矛盾の話

 

「何でも貫く矛」

「何でも防ぐ盾」

 

では、

「何でも貫く矛と何でも貫く盾を衝突させたらどうなるのか。」

 

この疑問に、

星新一は作品の中でこう説明した。

 

衝撃波が発生・・・

 

実に笑った。

笑ったが、オチが鮮烈だったので笑ってばかりはいられない。

 

なおここまでの話は、別に後に続かない。

 

***

 

生産の矛盾

 

近代社会の進展。

 

生産の矛盾に人類は直面している。

 

科学の発展は、製品の質を格段に高めた。

 

それは、<壊れないもの>を生じせしめた。

 

だが、

壊れないものを作っていくと、生産者はとんでもない矛盾にたどり着く。

 

仮に絶対に切れない電球を販売したとする。

これは売れる。取り替える手間が掛からないのだから。

 

しかし、もう二度と、この会社の電球は売れなくなる。

新しく買い換えることがないのだから。

 

これでは会社が潰れてしまう。

 

そこまで極端ではなくても、壊れにくいもの=品質の高いもの は、

それだけ 将来再び買ってもらえる可能性が低くなる。

 

これでは会社の存続は危うい。

 

かといって、質が低くて何度も買い換えられるような商品を消費者が買うわけではない。

 

すなわちこれは、生産活動の持つ根本的な矛盾である。

 

この解決方法は、実はある。

 

  1. 捨てさせること
  2. 別のところにお金を掛けさせること
  3. 無駄遣いさせること
  4. 破壊すること

 

この4点である。

 

みてみよう。

 

1.捨てさせること

消費者に、壊れにくい製品を捨てさせる方法は簡単だ。モデルチェンジをすればいいのである。

早い話が、少し前の製品を「型遅れ」にしてしまい、消費者を消費に駆り立てるのである。

すなわち、絶えず流行を仕掛ければよい。そうすれば、古い商品は見捨てられるのだ。

 

2.別のところにお金を掛けさせること

これは、商品の付加的な部分にお金を掛けさせる戦略だ。

製品のアップグレードバージョンを頻繁に販売したり、メンバーズクラブを作ったりといったことである。アフター・ケアといえば聞こえはいい。

漫画もいい例だ。ある漫画をアニメ化、ゲーム化、文庫化、DVD化・・・と、どんどん範囲を広げれば、消費の裾野が広がる。アニメでその漫画を知った世代が漫画文庫を買ったり、漫画しか知らなかった人たちがアニメの存在を知り、DVDを買う・・・となれば、一つのキャラクターでビルも建つというものである。

これも、生産の矛盾を打破する一方策である。

 

3.無駄遣いさせること

(1)浪費

浪費させることは、もっとも生産の矛盾を解消しうるしゅだんである。これは、宣伝や流行現象などによって容易にもたらされうる。その手法は1.や2.で説明が可能なので、省く。

(2)逆転現象

ダイエット・・・本来、動物は日々の食を得るために必死であった。今や、やせるためのダイエット食がごく普通に食されている。カロリーゼロ、とか。これは本来の食という観点から考えるとまったくの逆転現象である。これは、一種の「無駄遣い」である。

無駄遣いといっても、単純に「浪費」という意味ではない。いい悪いは別にして、「本来はそこへ資源を投資すること(必要)の無かった分野へ資源が投資されている現象」を「無駄遣い」と呼んでいるところである。この「ダイエット」はその端的な例であろう。

そしてこのダイエットは、生産の矛盾のよい例である。

以下に示してみた。

 

生産性の向上 → 裕福になる → 肥満の増加 → ダイエット

 

生産の向上が、本来求められていないはずのダイエットという非生産行為に帰結している。興味深いのは、ダイエットという現象に、生産行為が加担しているということである。つまり、ダイエットのための原資(ダイエット食)は、生産されているのである。非生産行為の原資が生産されている・・・これは矛盾でしかない。

 

4.破壊すること

生産の矛盾の一つの帰結点は、破壊の誘発である。すなわち、生産が悪無限を繰り返し、一つの社会の中で包摂しきれなくなったとき、その矛盾はまさに衝撃波となって爆発し、破壊行為を生み出すのである。

もっとも身近な破壊行為は自然破壊である。1〜3で見てきた案件は、全てこの自然破壊を暗に意味するものであるといえるだろう。それは事実、生産の矛盾に直面した人類の大きな課題となっているではないか。

では、もっとも大きな破壊行為は何か。それは、戦争に他ならない。

私は、無責任な戦争反対論が大嫌いである。近代社会特有の二項対立思考にはまり込み、「戦争は悪で、平和が正義だ」なんて単純に考える思考停止は、どう考えてもどうかしている。何故なら、戦争と平和は表裏一体だからである。

ここまで述べてきたように、近代社会の生産行為には避けがたい矛盾が存在する。そして、生産行為の多くは、平時において成されるのが常である。一方、戦時には破壊行為が成されることには論を俟たない。

生産行為に矛盾が生じ、それが爆発することによって破壊行為が発生するということが分かれば、すなわち、戦争と平和は表裏一体のものであるということが容易に理解できよう。

とするならば、破壊行為も避けがたい・・・ということになってしまう。

 

どうしよう。

 

何か解決策は無いのか。

 

 

新しい認識を−脱近代

そこで、

近代と決別し、新しい社会を構築する試みが必要なのではないか、と考えるところである。

 

近代社会の抱えた様々な矛盾−その中でももっとも大きな矛盾−二項対立思考から脱却し、

 

これまでにない思考を求めるのである。

 

 

パラダイム転換。

 

 

資本主義と社会主義というイデオロギー対立からも、

戦争と平和という対立からも、

生産と破壊という対立からも、

 

あらゆる対立から自分を相対化させ、

 

 

万物の中に自分を見る

 

何を言ってるのかわかんなくなってきたけど。

 

万物の中に自分を見る

 

試みである。

 

 

 

これが出来ない限り、

 

生産と破壊−近代社会の悲劇−

 

これは、

永久に続くのではないか。

 

 

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