テキストサイト
この「鬱色時代」は、個人が管理しているWebサイトです。
職務でやっているわけでもなく、義務でやっているわけでもなく、ただやりたくてやっているサイトです。
なお、更新が深夜だったり早朝だったりしますが、これは昼間に時間が取れないからです。
寝る時間がピンチになることがありますが、ちゃんと普通に生活してます。
惰性サイト。
このサイトは、特にテーマが定まっていません。作るときから「テーマ設定だけは曖昧にしよう」と思ってました。
何故テーマを定めないかというと、筆者が一つのことに思考を集中できないタイプの人間だからです。
曖昧模糊サイト。
無理にテーマを定めてしまうと、その定型に嵌ってしまい、将来、身動きが取れなくなることは明白です。
自分の書けることを、ひとつひとつ、毛細血管のように、木の幹のように、伸ばしていこうと考えました。
しかし、コンセプトが定まっていないとサイト全体が散漫に見えるという方もおられるようで、
サイトの立ち上げ期に、ある知り合いに評価をお願いしたところ、「全体として何が言いたいのか良く分からない」と言われました。
見た目統一感がないってことのようです。
意味不明サイト。
しかしその「見た目統一感がない」というのは、実は狙い通りの反応です。
このサイトでは、ひとつひとつのコンテンツに、わざと繋がりを設けていません。わざと、です。
本来、Webは「情報の洪水」です。閲覧者の方が興味を持ったリンクを適当にクリックしてくだされば、それで構わないわけです。
情報をこちらが「整理」して、「はいこれをどうぞ」ということを敢えて止めています。
もちろん体裁上、コンテンツごとの簡単な仕分けはせざるを得ませんが、
無理なカテゴライズをしていないのはトップページをご覧いただければ明白です。
バラバラになったコンテンツの中から、管理者「ううせいじん」の表象を掴み取っていただければ幸いです。
分散型サイト。
このサイトのコンテンツは、どのように執筆されているかと申しますと、
単なる思い付きです。
なので頭の回転が鈍いときには全く文字が進みません。
逆に頭がフル回転していると、文字が進みます。
後で読み返してみると、テンションの違いが明白です。
ネタ切れの恐怖に喘ぎながら、筆者は書き続けます。
枯渇するのが先か、更新への情熱が氷柱となるのが先か、それは誰にも分かりません。
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ネタを考えるに当たっては、重要な要素があります。
これを認識するのとしないのとでは、大違い。
以下、それをつらつらと綴りたいと思います。
テキストサイトの寿命は下手をすると半年とも、1年ともいいます。
とりあえずこれを書いている時点で半年は過ぎたので、一安心しています。
本当は、全然安心できないのですが。
このサイトでは、文章を考えるとき、まず以下の点から探りを入れます。
毎回強くこれを認識しないとテキストを書くことができません。
「過去のことを書く」のか
自分の経験したことは、かなり書きやすい。物事の仔細を覚えているから、ちょっとした資料を添付すればかなり有用なネタになる。
しかし過去は有限。自分の過去はもっと有限。過去の思い出話だけでは、やがてネタは枯渇する。
「現在のことを書く」のか
現在のこと、「今」のことを書く事は、思うところをそのまま書けばいいのだから、最も書きやすそうに感じる。
だからこそ、日記系サイトが流行しているわけだ。
とはいえ、現状認識力と、アンテナの強度、物事の先を見据える論理構成力が求められるから、実際はた易いことではない。
日記を書くのは苦手です。
「フィクションを書く」のか
とにかく空想して物事を書く。想像力が求められる。
空想が発展し、妄想にならないように注意する必要があるほか、意味不明な「幻想」を抱かないような精神力も必要。
あまり突き詰めると意味不明になる。これまで書いた中で意味不明すぎてボツになったもの多数。