのです。
こういう議論をすっ飛ばして安易に「多様性」という言葉でまとめるから、余計に面倒なことになっているような気がします。