協力と裏切りの狭間で・・・

●囚人のジレンマ●


このコラムは、以下のショートストーリーから始まります。

 

 

トミーとマーキーは、ある罪で警察に逮捕され、拘留された。

この2人はそれぞれ隔離され、絶対に意志の疎通が取れない状況の下、独房で取調べを受けている。

この2人が罪を犯したという確固たる証拠はないため、いきなり有罪にすることは出来ない。

そこで警察は、2人にこんな提案を持ちかけた。

  1. 君だけが自白をすれば、釈放する。黙秘した相手は、懲役5年に処する。
  2. 二人とも自白をすれば、各々懲役3年に処する。
  3. 二人とも黙秘をすれば、各々懲役1年に処する。

トミーもマーキーも、「自分さえ罪が軽ければいい」と考えている。さて、この二人は、最終的にどのような結論を出すだろうか。

 

 

言葉では分かりにくいので、表で示すと以下のようになります。

これは、

協力し合う  
  裏切り合う

の関係を示しています。

 

このとき、2人にとってもっとも良い状態は「どちらも黙秘」(協力し合う)して懲役1年で済ませることです。

しかし、個人レベルで考えてみると、「どちらも黙秘」というケースがあり得るでしょうか。

 

トミーは自分にとって最も良い状態とは何か、考えました。

「もし相手が黙秘をするなら、自分も黙秘をすると1年の刑になってしまうので、自白をした方が得だ。

もし、相手が自白をするなら、自分は自白しないと5年の刑になってしまうので、自白をした方が得だ。」

つまり、いずれに場合においても自白(裏切り)は黙秘(協力)に優越している、ということができます。

マーキーもこれと全く同じことを考えるので、トミーもマーキーも結果的には「自白」を選ぶことになります。

 

こうして、「協力」すれば懲役1年で済むのに、結果として互いに裏切り合って、懲役3年を蒙ることとなります。

 

このように、「最も良い状態を選択して行動した結果、さらにより良い状態があるにもかかわらず、そうでない点で人間の行動が規定されてしまうこと」を、「囚人のジレンマ」といいます。

これは、「ナッシュ均衡にはまり込む」とも言えます。ナッシュ均衡とは、「相手が手を変えないで自分が手を変えると、損が生じる点」であって、「自分だけが〜するのはバカみたいじゃないか」と考える人間の特性がズバリ!言い当てられています。

本当は全体的に見てもっとも好ましい点があるにも関わらず、「ナッシュ均衡」にはまって、人間がそこから動けなくなることがあるわけです。

少々抽象的な話でしたが、これは、社会一般の様々な事象に適用できます。少し考えてみましょう。

 

・・・って、いきなり思いつかないので、ふたつだけ。

 

<例>値下げ競争

隣り合うスーパーマーケット、「りんごや」と「えんそくや」はライバル同士です。

どちらのお店も198円でティッシュペーパーを販売しており、りんごやとえんそくやの売れ行きはほぼ互角です。

そこで、

また、

この状況において、「りんごや」も「えんそくや」も考慮の末、結局、148円でティッシュを販売することを決めました。

 

どちらの店も同じ値段だったため、198円のティッシュが148円になっても、売れ行きはほぼ互角のままです。

とすると、198円のティッシュの方が利益があったため、どちらにとっても損である状況が生まれました。

 

つまり、「値下げ競争」の結果、互いに損をする状況が生まれてしまったことになります。しかし、「値下げ」せずにはいられないのがこの2店舗の「宿命」となるわけです。ああ・・・

もっとも、消費者は何の損もしないわけですが・・・(つまり、得をするのは消費者のみということになります)。

 

<例>軍縮と軍拡

隣り合う2国、「パン国」と「ティー国」があります。国力はほぼ互角です。

どちらの国も伝統的に仲が悪く、いつも小競り合いを繰り返しています。

お互いの指導者が会談し、「そろそろ緊張状態を緩和しよう」と持ち掛け合いました。

そこで軍縮を協議することになったのですが、お互い、疑心暗鬼で・・・

 

この場合、2カ国にとってもっとも望ましい状態は、軍縮です。ところが、

「パン国」は考えました。

「ティー国」は考えました。

すなわち、どちらの国にとっても、「軍拡」が優位な選択となるわけです。

 

このように、合理的にもっとも(自分に)好ましい状態を考えて選択すると、「協力」することよりも「裏切り」が有効になるケースが多く存在します。

 

 

協力と裏切りの狭間で・・・


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