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どうして業績が上がらないの-考察


みんな一生懸命頑張っているのに、業績が上がらないとき。ゴールの見えないマラソンに社員は心を病み、一人当たりの労働負荷は高まるばかり。モチベーションも急激に低下していきます。すると、ますます業績にダメージが・・・。それは、「やり方」が違うからかもしれません。そもそも必要物資がいきわたってしまっている豊饒な社会において、可処分所得が下がり、人口も減り、物価が上がり、消費が急激な勢いでシュリンクする中、「今までと同じやり方」では通用しないのは当たり前です。

明確な「答え」があるわけではありませんが、それでも、「考察」を巡らせることはできます。その考察の中に、解決の糸口となるような「気づき」が見つかるかもしれません。


■「大事なこと」をあれこれやらせすぎている

業績が悪いと、あれこれいろいろな施策を試してみたくなります。組織には3つのヘッドがあって、1つが人事セクション。「評価」と「異動」という武器を使って、トップ人事を通じて社員を誘導します。もう1つが経営戦略セクション。組織の向かう方向性を定めて社員を動かします。そして営業統括セクション。お金を取ってくる営業部門のトップ 層の「お尻」を叩くことで、下部組織に影響を与えます。軍隊でいうなれば、人事セクションが「内閣」(総理大臣=社長)、経営戦略セクションが「背広組」(防衛事務次官)、そして営業統括セクションが「制服組」(幕僚長)といったところでしょうか。この三位一体の企業統括が「シンプルな営業」を志向できているか、が利益最大化のポイントです。

しかし、普通はそうはなっていませんよね。すなわち、内閣も事務次官も幕僚長も、特に意思統一することなく「あの施策は大事」「これも大事」「この時期は販促キャンペーン」「あの時期は・・・」と現場の兵隊さんになんでもやらせている構図なのです。勉強会、会議、販促に各種報告書・・・最近はここへ「コンプラ」「ポリコレ」「SDGs」が加わっていますから、現場は疲弊する一方です。

業績を上げる最大のポイントは、現場にやらせることを極力絞って、思い切り戦わせることです。「仕事ができる人に仕事が集中する」のは世の理ですが、利益を持ってこられる人材にあれもこれもやらせていては、上げられる業績も上がるものではありません。「あれもこれも」ではなく、「思い切って絞る」という施策が必要でしょう。

全社的に業績が苦しいときに成果を上げている部署や個人は、結局は「引き算」が巧いということになります。会社がどんなにいろいろなことを押し付けてきても、「今、本当に必要なこと」を取捨選択してそれに全集中するという仕事の仕方です。それで数字が出ているのなら、ほんらいはそこに学ぶべきなのです。

■「自主性」を重んじて、「主体性」を軽視している

「自主性」と「主体性」は全く違う、似て非なる言葉です。決められた枠組みの中で「自分で考えてやる」のが自主性です。もちろん、「指示待ち」よりは数億倍もましとはいえ、結局は「やることが決まっている」中での仕事なので、成果は想定された枠組みの中でしか発揮されません(ベクトルは内向きです)。自主性を担保した上で、さらに求めるべきは「主体性」です。主体性とは、すなわち自ら仕事を創出する力です。外向きにベクトルを向けて、壁を破っていく力です。

毎週行われる意味のない会議を、少しでも短縮させようとアジェンダ整備をして効率化するのが「自主性」です。まずはこの力が必要なことは論を俟ちませんが、ここからさらに、「そもそも本当にこの会議を開催する必要があるのか」というところまで「問いかけ」を発展させることが「主体性」になっていきます。現状の枠組みを超えて思考するという機会を、あなたの所属する組織は与えられているでしょうか?

そして従業員は、決められた場所から滑空する「グライダー」ですか、それとも自分の意志で進む「飛行機」ですか?

■PDCAにとらわれ過ぎていませんか?

どこもかしこもPDCA、PDCAの連呼です。もちろん、生産管理におけるPDCAサイクルの重要性は大きいのですが、最大の問題はPDCAはその仕組み上、偶発性を想定できないというところにあります。工場でモノを生産する場合はPDCAを厳密に運用することで(厳密というのは、MECEという意味で 、です)、品質向上や生産性向上に寄与することができますが、通常のデスクワーク業務においてそれは必ず成り立つでしょうか?

課題(理想と現実のギャップ)は「解決すること」が目的であって、その手段である「PDCAサイクルを回すこと」そのものが目的化してしまっては意味がありません。P(仮説)は仮説であって、まったく想定もしていなかった要素によって(たとえばコロナ禍などは典型です)覆されることがあります。Pがおかしくて、結局P⇒D⇒D⇒D⇒・・となってしまうこともあるでしょう。C⇒Aに至っては、認知のバイアスから抜け出せず、浅い振り返りによって適当なA⇒Pへと進み、碌な成果の出ない結果になることもザラにあります。本来は、Cの段階で綿密な分析を行い、「なぜそうなったのか」を定量・定性でしっかりと分析してはじめて、次のA⇒Pにつながっていくという性質のものです。

どこもかしこも、安易にPDCAという言葉を使い過ぎですし、ある意味でそれが免罪符となってPDCAと言っておけば浅い分析でも免責されるという報告書類はごまんとあります(忙しい現場は、それで乗り切るのはもはや処世術でしょう)。こんな体たらくで業績が上がるわけがないのです。これだったら普通に、ある計画について「計画、定量と定性の振り返り、修正計画」をまとめれば済む話です。

■「勉強会」を無駄打ちしていませんか?

世の中にはたくさんの勉強会がありますが、いわゆるベーシックなスキルを身につけるような「研修」を除いて、そのほとんどが「無駄打ち」です。どんなに「ベストプラクティス」や「先行事例」にフォーカスしても、人が違い、状況も違い、相手にしているマーケットも違うのですから、「答え」の再利用ができないのがその理由です。これは、ほとんどの参加者が「答え」を求めて勉強会に参加しているからこそ起こる悲劇です。しかし、その中にあって、「学び」や「気づき」を得られる人は必ずいます(そして、そういう人が「優秀な人」です)。

すなわち、大切なのは「答えを学ぶ」姿勢なのではなく、「やり方」「考え方」「根本の行動理由」といった、「思考を学ぶ」姿勢です。氷山モデルの「目に見えない部分」を学ぶ、あるいは具体物から共通する要素を抜き出して抽象的な概念を学ぶ、と言い換えてもよいでしょう。

例えばトップ営業マンが勉強会で「私は1日5時間を顧客との対話に当てています」と発表があったとして、「そうか、毎日5時間客と会話すれば業績がアップするんだな」と表面的に理解するのは、いかにも「理解が浅い」としか言いようがありません。そうではなくて、「報告書などの"カネにならない仕事"を 誰もが抱えている中で、1日の5時間を顧客に当てられる優先順位のつけ方」とか、「顧客との対話を重視することが重要という営業姿勢」とかから学べることがあるはずなのです。

行動そのものは真似できなくても、抽象化された「思考」は再利用できます。「思考」にフォーカスできるような勉強会を(経営側は)用意すべきですし、(参加側も)意識しておくべきでしょ う。

■それ、顧客に伝わっていますか?

「いい商品(サービス)ができたから、売れるはずだ」と、誰もが思って商売をします。しかし、それは顧客に伝わっているでしょうか。「伝える」と「伝わる」は違います。「伝わっているはずだ」という希望は、事実を積み上げた「意見」ではありません。

今日日、ほとんどの生活必需品は各家庭にいきわたってしまっています。はっきり言って、これ以上新しいものを買わなくても「文明生活」には困らない水準で生活できてしまっている人がほとんどです。そんなところで需要を創出して、「必要だ」と思わせるのですから、営業というのは本当に大変なことです。

顧客は、論理で消費をしないといいます。感情で消費をするとも、ストーリーで消費をするとも言いますが、要するに「その時々の気分」で選択をするということでしょう。マーケティングはある意味で「ある時点の消費者の気分」を測ったものに過ぎません。顧客の感情はうつろいやすく、決してその場にとどまっているものではありません。ですから、この結果に拘泥するだけでは、「新規需要の創出」ができなくなってしまう可能性もあるのです。

最近は多くの企業でSNS分析もするようになってきています。これはこれで「これまで声にならなかった声を拾える」ということで意味のあることなのですが、これにとらわれ過ぎるとおかしな方向にいってしまうことにも留意しなければなりません。すなわち、圧倒的大多数の人は、実は声を挙げていないということなのです( 所謂サイレント・マジョリティーですね)。

特定の商品やサービスを殊更に取り上げ、それをTwitterやFacebookなどに書き込む、というのは実は圧倒的大多数の人が「やっていない」ことなのです。どうしても大量の書き込みを見ると「みんな言っている」という幻覚にとらわれそうになるのですが、「ごく一部」であることは常に心に置いておいたほうがよいでしょう。

「声になっていない声を聴く(現場から学ぶ)」ということが、実は一番大切なことだといえるでしょう。意外と、うまくいかないのはこういうことだったりします。もちろん、聴き過ぎても創意工夫はできなくなるのですが。

■自分自身で考えることができる組織になっていますか?

組織が余りにも強烈なイエスマン組織になっていると、業績は徐々に落ちていきます。すなわち、「それって本当に意味があることなのか?」という健全な批判が組織内で生まれず、うまくいけばいいものの、少しのずれがどんどんおかしな方向に向かっていってしまうリスクを常に孕んでいるからです。優秀な忠告者は去るか、押し黙ってしまいます。するとますます修正が効かない組織になっていく・・・

この悪循環を絶つためには、先ほども書きましたが社員の「主体性」を尊重する組織でなければなりません。主体性とは、「自分自身で考える」ということであり、とどのつまり「自分の判断軸を持つ」ということと同義です。その人ベースの意志・意欲を尊重し、その判断軸が仕事に正の方向で活かされる組織が(組織にとっても本人にとっても)理想と言えるでしょう。これは、要するに「人を自分との距離で決めつけない」ということでもあります。

相手は自分の鏡であり、自分の心の投影です。自分の心が相手の主体性を尊重すればするほど、相手も自分の主体性を尊重してくれるようになるでしょう。さて、あなたの所属する組織は、「自分自身で考えることができる組織」になっているでしょうか?

■生産性を高める、とは

自分のため、家族のため、お客様のため、社会貢献・・・様々な労働の動機があってよいでしょう。しかし、絶対に忘れてはならないことがあります。それは、「会社のため」という観点です。勘違いなきように付言しますと、これは決して「上司のため」でも「組織のため」でも「経営者のため」でも「オーナーのため」でもありません。自分のおまんまを食べさせてくれる(という意味で持続可能な)「会社のため」という意味です。会社のために働くことが、結局は社会貢献となって自分も含めた様々なステークホルダーに還元される-という視点でまずは捉えてみていただきたいのです(今どき、「社会貢献」を経営理念に置かない会社は希少でしょうから、「会社のため」に働くことは「社会貢献」そのものであるというロジックが本来は成り立つはずなのです。ここが腑に落ちないというのは、結局は経営理念がまったく浸透していない、という証左でもあるのです)。

こうすると、「生産性を高める」ことの本質が見えてきます。すなわち、シンプルに「自分の賃金を上げる」ことに帰結します。賃金が上がるためには、会社そのものが利益を上げていなければなりません。自分自身も勉強したり、業績を上げたりして、成長し続ける必要があります。自己成長×会社の成長によってのみ、生産性は高まっていくのです。

ですから、「どうすれば自分の賃金が上がるのか?」という問いは、「どうすれば会社が利益をもっと上げられるのか?」という課題に直結するのです。これが「会社のために働く」ということの真意です。

こうしてみると、何も「売上を上げる」とか「販売拠点を増やす」ことだけが「もっと儲かる会社にする」ことの答えではないことに気が付きます(そもそも、販路を拡大しすぎて販売管理費まで急拡大してしまっては、売上は上がっても利益が少ない体質になってしまいます)。「無駄な会議や報告書を減らして顧客と接する時間を増やす」「ターゲットを高付加価値の顧客に絞る」「オフィスを減床する」「流通経路を絞って効率化する」といったことでも「儲かる会社」を作っていくことは可能です。

つまるところ、「売上を上げる」というたし算の累積と、「無駄な経費を減らす」という(ひき算した結果のたし算)の累積が「利益」です。日常の「問い」を、「利益最大化」にフォーカスできれば、自ずと業績にも影響してくるのではないかと思うのです。


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