のび太は「東京都練馬区月見台すすきが原」に住んでいます。それはどのような町なのか、モデルとなった町は実在するのか。公開されている設定を元に検証してみました。
【更新・訂正情報】
2023年4月 情報を追記しています。
2023年1月 情報を追記しています。
2022年7月 情報を追記しています。
2022年1月 新たな証言をもとに、情報を追記しています。
2020年7月 情報を追記しています。
2019年2月 証言へのご指摘に基づき、さらに追記しています。
2018年5月 いただいた証言を基に、加筆を行っています。
■のび太の町の地図(設定資料より作成)
参考:『ぼくドラえもん』2号(2004、小学館)掲載のアニメ用設定資料に基づき筆者作成
地図を見ると、のび太の住む町は、駅の近くに広がる密集住宅地のようです。練馬区に実際のモデルのような町はあるのでしょうか。気になるところです。 まず、のび太の町を分析してみましょう。
(のび太の町の特徴)
【交通】北側に鉄道が通っており、高架の駅があります。南側には高速道路のインターチェンジがあり、交通の便は良好と言えそうです。
【自然】町の真ん中に「裏山」と呼ばれるかなり大きな山があるほか、南側に「田奈川」という河川敷のある大きな川があります(田奈川に注ぐ「ドブ川」も流れています)。のび太の家のすぐ近くには「池のある大きな公園」もあり、自然環境は都区内にしては抜群です。
【施設】駅の周辺には商店街があります。駅前には十数件のビルがあり、アーケード商店街もあります。買物には不自由しなそうです。学校の近くには市民ホールや図書館、プールもあり、公共施設がしっかり整っています。割と大きな町と考えてよさそうです。
【環境】意外なことに、川の北側が「工場地帯」になっています。また、裏山の周辺にはいくつか団地と見られるマンション群が点在しています。のび太の住んでいる周辺に限れば高い建物はなく、一戸建てやアパートが密集しています。
なかなか住みやすそうなところですね。
さて、本題は「練馬区に実在するモデルはあるのか」です。1つずつ検証してみましょう。
(1)【確認】そもそも、のび太は本当に練馬区に住んでいるのか
スネ夫の住所が「東京都練馬区月見台すすきが原3-10-5」と判明していますし(15巻『不幸の手紙同好会』)、文通相手からのび太に宛てられた手紙にも「東京都練馬区月見台・・」と書かれています(24巻『虹谷ユメ子さん』)。
さらにドラえもんが後楽園球場(当時)を空撮するシーンで、後楽園球場から「西北西へ動かしていくとこの近所がうつるよ」とコメントしています(27巻『ポラマップスコープとポラマップ地図』)。地図を見れば一目瞭然ですが、「後楽園球場から西北西」というのはまさに練馬区なのです。
→ のび太は、練馬区に住んでいます。
(2)【検証】のび太は練馬区のどの辺りに住んでいるのか。モデルとなった町は?
結論から言えば、「練馬区のどこか」としか言いようがありません。しかし、可能な限り「どの辺りか」について細かく検証してみましょう。
◆検証可能な資料にあたる
1)最大の手がかりは「郵便番号」
のび太が文通相手から受け取った手紙(24巻『虹谷ユメ子さん』)には郵便番号が書かれており、そこには「〒176」と明記されています(掲載当時の1981年は郵便番号が最大5桁の時代でした)。
郵便番号176というのは、ぴったり練馬区の郵便番号です。さらに、練馬区の中でも原則として「旭丘、向山、小竹町、栄町、桜台、豊玉上、豊玉中、豊玉南、豊玉北、中村、中村南、中村北、貫井、練馬、羽沢のどこか」となります(ただし郵便番号7桁化以降の「練馬郵便局」集配区域を記載)。
→ のび太の町は「〒176」のエリアにあります。
☆【情報1・・証言】ここで重要な情報をいただきました(2018年5月6日追記/2019年2月1日加筆)
この記事中では、後述しますが「練馬区土支田(どしだ)」や「八坂小学校」にのび太の町のヒントがあるのではないか、という推論を展開しています。
それを受けて、練馬区立八坂小学校の卒業生の方より、実際にいただいたメールをご紹介します。
"まず、郵便番号176ですが1998年以前の郵便番号7桁化の前は、八坂小のある練馬区土支田が郵便番号176でした。現在の番号179-0076はその名残です。"
この記事ではもともと、「176」のエリアを「郵便番号7桁化以降」の範囲で考えていましたが、連載当時に当該の郵便番号の範囲が異なっていた可能性は検討していませんでした・・・迂闊でした。
これは少なくとも、「練馬区土支田(どしだ)」にのび太の町のヒントがある、と推測した後述の推論を強く補強する貴重な証言です。
さらに、
"今は開発されてしまいましたが、それ以前は裏山感のある場所は 白子川付近に点在していました"ということで、都区内で自然の残るエリアという立地環境的な面でも、「のび太の町、土支田説」が補強された思いです。貴重な証言をいただき、ありがとうございます。
☆【情報2・・指摘】上記に対し、ご指摘をいただきました(2019年2月1日追記)
上記の「郵便番号176」の推論に対していただいたメールです。
"郵便番号7桁化の際に上3桁は変わっていないはずなので、練馬区土支田は今も昔も郵便番号179だと思うのですが、この証言は事実でしょうか。"
確かに、7桁化(1998年2月2日)直前の、土支田の郵便番号は「179」でした。
検証不足をお詫びいたします。しかし、これを以て「のび太の町、土支田説」が覆るかというと、そうとも言えない事情があります。
というのも、「179」を担当する郵便局(集配局)は「光が丘郵便局」なのですが、光が丘郵便局の開局は1991年ですから、それ以前の郵便番号は「179ではなかった」可能性があるからです。
のび太の町の郵便番号が登場した話(24巻『虹谷ユメ子さん』)の掲載年は1981年です。ということで、1981年当時の土支田の郵便番号(集配の郵便局)を確認することで、「のび太の町、土支田説」がむしろ補強される可能性もあるといえるのです。
☆【情報3・・調査】土支田の郵便番号について、さらに調査を進めてみました(2019年2月1日追記、2022年1月13日にさらに追記)
*まず、1968年7月1日の郵便番号制度導入当初の郵便番号と集配局を調べてみると、練馬区は「176」(練馬郵便局)と「177」(石神井郵便局)の2局のみであり、「179」は当初、存在しなかったことが分かりました(なお現在、練馬区にはこの他に2つの集配局として「大泉郵便局」と「光が丘郵便局」が存在しますが、「178」が附番される練馬大泉郵便局[当時]は1987年、「179」が附番される光が丘郵便局は1991年と、いずれも比較的新しい開局です)。
*もっとも、1968年当時の練馬区土支田は「石神井郵便局」(177)が集配区域だったらしく、土支田のもともとの郵便番号は「177」だったようです・・・あれ・・・「176」ではない・・・・?
*土支田は、1975年1月1日付で住居表示を実施しています。住居表示が変わると郵便番号が変わるというのはよくあることなので、この際に郵便番号が変わっている可能性も調べましたが、この段階で郵便番号が変わったというデータは得られていません。
*すると、こんな情報を得ることができました。念のため当たってみた『練馬区史』によれば、1977年7月1日に区内の郵便区域が変更され、どうも、土支田の集配局が石神井郵便局(「177」)から練馬郵便局(「176」)に変更されたようなのです。土支田が「176」だった時代は確かにあったようなのです。
*前述の通り、24巻『虹谷ユメ子さん』の掲載は1981年ですから、郵便番号変更からわずか4年後の話となります。つまり、掲載当時の土支田の郵便番号は「176」であった可能性が極めて高いと判断されます。これは、最初にいただいた証言(→「土支田の郵便番号は176でした」)と符合します。
*その後、1991年の新しい集配局である「光が丘郵便局」開局に伴い、郵便区域が再編され、土支田の郵便番号が「179」に変更になったとみるのが自然です(実際、土支田の真東、わずか2.5キロの距離に光が丘郵便局は立地しています)。したがって、2番目にいただいたご指摘(→「土支田の郵便番号はそもそも179ではないのか」)も仰る通り、と言えます。
※22年1月、別の方から、「土支田は度々郵便番号が変わっていたと記憶しております。176から179になり私が小学校の頃(編注:この証言をいただいた方の小学校時代は1990年代)に179-0076と変更になり母が郵便番号がころころと変わって大変だわと話した事を覚えています」というメールをいただきました。「土支田176があった」説の貴重な証言です!
*さて、ここまでを時系列でまとめてみますと、土支田の郵便番号は少なくとも3回変わっているということになります。すなわち、初期値(1968年):石神井郵便局管轄の「177」→変更1回目(1977年):練馬郵便局管轄の「176」→この間に24巻『虹谷ユメ子さん』掲載(1981年)→変更2回目(1991年):光が丘郵便局管轄の「179」→変更3回目(1998年):郵便番号7桁化により、「179-0076」に変更。
*読者の方から、当時の郵便物のデータをお送りいただきました(2022年7月)。昭和53年(1978年)の公的な郵便物(領収書)です。
この手紙の宛先を確認すると、確かに「176 ネリマ区 ドシダ」とあります。
これで「土支田に176時代があった説」は物証もそろったことになります・・・!多くの皆様から貴重な証言、そしてご指摘をいただいたおかげで、「のび太の町、土支田説」がますます補強されたように感じます。
2)もう1つの手がかりは「駅」―のび太は西武線沿線に住んでいる?
のび太の町には駅があります。これは、1つの大きなカギです。
練馬区を通る鉄道は西武池袋線、西武有楽町線、西武豊島線、西武新宿線、東京地下鉄有楽町線、都営大江戸線の6線あります。このうち「駅が地上にある」という特性から地下鉄(メトロ・西武の有楽町線、大江戸線)の可能性はなくなり、また近くに遊園地がないことを考えると遊園地「としまえん」に連絡する「西武豊島線」の可能性も低いと考えられます。
→ すなわち、「のび太の町」は西武池袋線か新宿線の沿線、ということになります。
そのうち練馬区にある駅は、池袋線が「江古田」「桜台」「練馬」「中村橋」「富士見台」「練馬高野台」「石神井公園」「大泉学園」、保谷市との境界の「保谷」、新宿線が「上石神井」「武蔵関」の11駅です。
もしモデルがあるとすれば、これらの駅の近くにのび太らが住んでいることになります。
3)地名を検証してみる―練馬区で「台」のつく地名は7つ
「月見台」という地名の元を探るため、練馬区で実際に「台」のつく地名を拾ってみました。すると、「桜台」、「石神井台」、「高野台」、「氷川台」、「富士見台」、「平和台」、「三原台」と7つあります。ここで、地下鉄有楽町線沿線にある「氷川台」「平和台」は除いて考えることにしましょう。
→ もし「台」をモデルとするならば、「桜台」、「石神井台」、「高野台」、「富士見台」、「三原台」のどこかが怪しいことになります。
直感で誰の目にも怪しいのは、「○○見台」つながりで「富士見台」ということになりましょう。実は、「富士見台」には藤子先生に多大な影響を与えた手塚治虫先生が居を構えていたことがあるのです。都市伝説的な話で終わりにするならばこれで「決まり」・・・ ・・・と言いたいところなのですが、よくよく考えてみると「富士見台」の郵便番号は「〒177」であり、先ほど申し上げた「〒176」の町ではありません。
わざわざ原作に「〒176」と書かれているのですから、そこに忠実に考えてみます。すなわち、「〒176」かつ「○○台」となる地名を探してみると・・・ 東京都練馬区「桜台」がヒットします。しかも西武線沿線です。 ということで、地名で見る限り、のび太の町は「桜台」がモデルである可能性があります。しかも、「桜台」にはトキワ荘の頃からの藤子先生の同士である石ノ森章太郎先生が居を構えている・・・と、かなり出来すぎた話になっています。
→のび太の町は「桜台」がモチーフになった・・・「かも」しれません。
もっとも、上に挙げた地図は桜台の周辺(地図)とは似ても似つかぬ様相を呈しています。仮に地名は「桜台」からきたとしても、実際のモデルとなった町は別にある可能性があります。
☆【情報】後述する「八坂小学校」の、卒業生の方より情報をいただきました(2022年1月13日追記)
「校章も桜が一つの元となっており、小学校前の道は桜並木で小学校裏の白子川沿いも桜並木がずっと続き・・・」
・八坂小学校Webサイト
・八坂小学校付近の桜並木(練馬区)
4)原作の地図から検証―小学校は小川の横にある?
原作にも「のび太の町の地図」が掲載されています。上述のアニメ版設定資料とかなり異なりますが、原作は「聖典」ですので、これも再現して検証してみましょう。
■のび太の町の地図(原作に基づき作成)
参考:『ドラえもん』42巻「町内突破大作戦」(1994、小学館)による
空き地、裏山、駅、細い川・・・という街の基本骨格は変わりません。このような町は、練馬区のどこにあるのでしょうか。
鉄道と並行して大きな通りが走っているというのがどことなく「桜台」駅前の「千川通り」を想起させるのですが、それは考えすぎでしょう。恐らく違う場所だと思います。 ポイントは、裏山と細い川です。
後述しますが、東京都区内で裏山ほど「大きな山」はありませんので、ここではまず「細い川」に着目してみます。 この地図からは、「小学校の真横を細い川が通っている」という特殊なシチュエーションが読み取れます。そこで、練馬区内でこのようなシチュエーションにある小学校を探してみました。
すると・・・1箇所だけドンピシャリで「川の真横に小学校」というのを見つけました。白子川沿いにある練馬区立八坂小学校です(地図、練馬区土支田[どしだ])。
☆2020年7月追記
ただしこれ以外にも、練馬区内に「小学校の真横を細い川が通っている」場所として、いずれも石神井川沿いの石神井小学校(地図)、富士見台小学校(地図)がある、というご指摘をいただいています。
八坂小学校のすぐ南側には「稲荷山憩いの森」があります。そしてすぐ西側には「清水山憩いの森」もあります。少なくとも「山」がちな地形上にはある、といえそうです。
なお、最初にお見せした地図では小学校の南に高速道路が通っていましたが、この小学校の南西にも高速道路(関越自動車道と東京外環自動車道)が走っています。練馬区の中には高速道路がここしかなく、この点も注目に値します。ただし駅は近くになく、最寄り駅が東武東上線の和光市駅(埼玉県)となります。
→類似地形という観点でみたときには、「練馬区土支田、八坂小学校にのび太がいる」・・かもしれません。
☆ここで前述の「証言」が活きてきます(2018年5月6日追記)
"八坂小のある練馬区土支田が郵便番号176でした。"
"今は開発されてしまいましたがそれ以前は裏山感のある場所は
白子川付近に点在していました"この郵便番号証言と原作の地形の符合とを鑑みるに、「八坂小学校区」が「のび太の町のモデル(の少なくとも1つ)」であるという蓋然性は、極めて高くなったと言えるでしょう。
5)裏山について―裏山のモデルはどこか
上述の通り、東京23区内に、原作に出てくる「裏山」ほど「大きな山」というのはありません。が、練馬区には都区部の最高地点(都立石神井高校、標高54m)があることや、「山」のつく公園が多いことなど、「山」に関する手がかりは多数存在します。逆に手がかりが多すぎてこれだけで判断することは難しくなります。
中には、藤子先生の住んでいた小田急線沿線になぞらえて「世田谷区梅が丘の羽根木公園辺りが「裏山」のモデルではないか」とする説もありますが、真相は定かではありません。
☆「裏山」についての重要な証言をいただきました(2022年1月13日追記)
「八坂小学校裏、白子川を挟んだ所が小さな山のように小高い場所になっています。小学校の裏(中里幼稚園側)の白子川沿いの道をグーグルストリートビュー等で見て頂けたら山のような名残が見てとれると思います。
この地域は八坂の名前通り急な坂が多く起伏にとんだ土地で小さかった私にとって中里幼稚園のあった場所も山のように感じていました。
そしてその近くの八坂神社に、中里の富士塚という物があります。
防空壕や滑り台がおいてあり子供の遊び場所&ちょっとした探検場所で、練馬の富士塚は本当小さな富士山ですが(笑)神社が高台にあるのもあり、子供時代に登っては軽く見下ろせる程度ですが上からの眺めを楽しんだり、空を見ていました。
またドラえもんに出てくる一本杉ほどではありませんが、富士塚の近くに真っ直ぐな大きい木(多分杉)があります。
富士塚が富士山を模したように、それを裏山としたのでは?と憶測になりますが思えました。」
地元の方ならではの貴重な情報に心から感謝申し上げます。
この中里の富士塚は、高さ12メートルと、区内でも大きな部類にあるようです。
・中里の富士塚(練馬区公式)
・中里の富士塚(東京とりっぷ)
・練馬区大泉町 八坂神社「中里富士塚」
3番目めのリンクをみていただくと、確かに「一本杉」のような大きな杉(と思われる大木)がそびえているのが見えます。「市街地(住宅街)の中の山」そして「杉の木」・・・少なくとも、このあたりの地形が作品の舞台のモチーフになっている可能性はかなり高いのではないか、と改めて感じた次第です。「八坂小学校説」の大きな後押しとなる貴重な情報をいただき、ありがとうございました。
6)川について―練馬区に大きな川はない
ドラえもんには「田奈川」という架空の川がよく出てきます。河川敷もある大きな川であり、語感から間違いなく「多摩川」のもじりだと思われますが、練馬区に多摩川はありません。というより、そもそも練馬区に大きな川はありません。これが、検証を難しくしています。
練馬区には石神井川や妙正寺川、江古田川、白子川などがありますが、いずれも河川敷があるような大きな川ではなく、むしろ小川です。 そこで、「のび太の町」のモデルは多摩川沿いであるという説が当然のごとく主張されています。あるいはそうかもしれません。中でも、「小田急線沿い(特に世田谷区)のどこかである」とか、藤子先生の住んでいた「川崎のどこかである」という説は、よく聞かれるところです。
7)もともとは小田急線沿線がモデル?
諸説ある中で、特に「小田急線沿い」という説にはそれなりの根拠があります。
一度だけ、のび太のパパの「通勤ラッシュ」の風景が描かれたことがあります(2巻『地下鉄をつくっちゃえ』)。そこで駅名標(看板)が登場するのですが、駅名は「しん・・・」と書かれ、隣の駅が「みなみ・・・」となっているのです。
首都圏で「新・・」のつく駅の隣に「南・・」のつく駅がある組み合わせを地図で当たってみると、<小田急線の新宿・南新宿>、<地下鉄丸ノ内線の新高円寺・南阿佐ヶ谷><京葉線の新習志野・南船橋><武蔵野線の新松戸・南流山>、<西武新宿線の新狭山・南大塚>が考えられます。このうち、「新・・」のつく駅に会社があり、さらに「ひどいラッシュが起こる」路線として考えられるのは前二者<小田急線の新宿・南新宿>、<地下鉄丸ノ内線の新高円寺・南阿佐ヶ谷>だけです(あとは駅の成立時期が新しかったり、郊外の駅だったりするので除外してよいでしょう)。
そもそもこの『地下鉄をつくっちゃえ』のストーリーは、<のび太らがデパートでお買物の帰り、仕事終わりのパパと合流し、一緒に電車に乗ったものの、あまりの混みように辟易とした。そこでのび太は毎日通勤が大変なパパの為に地下鉄を作ることにした>という構成になっています。
デパートのある駅といえば新宿です。新宿の隣が「南・・」となるのは今申し上げたとおり小田急線の「南新宿」のみです。小田急線といえば混むことでつとに有名ですから、ほぼ間違いなく彼らは小田急を使っていたものと推測できるのです。
参考文献:『ドラえもんの秘密』(世田谷ドラえもん研究会著、データハウス、1993)をもとに記述。
この話は2巻(初版は1974年)に載っているものです。今から40年以上も昔のことです。
設定の充分でない連載初期の話ですから、藤子先生はまだ「のび太が練馬に住んでいる」という構想をしていなかった可能性があります。とりあえず作者自身にとってなじみの深い小田急線をモチーフにしたのではないか、と推測されます。
とすると、のび太の町は根源的には小田急線沿線のどこかがモチーフになっている、とも考えられます。
☆補足(2022年1月13日追記)こちらでも、興味深い情報をいただきました
1972年に運輸省(当時)の都市交通審議会答申第15号で都営12号線(現在の地下鉄大江戸線)の光が丘から大泉までの延伸が答申され、その区間に「土支田駅(仮)」の設置計画があったそうです。
上記の「地下鉄をつくっちゃえ」の初出が「小学1年生」(1973年12月号)なので、まさに、「自分の街に地下鉄を!」という社会情勢と見事に符合します。意図されたものなのか・・・??
これもまた、「土支田説」を補強する情報と言えそうです。
(参考リンク)
・ご存知ですか?都営大江戸線延伸構想
(3)【まとめ】
以上を勘案すると、このような結論が導かれます。
1、のび太の町は「練馬区」かつ「〒176」の「西武線沿線」にある。
2、町のモデルそのものは、どこにあるか明確ではない。
→しかし、地名自体は「桜台」、地理・地形的には「練馬区土支田、八坂小学校区」がモデルになっている蓋然性が高い。根源的には、小田急線沿線の町もモチーフになっている可能性がある。
通りすがりさんからいただいたメールでは、手塚治虫先生の「虫プロ」の住所(東京都練馬区富士見台2-30-5)との類似性をご指摘いただいています。実際は、様々なネタの集合体としての「月見台すすきが原」なのでしょう、とのこと。これも大変興味深い情報でした。ありがとうございます。(2023年1月6日追記)
この、地名の「月見台」については、以下のようなメールもいただいています。盲点でした・・・ありがとうございます。
"のび太の家の場所ですが 川崎市多摩区に月見台という場所がありますよ"
なんと!
確かに藤子先生は1961年(昭和36年)に東京のトキワ荘から川崎市多摩区生田に引っ越してこられて、やがてここで「ドラえもん」も生まれました。その縁で川崎市の生田緑地に「藤子・F・不二雄ミュージアム」が建てられたわけですね。そして、小田急線の生田駅北側の地名がまさに「月見台」。「すすきが原」というのは、その「月見」からの連想でしょう。「月見台」という地名自体は、こことの連関でほぼ間違いなさそうですね。貴重な情報、ありがとうございます。いやぁ・・灯台下暗しでした。(2023年4月10日追記)
・・・もっとも、「ここがのび太の町だ」などとと焦って決めるのではなく、自分だけの「のび太の町」を想像して楽しむのもまた一興かもしれません。
■おまけ:のび太の遅刻が多い理由?
最初に挙げた地図をもう少し詳しく描いてみました。
・・・のび太だけ、学校から遠すぎるような気がします・・出木杉なんて学校から1区画しか離れてませんね。静香もジャイアンもスネ夫も然り。・・・ちょっと可哀想ですね。
■参考文献
●藤子・F・不二雄『ドラえもん』(小学館)
●『ぼく、ドラえもん』(2004-2005、小学館)
●世田谷ドラえもん研究会『ドラえもんの秘密』(1993、データハウス)
●『練馬区史 現勢編』(1981、練馬区史編さん協議会)
●西武沿線東京また旅
●練馬区Webサイト
●ぽすたん
●郵便番号一覧表 昭和四十三年七月実施時
●ドラえもんマンガの古典化大作戦
改訂7 : 2023年4月10日
初版公開: 2005年4月22日
<謝辞>
・貴重な情報提供やご指摘をくださった皆様、本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。
・2022年1月の改訂は、「今夜がやまーだー」様の情報提供に基づき作成しております。説を補強する貴重な情報・証言を多数、頂戴いたしました。感謝申し上げます。
※以上はあくまでも筆者の主観に基づいた個人的な検証記事です。公式資料ではなく、また藤子プロや小学館はじめ関係者とは一切関係ございません。
・・・次回は少しソフトに、「のび太はママに何回叱られたの?リスト」をお送りする予定です。