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テレビを売り払ってからというもの、気になっていた「ニュースが耳に入ってこなくなるのでは」という心配はまったくなく、特に支障なく社会生活を送れることが判明した。スマホでもニュースはキャッチできるし、見たいコンテンツはTVerなり、Youtubeなりで充分消化できる(消化しきれないくらいだ)。「テレビはなくても大丈夫」ということがしっかりわかってしまった。

そしてとにかく、何よりもNHKのBS(見ない)に払っていたお金が浮いたのが精神的にも大きい。可処分所得が増えない社会に突入した以上、余計な出費をする義理などないのだ。

触れるニュースが減ることを懸念して、習慣(惰性)で続けていたのが「新聞」である。こちらも、我が家の方針として「次期更新のタイミングで解約」が閣議決定された。

なにせ毎月約4000円の出費である。NHKの出費の比ではない。これは、可処分所得が増えない社会においてはあまりにも高い。解約することで、数千円のベースアップと同じ効果があるのだ。次に見直しのターゲットとならないわけがない。

私は新聞は好きだが、それでも、この可処分所得が増えない社会において「4000円出して」いて、しかも解約を閣議決定すると、途端にいろいろと疑問点が多くなってきた。

・どうして、あらゆるメディアの中で新聞だけ消費税で当たり前のように優遇されているのか。
・お金を出しているのに、広告が平然とある(しかも多い)のが納得いかない。
・古紙回収の袋に入れて出すのが重い。手間である。
・チラシを含め、紙が多すぎる。
・ネットで前日にみたニュースが翌日の朝刊にそのまま載っていると損をした気持ちになる。
・自社の宣伝に紙面を割き過ぎている。もっと伝えることがあるのではないか。
・テレビがないのでラテ欄にお金を払っているのがバカらしくなった。株もスポーツも特に見ないのにその記事分にお金を払っていることに気づいて我に返った。
・どこかのように「なんでも反対」されても困るが、それでも「オリンピック」や「万博」など上級国民が得をするイベントへの礼賛や忖度が目に余る。たまには第四の権力としての矜持を見せてほしい。「ジャニーズ」の件もそうだが、そもそもなぜ週刊誌よりも突っ込んだ記事が出せないのか。こちらは週刊誌よりも高い購読料を払っているはずだが。

繰り返すが、私は新聞は好きだ。でもたぶん、上記の疑問点が解決しない限り、今次の「閣議決定」は覆らないだろう。



2024年4月25日

今年の葉書の大幅値上げ(63円→85円)を以て、実質的に年賀状は全国的かつ本格的な「仕舞い」の方向に向かったといってよいだろう。

年賀状の需要のうち、「出していなかった人に出す」「出さなくてもよい人に出す」・・・義理の需要(返報性の原理を利用)はいかほどのものだろうか。まずはここの需要がほとんどなくなっていくことだろう。

さすがに85円ともなると、「出していなかった人には出さなくてもよいや」となるだろうし、その前提として、「あの人に、『出していないけれど出さなければ』と90円近く出費させるのは忍びない」という思考もはたらくだろう。とにかく、85円というのはこれまでの義理が揺らぐ金額であることは間違いない。

私も10数年前までは150通くらいやり取りしていた年賀状だが、虚礼廃止・デジタル化の進展で、ここ数年は20通程度(最盛期比ー86%)に落ち着いてきた。来年は「出さなくてもよい人には出さない」ことをしっかり折り込み、「元旦に相互のやり取りがあった人」だけに出すようにしようと決めた。これで、さらに通数は減るだろう。

そもそも、「出していない人に90円近く出費させる(インク代や写真代を含めるともっと多い。コンビニに買いに行かせてしまう可能性も考慮したい)」「新年早々、見たくもない写真を無理やり見せつけてしまう(土足で踏み込む)」等々の不義理をしているのではないかと考えると、もはや「年賀状を出すほうが失礼なんじゃないか」という気さえしてくるのである。

もう少し様子を見たら、次は本当の「年賀状仕舞い」だ。

2024年1月9日記す

千葉県は半島なので、鉄道分野では基本的には冷遇されがちというのが相場で決まっていて、ある意味それに飼い慣らされて県民は我慢してきたようなところがあるわけです。

それが、どういうわけか「京葉線の通勤時間帯の通勤快速・快速廃止問題」というのがクローズアップされ、千葉市長や知事まで遺憾のコメントを出す事態になっています。

私は言いたい。こうなるまで放っておいて、今更かよ、と。だいぶ前に、京葉線の蘇我―海浜幕張が「日中1時間に4本」への大減便をした時も大騒ぎになりましたが、結局は何も変わりませんでした。

まず報道されないので言いますが、すでに総武線の快速からはコロナ禍のどさくさに紛れて「通勤快速」が消滅しています。いつの間にか特急の「あやめ」も走らなくなりました。特急で言えば、「さざなみ」も虫の息です。高速バスに負けるまま、なのです。こういうところは特に手当をしないでおいて、今更、なんですよ本当に。

2023年12月23日

テレビを売って40日。何1つ困ることがなく、今のところメリットしかありません。なぜ今までこうしなかったのか不思議なくらいです。「テレビがあるのが当たり前」というのは昭和の常識。今は、「テレビがある家も、ない家もある」という多様性の時代。テレビを売ってから40日の変化をまとめてみました。

■家が静かになった
リビングに静寂が訪れます。最初のうちはシーンとしていたのでラジオに替えてみたのですが、それすら耳が痛くなって、基本的には「無音」が心地よくなります。朝の小鳥のさえずり、昼のセミの鳴き声、夜の虫の合唱が美しく耳に触れます。

■「動画疲れ」に気づき、Youtube含めて動画をほとんど見なくなった
「動画」そのものに疲れていることに気づかされました。一昔前のYoutubeは、かつての「個人テキストサイト」のときのような熱気があって、「表現したいことを、みてよ」というエネルギーに溢れていましたが、テキストサイトが「アフィリエイトブログ」に駆逐されたように、もはや「視聴して、金にしたいから」という動画ばかりになってしまいました。結局、動機が「視聴数=カネ」になってしまっている時点でテレビと構造は一緒なんですよね。「見ない」ことで、いかに動画に時間が搦めとられていたのかにほとほと気づかされることになりました。

■さらに、「SNS疲れ」にも気づき、ほとんどのSNSへの時間浪費がなくなった
Youtubeだけではありません。結局、「費やした時間=カネ」という構造は、ほかのSNSでも同様です。すでにX、Facebookなどは月に1回くらいしか開かなくなっていましたし、Instagramもアカウントだけ作って放置中。最近はついにLINEですら開くのが億劫になってしまいました。それでも生きていけることに気づけたのは大きいですね。

■読書に費やす時間が激増した
空いた時間が、まるごと読書に費やされるようになりました。平日でも1冊、休日ならば2・3冊ペースで読めるようになって、落ち着いた思索の時間が持てるようになった気がします。

■NHK代がかからなくなった
経済的にこれは大きいですね。これまで見もしない衛星契約を無理やり結ばされていたので、年間で約24,000円も浮きます。月2,000円ですからね、電気代やガソリン代の値上がりの補填にちょうどよい金額です。見方によっては、この時代に「2000円のベア」があった思うと気持ちの良いものです。

■情報収集は特に困らない
テレビがなくても、スマホのニュースで充分です(テレビで何が起こっているかも、読もうと思えばテレビの内容を抜粋した記事が無限に転がっていますからね)。
情報が偏るのではないか、という心配もないことはなかったのですが、ジャニーズの一件でも明らかなように、もともとあらゆる商業媒体情報にはバイアスがかかっているわけですから、ある意味どんなメディアを見てもどこかで私たちは洗脳されているわけで。
私は、ただただ「一覧性」という意義だけで「新聞」をいまだに購読しているのですが、ちょっとやそっと情報が遅くても、そんなに困りません。庶民レベルで天下国家を語ろうが語るまいが、株価の1つも動きやしないのですから。最新の情報はスマホで見ればよいですし、じっくり背景を確認したければ多少遅くても新聞を解説記事を読めばよい。ニュース番組と言っても、政治的に偏っていたり、なぞの芸能人がコメンテーターをやっていたりするわけですから、それを見ようが見まいが、何も困らないのです。

・・・と、ここまで書いておいて、「やっぱりテレビだ!」と、どこかでリバウンドが発生したら笑えますよね。


2023年9月2日

テレビを売ってみて気づいたことは、テレビというのは自分の好きなタイミングでコンテンツを見られないというウィークポイントがあるということです。動画を「飛ばす」あるいは「倍速視聴」することに慣れてしまうと、決まった時間にアクセスしなければならず、しかも結論がなかなか示されないテレビ番組は、きわめて億劫です。さらに、サブスクリプションとしては極めて割高なNHK代が強制的にかかるという枷もあります。

続いて「動画」。これも、結局「見て」「聞いて」をしないと目的の情報にたどり着かない(一覧性がない)というボトルネックがあります。どうしても時間がかかるのです。また、「おすすめ」で似たものばかりが紹介されるので、「飽きる」というのがあります。むしろ全く違うジャンルのものが「おすすめ」されたほうが、プラットフォームとしての寿命が長くなるのではないか?とすら感じます。

こうしてみると、トレンドがもう一度「静的」なメディアに戻るのではないか、という予感がしています。例えばラジオです。耳さえ貸せば、自然にコンテンツが聞こえてくる。これはラクです。BGMとしてならば。ただ、すでに音が気になってしまっていて、「傾聴」するのはするのでこれも疲れるな、とも思ってしまっています。

そして「Webサイト」や「本」など。これも、自分の意志で読みたいところを読めばいいわけですから、「探す」必要のある動画や、「待つ」必要のあるテレビと比べて優位性があります。「読む」だけ、「見る」だけ、というのが究極には到達点かもしれません。

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これ以外にも、「面倒なもの」として以下のようなものが挙げられます。どうでしょうか。

まずは3D。定期的に「3Dブーム」はやってきますが、なかなか定着しません。理由は単純に目が疲れるとか、酔うというのもあるのですが、何よりも重要なのは準備が大変ということでしょう。裸眼立体視もあるにはありますが、機材(ヘッドセットなど)を準備して・・・というのはいかにも大げさで、億劫なのですね。

この関連で行くと、仮想空間もそうですね。わざわざデバイスにアクセスして、その中でも社会生活を強いられるというのは相当にしんどいものがあります。日常生活でさえ、コスパだタイパだと大わらわだというのに、さらに別の世界でまであくせくできないよ、と直感的に思っている人も多いのではないでしょうか。本当のところは知りませんが。

あとは音声入力でしょうか。これは薄々気づいている人も多いと思うのですが、声を出すのって意外としんどいんですよね。単純に疲れます。当たり前ですが、何もせずに黙っていたほうが楽なんです。しかも、認識してくれなかったときや誤認識があったときの訂正も面倒です。

・・・ということで、「テレビを売った」というただそれだけで、便利になっているつもりがものすごく「面倒」なものに囲まれて生活しているな、と気づかされたという話でした。


2023年7月25日
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