2013年7月15日、ファミコンが発売30周年を迎えました。子どものころの思い出がありありとよみがえる、ファミコン。ありがとう。その思い出を振り返ってみたいと思います。
題して、「ありがとうファミコン、ファミコンの30年。」
■ファミコンの概要
1983年7月15日。ファミリーコンピュータ(ファミコン)が誕生した。
価格は14,800円。同時発売ソフトは『ポパイ』『ドンキーコング』『ドンキーコングJr.』。
発売元、任天堂。
低価格。斬新なデザイン。ゲームに特化した機能。
『ディスクシステム』に代表される拡張性の高さ。
十字キーを中心とした優れた操作性。
そして何といっても、「マリオ」「ドラクエ」に代表される、名作ソフトの数々・・・。
世界の文化を変えたといっても過言ではない、画期的なハードであった。
累計販売台数は、6,200万台。まさにメイドインジャパンの代表格である。
当時のCMのキャッチコピー
「家族そろって ファミリーコンピュータ。」
現在のwiiにまでつながる、任天堂の「哲学」を感じさせる。
*ファミコンを眺めてみよう
(正面)
赤と白の画期的なデザイン。
懐かしい・・・ただただ、懐かしい・・・。
左から、電源スイッチ、イジェクトスライダ、リセットボタン。
カセットスロットには蓋がついている。手前には15ピンの拡張アダプタがある。
(裏面)
当時は「AVケーブル」などなく、「RFケーブル」だったことを思い出す。
左から、ACアダプタコネクタ、TV⇔ゲーム画面切り替えスイッチ、1CH⇔2CH切り替えスイッチ、RFケーブルコネクタの順。コントローラは背面接続(本体直結式)であった。
(背面)
裏側は、実は真っ赤っか。あまり裏返すことはないが、デザイン上のこだわりを感じるところ。
(カセットスロット)
おそらく世界で一番、息を吹きかけられた電子機器だと思われる。
(コントローラ)
これが、もっとも有名ないわゆる「1コン」というやつ。
「十字キー(正式名称は十字ボタン、という)」は任天堂の実用新案。他社はこの形のコントローラーを出していない。なるほど、一番押しやすい形に思える。
AボタンとBボタンが「ゴムで四角」のタイプは初期型と言われるもので、大変貴重。世に出回っている多くのボタンは、「プラスチックで丸」のタイプだ。
こちらが「2コン」。
特長は何といってもマイクの搭載。実際はオンオフの認識でしかないため、「疑似音声認識機能」ではあるが、なんだかんだで楽しんでいた記憶がある。
マイクがある代わりに何故か「スタート/セレクト」ボタンがない。「2コン」は車でいえば「助手席」扱い。まるでマリオに対するルイージのようであった。
(ACアダプタ)
とにかく、首の部分が弱いのが特徴のACアダプタ。
何度も買い換えた記憶がある。
DC10Vで、800mA。
*ファミコンのスペック
分類 | 内容 | 備考 |
型番 | HVC-001 | |
CPU | 6502Custom 1.78MHz | リコー製RP2A03(8bit) |
メモリ | ワーキングRAM: 2KB VRAM: 2KB | |
表示能力 | 52色 | 同時発色数:25 |
キャラクタ | 64個 | |
サウンド | PSG音源4+ノイズ | |
出力 | 映像:RF、音声:モノラル | |
消費電力 | 4W | |
入力 | 非着脱式コントローラ2個付属 | 周辺機器による拡張可能 |
ソフト | ROMカートリッジ クイックディスク 他 | コンパクトカセット式も |
外部接続 | 15ピンコネクタ | 「エキスパンドコネクタ」 |
今となっては非力なスペック。しかし、「足りないからこそ」の工夫と知恵が詰まっていたような気がする。
*ファミコンのセールス
<出荷台数>
日本国内:1,935万台
日本国外:4,356万台
累計出荷:6,291万台
<公式ソフト本数(国内)>
1252本(定説)
<ソフトウェア売上げランキング[国内]>
順位 | タイトル | 発売年 | 発売元 | 売上本数 |
1 | スーパーマリオブラザーズ | 1985 | 任天堂 | 681万本 |
2 | スーパーマリオブラザーズ3 | 1988 | 任天堂 | 384万本 |
3 | ドラゴンクエスト3 | 1988 | エニックス | 380万本 |
4 | ドラゴンクエスト4 | 1990 | エニックス | 310万本 |
5 | ゴルフ | 1984 | 任天堂 | 246万本 |
6 | ドラゴンクエスト2 | 1987 | エニックス | 240万本 |
7 | ベースボール | 1983 | 任天堂 | 235万本 |
8 | 麻雀 | 1983 | 任天堂 | 213万本 |
9 | プロ野球 ファミリースタジアム | 1986 | ナムコ | 205万本 |
10 | テトリス | 1988 | BPS | 181万本 |
11 | マリオブラザーズ | 1983 | 任天堂 | 163万本 |
12 | プロ野球 ファミリースタジアム'88 | 1988 | ナムコ | 161万本 |
13 | エキサイトバイク | 1984 | 任天堂 | 157万本 |
14 | テニス | 1984 | 任天堂 | 156万本 |
15 | ドクターマリオ | 1990 | 任天堂 | 153万本 |
16 | サッカー | 1985 | 任天堂 | 153万本 |
17 | ファミリーサーキット F1レース | 1984 | ナムコ | 152万本 |
18 | ドラゴンクエスト | 1986 | エニックス | 150万本 |
19 | 忍者ハットリくん | 1986 | ハドソン | 150万本 |
20 | 4人打ち麻雀 | 1984 | 任天堂 | 145万本 |
「売れすぎ」といっても過言ではない。まさに国民的ハード。
老若男女に向けた様々なソフトが集っていたことが分かる(麻雀ソフトが2本、売上TOP20にランクインしていることに注目。決して「子ども」だけがターゲットではなかったことが伺える。まさに「大人も子どももおじいちゃんもおばあちゃんも」が、「Wii」にまでつながる任天堂家庭用ビデオゲーム機の哲学だと感じられるデータである)。
*ファミコンの周辺機器(任天堂 HVC-)を偲ぶ
型番 | 名称 | 発売日 | 説明 |
HVC-001 | ファミリーコンピュータ | 1983年7月15日 | 本体。半年後のロットからコントローラーケーブルが黒に(それまでは灰色)。 さらに1985年ころのロットからは、取り扱いを説明する漫画『これがファミリーコンピューターだ!!』を同梱。 |
HVC-002 | ACアダプタ | 1983年7月15日 | ファミコン本体付属。 根元の弱さが懐かしいアダプタ。ぐるぐる巻きにするとすぐに断線したのを思い出す。 以降、スーパーファミコン、AV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンJr.、バーチャルボーイ(※専用タップが必要)でも使用可能というロングラン製品に。 |
HVC-003 | RFスイッチ | 1983年7月15日 | ファミコン本体付属。 テレビとRF接続するために必要なプラグ。 以降、スーパーファミコンのほか、コネクタを使用することでAV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンJr.、NINTENDO64、ニンテンドーゲームキューブまで使用が可能であった。 |
HVC-004 | 75Ω/300Ω変換器 | 1983年7月15日 | こちらもファミコン本体付属。 これは何かというと、「75Ωの同軸ケーブルを300Ωの平行フィーダーケーブルに変換する装置」。 テレビ(当時)の背面が「丸型VHF端子」であれば、「RFスイッチ」を取り付ければよかったのだが、仮に「ねじ式VHF端子」(相当に古いテレビ)であった場合はこの機器が必要であった。もはや昔話である。 |
HVC-005 | 光線銃シリーズ ガン | 1984年2月2日 | 画面を感知して射撃ゲームができるようになる銃型コントローラ。ソフト『ワイルドガンマン』と同時発売。 |
HVC-006 | 光線銃シリーズ ホルスター | 1984年2月2日 | 「光線銃シリーズ ガン」を腰に下げるホルスター。『ワイルドガンマン』の同梱セットに付属。 |
HVC-BS | ファミリーベーシック | 1984年6月21日 | 任天堂、ハドソン、シャープ共同開発のBASIC言語「Ns-Hu BASIC」を組み込んだROMカセットと、キーボードをセットにしたゲームプログラミングキット。 |
HVC-007 | キーボード | 1984年6月21日 | 『ファミリーベーシック』同梱のファミコン配色のキーボード。アルファベットは一般的な「QWERTY配列」である一方、カナ配列が「五十音配列」であるという特徴もあった。 |
HVC-008 | データレコーダー | 1984年6月21日 | 対応ソフトのデータをカセットテープに読み書きするツール。 |
HVC-009 | ファミリーコンピュータ ロボット | 1985年7月26日 | 光線銃の技術を応用し、ゲーム画面に連動して動かせるロボット。 |
HVC-BLS | ブロックセット | 1985年7月26日 | 「ロボット」専用モジュールとソフトのセット。 |
HVC-GYS | ジャイロセット | 1985年8月13日 | 同上。 |
HVC-021 | ディスクカード | 1986年2月21日 | 「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」の記録媒体。ミツミ電機の「クイックディスク」規格をもとに作製された両面1トラック仕様のシーケンシャルアクセス磁気ディスクメディア。容量は両面で112KBで、当時のカセットでは行えなかった「データの読み書きができる」ことが最大の特長であった。 主に「黄色ディスク」と保護シャッターつきの「青色ディスク」が流通。 |
HVC-022 | ディスクドライブ | 1986年2月21日 | 「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」の中核をなす、ディスク読み取り装置。 専用ACアダプタ、もしくは単二乾電池6本で駆動する。 |
HVC-023 | RAMアダプタ | 1986年2月21日 | 「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」のメインメモリ装置。ディスクドライブとファミリーコンピュータ本体を接続する役割も担う。 |
HVC-025 | ディスクドライブ専用ACアダプタ | 1986年2月21日 | 「ディスクシステム」同梱の専用ACアダプタ。 |
HVC-026 | RF延長コード | 1986年2月21日 | 「ディスクシステム」同梱のケーブル。RFケーブルを2メートル延長可能。 |
HVC-027 | カードクリーナー | 1986年 | 「カードクリーナーセット」として発売。ディスクカードの磁気部分をクリーニングする機器。 |
HVC-028 | カートリッジ | 1986年 | 「カードクリーナーセット」に同梱のクリーニングカートリッジ。 |
HVC-029 | クリーニングスプレー | 1986年 | 「ヘッドクリーナーセット」として発売。VHSテープなどにもこの手の商品があったことを思い出す。 |
HVC-030 | クリーニングカード | 1986年 | 「ヘッドクリーナーセット」に同梱のディスクサイズのクリーナー充填専用媒体。 |
HVC-031 | 3Dシステム スコープ | 1987年10月21日 | 「ファミコン 3Dシステム」として発売された本体。 ゴーグル状のスコープに液晶シャッターが組み込まれており、画面と連動して映像が高速に切り替わって左右別像を投影することで、対応ソフトの立体視を可能としたシステム。 当時の「VHDプレイヤー」で導入された3Dシステムと原理的には同等の仕組み。 |
HVC-032 | 3Dシステム アダプタ | 1987年10月21日 | 「ファミコン3Dシステム」に付属の、ファミコン本体とスコープを接続する機器。 |
HVC-050 | 通信アダプタ | 1988年 | 「ファミリーコンピュータ 通信アダプタセット」として発売。 「ファミリーコンピュータ ネットワークシステム」として、通信アダプタを介して株式売買や競馬の電話投票などが行えた。 |
HVC-051 | 通信コントローラ | 1988年 | 「ファミリーコンピュータ 通信アダプタセット」同梱。 電話(通信)をするため、本体にはプッシュホンと同様のボタンがついている。 |
HVC-053 | モジュラーケーブル | 1988年 | 「ファミリーコンピュータ 通信アダプタセット」同梱。 市販の電話線と同じ。以降、NINTENDO64の「モデム」やゲームキューブの「モデムアダプタ」にも同型番で付属。 |
HVC-054 | テレフォンスイッチ | 1988年 | いわゆるハブ。電話線を2本つなげられる分岐器。市販のものと同じ。 |
HVC-101 | AV仕様ファミリーコンピュータ | 1993年12月1日 | いわゆる「Newファミコン」。時代に合わせたAV出力形式のファミコン。マシン自体の基本的なスペックは初代と変わらず。 |
HVC-102 | コントローラ | 1993年12月1日 | Newファミコン同梱の専用コントローラ。着脱式で、「1・2コントローラ」の区別を廃止。またマイクも省略した(音声入力はセレクトボタンで代用)。 |
HVC-103 | RFモジュレータ | 1993年12月1日 | Newファミコン専用のRF出力変換器。 |
「光線銃」から「3Dシステム」、「ネットワークシステム」まで、ある意味時代の先を読み過ぎた先駆的なシステムがファミコンにはあったことがわかります。
■ファミコンの歴史
年 | 歴史 | 主な出来事 | |
昭和58(1983)年 | 7月15日 ファミコン発売。14,800円。
9月9日 『マリオブラザーズ』でルイージ初登場。 ※この年、任天堂が東証1部上場企業となる。 | 「おしん」の大ブーム。 東京Dランドが開園。 ロッキード事件判決。 | |
昭和59(1984)年 | 6月21日 『ファミリーベーシック』発売。 ハドソンと共同開発。 キーボードでプログラミングが可能。ファミコンがパソコンになる。 | グリコ・森永事件。 1万円札の柄を変更。 | |
昭和60(1985)年 | 7月10日 初の専門誌『ファミリーコンピュータマガジン』、創刊(徳間書店)。 9月13日 『スーパーマリオブラザーズ』発売。空前の大ヒットに。 10月 外国版ファミコン「Nintendo Entertainment System(NES)」発売(NOA)。 | 日航ジャンボ機墜落事故。 プラザ合意。バブルの引き金。 電電公社がNTTに。 専売公社が日本たばこ産業に。 阪神が21年ぶり優勝。 流行語:「イッキ!イッキ!」。 | |
昭和61(1986)年 | 2月21日 「ファミリーコンピュータディスクシステム」発売。15,000円。 5月27日 『ドラゴンクエスト』発売(エニックス)。ゲームの世界を変える。 6月8日 『ファミリーコンピュータ通信』、創刊(アスキー)。今のファミ通。 7月1日 ディスクシステム内臓の「ツインファミコン」発売(シャープ)。 12月10日 『プロ野球ファミリースタジアム』(ナムコ)。 | 三原山噴火。 流行語大賞の「新語部門銅賞」に 「ファミコン」が選出される。 | |
昭和62(1987)年 | 12月18日 『ファイナルファンタジー』発売(スクウェア)。RPGの雄が出揃う。 | 国鉄がJRに。 第二電電(DDI)。 サラダ記念日。 | |
昭和63(1988)年 | 2月10日 『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ・・・』 ゲーム史に残るソフトに。 夏頃? ファミコン通信アダプタの発売。 「ファミコンネットワークシステム」のサービスを開始。ファミコンの驚異的な普及を生かした、データ通信やホームバンキングサービスなどを提供。 | 青函トンネルが開通。 東京ドームが完成。 リクルート事件。 ペレストロイカ。 5時から男のグロンサン。 | |
平成元(1989)年 | 4月21日 携帯ゲーム機、「ゲームボーイ」発売。12,500円。 | 先帝陛下の崩御、「平成」に。 美空ひばり、逝去。 手塚治虫、逝去。 消費税(3%)導入。 24時間戦えますか? バブル絶頂期。 | |
平成2(1990)年 | 11月21日 上位機「スーパーファミコン」発売。25,000円。 ファミコンとの互換性は断念。 | 東西ドイツ統一。 ちびまる子ちゃんがブレイク。 若貴人気。 101回目のプロポーズ。 「ボクは死にましぇーん」 クレヨンしんちゃん。 | |
・・ | |||
平成5(1993)年 | 12月1日 AV仕様となった「ニューファミコン」発売。6800円。 | 松本サリン事件。 自民党と社会党がくっつく。 イチロー、大ブレイク。 貴乃花と宮沢りえ、婚約破棄。 NHKのニュースでも報じられる。 CM「すったもんだがありました」 | |
平成6(1994)年 | 2月19日 ファミコン最後のマリオシリーズ『ワリオの森』発売。 6月24日 ファミコン最後のソフト、『高橋名人の冒険島4』発売(ハドソン)。 | 阪神・淡路大震災。 地下鉄サリン事件。 オウム騒乱。 野茂秀雄が活躍。 東京・大阪知事がタレント知事に。 インターネットが流行語top10に。 | |
・・ | |||
平成15(2003)年 | 7月15日 ファミコン20周年。 9月30日 ファミコン、スーパーファミコンの生産を打ち切り。ファミコンディスクシステムの書き換えも終了。 | イラク戦争勃発。 SARS大流行。 六本木ヒルズオープン。 日経平均株価7,607円88銭(82年以来安値)を記録。 東海道新幹線品川駅開業。 江戸幕府開府400年。 流行語は「マニフェスト」。 | |
平成16(2004)年 | 2月14日 ゲームボーイアドバンスSP「ファミコンカラー」発売。同日、過去にファミコン用として発売されたゲームソフトを、ゲームボーイアドバンスに移植した「ファミコンミニ」シリーズを展開開始。 | 東京メトロ発足。 駒大苫小牧高校、北海道勢として初の甲子園優勝。 アテネオリンピック。 スマトラ島沖地震。 | |
・・ | |||
平成23(2013)年 | 1月24日 「ファミコン生誕30周年記念 Wii U バーチャルコンソール 体験キャンペーン」開催。一部ソフトが30円で配信。 7月15日 ファミコン30周年。 | 「アベノミクス」 「今でしょ」 「お・も・て・な・し」 「じぇじぇ」 「倍返し」 |
■ファミコンのソフト(一部)を思い出してみる
とりあえず無作為にポンッと出して、一言ずつコメントをしてみよう。
「スーパーマリオブラザーズ」。
もはや伝説のソフト。
「最初のクリボーは世界一のマリオ殺し」
「Bダッシュジャンプの快感」
「巧妙に隠された1UPキノコとワープゾーン、ボーナスステージの楽しみ」
「クッパを溶岩に突き落とす快感」
「海に、空に、陸に、キャラクターを縦横無尽に動かせる爽快さ」
「気持ちのいい、コインの音」
「無敵のスターで敵を蹴散らし、ファイアボール連発で突き進む気持ちよさ」
どれをとっても、楽しさと懐かしさと、嬉しさと希望と夢でいっぱいの、
世界を代表するベスト・オブ・ゲーム!!
「スーパーマリオブラザーズ3」。
固定スクロールではなく、「来た道を戻れる」のが新鮮だった。
しっぽマリオで空を飛べる。カエルになって海をスイスイ。
タヌキマリオは地蔵に変身。
すごろくをモチーフにしたマップ式。笛でワープ。
巨大化したクリボーにノコノコ。
プレイヤーをビビらせる砦と飛行船の仕掛け・・・
キノピオの家でのアイテム選び。ゴールのスロットマシン・・・
とにかくぶっ飛んだマリオ。これをプレイした時の高揚感と言ったら・・・
しかし・・・セーブができない・・・。
いや・・だからこそ。・・だからこそ楽しいのだ!!!
「テニス」。
単純なタイトルからは想像もできない奥深さ。
世のテニスゲームの原型は、もうここで完成されているといっても過言ではない!?
審判がなぜかマリオ、というのも笑える・・・
「ドラクエ1」と「3」を並べてみた。
「1」はシングルプレイヤー制で、「2」からいわゆる「パーティー制」になった。
「1」は主人公が正面しか向いていなくて、コマンドが「東西南北」。いちいち選択するのが、今にしたらとても面倒である。
「1」「2」は当時のボヤけたブラウン管では「ふっかつのじゅもん」の転記ミスで、結局最初からやり直し・・なんて悲しいこともあったっけ・・・
「3」からはバッテリーバックアップになったけれど、「リセットボタンを押して電源を切る」ようにしないと、データがおかしくなってしまって、次回起動時にチェックサムに引っかかり、「おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました」ってなるんだ。
・・「おきのどくですが」・・・本当にこれ、よく考えるとすごい時代だったよなぁ・・・
これも遊んだ、「ドクターマリオ」。
単純だけどもハマる。落ちものゲームの定番だ。
おお!くにおくんシリーズではないか!!写真は「熱血行進曲 それゆけ大運動会」と、「時代劇だよ 全員集合」である。
どちらも非常に楽しい。複数でやるなら「大運動会」、複数でもシングルでも楽しいのは「時代劇」だねぇ。
裏ワザ、「こがねむし」を名前に入れて、所持金MAX、わざMAXで遊ぶという超人プレイで全国制覇、なんてこともやったなぁ・・・(遠い目
任天堂発の最後のファミコンソフト「ワリオの森」。
すでにスーファミブームの最中、1994年発売というから結構驚き。
一挙に初期のソフトをお見せしますね。
「ゴルフ」。これ、マリオが打ってるんですよ。世のゴルフゲームの原型がすでにここで完成されているのが驚き。シンプルでものすごく楽しい。そういえば一度だけホールインワンをしたことがあった!
「ポパイ」。まさに30周年のもっとも最初期のソフト。当時は任天堂が商品化権を取得していたようで、今でいうローンチとして「ポパイ」が出たんだなぁ・・と。感慨深くなる。
「4人うち麻雀」。夜中、眠い目でトイレに起きると、父がこっそり「4人うち麻雀」を楽しんでいたのを今でも思い出す。うちは両親が流行ものに寛容で、物心ついた時から家にはファミコンがあった。あまり「1日1時間」ということも言われず、今思えばありがたすぎる環境である。
「F1レース」。これも初期の作品。結構今のレースゲームに慣れた身からすると難しい。
「パチコン」。これは父がやっていた記憶がある。地味だけど結構楽しそうだったなぁ。当時の自分は何が何やらさっぱりだったわけだけれど。
「スーパーマリオUSA」。これはマリオの皮を被せた別ゲーム(「夢工場ドキドキパニック」)なのだけれど、ここで出てきたキャラがマリオシリーズ常連になっていくから面白い(ヘイホーとかキャサリンとか)。
「ミシシッピー殺人事件」。とにかく文字が小さいの。で、適当に部屋を漁るとナイフが飛んできて死んじゃうの(泣)。どんなゲームだ!!
「がんばれペナントレース」。あったねこういうの。うん。ファミスタ全盛のころ、こういうのもあったなぁ・・・懐かしい。操作が難しかったぞ。
さて。トリ。
今年は「週刊少年ジャンプ」45周年記念ということで、トリにもってきてみた。
「ファミコンジャンプ」。当時のジャンプのヒーローが勢ぞろい、という玉石混交(笑)な珍ゲーム。
110万本も売れたソフトなのだが、よくもまぁ・・
「こち亀」105巻で、「今だから言うが・・」と、両津が本作を「不気味なゲームだったぞ」と評していたところで、まあ、その・・(お察しください)・・。
・・でも、今みたいに小奇麗にまとまっていなくて、
とてもいい時代だったな、と思うわけです。思い出補正も相当あると思いますが。
以上です。
ありがとうファミコン。ありがとう任天堂。
これからも、わくわくするようなゲームの世界に、私たちを連れてって―
追記;
奇しくもこの年、任天堂中興の祖であり、現代のビデオゲーム市場の立役者である山内溥・任天堂相談役(同社前社長)が永眠されました。本記事を以て改めて氏の偉大な功績を偲ぶとともに、心よりご冥福をお祈りいたします。
更新:2013年9月29日(更新番号:1)
公開:2013年7月15日
注:この記事は、2003年7月17日公開のページ「ファミコン20周年を記念して」に追記し、内容を再構成したものです。