これが私の普段使っているPCのデスクトップ(Windows11)です。これはシンプルなのか、狂気なのか。
いっとき断捨離ブームのときに、家に何もない状態で生活をしている、という画像をよく見かけましたけれども、あのときに「モノがなさすぎる怖さ」みたいのを感じたのは私だけではありますまい。ただ、少し気持ちはわかるんです。「こんなに何もない状態をみて!」という、ある種の承認欲求がそこに潜んでいるということを。こうやって画像を挙げているのも、どこかで「こんなにシンプルなデスクトップを使っているワタクシすごい」的な自己顕示欲があるのでしょう。
さて、何事も極端(0か100か)というのは危険で、精神的な「病み」と紙一重だったりします。ぐちゃぐちゃでどこに何があるかわからないくらいカオスな机(部屋)というのもまあ病的ですが、一方で「何もなさすぎる机(部屋)」というのも、結構精神的にはクるものがあります。
私も、会社の机がフリーアドレスになるのを契機にめちゃくちゃ断捨離して、ロッカーすらスッカスカみたいな状態にしたことがあったのです。途中から片づけるのが愉しくなってしまって。「モノを持たないで平気な自分」を途中から演出していましたからね。欠乏や飢餓感ではなく、むしろ「モノを持たないという意味での物欲」に触れてしまったとでもいいますか。逆説的だなぁ。で、結局半年もしないうちにすっかり頭がおかしくなりましたからね。適応障害でダウンしたのです。原因の1つは、「身の回りの物を片付け過ぎた」ことにあるのではあるまいか。うむ。そうに違いない。
ですから、適度に散らかっていて、適度に片付いているくらいがちょうどいいのだろうな、と頭がもとに戻った今では思います。
・・・と、これは私の場合。散らかすなり、片づけるなり、まあ自由にやればいいと思います。