適応障害の再発を防ぐためにできることは何か、を考察したページの第2弾です。せっかく寛解しても、再発してしまっては元も子もありません。二度とあの苦しい思いをしないためには、どうしたらよいのでしょう?ここでは、「働く人を疲弊させる風土」、すなわちダメな職場環境にスポットを当てて検討してみたいと思います。
一般的に「ダメな職場環境」と聞いてパッと思いつくのは、「業務が特定の社員に集中している(ムラが大きい)」「優秀な社員から辞めていく」「基本的に人員の補充がない(残された人数で回さざるを得ない)」「ノルマや目標設定が無謀である」「パワハラやセクハラが横行している」「トップダウン型で、極端な管理型である」「報告書類が多すぎる」「社員同士のコミュニケーションが少ない」「ビジョンや理念が共有されていない(ので、経営陣の言葉は羊頭狗肉、現場は面従腹背である)」「評価体系が曖昧である」といったところでしょうか。
今回は、適応障害になった経験から、「発信される情報量が多すぎる」ということ、そして「本来の業務を邪魔するレベルでミーティングや会議、研修や勉強会が設定されている」の2点を挙げてみようと思います。
メール爆弾、チャット、teamsのメンション、突然の電話対応、「いいね」の反応・・・四六時中絶え間なく降り注ぐ情報の爆弾。「通知オフ」にすることもなく、情報を絶えず流し続けていると、やがて受け手はオーバーヒートしてしまいます。今は、とにかく発信される情報量が多すぎるのです。
情報の爆弾から、自分を守りましょう。まずは「通知をオフ」にすること。スマホもPCも、設定をデフォルトのままで使うと、今は24時間何らかの「通知」に翻弄されることになってしまいます。情報は自分から見に行くようにして、相手から飛び込んでくることがないようにするだけで、随分とラクになるはずです。
【PCの設定】
【スマホの設定】
「通知オフ」にすると、「連絡が来ているかもしれない」と最初のうちは不安になります。しかし、ここでいつもスマホとにらめっこしているようでは「通知オン」と何ら変わりません。ここは、勇気をもって「自分から見に行く時間」を制限するようにしましょう。理想は1日3回まで(出勤時、お昼休み前、夕方)でしょう。
「できるわけない」と思うかもしれませんが、意外と1週間もすれば、できるようになってきます。本当に必要なことは電話がかかってきますし、そもそも1日に3回「も」確認するので(2時間半に1回は開く計算ですよね)、それほど困ることはありません。
自分から情報を取りに行くタイミングを作れるようになると、相手に翻弄されているような感覚がなくなり、気持ちがすごくラクになってきます。
情報地獄の最たるものが、「いいね」に代表されるリアクション機能です。単純に操作上の邪魔であるばかりでなく、忖度大好き日本のサラリーマンにとっては精神衛生上害悪以外の何物でもない機能だと思っています。押す側にとっては「読みました」「了承しました」の動かぬサインになるという意味で、既読以上の「踏み絵」になりますし、押される側にとっても「いいね」されていないと何となく疎外された気分になる、という・・・これ以上感情を激しく揺さぶる機能は、ないと思います。
最近では、「読んだら押しましょう」というローカルルールができていたり、「参加する人は「ハート」を押してください」という反応の強要に使ったり、果ては「いつも特定の人しか反応しないから、全員がリアクションするようにするにはどうしたらよいか」という施策を社内で大真面目に検討していたり(これこそブルシットジョブの最たるものでしょう)、もうめちゃくちゃなことになっています。
適応障害を発症する前は、それこそ私も「スーパー忖度星人」で、「すぐリアクションするマン」だったわけですが、いざ休養して冷静になってみると、「リアクションボタンを押したから、何?」ということなわけです。誰かの投げかけに「いいね」を押したところで、会社には1円の利益も発生しません。「全員がリアクションを押すような風土づくり」なんて推進したところで、社会には何も還元されないのです。そもそも反応が欲しければ、メールなりなんなりで投票機能使えって話なんですよ。
もちろん、わざわざ自分から「いいねはもう押しません!」と宣言したところで自分が損するだけですから、ここはステルスかつサイレントに、ひっそりと「もうリアクションしないマン」に変身することをお勧めします。自分一人がリアクションしなくてもまず気づかれませんし、気づかれたところで、「で?」という話なのです。ヒマか、と。人のリアクションを気にしている暇があったら別のことをしろ、と。そういう話でしょう。
こんなことで評価に影響するようだったら、笑い話では済まされません。まじめに「リアクションするのは、業務命令だ」とか、「リアクションしないから、君の査定は下げるよ」みたいな会社があったら、いよいよ末期だと思います。
これまた、適応障害を発症する前の私は、「スーパー忖度星人」でしたから、それはもう、会議にも積極的に参加し、何なら講師も引き受けて、東で勉強会があるといえば参加し、西で研修があると言えば協力し、東奔西走していたわけです。・・・あれ?本来の業務はどうなったっけ?
そうなんです。どこもかしこも「会議」「ミーティング」「研修」に「勉強会」。好きですよね、本来の業務以外のことが。これでは、業績が上がるわけがないのです。だって本来の仕事をさせていないんだもの。
仕事って、仕事を生みますよね。やらなくていいことが多すぎます。勉強会をするのはいいですが、それを実践する機会は担保できているのでしょうか。会議をするのはいいですが、日程だけ確保して「何を話すか」を後で埋めていませんか。自分たちの存在確認のために、余計なことをしすぎなんです。もう少しヒマになったらいいんじゃないですか?
個々の会議、ミーティング、研修、勉強会にはそれぞれ意味があります。進捗を押さえる、備忘事項の共有・リマインド、ブレインストーミング、気づきの視点を与える、視野を広げる・・・したがって、会議や研修が「不要」というのは暴論だと思います。しかし、それが本来の業務を侵食する形で設定されているとしたら?-制度を変えるか、自分から変わるか、しかないわけです。
制度を変えることは長い時間がかかります。まずは、自分から変わっていくしかありません。
ざっくりとですが、以下のような集まりには、興味や必要性を感じなければ、周囲の動きに忖度してまで無理やり参加する必要はない(少なくともリアルタイムで)と思います。最近は録画や自動議事録機能も充実していますから、 時には「参加しない」ないしは「リアルタイムでは参加しない」という選択肢を、常にオプションとして持って臨みたいものです。
【会議・ミーティング】
【研修・勉強会】
ポイントは、自分から火中の栗を拾うようなことはしない、ということに尽きます。いくら「情報量の多さ」を嘆いても、変わりません。「会議や研修の多さ」を嘆いても、変わりません。自分の行動を変えるしか、ないのです。
情報の洪水をシャットアウトして、無駄な会議・勉強会から離れたところで、特に何も困ったことは起こっていませんし、そもそも、誰にも気づかれてすらいません。逆にいうと、情報の洪水に翻弄されて、無駄な会議・勉強会に一生懸命参加したところで、これまた、誰にも気づかれない、ということです。この2つ、頑張ったところで 本当に無意味なのです(この要素で業績的な評価が上下したことは、少なくとも1度もありません。業績の評価は純粋に「定量」で行われ、情報の洪水に翻弄されたり勉強会に一生懸命参加したりしたところで「定性」の評価すら、とくにされていないというのが実感です)。
他者の評価のために生きるのはやめて、自分の満足のために生きましょう。そしてそれは、実は「お互い様」なのです。