トップページ>漫文>時事系列>ニューストピックス>

全部が英語


朝日新聞の記事(平成15年2月7日付)

 引用中止。


コメント;

以前外人が突然(目が合ったからだけど)"Narita?"と聞いてきた。俺はたじろいで、「イ、、イエス!」と答えたら、

その外人さんは"Oh! You don't Speak English!"とか言って肩を思いっきり叩いてきた。言葉が通じねぇ・・・

英語をいくら中高の6年間やっても、「イエス」しか言えない貧困さ。 しかもそれすら通じない。事態は深刻。

ってことは語学教育を重視するしかないの・・・・・・かしら。

でもきっとこれと同じこと文で書かれたら恐らくスラスラ答えられるかと。

つまり、今までの語学教育にはコミュニケーションの観点が全く含まれてこなかった、と。ありきたりな結論。

でも今更気付いても遅いんだよな。

◆◆◆

そこでこの記事の話なわけだが、

 こういうことやれば英語でコミュニケーションがスーラスラ。グローバル、グローバル、グローバル・・・

これはないだろうな、と。

でもこれ以外の理由で「語学重視」を掲げることってあるんかいな?

あ、「公立離れを」防ぐためか・・・でもビジョンがよく見えないなぁ。何で・・・(以下独り言の後

(独り言 ここから)===

 時々「英語を使えば世界中の誰とでも話せる。」 なんて言う人もいるけど、これ絶対

日本は儒教や寺子屋や藩学校などのお陰で昔から識字率が極めて高いので気付きにくいが、

 世界の識字率 ってどんなもんなんでしょ。よく知らんけど。

自分の国の言語を読めない人が、果たして英語を話せるんでしょうか?

それとそもそも英語を使わない文化圏って一杯あると思うのですが。

そういう圏と取引などするときも英語使うんでしょーか。よく知りませんけど。そうだよ、っていわれたらゴメンなさい謝ります。

とにかく英語を以って誰とでも話せるってのは明白な選民思想だよな、と。

(ここまで)===

続き。何で・・・

 音楽や体育を英語で

やる必要があるのか? と。おいおい英語の授業を拡充すれば?と疑問が浮かぶですよ。

なお英語で数学やられたら俺は爆死するだろうね。あ、どーでもいいか。

ともかく、英語で音楽や体育って、

 *前方屈とか腕立て臥せって英語で何て言うんだろう。

 *剣道や柔道は英語でも変わらねぇじゃん。

 *「口の中に指三本入れて歌え」って英語で何て言うんだろう。

・・・っていう凄く下らないこと思い浮かばないですけど。

ってか毎回英語だと生徒が食傷気味になるのでは?「使いたくねぇ」なんて。

・・・つまり逆効果。 何せ相手は反抗期の中学生だから。

こういう試みやるとしたら小学生ぐらいじゃないと効果ないかもしれんです。

◆◆◆

それから危惧を覚えるのが

 朝礼などでも英語を使う

のに、

日本語や日本文化の教育にも力を入れ

られるのかと。何か無理っぽくねーか?

◆◆◆

それと英語教えるとき何より必要なのは

 世界には多くの言語がある

っていう意味での言語教育。文化多元主義的視点からだけでは狭窄に過ぎるけども。

しかしこれ大事。そうじゃないと「英語で何でも出来る」って人が生まれがち。

 

例を挙げる。俺が高校のとき。

全校集会で突然日本語英語を披露し、英語=地球言語と断定、

卒業式では禁句「地球市民」を連発した

勘違い校長がいました。こうなるんです。

◆◆◆

と、何やら多々色々茶々入れてきましたけど、結論は、

将来 子供は家でも英語しか話さない

とかなったら嫌だなぁってことですかね(・・・は?)。

それだけは勘弁。いや、なるわけないって。

相変わらず散漫な文で・・・


トップページ>漫文>時事系列