働き方

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■前提

働き方改革が叫ばれて久しい。「完全フレックス」で「完全リモート」という会社はまだ珍しいと思うが、酷薄な大都市圏一極集中の時代である。わざわざ混雑する電車に乗って同じ時間に同じ場所で一斉に仕事をスタートするのは実にナンセンスである。「一斉にやる必要、なくない?」という問いは、そろそろ万人に気づかれてもよいことである。学校も、よく考えると同じ時間に同じ場所で一斉に(以下略)。

人口大激減と大偏在化が進む日本。「働き手を増やす」ことと「1人が生み出すアウトプットを増やす」の並立でしか社会の維持は不可能な領域に突入している。ICTの活用で、今までとは違う生産性の高い社会を構築できるか否か。その真価は「働き方改革」にかかっている、といっても過言ではない。だが、それはあくまでも為政者から見た話であることもまた事実。

■思想改造の経過

2018年の頭のことである。ある知己の会社員の怒りを聞く機会があった。彼曰く、「外部から乗り込んできた金の亡者、腐れコンサル会社がやってきた」と。何事かと思って聞くと、その人たちが作ったビデオを無理やり視聴させられた、というのである。そのビデオのタイトルは「さあ、みんなで働き方改革をしよう」というもの。彼の怒りは凄まじく、「こんな金払うならボーナスに回せ、人増やせ。どう見ても、コンサルの肥しじゃねぇか」と言っていた。さらに、「個人情報保護やコンプライアンス、環境経営と同じで、経営コンサルの新しい稼ぎ口でしかない」とも。で、絶対に「働き方改革」なる言葉を信じるものか、と固く心に誓った-らしい・・・。

その後(2019年)、彼は「早く帰れるようになってワークライフバランスが充実しています」という、「ウェーイ系」にすっかり変身してしまった。いやはや、現金なものである。結果的に、このコンサル会社は社員のマインドセットを見事に変えたのだ。

普通、新しいことをスタートするときは「氷(抵抗勢力)を砕いて、理解の時期を創り、マインドセットを変える」のがセオリーと言われる。聞こえはいいが、要するに「思う方向に社員の思想を改造する」ということである。それを主導するのが、頭脳集団コンサルティングファームである。一般人が勝てるわけがない。

■冷静に「誰のため」か考えてみる

先に結論を書こう。官民挙げて号令をかける「働き方改革」とは、「誰もが死なない程度に、ゆるく・長く働いて、会社の利益に長く貢献し、国に税金・年金をたくさん納めることで、今の(逃げ切り世代の)生活を維持しましょう」という政財界からのメッセージである。人口が激減している以上、社会を維持していくためには「働く人を増やす」ことと「1人あたりの生産性を高める」ことでしか打開策が見出せないのである。それ以上でも、それ以下でもない。

副次効果として、(ゆるく・長くの論理的必然として)個人単位では「ワークライフバランスの充実」が図られるが、これはいわば「飴」(※)。必ず「ムチ」として、「超高齢まで働くことを要請される」社会の到来に帰結するのである。これは人生の捉え方の問題であるが、「老後は悠々自適」を是とするか、「死ぬまで働く」を是とするか、その選択の問題でもある。少なくとも「逃げ切り世代」が社会の圧倒的大多数である以上、前者 の生き方が相当厳しくなっている、ということは想像に難くない。

若者の人生は、逃げ切り世代の生活維持のためにある・・・ということは、絶対に忘れてはならない。ここではその文脈で「働き方改革」を眺めてみたい。

(※)個人単位の「飴」について
私自身も、「働き方改革」の恩恵として、「出勤時間自由」「勤務場所も自由」という経験をしている。満員電車からはほぼ完全に解放された。午前中に幼子や妻との時間を創ることができた。「昼にプールでひと泳ぎしてから在宅ワーク、夜に打ち合わせ」という外資系投資コンサルみたいな(←勝手なイメージ)生活をしたこともある。Web上で遠くの人と打合せをすることが普通になったことで、身体に負担をかける出張からも解放されつつある。労働時間も大幅に短くなり、身体的・精神的な疲労からも解放されている。少なくとも、「個人単位」でみれば、恩恵が多いことは実体験からも強く主張できる。だが、「おいしい飴」、なめすぎると必ず「虫歯」になるのだ・・・

■腐れド外道のやり口

どこもかしこも「働き方改革」の号令である。ミクロレベルで見ると、先述の通り「ワークライフバランスの充実」が喧伝される。ここまでは聞こえはよいが、マクロレベルで見ればどうであろうか。やろうとしていることは要するに「求める成果を変えないまま業務時間だけ削減する、一方的に現役労働者が損をし続けるゲーム」である。

「ノー残業デーを設けよう」「強制有給の取得」「テレワーク(リモートワーク)の推進」「フレキシブルな勤務体系」・・・これらは単に、手法でしかない。業務量そのまま、評価基準そのまま、給料そのままで時間だけ削り、成果だけは「それ以上」を求められるのである。

有害な「だらだら会議」「とりあえずミーティング」「念のためCC」「一応印刷」「とりあえず報告書」「安心のための勉強会」「フィードバックのない報告書」、そして「プロセスが不明確な評価と給与体系」はそのままである。「制度そのまま、手法だけ取り入れ」では、「個々人の工夫」の域を超えて「持ち帰り仕事を増やせ」「もっと働け」と言っているだけではないか。

そもそも同じ職場に管理職、裁量労働者、時間労働者、年俸制のシニア、アルバイト、有期雇用契約労働者、時短勤務者・・・と、働く動機も目的も違う人々が集っているのだ。働く動機など、「自己実現」「稼得」「他者貢献」「周囲が働くから何となく・・・」とそもそも様々であり、「時間だけ削って」うまくいくわけがない。

本来はそのあたりの動機を高めていく(会社のビジョンに馴化させる)施策をまずするべきなのだが、それもないまま「とりあえず働く時間を減らせ」では、何の成果にもつながらない。無意味である。

私は、社会維持のためには「働き方改革」が必要だと思っていて、外部の「働き方改革セミナー」にも参加するなど、自分なりに意識は持っているつもりである。それでも、敢えて書こう。だいたい、「あなたのためですよ」といって近づいてくる輩は100%詐欺師である。「働き方改革」は、出だしからして「みんながハッピーになれる施策」という胡散臭い新興宗教やねずみ講の勧誘のような胡散臭さが漂っている言葉だ。

そもそも「働き方改革」は、為政者や指導層を生き永らえさせるためだけの代物である。その本質は、今よりも短時間で成果を上げる奴隷をつくることだ。それを認識したうえで、それでも、私は「働き方改革」そのものは必要だと考えているのだ。あくまで、働き方改革は「エスタブリッシュメント層が生きていくための施策」であることを認識したうえでの、乗っかりである。

■マクロレベルで見た「働き方改革」導入3つの理由

繰り返すが、「働き方改革」は「上級国民を生き永らえさせるための政策」である。そして、それが急がれる理由が3つある。

1つめは、「これまでの働き方に不満を漏らす奴隷が増えてきた」ことである。奴隷たる社畜に知恵がついて、権利意識が高くなってきたためである。さぞやエスタブリッシュメント層は苦々しく思っていることだろう。

2つめは、「労働条件が、生かさず・殺さずが難しいレベルにまで苛酷になってきた」ことである。
まずIT化。IT化は、間違いなく仕事の時間当たりの情報処理量を増やしてきた。「電話・FAX・郵送」でやり取りしていればよかった時代と比べて、一時に処理しなければならない情報量は爆発的に増えている。これは人間の脳にとって計り知れない負担を与えているはずだ。

次に育休を代表とする職場の慢性的な人手不足による「圧力鍋化」である(育休者は員数にカウントされるため、複数の育休者が出ると一般的には満足な人員補充はなされず、職場の1人当たりの業務負担は増えるのが普通だ)。これも「24時間戦えますか」の「男性だけの時代」とは比べ物にならないほど、従業員個々にとっては大きな負担となっている。

3つめは、人口オーナス期による慢性的かつ構造的な人材不足で、今まで通りの待遇ではまともな人材採用が行えなくなりつつあるということだ。しかも、今や日本は特段「稼げる国」ではなくなってきているので、<移民>をアテにしていた財界層の目論見も外れてしまった(それが証拠に、最近は「移民」はトピックスにすらならないでしょう?)。

繰り返すが、「あなたのため」を言って近づいてくる奴は、「自分のため」。政府やエスタブリッシュメントが「あなたのため」という場合は、要するに為政者の生活維持のためなのである。

■「働き方改革」の逆説

ということで、大多数の国民は「働き方改革」に「心から」協力する必要は実は全くない。面従腹背でもいいから、つべこべ言わずに労働力を提供し、黙って税と社保だけ納めていれば命だけは助けてくれるのが国と上流階層である。そのあたりを踏まえて、以下のことを思って生きていくのが精神衛生のためになる。

〇会社は平気で裏切るので、心まで尽くす必要は全くない(御恩と奉公の関係性は、今では幻想である)。
〇会社の存在そのものは株主・オーナーと経営者のためのものであって、従業員のものではない(ビジョンや施策を従業員のためと思わせるのは単に経営手法の一でしかない。それに共感するのはビジネスパーソンの立ち居振る舞いであるが、それも手法の問題でしかない。理念や手法と会社そのものは実は何ら結合しておらず、理念は単独で存在し得るからだ)。
〇すなわち、生活のために従業員はただただ、国と会社に従っておけばよい。ただ、心までは売る必要はない。
〇政府や会社の号令の逆張りが、生活防衛につながる。豊かな生活を欲する「国民」と、黙って働く奴隷がほしい「エスタブリッシュメント層」は常に二律背反の関係にあるからだ。すなわち「消費しろ」というなら「貯蓄」をすべきだし、「投資しろ」というならその逆をすべきだ。「働き方改革をしろ」というなら、しなくてもいいのだ。どのみち、消費増税と東京オリンピック後の需要減、株バブル崩壊と不動産市況の悪化、団塊の世代が一気に後期高齢者になる時代が重なり、再び深刻な不況が来るのだ。今から生活防衛を図っておく(給与水準が微増している今こそ、消費は手控えて、投資もせずに貯蓄をしておく)ことのほうが、よほど「生活の改善」につながるはずだ。

「身体は従い、心は従うな。」これが、働き方改革の逆説である。


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